昭和53(1978)年7月26日に世界で1機しか残存していなかった零戦が、米本土から海上輸送(7月24日に横浜港へ到着)され、木更津飛行場に楊陸された。零戦がわが国の地を再び踏んだのは戦後初めての事であった。木更津の格納庫で整備・塗装を行った後、8月10日に木更津飛行場でテスト飛行を実施した。航空局の検査も合格し、8月12日には、木更津航空祭で公開デモ飛行を行った。往時を偲ぶ多くの観衆が感慨深げに固唾を飲んで見守った。機体は横浜から海上輸送されて木更津駐屯地の中にある楊陸施設に台船で運ばれている。写真は、飛行展示を前に、嘗ての海軍時代の塗装で報道陣などにお披露目をしている様子である。(写真は宮島廣人氏提供) 一連のデモ飛行を無事に終えて着陸すると大勢の観衆から大きな拍手と歓声が上がった。昭和20年8月の敗戦から33年目の出来事であった。「零戦52型里帰り記録」(http://ksa.axisz.jp/a2316-3025-3317-4803.htm)によれば、木更津での飛行を終えた後、8月15日に厚木での慰霊飛行を行ったのを皮切りに、桶川飛行場での公開飛行、土浦・霞ヶ浦上空での慰霊飛行、福井空港でのデモ飛行など各地での慰霊飛行や公開飛行を行っている。11月9日には、木更津を離陸して仙台~一関~盛岡等へも慰霊飛行を行った後木更津へ帰還して、再び、浜松、静浜、富山、南紀白浜、大分、大村、長崎、八尾空港での飛行を終えて昭和54年2月10日に木更津から横浜港へ輸送され、米国へ向かったと記されている。
本資料は、陸上自衛隊航空部隊60周年を記念して作成した際、諸先輩から話を伺い、提供いただいた写真や資料を基に記述しています。
本資料は、陸上自衛隊航空部隊60周年を記念して作成した際、諸先輩から話を伺い、提供いただいた写真や資料を基に記述しています。