薬師池公園には旧永井家と旧荻野家の2軒の古民家が移築されています。
<旧荻野家住宅>
<旧永井家住宅>
今回は後で辛口の感想を述べます。
永井家も荻野家も、どちらも土間までは入れますが、上にはあがれません。
それと屋内に灯りが何もないので薄暗く、部屋の中はあまりよく見えません。
屋内での写真撮影については管理室の警備員さんに聞いたところ、
フラッシュを使う程度なら構わないという返事でした。
<旧荻野家住宅>
<旧永井家住宅>
概略位置図をのせます。
今回とりあげた
薬師池公園(旧永井家、旧荻野家住宅)の
概略位置図です。
住所:町田市野津田3270
青色エリアが今回訪れた市(町田市)
みどり色のエリアは
このブログでこれまで取り上げた市。
ピンクの○印は
民家園のだいたいの位置です。
●旧永井家の位置について
案内板には「この建物は現在位置の北方約3.3キロメートルのところにあった」
と書かれています。
細かい数字の話で申し訳ないですが、この3.3kmという数字は?です。
屋内に置かれている別の案内板(暗くて文字が読みにくい)には
「この民家は、もと町田市小野路町瓜生3631番地(現多摩市永山)にあった
永井卓実氏の住宅で・・・」となっています。
瓜生3631番地がどこなのか昔の住宅地図などで探し出せればそれでいいのですが、
これはあきらめて別の文献にあたってみたところ、
『東京都重宝旧永井家住宅・旧荻野家住宅修理工事報告書』
(町田市教育委員会、1977年、p.1)には次のような記載がありました。
「旧所在地付近の旧状を記すと、
南に高くなる丘陵地の南から北へのびた帯状の谷戸田が東南に折れ、
その谷戸の行き止りにの鎮守愛宕社があった。
当住宅の旧所在地はこの谷戸の屈折点に近く、
北側に低い丘陵背負って西南に面した屋敷地を構え、
屋敷の前面に六尺道が通っていた。」
この地形の説明だけでは、どこだか特定するのは難しいですが、
愛宕神社の位置は『多摩市の町名』(多摩市、1992年、p.79)の
「小野路町の小字」の地図に出ています。
地図で愛宕神社のある谷戸をたどると「瓜生」の地名や「三家井戸」の
地名が書かれています。
この地図には送電線と道路(鎌倉街道)が書かれていますので、
送電線と道路の地図上の交点から瓜生までの距離をはかり
現在の送電線の位置から伸ばしてみると瓜生の谷戸の現在の位置がだいたいわかります。
(補足1参照)
それは現在の「瓜生のバス停」「瓜生通りの起点」のあたりになります。
<国土地理院 1:25000地形図に加工>
<左:瓜生のバス停付近を北側から2010/10/2。右:瓜生通り、西方向を 2010/10/2>
永井家の旧所在地が現在の瓜生通りの起点付近だとすると、
薬師池公園の旧永井家住宅位置からここまでは直線距離で約4.2kmということになります。
薬師池公園と旧永井家、旧荻野家の旧所在地を地図におとして見ました。
一番北の●が旧永井家旧所在地で、東の●が旧荻野家旧所在地、
●が薬師池公園です。
<杉本智彦『カシミール3D図解実例集1』(実業之日本社)で作成>
●昔の瓜生の写真について
『村のころ(ふるさと小野路)』(萩生田常一、1983年)には、
移設前の永井家の写真(p.203)とともに多摩ニュータウン開発前の瓜生の風景が
十数枚載っています(p.157、pp.172-176)。
他には『多摩ニュータウン今昔』(大石武朗、パルテノン多摩、2005年、p.11)に
瓜生池の写真が一枚あります。
(なお、ここに出ている開発後の写真の撮影位置は瓜生池のあったところから、
300-400mくらいずれているようです)
●荻野家の旧所在地について
<三輪の広慶寺付近 2010/9/19>
『東京都重宝旧永井家住宅・旧荻野家住宅修理工事報告書』
(町田市教育委員会、1977年、p.28)には
「当住宅は町田市三輪町一六〇二番地(旧字・上三輪)にあった
荻野磯吉氏の旧住宅である。」とあります。
地図でみると広慶寺の近くです。
<広慶寺 2006/11/18>
近くに西谷戸横穴墓群などがあって興味深い場所です。
<西谷戸横穴墓群 2006/11/18>
●薬師池公園の古民家から受ける印象について
両住宅ともに文化財に指定されているためかもしれませんが
(永井家は国の重要文化財、荻野家は東京都指定有形文化財)、
屋内に上がることができません。
また灯りが何もないので部屋の中の様子がよくみえません。
足下すらよく見えないところもあるのでそういうところには中に入ってみるのをためらいます。
そのため人が寄り付きにくくなっているように思います。
<荻野家 暗くて土間の足下が見えない 2010/10/02>
屋内がよく見えないのが災いしてか、特に永井家はあまり管理の手が行き届いていない印象を受けました。
