失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

民家園探訪 武蔵村山市

2010年09月12日 | 民家園

<都立野山北・六道山公園 里山民家 2010/09/04>

今回はタイトルをどうするか少し悩みました。
この「里山民家」の原型は武蔵村山市にあったものではなく、
もとは東大和市にあったものを復元したものだそうなので。
建物は平成12年に建てられたものだそうです。
(「里山民家へ行ってみよう」http://www.sayamaparks.com/noyama/minka/による)
ですので古民家とか民家園といった言葉も
柔軟に(てきとーに)使うことにします。
いちおう、公開されている民家の建物が今建っている場所を基準にすることにしました。
ここでも、この建物を「里山民家」と呼ぶことにします。

今回の「里山民家」の
概略位置図です。
青色エリアが今回訪れた市。
(武蔵村山市)
みどり色のエリアは
このブログでこれまで取り上げた市。
ピンクの○印は
民家園のだいたいの位置です。
●印はこの民家の原型があった場所です
(東大和市)

上述のように
この建物は平成12年に
復元建設されたもの
ということで
建物内の撮影も
自由にどうぞということでした。











屋内でガイドをされている方に
屋根について
尋ねたところ
新築時に
カヤは岩手の北上川からもってきたこと、
まだ築10年ですが、
カラスが巣材として
カヤを抜き取っていったりするので
補充していかなかればならない、
といったことを教えてくれました。




復元のモデルとした建物は、東大和市高木にあった宮鍋家住宅だそうです。
(上記の「里山民家へ行ってみよう」による)
宮鍋家の住宅について公刊されている報告書としては
『旧宮鍋作造家住宅解体調査報告書』(東大和市、昭和62年)や
『東やまとの生活と文化』(東大和市教育委員会、昭和58年)の
「五、住(四)住居-宮鍋家を中心に-」などがあります。
『旧宮鍋作造家住宅解体調査報告書』に「周辺状況図」という地図が載っていて
民家のもとの場所がわかります。
現在の里山民家と旧所在地を地図に落としてみました。
直線距離で約6.5kmです。

<国土地理院1:25000地形図を加工して縮小>
がもとの所在地(東大和市)
●は現在の「里山民家」の位置(武蔵村山市)

上記の『東やまとの生活と文化』p.391には
「主に茅は、小川の方へ買いにいった。・・・ 小川の方は今のように家が建て込んでなくて、
平地山や茅野原があった。」と出ています。「小川」とは小平市の小川でしょう。

<東大和市高木 2010/09/11>

地図でみると
この生け垣の左側が
「旧宮鍋家民家」のあった
敷地のようです。
詮索はこれでおしまい。

暑い中を歩いていると、
街中にもっと生け垣が欲しいなと
おもいます。
そういう自分の家は
生け垣ではないです。
今あるブロック塀を直す
時期がきたときに
生け垣に作り直したいです。


<東大和市高木 2010/09/11>


里山民家の現位置と元の場所をならべてみました。

<左:武蔵村山 岸、右:東大和 高木>


最後に、「里山民家」の北にある岸田んぼの風景を(2010/09/04)








2010/10/16 所在地地図を差し替えた。文の一部を追加修正した。
2010/10/17 切り貼り合成の絵を削除した。
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