Blue Sky Love Sky

空を愛する者として各地を歩いた際の航空機の写真災害時の活用法などを掲載しています。現場の意見などコメントをください。

晩秋の編隊飛行でのエンジン不調

2020-06-04 15:15:34 | 趣味・航空機
宇都宮に所在した「東部方面飛行隊」は当時固定翼機を8機程度保有しており、LM-1だけでも4機によるダイヤモンド編隊が訓練できた時代だった。いつでも全国どこへでも任務飛行ができるように連日長距離の航法訓練をしていた。時には、編隊飛行で八尾や仙台、熊本、丘珠などを往復する訓練もしていた。この頃全国ほとんどの空港や飛行場を体験したことがその後各種任務を行う上で大変有益であった。
晩秋のある日、宇都宮を出発して、VFRで鈴鹿経由で八尾に向かい編隊飛行訓練をしていた。編隊長はベテランのO氏であり、まだ駆け出しの私を鍛えて頂いていた。鈴鹿上空あたりに到達すると、層雲が増えてきて、ブロークンの状態になったため、オントップ飛行で八尾に向かうことになり、上昇を続けていた。エンジン全開で長機を追いながら飛行していたら、突然「ブスブス・・」とエンジンが不調になってしまった。すぐに編隊長に報告して、編隊を離れるようにして回復捜査を試みていた。編隊長から、「チョーク」調節! との声が聞こえた。 すぐにチョークレバーを調節すると、エンジンは順調に回転しパワーも戻ってきた。上空では外気温が急激に下がる晩秋の頃から、高い高度での飛行をする際は、吸気量と燃料の調節をする「チョーク」の操作が重要であることは理解していたが、編隊僚機として付いていくのが精いっぱいで、大切な高度・外気温の変化に伴う操作を失念していたのが原因だった。編隊長は、八尾へ向かうのを断念し、明野に向かうと指示された。奈良盆地上空で高度が8500Ft程度まで上昇していたので、今度は高度を下げるのが大変であった。エンジン回転数を下げて降下すると、エンジン温度が急激に下がって、エンジン不調に陥るからである。経路を選定しながら、ギア(脚)を下ろし、エンジン回転数を上げて降下をした。それでもなかなか思うように降下しないので、長く感じたことを覚えている。そのうち松坂付近に到達し、異常なく編隊で明野に着陸したが、、ブリーフィングの際、厳しく指導を受けたものだった。レシプロエンジン搭載の小型軽飛行機時代の苦い思い出である。