Blue Sky Love Sky

空を愛する者として各地を歩いた際の航空機の写真災害時の活用法などを掲載しています。現場の意見などコメントをください。

V-107A 沖縄塗装機

2009-10-30 21:18:00 | 趣味・航空機
嘗て沖縄の第101飛行隊で数多くの離島の患者空輸を行ったV-107Aです。今は、茨城県の八郷にあるフラワーパークのちびっこ広場で翅を休めています。前掲の第101飛行隊創設期の頃以降現在も沖縄の離島で発生する救急患者の輸送を24時間待機で行っています。現在はCH-47JAに機種が更新され、陸上自衛隊の迷彩塗装をしていますが、このV-107Aが配備されている頃までは、写真のような塗装が施されていました。機番を見るとJG-1803となっていますから、V-107A型の3号機だと思います。嘗てこれを運用していた方やこのヘリコプターで命を救われた方々も懐かしい写真かも知れませんね。理由は前掲のS氏の回想の通りです。写真は10月下旬に撮影しました。

沖縄第101飛行隊創設期の編隊飛行

2009-10-24 09:28:47 | 趣味・航空機
陸上自衛隊航空科部隊のOBで構成される「陸上航空OB会」では、創設期の頃からの歴史的な画像と当時行動をされた諸先輩方の説明やコメントを求めています。先日来一部を逐次掲載していますが、今回は、陸上航空部隊の固定翼部隊の育成にご尽力され、沖縄の第101飛行隊の基幹要員として最初に赴任されたS氏(仙台市在住)の回想を基に掲載します。『昭和47年、沖縄の返還に伴い、第一混成群の隷下に第101飛行隊が熊本で編成され、HU-1B×2、V-107×6、LM-1×1、LR-1×1に隊員が分乗して、同年11月21日に沖縄の那覇に移駐した。第101飛行隊の航空機は、上部を白色、側面をオレンジ色に塗装された。これは、通信機器等の高温からの保護と救難時の発見の容易さを考慮しての事であったと聞いている。速度の異なる3機種の編隊飛行は不可能だが、LR-1が後から追いついてちょうど編隊飛行しているようなシャッターチャンスで撮影されたとても貴重な写真であろう。』昭和47年5月15日戦後27年間続いた米国統治が終わり、日本に施政権が返還された直後の事で、当時の先輩の方々のご苦労が偲ばれる写真だと思います。写真は、S氏から提供いただいたもので、記念誌に掲載されていたものを複製しています。沖縄返還時に行われたもので、大変重要な任務がありました。貨幣をドルから円に交換するための布告(昭和47年5月1日)に伴う各地での業務支援です。大量の円紙幣等が海上自衛隊の艦艇で輸送され、数多い離島などへは自衛隊の航空機でも運搬されています。当時の写真等をお持ちの方はご連絡頂ければ幸いです。資料は数年がかりで集めて、陸上自衛隊航空学校等の資料館で保存していただけるように調整中です。(Mail:陸上航空OB会事務局 sepia.yamaya1107@jcom.home.ne.jp)

