女性だからって
日本で、夫婦別姓に関する、法案提出の話があった。多分、私が、中学生ぐらいの頃だったと思うのだけれども。それに関する、私のブログ記事について、批判するコメントが付いていたけれども。
だけど。あれではダメだと思う。だって、『夫婦別姓に反対する男性は、女性の敵だ』みたいな、言い方だと。
女性だって、夫婦別姓に反対の人は、いたと思うけれども。
『女性だから、みんな夫婦別姓の法案に賛成のはずだ』という、考えを、前提にするのは、おかしいと思う。
多分、そんな事は、ないはずなので。
で、“敵”を言うでしょう。『この法案に反対する男性は、女性の敵だ』と。
「スーパーマーケットならば、沢山、商品が並んでいる事が、良い事だと分かるのに。なぜ、思想に関しては、同じでないとダメ、という人達が、大勢いるのだろう」という話だけれども。
“批判”を否定するのだよね。
で、『私の意見に、みんな、賛成でないといけない』『反対する人達は、敵だ』と。
そういう考えの人達が、大勢いるから、『思想の多様性が認められない』と。
『同調圧力』とか言っている人達が、正しい人達だとは思えないのだよね。
ただ、現実問題として言えば、『同調圧力』とか言っている人達は、「多数決決定に文句を言っている人達に負ける」。
(続き)
「言うべき時に、言うべき事を言って、後は、忘れなさい」と思う。
“言うべき時に”“言うべき事を”言わないから、後で、引きずって、グチグチ言わないといけないのであり。
別に、意見が一致しなくても良いと思うのだけれども。
スポーツとかでは、試合が終わった後、敵と味方が握手するけどね。
人それぞれ、意見が違って、完璧だと、なぜ、思えないのだろうか、と思う。
他者は敵ではないのに。
自分の意見と違うという理由で、他者を敵だという必要はどこにもないと思う。
で、誰かに、『与えて』って言う。
ダライ・ラマ、チベットの人達が、中国政府の善行に期待しても、意味ないと思う。
やるべき時に、やるべき事をやらないと。
宗教もある意味怖いよね。『チベット仏教がダメになったのは、優秀な人を、僧侶にさせて、子どもを残さないシステムだから』と書いていた人がいたが。
で、結局ダメな人が、チベットに残っている、と。
イスラムも怖いのだよ。優秀な人を、宗教家にさせるシステムだから。だけど。一応、子どもは産んで良いらしい。
宗教に焦点をあてる事が、彼らの間違いであり、と。
(続き)
色々、考えたけれども。“絶対的に”これが、正しい、と言う事はない。
今日(4月28日)の毎日新聞の、夕刊の記事で、『介護職の3割がセクハラ被害に遭った事がある、と回答している』と。
良く分からないけれども。ストレス耐性の低い人っているから。他の人なら、ストレスだと、感じない事に、ストレスを感じる人達というのは、いるから。
弱者ばかりに合わせても意味はないが。だからと言って、みんなが強者になれるかと言えば、そうではない訳で。
どちらが、悪いのでしょう。どちらも悪い場合もあるが。
被害も加害も、相対的なものだから。
アスペルガー症候群の人達が、『学校で、いじめにあった』という。
いじめる側からすれば、いじめられる理由がある。
むかつく事を言うから。
でも、アスペルガー症候群の人達から見たら、何で、いじめられるか分からない、と。
被害も加害も。被害に遭う理由が分かっていれば、許せる。
ガリレオが、地動説を唱える前に、地動説を唱えた人がいたが。その人は、火あぶりの刑になっても、悲鳴一つ上げなかったという。
被害に遭う事を受け入れていれば、被害者意識にはならない。
被害に遭うのを、不当だと考えているから、被害者意識になる。
ほんの少しの坂道だって、耐えられなくて、文句を言う人達はいるのだから。
(続き)
お茶くみ問題。コーヒーを入れる仕事らしいが。
ビートたけしさんが、本で、師匠に、『お前は、売れると思うわ。雑用全然しないから』と。で、ビートたけしさんが、『すみません』と言うと。師匠が、『いや、良いのだ』と、別の弟子の事を指して、『あいつは売れないと思うわ。雑用をちゃんとするから。でも、それは、芸能には、全然関係のない事だから』と。
大前研一さんが、『使えないという人間はいない。どんな人間でも使える。だけど、ダメな人間は、仕事を選ぶ人だ』と。で、『仕事を選ぶ人は、出世しない』と。
で、『通訳の仕事を嫌がる人達がいる。その人は、結局、英語が上手くないからだと思うが。私は、正確さにこだわらないで、自分が感じたように通訳している。そうする事で、私の考えを伝える事が出来るので』と。
お茶くみの仕事か、コーヒーを入れる仕事かはともかくとして。適当にやれば良い。頼まれれば。だけど、その仕事に対して、真剣になってはいけないと言う事だと思う。適当でも、他の人は喜んでくれるのだから。
今、やっている事からしか、遠くに行けない。
だけど。今は、平だからと言って、頭の中では、社長になる事を考えていないといけない、ということだと思う。
今、平であると言う事を、真剣に考えないで。
(続き)
結局、視野が狭い事が問題だと思う。
大学で研究しているとかいう女性が、『英検の1級取ったけれども。上の地位にはならなかった』というのを新聞の投書欄かで、読んだ事があるが。
「英検の1級取る事と、素晴らしい論文を書く事の間には、何の関係もないではないか」と。
大学で、上の立場になりたければ、素晴らしい論文を書く以外の方法はないのに。そこの所を、勘違いしているなあ、と。
「頭では、世界の幸福の事について、考えていないといけない」と。
