Blue Sky Love Sky

空を愛する者として各地を歩いた際の航空機の写真災害時の活用法などを掲載しています。現場の意見などコメントをください。

CH-47空中消火

2010-11-06 09:07:47 | 趣味・航空機
陸上自衛隊航空学校で行われた大型ヘリコプターCH-47による空中消火のデモです。CH-47は、わが国最大のヘリコプターで、最大約8t用の大型バケットに消火剤を搭載して吊りさげ消火活動を行います。前掲のUH-1クラスの約10倍の能力を持っているため、近年の山林火災などでは、UH-1とともに多用され、大切な国民の財産である森林資源の保全や民家への延焼防止に多くの成果を残しています。連続して運用して規模の大きい火災にも効果があるため、大量の水が必要であり、水深のあるダムや河川など、広い給水点を必要とします。写真は11月3日に撮影しました。

UH-1J空中消火

2010-11-06 09:01:12 | 趣味・航空機
陸上自衛隊航空学校で展示されたヘリコプターによる空中消火活動のデモの一こまです。UH-1用の水嚢は1機で約700ℓの消火剤を散水可能です。中型ヘリコプターによる空中消火は、山林火災などで、小規模のうちに迅速に消火活動をお行う場合、飛び火した場合に小回りのきく中型ヘリコプターを運用した方が良い場合等に多用されます。消防防災ヘリコプターでも同型のBell412シリーズによって水嚢や胴体下部に装着したベリータンク方式で約1.2tの消火剤が散水可能です。

レインボウ・コブラ

2010-11-05 19:52:34 | 趣味・航空機
陸上自衛隊航空学校の58周年記念行事で「レインボウ・コブラ」チームによる編隊飛行が披露されました。毎年多くのファンがこの展示飛行を楽しみに集まってきます。航空学校の操縦教官室の中から選抜された優秀な教官が、数日間教育終了後に集中して訓練してその技量を披露します。ほとんどの科目が、操縦教育に使われる訓練科目ですが、これを編隊飛行で行うことに困難さがあります。この展示飛行が始まった頃はOH-6だけで「明野レインボウ」と呼ばれていましたが、その後AH-1Sを入れて「レインボウ・コブラ」に改称され、OH-1も加わって賑やかになりました。今年は最新の戦闘ヘリコプターAH-64Dも加わって4機種のそれぞれ特徴のある訓練科目を存分に披露していました。北風が徐々に強まって、真横の風を受けてのデモ飛行は集中力をもって相当の忍耐が必要だったと思いますが、さすがにS編隊長の見事な指揮で演技が終了しました。写真は、演技終了後に観客に終了の挨拶をしている場面です。前列にOH-6×4機がダイヤモンド隊形で、後列に左からAH-1S、OH-1、AH-64Dが傘形に並んでいます。多くの観客から拍手を頂いて、ほっとする瞬間ですね。写真は11月3日に撮影しました。

OH-1試験機

2010-11-04 22:34:22 | 趣味・航空機
わが国初めての純国産ヘリコプターで、実験団隷下の実験飛行隊所属の試験機です。赤白の機体と写真のような白黒の機体そして通常の迷彩色に塗られた試験機があり、各種試験が継続されています。独自のローターハブ構造を持っており、機動性が良いことでも知られています。写真は11月3日に撮影しました。

AH-1S編隊

2010-11-04 09:46:34 | 趣味・航空機
明野に所在する第5ATH隊の5機による編隊です。きちんと隊形を組んで前進する姿はには圧倒され、さすがに戦闘ヘリコプター操縦士の気概が見えます。昨今の周辺情勢などから、戦闘ヘリコプターや輸送ヘリコプター等空中機動・空中火力戦闘能力を求める声が高まっていますが、政権の人件費抑制への要求が高く、人員は減る一方です。要員養成には相当時間がかかることを考慮すると、対応能力低下が心配・・との声も多く聞かれます。そのような厳しい環境でも、『どっこい元気に、しっかりした実力を蓄えているのがこの部隊だ』とでも言いたげな見事な編隊飛行には最敬礼です。国民の多くは、わが国の主権を守り、強い自衛隊がこの国を守ってくれる・・と信じていますから、更に欠員を早期に補充して、優秀な戦士を養成し、頑張ってほしいですね。操縦士等専門技術者を育てる教育には少なくとも5-6年の時間がかかるのが通常ですから、早急に人員の補充が可能なように政治決断がされることを期待しています。

陸上航空学校創設58年記念編隊飛行

2010-11-04 08:58:32 | 趣味・航空機
明野にある陸上自衛隊航空学校で、創設58周年記念行事が行われ、観閲飛行で飛行した27機の編隊です。陸上自衛隊航空学校は、5月初旬に米軍顧問団から軽飛行機学校設立提案がされ、昭和27年5月12日に東京都越中島にあった総隊総監部訓練部学校班の中に保安隊航空学校設立準備室が発足開設されて、できるだけ東京に近い下志津、松戸、柏、習志野、白井等候補地を挙げて検討されています。多くの候補の中から結局帝国陸軍浜松飛行学校があった浜松飛行場に選定されたと、大塚正七郎氏著「陸自航空よもやま話」に記されています。その後5月28日には浜松での設立準備が行われ、飛行場や施設の整備に当り、保安隊航空学校が10月15日に創設されました。まさにその年から58年を経て大きく育った陸上自衛隊航空学校から輩出した多くの優れた隊員が国内外で羽ばたき活躍しています。2年後には60周年を迎えますが、「温故知新」(故 きを 温 ねて新しきを知らば、以て師と為すべし)の通り、改めて先人の偉業を偲び将来の創造に役立つ良い機会となることを願っています。写真は11月3日に撮影しました。

T-4

2010-11-04 08:10:58 | 趣味・航空機
伊勢にある陸上自衛隊航空学校(明野)で創立58周年記念イベントが行われていました。昭和27年10月15日に浜松飛行場で保安隊航空学校が創設されてから58年を経たわけです。保安隊航空学校で昭和28年から29年頃に学んだ多くの先人が、陸上自衛隊航空部隊はもちろん、航空自衛隊の創設にも大きく貢献しました。その浜松の飛行部隊からは、毎年陸上自衛隊航空学校の記念行事にT-4など当時の教育機が飛来して、上空から特別参加しています。今年も2機のT-4が飛来し、約10分間の訓練展示飛行をして浜松に帰投しました。保安隊航空学校の創設から当時の教育に携わり、第1ヘリコプター団長をされた大塚正七郎氏の著書「陸自航空よもやま話」(光人社)によれば、昭和29年5月29日に、当時の第一幕僚監部杉山茂第三部長は、『第一幕僚監部(陸上自衛隊)が生みの親となって、第三幕僚監部(航空自衛隊)を責任を持って立派に創設せねばならない』と訓示されたことが今も耳朶に残っていると記されています。昭和29年7月の自衛隊の創設にあたって新設された航空自衛隊は、当時保安隊航空学校で学び、訓練を受けた人の半数以上が中核要員として航空自衛隊へ転官をして設立されています。浜松と明野は、58年前から常に強い絆「Airmanship」で結ばれています。写真は11月3日に撮影しました。