(これは掃除をしている人が悪いといっているわけではありません)
<永井家 床板に泥がたまっている 2010/10/02>
昔は電灯などなかったのだから暗さを体験すればよいのだ、
という考え方で管理しているのであればそれも見識かもしれません。
しかし予算がないのでしかたなく放置しているとすれば、
せっかくの古民家の魅力を生かしているとは言えないです。
電気を引けとは言いませんが、
たとえばLEDなどを使って電池式で行灯風の照明を考えるなど
工夫できることはあると思います。
さらに照明だけで人をひきつけることができるかどうかはもっと難しい問題です。
そこに在ることによって公園の風景に彩りを添えている古民家ですが、
人のぬくもり感があってこそ魅力が増すのだと感じました。
維持管理費を安くすることを追求しすぎた(迫られすぎた)結果として、
現状があるとすれば再考を願いたいです。
(補足1)
もう一つ別の地図を使って瓜生の場所を探してみました。
「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」の複製が日本地図センターで売られています。
このうち「神奈川県武蔵国南多摩郡小野路村外七村」(明治十五年三月)という地図をみると、
「乞田」から谷戸沿いに道が南に延びていて、途中に東南-西北方向の谷戸が2つ合流しています。
このうち南側の谷戸には南西向き斜面に民家が印されています。
永井家はこの谷戸東南-西北方向の谷戸の最下流付近の民家だと思われます。
明治十五年から現在まで、位置が変わっていないと思われる点を見つけて、
この点と永井家の距離をはかってみます。
私は、「八王子市東中野の熊野神社(約3670m)」「多摩市中沢の中沢池(約3240m)」
「町田市小野路の小野神社前のT字路(2080m)」を選んでみました。
現在の地図上で上記の3点から測った距離を描いてみると
(私はzenrinの電子地図帳でパソコン上で作図しました)
その交点(計測誤差があるので1点で交わるとは限りません)から
旧永井家のあったおよその場所がわかります。
10/4 誤記訂正(高慶寺→広慶寺)、表現の一部変更
10/8 補足1の地名訂正(落合→中沢)・市名補足
10/9 「薬師池公園と旧永井家、旧荻野家の旧所在地」の地図追加、一部字句修正
10/17 三輪付近の地図削除
<旧荻野家住宅>
<旧永井家住宅>
今回は後で辛口の感想を述べます。
永井家も荻野家も、どちらも土間までは入れますが、上にはあがれません。
それと屋内に灯りが何もないので薄暗く、部屋の中はあまりよく見えません。
屋内での写真撮影については管理室の警備員さんに聞いたところ、
フラッシュを使う程度なら構わないという返事でした。
<旧荻野家住宅>
<旧永井家住宅>
概略位置図をのせます。
今回とりあげた
薬師池公園(旧永井家、旧荻野家住宅)の
概略位置図です。
住所:町田市野津田3270
青色エリアが今回訪れた市(町田市)
みどり色のエリアは
このブログでこれまで取り上げた市。
ピンクの○印は
民家園のだいたいの位置です。
●旧永井家の位置について
案内板には「この建物は現在位置の北方約3.3キロメートルのところにあった」
と書かれています。
細かい数字の話で申し訳ないですが、この3.3kmという数字は?です。
屋内に置かれている別の案内板(暗くて文字が読みにくい)には
「この民家は、もと町田市小野路町瓜生3631番地(現多摩市永山)にあった
永井卓実氏の住宅で・・・」となっています。
瓜生3631番地がどこなのか昔の住宅地図などで探し出せればそれでいいのですが、
これはあきらめて別の文献にあたってみたところ、
『東京都重宝旧永井家住宅・旧荻野家住宅修理工事報告書』
(町田市教育委員会、1977年、p.1)には次のような記載がありました。
「旧所在地付近の旧状を記すと、
南に高くなる丘陵地の南から北へのびた帯状の谷戸田が東南に折れ、
その谷戸の行き止りにの鎮守愛宕社があった。
当住宅の旧所在地はこの谷戸の屈折点に近く、
北側に低い丘陵背負って西南に面した屋敷地を構え、
屋敷の前面に六尺道が通っていた。」
この地形の説明だけでは、どこだか特定するのは難しいですが、
愛宕神社の位置は『多摩市の町名』(多摩市、1992年、p.79)の
「小野路町の小字」の地図に出ています。
地図で愛宕神社のある谷戸をたどると「瓜生」の地名や「三家井戸」の
地名が書かれています。
この地図には送電線と道路(鎌倉街道)が書かれていますので、
送電線と道路の地図上の交点から瓜生までの距離をはかり
現在の送電線の位置から伸ばしてみると瓜生の谷戸の現在の位置がだいたいわかります。
(補足1参照)
