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不幸になるのは簡単なのだ

2012-07-19 17:11:24 | Weblog

 不幸になるのは、簡単なのだ。ただ、お互いに人殺しをすれば良い。何の善行もいらない。お互いに殺し合いをするだけで、簡単に不幸になれるということで。

 私は基本的に、紛争地域に対する、援助は止めるべきだと思っているが。戦争している地域に、援助しても、どう考えても、何の解決にもならない訳で。まず、戦争を止めさせるべきである。それからでないと話が進まない。

 

 今の地球で、人間が不幸になってしまう理由の恐らくすべては、人間の過ちのせいである。北朝鮮の人達が、飢え死にしそうなのは、北朝鮮の政治が間違っているせいである。政治の間違いを指摘しないで、いくら、北朝鮮に援助を注ぎ込んでも何の解決にはならないと思う。

 

 貧困に苦しんでいる人達に対して、援助をしようという主張をしている人達は、本当の問題に対して、スルー(通り抜け)をする。本当の問題は、戦争をしている事、間違った政治をしている事にあるのに、そこの問題は、無視して、『食糧援助をしよう』という。本当は、戦争を止めさせなければならないし、間違った政治を正すようにしなければならないのに。そこの問題は無視する。それは、彼らに対する善行にはならないと思う。

 

 貧しい人達に対して、お金を与える事が、問題の解決になるのであろうか。

 『貧しい国の人達に対して、援助をしよう』という言葉に誘われて、何度か援助してみたけれども。どうも、それが正しい事だとは思えない。もちろん、やってみないと、認識出来ない事があるから。援助した行為が間違いだと思わないけれども。援助というやり方が正しいとは思えない。今でも、本当は、援助を必要としない状態にさせる事が、正しい事であると思っている。だから、中国の経済発展は正しい。援助を必要とする、アフリカの状態は間違っている、と。そう思っているのだけれども。

 

 援助を必要とする国は、不幸だし、間違った国だと思う。

 

 神は言う。『他人に対して、幸福であれと願う事は立派な事であるが。神の立場になれば、それぞれが自分の運命を選ぶべきだし、選んでいると言う事が分かる』と。私には意味がよく分からないが。アフガニスタンの過ちを正そうとして、アフガニスタンに軍隊を置いたアメリカとアメリカ人が不幸を感じる結果になった事は知っている。

 他者の過ちを正そうとして、何度も、説明したのに、全く理解しない人がいる。

 結局、他者に対して、“幸福を感じる思考を持つように”という説得は、上手くいかない場合がある、ということだと思う。

 もちろん、アフガニスタンの人達が不幸な理由は、イスラム教を信じている事にある。でも、その思考を変えさせる事は容易な問題ではないと言う事であろう。そして、北朝鮮の政府を崩壊させて、他の国の人達が支配する政権を作る。それも、簡単な行為ではないのであろう。

 問題はそれによってしか解決しないけれども。

 それでも、アフリカの人達は変わらず、自国民を殺し続けるであろうと思う。思考は容易には変わらない為である。

 『あなたに出来る事はあなたが幸せでいる事だけです』という。多分、それ以上の事は出来ないのであろう。『あなたが高い波動を持っていれば、他の人も高い波動を手に入れやすくなります。しかし、相手が変わるとは限りません。あなたは相手に愛を与える事しか出来ません。変化するかどうかは相手が決める事です』と。

 

 出来る事は、幸せな自分でいる事。それだけなのだ。

 難しい問題である事は間違いない。アメリカはアフガニスタンから撤退すべきである。アフガニスタンの人達が、いくら不幸になろうと、もう、ほうっておくべきだと思う。アフガニスタンの人達が間違った人達だからと言って、アメリカ人まで不幸になる事はないのである。アフガニスタンに対する援助は一切止めるべきだと思う。どうせ、彼らは感謝しないどころか、恐らく不満だらけであろうから。

 

 他者の幸福に対して、責任を持とうという考えは間違っていると思う。自分に出来る事は、自分にとって、正しい行いをし続けるだけ事しか出来ないと思う。他者が幸福を感じられる存在にするかどうかについて、他人は責任を持っていないと思う。

 

 貧しい事は、聖者の証であるという発想がある。どう考えてもそうは思えない。

 新聞で、修道者の人生と、政治家の人生を比較して、『修道者の人生は素晴らしい。それに比べて政治家の人生は』という投書を読んだが。どう考えても、政治家の人生を選ぶ方が能力を必要とする。修道者の人生を生きるのに、何の能力もいらない。

 偉大なる科学者になるのには、偉大な知識が必要であるが。障害者になるのに、何の能力も必要ない。

 貧困に陥るのは簡単であるが。金持ちになるには、能力がいる。

 能力が必要な方がおとしめられて、能力が不必要な方が、正しい人のように言われるのは、間違いだと思う。

 援助を受ける側になるのに、何の能力も必要ないが、援助を与える側になるのには、何らかの能力が必要になる。

 貧しい人達を、豊かな人間よりも、正しい側に置くのは、過ちだと思う。金持ちの方が貧しい人間よりも、正しい存在であると思う。

 

 意図的に不幸を選ぶのは間違った行いであると思う。もちろん、意図しなくても、最大限の努力を尽くしていても、不幸は起こりうるけれども。でも、意図的に不幸を選ぶ行為が正しい訳ではない。人は幸福になる為に最善を尽くすべきだと思う。最善の努力をしたとしても、幸福が約束されないのが事実であったとしても。

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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-07-25 02:33:02
紛争地池への援助は難しい問題だなと改めて思いました。
援助が絶対相手のためになるという思い込みは捨てるべきなんですね。

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