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不幸最少化社会?

2010-06-22 15:28:03 | Weblog

 いわゆる、”不幸”には、2種類の不幸があるように思う。1個人(市民、消費者)としての不幸と、経営者もしくは雇用者としての不幸である。この不幸のうち、経営者としての不幸は助けるべきではないと思う。1個人としての不幸は助けるべきだと思うが。

 大体、経済論理から言えば、「赤字企業はつぶれるべき」なのだが。そこの所を分かっていない人が多すぎる、ということで。

 今日の(今日ではないかもしれないが)朝日新聞の投書欄を読んでいたが。「農業では食っていけないので。地方においては公共事業は必要だ」とか。「公共事業業者を公正透明に選ぶと、地元の土木業者が受注出来ない。だから、談合は必要だ」とか。「漁業をしても赤字だ。取っても、市場に出さずに、処分してしまうことがある」とか。

 特に最後の「漁業をしても赤字だ」には、呆れるが。「なら、魚を取るな」と言いたいが。

 「農業では赤字だ。だから、公共事業が必要だ」もどうかなと思う。なら、農業をやめれば良い。でも、国は、企業法人による農地取得が出来ないようにしている。本当は、一個人に農業を任せるのではなしに、企業が農地取得出来るようにした方が、日本の農業は活性化するはずなのだが。

 「談合必要論」については、もっての他である。論外も良い所だが。なぜ、すべての土木工事を大手企業が受注するようになってはいけないのか、と思う。

 他にも、「地方の地元商店街がさびれている」(これを何とかしろ)とか。そもそも、一個人(一家族)が、昔ながらの、「物を置いているだけ」の商売をして、「客に来てほしい」という方が無理な要求だと思うが。本当は、地元商店街をつぶして、そこに大企業の店舗を進出させた方が良いような気がするが。もっとも、きっと、大手企業も土地買収に手間取るから嫌なのでしょうね。

 私は思う。地方に人がいなくなって、みんな都会に住むようになったら、何が困るのだろうか、と。地球は人類だけのものではないので。その方が、他の動物にとっては、良いのではないだろうか、と。

 ちなみに。「円安誘導論者」もこの類である。つまり、「輸出企業が不幸になるから、円安にすべき」と主張する人達のことである。国民全体にとっては、「円高こそ我が国の利益」のはずなのに。つまり、”輸出企業”というものの、幸福は考えるべきではない、というのが、私の主張である。

 助けるべきなのは、個人、一消費者としての権利であって。企業経営者もしくは、企業経営に関する幸福ではない、と。

 昔、日本がバブルの頃、日経新聞は、「経営の良い企業があれば、その経営者が偉大だからと言い、経営の悪い業種があれば、政府がそれらの業種を助けるべき」だと主張していましたけれどもね。

 企業経営が、政治に左右されるようになったら終わりだと思う。正確には、企業経営者が、政治の善意に頼るようになったら、終わりだと思う。

 「何も出来ない政府は良い政府だ」という。それがすべてではないと思うが。経営不振を政治のせいにするのは、駄目な経営者だと思う。

 それと同じたぐいの意見として、「民主党政権は、大阪の中小企業に目を向けてくれない」という意見があるが。経営者が、政治の動きを気にするようになったら、終わりだと思う。経営は自助努力があるのみである。それを逸脱するから、日本は不況なままな訳で。

 無駄な、公共事業はやめるべきであろう。少なくとも、「法に基づかない政治」は駄目だと思う。子ども手当が優れているのは、政治の関与する余地が少ないからだ。法に当てはまった人は、みんなに配られる。それに対して、公共事業は、常に、政治が絡む。さらに談合になると、もっと政治(家)が絡む。だから。駄目だと思う。

 私の理想とする未来は。「政治が無くなる未来」だと思う。企業が政治に頼ると国が駄目になるのと同じで、政治家のちょっとした意思次第で、運命が大幅に違ってくる人が大勢いる政治とか国は駄目だと思う。

 韓国だって、台湾だって、軍事政権下で、経済発展し、経済発展の結果、民主主義が達成されたのだが。初めから(非経済発展の、軍事政権下で)、民主主主義を志向した人達は、多分、不幸な目に合っていると思う。無理やりは駄目なのだ。

 この意味において、独裁国家は論外だが、軍事国家もだめだし、共産主義もだめなのだ。個人の幸福は達成されるべきだが、企業経営者の幸福は聞くべきではない、と。

 そこの所を、どう考えているのかなというのが、あいまいですね。今の首相の主張というのは。前の首相の主張の方が正しいと思ってしまうのでした。

 「法人税率の引き下げ」とかいう前に。もっと、「すべての経営は自助努力である」「不幸な企業の経営を助けることはやってはいけないことだ」ということは言わないといけないと思う。それを言わない、現在の首相の意見は信用出来ないと思う。どっちを向いて、意見を見て意見を言っているのか、分からないと思う。企業の不幸は救うべきではないのだ。救うべきなのは、個人の不幸である、と思う。その点が、前の首相と違う所だよな、と思う。前の首相は、「個人の不幸を救おう」「企業の不幸は無視しよう」という所が明白であったが。現在の首相はそうではないので。

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