UH-60JAドアガン

2009-10-23 08:16:32 | 趣味・航空機
木更津航空祭で撮影しました。テロ・コマンドゥ等の脅威に対してヘリコプター等で緊急展開して対処する場合などに使用される装備です。戦場におけるヘリコプターは高い機動力とテロリストの銃器等からの防護性を併せ持つ必要があります。UH-60JAはもともと耐弾性能等が高い装備で、機内に機関銃のマウントを装備して、機上から機関銃による射撃を可能にしたものです。アフガニスタンなどでは、C-130に機関砲などを搭載して武装化した「AC-130ガンシウップ」をAH-64D戦闘ヘリコプターや無人機とともに運用して、テロの拠点制圧などに効果をあげているようです。ヘリコプターからの武装攻撃は、第二次世界大戦末期から検討され、機内からの小銃による攻撃や手榴弾の投下等の方法が一部使われていたようです。H-13Hヘリコプタースキッドに手榴弾投下用のパイプを垂直に取り付けて落とし、攻撃に使用した・・との文献を見た記憶があります。わが国でもHU-1Bの時代にロケットを装着して攻撃できるように検討された時期がありました。その後、戦闘ヘリコプターの運用に関する世界的な趨勢は、捜索と攻撃を専門的に行うヘリコプターの開発・運用の方向が確立され、各種の攻撃型ヘリコプターが誕生しました。わが国も捜索・攻撃能力を備えた対戦車ヘリコプター「AH-1S」から戦闘ヘリコプター「AH-64D」へと世代交代が行われようとしています。フルスペクトラムの戦いにおける攻撃専用のヘリコプターの重要性は各国ともに認識が深まって、テロとの戦いにおいても、味方兵士の防護やテロリストの拠点制圧等に使用されています。低強度紛争(LIC)では、攻撃専用のヘリコプターだけではなく、多用途ヘリコプターなどに機関銃を搭載して空中機動間の防護を図ろうとするものが使われています。ここで、特に注意を要するのは、ドアガンを装備して武装化したヘリコプターの運用は、あくまでも緊急時の防護のためであることを強く認識しておくことです。敵の脅威から安全に回避して、任務を継続することがその武装化の本質であり、攻撃ヘリコプター等との連携行動が前提なのです。陸上自衛隊の各駐屯地での訓練展示を見ても、何気なくその辺りを配意しているところが見えると・・さすがだな・・と脱帽です。写真は10月4日に撮影しました。

LR-1とLR-2の編隊

2009-10-20 10:45:46 | 趣味・航空機
木更津駐屯地の記念観閲飛行で飛行したLR-1とLR-2の編隊飛行です。低空飛行用の迷彩色のLR-1と高高度用の塗装をしたLR-2の異機種編隊飛行で、珍しい写真です。陸上自衛隊中央即応集団隷下の第一ヘリコプター団には、本州にある東北(霞目)・東方(立川)・中方(八尾)の各方面航空隊に配置されていたLRを集中して第一ヘリコプター団で運用するようになっています。LR-1の退役に伴い、高高度を飛行して指揮連絡や偵察飛行を行うLR-2に換装しつつある部隊です。北方(丘珠)、西方(高遊原)、1CB(那覇)にもそれぞれこのタイプの固定翼が配置されています。LR-2は約2~3万Ftからの偵察が可能ですから、カメラによる情報収集だけではなく、電波偵察(合成開口レーダ)などセンサーの能力改善が行われて、方面隊レベルでのリアルタイムでの情報収集活動がさらに充実することが期待されています。

L-16

2009-10-15 08:15:01 | 趣味・航空機
写真を初めてご覧になる方も多いと思います。機体の胴体両側に記された「NPR」の文字。外国の航空機ではありません。陸上・航空自衛隊航空部隊の創設期に米国から供与されて、戦後初めての操縦教育に使用された警察予備隊時代の貴重な写真です。当時の警察予備隊航空学校(昭和27年10月開設)である浜松飛行場で撮影されたものと推測され、まだ日の丸のマークはありません。胴体の文字の意味は・・「National Police Reserve」です。昭和28年1月9日から第一期操縦教育(L戦1期)が開始された際に使用されていました。当時の事に詳しい方(Y氏とS氏の回想による)の証言によれば、教官は米軍の米軍顧問団ベーコン少佐の他、スチュアート大尉以下、下士官6名で、学生は帝国陸軍など操縦経験豊富な幹部(現在の呼称)10名と陸曹(現在の呼称)10名の合同教育であったとのことです。現在陸上自衛隊や航空自衛隊の基礎を作ったのがこの飛行機からであったことを永く伝えて行きたいと思い掲載しました。S氏の回想録によれば、L-16の諸元は、エアロンカAC羽布張り、全幅10.7m、全高2.1m、E/G出力65馬力、巡航速度65Kt 、最大速度80Ktであったと記されていました。操縦教育用とは言え、計器類は前席だけで、後席には操縦桿とスロットルレバーだけだったそうです。写真は、陸上自衛隊航空学校50周年事業で収集されたものを使わせて頂きました。

AH-64D

2009-10-13 12:39:53 | 趣味・航空機
八尾でアパッチの展示飛行を見ることができました。200mくらいの正面に現れたAH-64Dのシルエットは誠に迫力があります。この戦闘ヘリコプターも情報収集能力が高いので、日頃からの沿岸監視パトロールや偵察飛行での情報収集はもちろんですが、大規模災害時などの情報収集にも活躍できると思います。写真は10月10日に撮影しました。

