木更津航空祭で編隊離陸するLR2です。陸上自衛隊の固定翼機が数が減って寂しいですが、編隊離陸は、嘗ては当然のこととして実施していました。着陸も滑走路直上でブレイクして旋回着陸する手法が最も早く着陸できるので、編隊での「Over Field Landing」を要求して着陸したものでした。人員空輸のほかに偵察用機材を活用して、各種情報収集が可能ですが、もっと固定翼機も活用して欲しいと願っています。
昭和53年頃だったと記憶しますが、仙台地震があった際、霞が関や六本木の防衛庁との連絡が困難になった際、立川飛行場から飛び立って、銚子周辺空域で、約4時間連続して旋回飛行をしながら、仙台と市ヶ谷の間の無線連絡を行った事がありました。その教訓を得た防衛庁は、通信網の強化が始まったと記憶します。
LR-2は比較的長距離を連続して飛行できることから、離島との連絡や沿岸監視などでの継続した任務を期待しています。
昭和53年頃だったと記憶しますが、仙台地震があった際、霞が関や六本木の防衛庁との連絡が困難になった際、立川飛行場から飛び立って、銚子周辺空域で、約4時間連続して旋回飛行をしながら、仙台と市ヶ谷の間の無線連絡を行った事がありました。その教訓を得た防衛庁は、通信網の強化が始まったと記憶します。
LR-2は比較的長距離を連続して飛行できることから、離島との連絡や沿岸監視などでの継続した任務を期待しています。