失なわれゆく風景

多摩地区周辺の失われた風景。定点撮影。愚問愚答。

目久尻川

2009年09月29日 | 源流探訪

<海老名市本郷  東海道新幹線 新横浜方向>

東京から東海道新幹線にのり車窓風景をながめていますと、
新横浜を出てしばらくして、相鉄いずみの線を過ぎ、
相模川を渡るすこし手前あたりで、ゆるい丘陵や水田風景が見え隠れします。
このあたりいつか訪れてみようと思っていました。
地図でみると目久尻川の流域がおもしろそうなので、
上流から相模川との合流点までたどってみました。

まず略図を載せておきます。


地図中の番号は、
撮影地点です。
画像をクリックすると
別ウインドウで同じ地図が
表示されます。

























<目久尻川・撮影地点略図>

●上流探訪
一級河川目久尻川の起点は座間市栗原小池です。(地点5)

<地点5>
しかしここは水源ではありませんのでここから水源探訪をはじめます。
国土地理院の2万5千分の一地図では、
相武台東小学校の南側で水路表示が途切れています。
しかし、そこもまだ上流端ではありません。
学校の北側に回ってみますとコンクリートの水路がまだ続いています。
水路をたどって先へすすんで行くと小田急線に遮られます。

<左:地点3小田急線の東側(地上に現れている水路としてはこのあたりが上流端となる)、
 右:地点4 住宅地の中をコンクリート水路が続く>

小田急線の西側に回ってみますと暗渠となっています。

     <小田急線の車窓から西方向 小田急相模原-相武台前 間>

ここから先は谷地形をたどって昔の水源を探すことになります。
県道51号を渡ると相武台病院の北側に、「下水道管理用地」の表示があります。
さらに進んで相武台小学校の東側あたりに出ると雨水調整池があります。
勾配からしてこのあたりが昔の上流端だったのかなと私は想像しています。
一応ここを地点1としてみました。

<左:地点1 雨水調整池、右:地点2 座間市「下水道管理用地」の表示がある>

しかし、谷地形はまだ続いています。
どのあたりまで水が流れていたのか(昔の最上流端)は、
もう現地観察ではわかりません。
いずれにしろ昔の水源地は現在は完全に市街地に取り込まれています。


谷地形をさらにたどると、
相模原市相模台6丁目と桜台の境界線、
相模台中学の西側まで来ました。
私がたどれたのはこのあたりまでです。
(ただし目久尻川の谷筋はここだけではありません。)


<地点0:相模台中学の西側>

国土地理院サイトで昔の航空写真を見てみると、
(たとえば1948/01/18米軍撮影 USA-M852-111
http://archive.gsi.go.jp/airphoto/ViewPhotoServlet?workname=USA&courseno=M852&photono=111 )
さすがに水路まではわかりませんが、
上記地図の地点2あたりまで谷の斜面沿いに樹林があるようなので、
およその地形がたどれます。
当時の周辺には住宅らしいものが映っていません。畑と樹林のようです。

今ではそのような風景を思い描くのは難しいですが、
たとえば、『相模原-その開発と変貌-』(相模原市 相模原市立博物館、平成16年)には、
昭和30年ころの相模原6丁目付近の風景(p.30-31)や、
昭和20年代の清新付近の雑木林(p.23。)の写真が載っています。
これらの写真は今話題にしている場所よりもっと西側(横浜線相模原駅に近い)
のものです。
「相模原6丁目付近の風景」のような農地の広がる相模原台地の風景は、
今では綾瀬市早川付近(後述の地点9)など限られたところでしか見られません。
「清新付近の雑木林」の写真はちょっとメルヘンチックです。
現在の相模原市には雑木林として大野台や西大沼あたりに「こもれびの森」が
ありますが、それに比べると、この写真の雑木林は樹高が低いです。

数値地図を利用して谷地形を描いてみますと次のような感じになります。

 <『カシミール3D』使用。 
   国土地理院1/25000地形図
   「原町田」「座間」の一部を加工>

  色分けは
    標高82m以上を無色、
      81m以上を黄緑、
      80m以上を水色、
      70m以上を青
      60m以上を群青
 としてみました。
 赤い矢印は撮影地点と方向です。
 地点番号は上記の地図と同じです。








●下流探訪
地点5に戻って、下流探訪に向かいます。
地点4とは打って変わって、このあたりから
谷底と両岸の台地上部との高低差が大きくなり、ちょっとした谷の風景となります。

<地点6 座間市栗原 下流方向 1>

とは言え、両岸は住宅地です。

<地点6 座間市栗原 下流方向 2>

しばらく、両岸は住宅地です。

<地点7 座間市南栗原 上流方向>

相鉄線のあたりからだんだん水田が現れてきます。
相鉄線車窓から 動画約4秒 346908バイト

<地点8 相鉄線車窓から下流方向 かしわ台-海老名 間>

東名高速の高架を過ぎ、綾瀬市の早川城山公園の下あたり。

<地点10 綾瀬市早川>

さて、地図をみると、台地の上、綾瀬市役所の南側に畑の記号が広がっています。
面積はおおざっぱに50から100haくらいあります。
(面積比較としてたとえば明治神宮がたしか70か80haくらいです。)
相模原台地上で畑地がまとまって残っているところはほかに
米軍のキャンプ座間の北側あたりしか思い当たりません。
どういう理由でここに農地が残っているのか知りませんが、
ともかく見に行かねばなりません。

地図の左の赤丸点
(「伊勢山」の上)
は地点10、
右の赤丸点
(「北山上」の上)
は地点9です。

『カシミール3D』使用。
国土地理院
1/25000地形図 「座間」
の一部を縮小加工








広大な米軍基地は別として、
「相模野の俤は今、綾瀬市早川にわずかに残れり」という感じでしょうか。

<地点9 綾瀬市早川>


最初に述べた新幹線の車窓風景はこのあたり(地点11)。
両岸の台地との高低差も小さくなり平坦地に出てきたという感じになります。

<地点11 新幹線の高架下あたりから下流方向>

相模線と交差するあたりは完全に平坦地です。
このあたりを過ぎるとだんだんと工業地が現れます。
沿川はおおむね川沿いに歩道・自転車道がありますが、
相模線のところは川沿いに進めません。
相模線車窓から 動画約2秒 バイト

<地点12 相模線の車窓から下流方向 寒川-宮山 間>

そして相模川との合流点に着きました。

<地点13 湘南銀河大橋から。目久尻川・相模川合流点>




























 





 
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ありがとう (ABBA)
2009-11-15 16:53:54
綾瀬の昔の風景が今でも残ってることがうれしくてたまりません。
返信する
me too (水無月)
2009-11-15 21:51:54
この風景を維持されている方に
私も感謝です。
返信する

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