暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

発明が幸福の基礎になる

2011-03-18 16:29:58 | Weblog

 前にも書いたが、幸福とは、新規発明によって、感じられるものではないかと思う。

 

 エイズ(HIV)の患者がいて、今、ものすごくたくさんの薬と、高い薬を飲んでいるが。それが、新しい発明によって、たった一つの安い薬で済むようになれば、GPPは縮小するかも知れないが、エイズ(HIV)患者の幸福は増大する。幸福とは、GDP、すなわち、経済成長率ではなくて、新規技術の導入に依存するものではないかと思う。GDPを増やすためと言って、公共事業を増やした所で、「経済成長に関する幸福」は得られそうもないが。「すべての病気を治せる社会」の実現は、それ以前よりも、例えGDPが低下したとしても、それ以前の頃よりも、幸福を感じられるようになるであろう。

 

 『サムソン栄えて不幸になる韓国経済』に載っているデータ。“日本のサービス収支における「特許収入」の推移”。1911年は4000億円の赤字で、2002年まで、赤字。それが2003年から黒字に転換し、2008年には8000億円の黒字へ。でも、日本人の経済成長に対する幸福感は、「特許収入」が赤字の頃の方が、幸福感があった。つまり、世界の人達の技術を導入している時の方が、日本人は経済成長幸福感を感じられていた、ということである。日本が、新しい技術を発明する国になったら、日本人は経済成長幸福感を感じられないようになってしまった、ということで。

 

 日本はファンダメンタル的(経済指標的)には良いと思うのだよね。今、現在、『日本は、世界のすべての国に対して、特許収入が黒字になっている』。そのこと自体はすばらしいことなのだけれども。つまり、世界の人達は、日本に対して、新しい技術を提供出来ないでいる、と。だから、それゆえに、日本人は、今、「経済成長に対して、不幸感を感じている」その理由である、ということで。

 

 本当は、経済成長率、それ自体は、幸福感(もしくは不幸感)の理由ではないと。問題は、新しい技術が日本に入ってこなくなったから、日本人は経済に対して不幸を感じてしまうようになってしまった、ということで。

 

 「発明がすべての基礎になります」。誰か、すばらしい技術を発明してくれないかな。そうすれば、多分、経済成長率がマイナスでも、経済成長しているかのような幸福感を味わうことが出来るでしょう。発明なき、経済成長なんて、ただ単に貧富の格差が拡大しているだけの社会であろう。要するに、そういうことなのではないか。アメリカとヨーロッパで起きていることというのは。結局、発明なき社会、新規発売なき社会は、国民が、経済成長に対して、“不幸な感じ”を持ってしまうということで。そういうことじゃないかな。

 

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有望な投資先がないのだよ

2011-03-18 16:27:28 | Weblog

 三橋貴明さんの、『経済ニュースが10倍よくわかる日本経済のカラクリ』を読んだが。三橋貴明さんは「日本のGDPを増加させるために、公共事業を増やせ」と書いているが、問題は、「有望な投資先はもう日本にはない」ということなのである。

 増田悦佐さんの『格差社会論はウソである』に載っているデータの中に、日本人の生活向上感が1973年からいきなりマイナスになり、その後、プラスに回復することは、その後ずっと、今までなかったというデータが載っているが。どうも、このデータを見る限りでは、実質経済成長率と、日本人の生活向上感の間に、相互関係はない。要するに、1965年から、1972年まではずっとプラスであったが、1973年以降ずっとマイナスであったということを示しているだけのデータである。

 

 大学時代、大学の先生が、「諫早湾干拓(別の所だったかも知れないが)事業は最後の干拓事業であると、農林水産省の幹部は言っている」ということを言っていた。つまり、もう有望な干拓先はないということである。それと同じで、もう日本には有望な投資先はないのである。これが日本人の不幸感の原因であると思う。

 

 ちなみに。大学の先生はこういうことも言っていました。「経済学的には、経済成長率は年率5%が限度である」と。「しかし、日本は経済成長率10%の時期もあったが、それが外国からの技術の導入があったからである。」と。その当時の私は、「そんなことを言えば、発展途上国では、5%を超える経済成長率を成し遂げるではないか。」と思ったのであるが。実際、日本人の不幸は、自分達が先進国になって、経済成長率の増加が見込まれなくなった、すなわち、「外国の技術を日本に取り入れれば、それだけで、経済成長出来る」というのがなくなって、「自分達の国で発明したものによって、経済成長しなければならなくなったから」今、日本人は生活向上感がマイナスになってしまったのではないか、と思われるのである。すなわち、日本に高度経済成長を実現することは不可能なのである。もう、外国には、日本人が導入しなければならないような新しい技術など何もないのだから。

 

 世界で、一番技術開発投資がGDPに占める割合が高いのは、日本だって。世界には、もう、日本人が見習いたいと思う、新しい技術はないのである。それが日本人の生活向上感マイナスの原因である。

 

 円高になっても、不幸だといい。多分、円安になる方が不幸だと思うが。デフレになっても、不幸だと言い、インフレになっても、不幸を言うに違いないが。多分、そんなことは不幸の原因ではないのである。外国から日本に輸入すべき、新しい技術がなくなったことと、もう、これ以上の新しい投資先が日本になくなったことが日本人の不幸感の原因なのである。

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選択の機会を

2011-03-18 16:19:12 | Weblog

 『神の仕事は常に再選択の機会を与えることだ』。すなわち問題は、「豊かさとは多くの選択肢があるということ」なのである。

 地震の問題に関して、被災した人に対して、「被災地以外に住むことを希望する人には、被災地以外に住むという権利を保障し、被災地に戻って生活を立て直したいという人にはその権利を与える」のが本当の豊かさであって。「あそこに戻っても、また津波が来るから」と言って、被災地に戻って、生活を立て直したいという人に対して、その権利を侵害するのは、良くないことである、という話なのである。

 

 刑務所の入ることが、幸福になる人も存在するのだよね。知的障害者の人で、刑務所を居場所にしている人達がいます。多分、一人暮らし不能なのだろう。国(厚生労働省)は、“地域社会への移行”と称して、精神科における長期入院患者数の削減や、障害者入所施設の削減を目指しているが。一人暮らし不可能な人はどうするのだろうと思う。実際に、援助が必要な人は存在するのだが。自力では、食事が作れない人とか。

 

 毎日カップラーメンを食べている人がいて。その人が刑務所に入れば、寿命は延びる可能性がある。しかし、だからと言って、刑務所に入ることが幸福とは通常言えないであろう。選択肢がないからね。入院生活も幸福とは言えないであろう。毎日の食事は、栄養士の管理の元で作られているはずだが。出てくる食事については、自分で決めることが出来ないからね。『神の仕事はすべての人に再選択の機会を与えること』なのである。「豊かさとは選択肢の豊富さ」であって。客観的な数字ではない。GDP(経済成長率)を目指すのではなくて。選択肢を与えることが豊かさなのだと思う。故に、共産主義は崩壊したのであろう。人々に対して、選択肢を与えずに、客観的指標、例えば、栄養士が決めた単一の食事を与えたら、みんなが幸福になるというのが、共産主義の思想であったのだから。

 

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