Blue Sky Love Sky

空を愛する者として各地を歩いた際の航空機の写真災害時の活用法などを掲載しています。現場の意見などコメントをください。

LR-2編隊離陸

2019-12-14 11:02:48 | 趣味・航空機
木更津航空祭で編隊離陸するLR2です。陸上自衛隊の固定翼機が数が減って寂しいですが、編隊離陸は、嘗ては当然のこととして実施していました。着陸も滑走路直上でブレイクして旋回着陸する手法が最も早く着陸できるので、編隊での「Over Field Landing」を要求して着陸したものでした。人員空輸のほかに偵察用機材を活用して、各種情報収集が可能ですが、もっと固定翼機も活用して欲しいと願っています。
昭和53年頃だったと記憶しますが、仙台地震があった際、霞が関や六本木の防衛庁との連絡が困難になった際、立川飛行場から飛び立って、銚子周辺空域で、約4時間連続して旋回飛行をしながら、仙台と市ヶ谷の間の無線連絡を行った事がありました。その教訓を得た防衛庁は、通信網の強化が始まったと記憶します。
LR-2は比較的長距離を連続して飛行できることから、離島との連絡や沿岸監視などでの継続した任務を期待しています。

OH-6D木更津航空祭で

2019-12-14 10:35:41 | 趣味・航空機
長年陸上自衛隊の観測・指揮連絡用小型ヘリコプターとして使用されてきたOH-6Dが、令和元年度末で退役すると説明がありました。木更津の航空祭では最後の展示飛行となりました。
OH-6Jは、我が国の小型タービンエンジンヘリコプターとして初めて導入され、従来のレシプロエンジンのH-13Hなどと比較にならないほどの軽快な機動力を発揮して、山地における行方不明者の捜索や、狭隘な山頂部への着陸救助などで活躍してきました。
OH6Jは、L-19やLM-1等小型軽飛行機からヘリコプター主用の陸上自衛隊航空部隊への転換する継起となった航空機です。導入直後に宇都宮にあった東部方面航空隊で、導入に携わった方から、機種転換教育を受けました。その際の教えは、「風をパワーにせよ」でした。
その後OH-6Dにパワーアップされて、東日本大震災では、山頂部にある通信アンテナが停電のために使えなくなったため、通信機材と小型発電機・燃料を狭隘なアンテナ横の空き地に着陸して被災地と災害対策本部等の通信連絡を確保した例がありました。
OH-6D型は、約30年前に旭川で勤務していたころに初めて導入されて道北の護りに活躍した小型ヘリでした。旭川から約030度で直進すると稚内に到着するのですが、導入直後にその試験飛行をしていた際、ソビエトの航空部隊がスクランブルに上がったので、西方向へ変針するように稚内のサイトから支持があったことを思い出しました。当時「赤の広場」へ軽飛行機が着陸して騒がれた時代でしたから、約130ktで飛行する小型機に対しても過敏な反応をしただろうと思います。当時の軽飛行機より早く飛行できたものです。