それは現在の「瓜生のバス停」「瓜生通りの起点」のあたりになります。
<国土地理院 1:25000地形図に加工>
<左:瓜生のバス停付近を北側から2010/10/2。右:瓜生通り、西方向を 2010/10/2>
永井家の旧所在地が現在の瓜生通りの起点付近だとすると、
薬師池公園の旧永井家住宅位置からここまでは直線距離で約4.2kmということになります。
薬師池公園と旧永井家、旧荻野家の旧所在地を地図におとして見ました。
一番北の●が旧永井家旧所在地で、東の●が旧荻野家旧所在地、
●が薬師池公園です。
<杉本智彦『カシミール3D図解実例集1』(実業之日本社)で作成>
●昔の瓜生の写真について
『村のころ(ふるさと小野路)』(萩生田常一、1983年)には、
移設前の永井家の写真(p.203)とともに多摩ニュータウン開発前の瓜生の風景が
十数枚載っています(p.157、pp.172-176)。
他には『多摩ニュータウン今昔』(大石武朗、パルテノン多摩、2005年、p.11)に
瓜生池の写真が一枚あります。
(なお、ここに出ている開発後の写真の撮影位置は瓜生池のあったところから、
300-400mくらいずれているようです)
●荻野家の旧所在地について
<三輪の広慶寺付近 2010/9/19>
『東京都重宝旧永井家住宅・旧荻野家住宅修理工事報告書』
(町田市教育委員会、1977年、p.28)には
「当住宅は町田市三輪町一六〇二番地(旧字・上三輪)にあった
荻野磯吉氏の旧住宅である。」とあります。
地図でみると広慶寺の近くです。
<広慶寺 2006/11/18>
近くに西谷戸横穴墓群などがあって興味深い場所です。
<西谷戸横穴墓群 2006/11/18>
●薬師池公園の古民家から受ける印象について
両住宅ともに文化財に指定されているためかもしれませんが
(永井家は国の重要文化財、荻野家は東京都指定有形文化財)、
屋内に上がることができません。
また灯りが何もないので部屋の中の様子がよくみえません。
足下すらよく見えないところもあるのでそういうところには中に入ってみるのをためらいます。
そのため人が寄り付きにくくなっているように思います。
<荻野家 暗くて土間の足下が見えない 2010/10/02>
屋内がよく見えないのが災いしてか、特に永井家はあまり管理の手が行き届いていない印象を受けました。
(これは掃除をしている人が悪いといっているわけではありません)
<永井家 床板に泥がたまっている 2010/10/02>
昔は電灯などなかったのだから暗さを体験すればよいのだ、
という考え方で管理しているのであればそれも見識かもしれません。
しかし予算がないのでしかたなく放置しているとすれば、
せっかくの古民家の魅力を生かしているとは言えないです。
電気を引けとは言いませんが、
たとえばLEDなどを使って電池式で行灯風の照明を考えるなど
工夫できることはあると思います。
さらに照明だけで人をひきつけることができるかどうかはもっと難しい問題です。
そこに在ることによって公園の風景に彩りを添えている古民家ですが、
人のぬくもり感があってこそ魅力が増すのだと感じました。
維持管理費を安くすることを追求しすぎた(迫られすぎた)結果として、
現状があるとすれば再考を願いたいです。
(補足1)
もう一つ別の地図を使って瓜生の場所を探してみました。
「第一軍管地方二万分一迅速測図原図」の複製が日本地図センターで売られています。
このうち「神奈川県武蔵国南多摩郡小野路村外七村」(明治十五年三月)という地図をみると、
「乞田」から谷戸沿いに道が南に延びていて、途中に東南-西北方向の谷戸が2つ合流しています。
このうち南側の谷戸には南西向き斜面に民家が印されています。
永井家はこの谷戸東南-西北方向の谷戸の最下流付近の民家だと思われます。
明治十五年から現在まで、位置が変わっていないと思われる点を見つけて、
この点と永井家の距離をはかってみます。
私は、「八王子市東中野の熊野神社(約3670m)」「多摩市中沢の中沢池(約3240m)」
「町田市小野路の小野神社前のT字路(2080m)」を選んでみました。
現在の地図上で上記の3点から測った距離を描いてみると
(私はzenrinの電子地図帳でパソコン上で作図しました)
その交点(計測誤差があるので1点で交わるとは限りません)から
旧永井家のあったおよその場所がわかります。
10/4 誤記訂正(高慶寺→広慶寺)、表現の一部変更
10/8 補足1の地名訂正(落合→中沢)・市名補足
10/9 「薬師池公園と旧永井家、旧荻野家の旧所在地」の地図追加、一部字句修正
10/17 三輪付近の地図削除
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