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空を愛する者として各地を歩いた際の航空機の写真災害時の活用法などを掲載しています。現場の意見などコメントをください。

仙台市近傍にある陸自霞の目飛行場の価値

2011-06-09 09:18:29 | 趣味・航空機
3月11日14時46分頃発生した地震と津波による被害は甚大で、「東日本大震災」と命名され、いまもなお捜索と復旧・復興のための取り組みが懸命に行われている。発災直後の地震と約1時間後に押し寄せた大津波によって、東北地方のs空の玄関であった仙台空港や航空自衛隊松島基地は使用不能となった。このため、仙台市近傍にある唯一の「陸上自衛隊霞の目飛行場」が初動の救助活動や国の行政機関、DMATなどの医療チームの受け入れ場所となり、大きな役割を果たした。
関東においては、首都直下地震や東海地震を想定して、立川に広域防災基地が整備されており、飛行場は陸上自衛隊が維持管理し、近傍に内閣府の非常時の前方指揮所にもなる施設や国立病院機構の被災者救助拠点病院が併設されている。また飛行場には、警視庁・東京消防庁・海上保安庁等の航空基地が併設されており、約1500mの滑走路では、定期的に航空自衛隊の中型輸送機C-1の離発着訓練を含めて日頃から訓練・運用が行われている。また立川飛行場(広域防災基地)の周辺には、血液センターや食料備蓄倉庫、災害救援物資の備蓄倉庫等があり、緊急時にはヘリコプター等航空機でいち早く被災地へ輸送可能な状態で管理されている。
仙台地区周辺では、ここまでは整備されていなかったが、宮城県を中心にして、自衛隊はじめ警察・消防・海上保安庁・国土交通省等との連携訓練が推進されており、今回の災害初動から多くの機関がこの飛行場(滑走路約700m)を活用できたと言える。まさに自衛隊と自治体が連携して日頃からの訓練と良好な人間関係を構築していたことの成果であった。
霞の目飛行場のデータによれば、3月末までの1ケ月の管制回数は、約5000回にも及び、通常の5倍もの航空機が集中したことが分かる。日単位で見ると、発災初日の3月11日は徹夜の救助活動もあり、自衛隊と警察・消防防災等を合計して約300回、12日がピークで530回を超える航空機の離発着があり、この状態は約1週間継続している。3月11日から17日の間に霞の目を使用した警察・消防・海上保安庁・国土交通省・Drヘリ・民間チャーター機の総数は、述べ116機に及んだ。地震や津波で孤立した被災者を救助する手段として、『ヘリコプターの重要性』が改めて認識されるデータであろう。今後東日本大震災の教訓として、改めて大都市周辺に存在する自衛隊の飛行場などの重要性が認識され、危機管理の際の国民保護の拠点として一層整備されていくことを期待している。
陸上自衛隊東北方面航空隊は、発災直後(15分後離陸)直ちにヘリコプター映像伝送機を飛行させ、地震による仙台市周辺の被災状況を小雪が降る悪条件下で貴重な情報収集を行った。特に大津波の襲来を刻々と伝え、関係機関や報道機関で極めて重要な災害情報として繰り返し報道された。その後津波で孤立した大勢の被災者を徹夜で連続15回出動させ、ホイスト救助を行って、169名の命を救っている。暗夜小雪の舞う中を暗視ゴーグルを使用して救助活動をしたとも言われている。この内容は別途記述することとする。写真は札幌市消防局のBell412が孤立した被災者を救助して霞の目飛行場に着陸し、被災者を自衛隊員と協力して搬送している風景である。阪神淡路大震災の教訓から始まった自治体消防等と自衛隊の連携訓練は、このような救助活動はもちろん、燃料の補給等後方支援の分野にまで拡大して検討が進み、訓練も行われてきた成果であろう。