失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

11.5自転車走行日誌風メモ

2006年11月06日 | 雑記
昨日に引き続き鑓水の永泉寺に足を運ぶ。


山門を入って右側に、不動明王の石仏がある。11月4日に記した植松さんの石仏写真集に載っているもので、ベアトの写真に写っているのと同じと思われる。横から写真をとってみた。背後からはちょっと撮影は無理であった。

石仏の高さを測ってみたところA、B、C、D各部の寸法は56、14、70、25cmであった。台座のうずのような模様もベアト写真と一致する。

絹の道資料館に行き、展示資料で、鑓水の谷戸の名前を確認した。

地図は『カシミール3D図解実例集初級編』(杉本智彦著実業の日本社2004年)より切り出した。
国土地理院発行の2万5千分の1地形図『八王子』の範囲内である。
老人ホームと書いてある辺りから御殿峠の方へつづく谷が「がんこうじ谷戸(巌耕地など漢字表記は多数あり)」
老人ホームと書いてある辺りから「鑓水」と書いてある上あたりの谷が「子ノ神谷戸」
老人ホームと書いてある辺りから北に伸びて左に曲がっている谷が「嫁入り谷戸」
老人ホームと書いてある辺りから南に伸びて鑓水二丁目と書いてあるあたりの谷が「板木(伊丹木)谷戸」


絹の道資料館前の道を登り御殿峠に出て、境川に下りる。川沿いを走り、町田市立中央図書館まで。
以下の図書を閲覧する。
(1)『明治三年の村明細帳にみる八王子のむら』(古文書を探る会編 平成9年6月)
鑓水村の項に「小字は大谷、板木戸、大鷲谷、子ノ神谷、我眼寺谷(眼耕地)、嫁入り谷という六つの谷戸にわかれ、おおむねその谷の集落に沿って集落が形成されていた。」(p120)とある。
(2)『目でみる厚木・愛甲の百年』(郷土出版社1991年)
(3)『ふるさと宮ヶ瀬』(ふるさと宮ヶ瀬を語り継ぐ会編著1997年)

(2),(3)には、ベアトの宮ヶ瀬の写真が掲載されており、撮影地点は、いずれも「宮ヶ瀬大橋」となっていた。撮影対象が宮ヶ瀬大橋(当時は当然この名称ではなかったろうが)と特定されている以上、あまり細かい詮索は意味がなくなったが、中津川渓谷とされている写真については、(3)には掲載がなく、(2)の説明は少々不正確のように思われた。
 11月4日に述べたとおり、後日まとめて報告してみたい。

図書館5階から外をみると、寺が見えた。帰りに立ち寄ってみると、勝楽寺で、寺の前後が道路予定地になっている。横浜線町田駅の東側の跨線橋から町田街道の原町田3町目までつながるようだ。寺が移転するしかなさそうな状況である。神社だろうが、寺だろうが、墓地だろうが、開発にはかなわない。
ベアトは原町田でも撮影を行っていて、『目でみる町田の百年』(郷土出版社)によると、浄運寺の木立が写っているという。現在は町田駅前の繁華街になっている。後日じっくり探索してみたい。



多摩センターのパルテノン多摩歴史ミュージアムに立ち寄り、図録を購入し、展示を見た。
ここの常設展示に映像コーナーがある。十いくつかあるビデオ映像の中に「昔の村」(3分)というタイトルがある。
この中に、多摩ニュータウン開発以前の唐木田のカラーの映像があった。これは必見である。


この三連休は鑓水に3日通い・鑓水ベアト三昧となった。本日の走行距離55km。

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