暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

敵は他者にあり

2010-12-25 15:06:22 | Weblog

 昔、子どもの頃の夢の一つとして、『日本人とユダヤ人』みたいな本を書きたいなという夢があったのでした。文化論は大好きです。書けるかどうかはどうかとして。でも、わびさびがどうとかこうとかいう話はいらないです。

 

 それはともかくとして。

 

 アメリカ人の思考、「私が正義だ」という思考そのものが問題の原因ではないかと。私が正義だと考えると、敵は他者にある、という考えになってしまう。

 

 「汝(あなた)の敵を愛せよ」とキリストは言いました。聖書になぜ、キリストがそんなことを言ったのかについては書いていないらしい。書いていたら、恐らくキリスト教徒の人達の考えは相当変わっていたであろうから。キリストが言う、理由は簡単である。「敵も私達の一部分だから。」

 

 バーシャルは何度も言っています。「他人を変えることは出来ません。変えられるのは、自分だけです」と。「自分が変わることによって、他人が変わる可能性はありますが。他人が変わることを期待のために、自分を変えようという決意をすることは良いことではない」と。

 

 日本のマスコミが、日本の悪口ばかり言っているのは、悪いことではないような気がする。自分の国のことを、神の国だと言い、他国の悪口、非難ばかりを言う国よりよほど優れていると思う。

 

 自分の国のことを、「神の国」だといっているのが、アメリカという国の国民なのです。アメリカは倫理観のなさによって崩壊したと後世の歴史家は評価するのではないかといいたくなる。自分の国のことを、神の国だと言い、他国を敵だの滅ぼさなければならないと言い出したらおしまいなのだ。でも、今までの世界の歴史というのは、そういう人達が作ってきたのだけれども。

 

 他人の犠牲によって立つ政治などいらない。日本の政治家は何もしないが、何もしないということがすばらしいと。増田悦佐さんは書いているけれども。下手に何かしようと考えたら、ろくな結果にならないと。リーダーシップなんかいらない。ある欧米人も言っていますけれどもね。「リーダーを必要とする国は不幸だ」と。松藤民輔さんが書くには、日本人の主婦トレーダーの集合体である、ミセス・ワタナベが投資に強いのは、ここより高そうな場所があれば、そこへ行こうとする考えだと。理論というのは、現実の後に出来るものだと。理論を振りかざさないから、ミセス・ワタナベは専門家集団であるヘッドファンジよりも、投資に勝っていると。

 

 日本人が起こる出来事から、理論を考え、宗教家は理論が先で現実を理解する。だから、宗教家は色眼鏡でしか物事を見ていない。見ることが出来ない。

 

 「正義のためなら、1%の不幸なんて、問題ではない」と。宗教家の人達は叫ぶ。あるものを手に入れるためには、多少の犠牲は仕方ないと叫ぶ。しかし、犠牲なんて本当は必要ないのに。

 

 敵は中国に変わったみたいね。「中国が自国通貨の価格を切り上げないから、アメリカの製造業は倒産するのだ」と主張する。しかし、問題はアメリカ自身にあるのに、なあ。以前は日本だったのが、中国に変わっただけ。でも、問題はアメリカ自身にあるのだ。

 

 しかし、関係のない話だけど。イラン・アフガニスタンとの戦争で、PTSDもしくは精神疾患になった帰還兵が、派遣された兵士のうち、10%~20%だと書いてあったが。しかし、アジア・太平洋戦争の後、日本人の元兵士の人の間で、大量に精神疾患の人が出たという話は聞いたことがない。今のアメリカ政府の方が、よほど、兵士に対して、「人間を殺すための訓練技術」を習得させているというのに。なぜそうなるのかというと、日本人は、他国の人を殺す時に、必要悪だと思って殺している。アメリカ人は、自分が正義だと考える習性が出来ているから、精神的混乱が起きる。そういう感じのような気がするが。

 

 ちなみに。日本人が戦争出来ない国民だなんて、誤解もはなただしいと思う。本気で戦争をすれば、一番人殺しをする軍隊だと思う。ちなみに。おまけとして、自分の命もこころみずにというのがついてくる。日清・日露戦争に勝って、アメリカとも5年も戦争が出来たのは、日本人が自分の命を軽く扱っているせいだという人がいる。しかし、だから、アメリカは怖くて、平和憲法なんて押し付けたのでしょう、みたいな。PTSDや精神疾患になった、元日本兵なんてほとんど聞いたことがないし。

 

 ダーウィンは言っているそうです。「もっとも生き残るのは、最も強い種ではなく、最も環境に対して適応・変化能力のある種である」と。バーシャルも言っているが。「宇宙の第3法則は変化です」「最も安定的な状態とは変化している状態です」と。生命というのは、常に変化するものだ、と。だから、希望は常に残されているのであるが。

 

 神の論理を絶対なものだと考えるから問題の原因になる。倫理は時と場面に応じて、変化するものである。斎藤一人さんは書いています。「戦争する時は戦争に勝つことを考えるのが正しいのです。今は、魂の時代だから、魂のことを考えるのが正しいのです。」と。論理が先に来る人間にはそれが分からない。

 

 「宗教は、何千年もの間、真摯な問いかけを受けなかった」と。神の対話では言っていますが。つまり、「神の教えを疑え」と。現実を見なさい。太陽が地球の周りを回っているのではなく、地球が太陽の周りを回っているのである。ガリレオがキリスト教会からの破門を解かれたのは、ほんの最近の話でした。

 

 「正義の味方」が、正義なのだ、と。ある日本人の人は書いていたが。われこそは正義だという人は疑えと。すべての考え、理論は、仮説に過ぎないと。現実が先で、理論は後なのだ。理論より先にまず現実を見なければならない。そして、現実を見て、理論が合わなければ、理論を変更しなければならない。宗教家の人達は、理論は正しくて、現実が間違っていると叫ぶ。その思考こそが、問題の原因なのに。

 

 「政治家を批判してはならない。それは私達国民が選んだものだから。」「マスコミを批判してはならない。それは私達自身が望んだものだから。」別にアメリカのマスメディアが偏っているから、アメリカ人が愚かなのであるとは思わない。報道自由のある国で、マスメディアが偏向報道をして批判がなければ、それは、その国の国民が支持しているからなのだろう。つまりその国においては、それは偏向報道ではない、という意味である。それが事実であろう。

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