AH-1S 5機編隊

2009-10-12 22:05:27 | 趣味・航空機
これも八尾での一こま。戦闘ヘリコプターですからまさに精強そのもので、見事な編隊でした。この部隊は、今年の8月13日早朝に発生した静岡地震でもいち早く情報収集にあたった部隊です。戦闘ヘリコプターは、高度の情報収集能力を持っていますから、災害時にも当然他のヘリコプターにはない利点を生かすことも可能です。昨年の岩手・宮城内陸地震でも八戸の2ATHのAH-1Sが深夜の谷地における困難な捜索活動を行って高く評価されています。15年前にさかのぼれば、阪神淡路大震災の際は、この5ATHの部隊のOH-6とAH-1Sが、空中からの情報収集部隊の中核として活躍しました。やはり伝統ある部隊は、部隊指揮官の強力なリーダーシップで、昼夜を分かたず、常に厳しい訓練を欠かさずに行っていますから、あらゆる任務がチームワーク良くできるのだろうと感心して見ています。皆さん頑張ってください。

UH-1編隊飛行

2009-10-11 20:44:24 | 趣味・航空機
八尾駐屯地での観閲飛行のUH-1編隊は、5機の2個編隊からなる見事なものでした。ヘリコプターで5機による編隊飛行を行うことは、3機編隊とは格段に難しい編隊飛行です。もともとヘリコプターは動不安定の飛翔体ですから、編隊飛行で相互の動きを常に安定させるためには、先を読んでできるだけ小さな修正で隊形を維持することに集中します。したがって、瞬きもできないほどに緊張して隊形を維持しますので、長らく飛行すると涙が止まらなくなるほどですが、写真をご覧いただければわかるとおり、中部方面ヘリコプター隊の編隊は2個編隊ともに、まことに見事なものでした。さすがに2府19県の広大な地域の防衛警備を担う伝統ある総合力の能力が高い部隊だと思いました。何気なく飛行しているように見えても、日頃の厳しい訓練に耐えてきた全隊員の総力が、現れていると思うと胸に込み上げてくるものがありました。

OH-6編隊離陸

2009-10-11 17:00:11 | 趣味・航空機
10月10日に八尾空港に隣接する陸上自衛隊八尾駐屯地で記念行事に伴う観閲飛行が行われていました。以前にも記述しましたが、飛行部隊指揮官にとって、観閲飛行は、飛行部隊の総合力(心・技・体)を評価できる重要な手段です。この日は、編隊群長機がUH-1で、その後方にOH-6、UH-1、AH-1S、の中部方面航空隊の隷下部隊のヘリコプターが編隊を構成して同時に離陸して行きました。その後方には、明野から応援に来た航空学校教育支援飛行隊のUH-60JA、AH-64D、CH-47が続き、陸上自衛隊が保有するほとんどのヘリコプターの能力を市民の皆様に見て頂いておりました。写真は、最初の編隊離陸をしたOH-6の5機による編隊離陸の模様です。八尾駐屯地に所在する第3師団飛行隊と中部方面航空隊隷下部隊の混成による編隊であったようですが、あの阪神大震災で最初の情報収集をした部隊のOH-6だけに、極めて能力が高く、連携プレイが良くて整然とした離陸でした。ヘリコプターを操縦した方は分かると思いますが、離陸時は、飛行速度が遅いため、機体が振れやすく、隊形を整然と維持して離陸上昇するのは、至難の業です。これを多くの観客の前で何気なく飛行できるのはさすがです。観客席から思わず拍手が出たのも頷ける気がします。

UH-60JAからのリペリング

2009-10-05 14:34:31 | 趣味・航空機
木更津航空祭で訓練展示が行われた際に撮影しました。胴体両側のドアを開けて4名程度が一度に降下します。UH-60JAは、機体の防護装備も充実しており、いわゆる戦場での防護性が高く、テロ・ゲリラコマンドゥ等の脅威下、味方の戦闘ヘリコプターなどの援護の下、このような戦闘要員を迅速に降下させて対処する訓練が行われています。降下しているのは、精強部隊で知られている、第一空てい団の隊員です。