そしたら、結局、誰かが注目するのだよね。今現在の生活が、貧乏であったとしても。
セクハラだってある意味、今、接している人達の言う事を聞く事に焦点をあてすぎるから、起こるのであり。今の状態は一時的なもので、本当は、世界の幸福を実現する為に、生きているのだと、思えば、セクハラを拒否出来るのに。
(続き)
言いすぎているのかなと思う。
だけど。私から見て、『被害者であることを選択している』ように見える人達がいるのも、事実なのだよね。
どうしようもなくなってから、『会社は何もしてくれない』とか言うのではなくて。「もっと、前から、言っておくべきではないのか」と。
というか、思想自体が、何か変な感じ。
良い高校に、行って、良い大学に行って、良い会社に行くというのは、一つの考えだと思う。
小学校のテストには、『答えを書きましょう』で、中学校のテストでは、『答えを書け』になるとか言う話があるけれども。
やっぱり、不登校(登校拒否)の人達は、社会で働く事が難しくなる、と。
学校も一つの訓練だから。
専業主婦は、訓練になっていないよね。
で、50代ぐらいで、離婚しても、働く能力がない、と。
無職、ニートも、能力が失われる。
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日本で、夫婦別姓に関する、法案提出の話があった。多分、私が、中学生ぐらいの頃だったと思うのだけれども。それに関する、私のブログ記事について、批判するコメントが付いていたけれども。
だけど。あれではダメだと思う。だって、『夫婦別姓に反対する男性は、女性の敵だ』みたいな、言い方だと。
女性だって、夫婦別姓に反対の人は、いたと思うけれども。
『女性だから、みんな夫婦別姓の法案に賛成のはずだ』という、考えを、前提にするのは、おかしいと思う。
多分、そんな事は、ないはずなので。
で、“敵”を言うでしょう。『この法案に反対する男性は、女性の敵だ』と。
「スーパーマーケットならば、沢山、商品が並んでいる事が、良い事だと分かるのに。なぜ、思想に関しては、同じでないとダメ、という人達が、大勢いるのだろう」という話だけれども。
“批判”を否定するのだよね。
で、『私の意見に、みんな、賛成でないといけない』『反対する人達は、敵だ』と。
そういう考えの人達が、大勢いるから、『思想の多様性が認められない』と。
『同調圧力』とか言っている人達が、正しい人達だとは思えないのだよね。
ただ、現実問題として言えば、『同調圧力』とか言っている人達は、「多数決決定に文句を言っている人達に負ける」。
(続き)
「言うべき時に、言うべき事を言って、後は、忘れなさい」と思う。
“言うべき時に”“言うべき事を”言わないから、後で、引きずって、グチグチ言わないといけないのであり。
別に、意見が一致しなくても良いと思うのだけれども。
スポーツとかでは、試合が終わった後、敵と味方が握手するけどね。
人それぞれ、意見が違って、完璧だと、なぜ、思えないのだろうか、と思う。
他者は敵ではないのに。
自分の意見と違うという理由で、他者を敵だという必要はどこにもないと思う。
で、誰かに、『与えて』って言う。
ダライ・ラマ、チベットの人達が、中国政府の善行に期待しても、意味ないと思う。
やるべき時に、やるべき事をやらないと。
宗教もある意味怖いよね。『チベット仏教がダメになったのは、優秀な人を、僧侶にさせて、子どもを残さないシステムだから』と書いていた人がいたが。
で、結局ダメな人が、チベットに残っている、と。
イスラムも怖いのだよ。優秀な人を、宗教家にさせるシステムだから。だけど。一応、子どもは産んで良いらしい。
宗教に焦点をあてる事が、彼らの間違いであり、と。
(続き)
色々、考えたけれども。“絶対的に”これが、正しい、と言う事はない。
今日(4月28日)の毎日新聞の、夕刊の記事で、『介護職の3割がセクハラ被害に遭った事がある、と回答している』と。
良く分からないけれども。ストレス耐性の低い人っているから。他の人なら、ストレスだと、感じない事に、ストレスを感じる人達というのは、いるから。
弱者ばかりに合わせても意味はないが。だからと言って、みんなが強者になれるかと言えば、そうではない訳で。
どちらが、悪いのでしょう。どちらも悪い場合もあるが。
被害も加害も、相対的なものだから。
アスペルガー症候群の人達が、『学校で、いじめにあった』という。
いじめる側からすれば、いじめられる理由がある。
むかつく事を言うから。
でも、アスペルガー症候群の人達から見たら、何で、いじめられるか分からない、と。
被害も加害も。被害に遭う理由が分かっていれば、許せる。
ガリレオが、地動説を唱える前に、地動説を唱えた人がいたが。その人は、火あぶりの刑になっても、悲鳴一つ上げなかったという。
被害に遭う事を受け入れていれば、被害者意識にはならない。
被害に遭うのを、不当だと考えているから、被害者意識になる。
ほんの少しの坂道だって、耐えられなくて、文句を言う人達はいるのだから。
(続き)
お茶くみ問題。コーヒーを入れる仕事らしいが。
ビートたけしさんが、本で、師匠に、『お前は、売れると思うわ。雑用全然しないから』と。で、ビートたけしさんが、『すみません』と言うと。師匠が、『いや、良いのだ』と、別の弟子の事を指して、『あいつは売れないと思うわ。雑用をちゃんとするから。でも、それは、芸能には、全然関係のない事だから』と。
大前研一さんが、『使えないという人間はいない。どんな人間でも使える。だけど、ダメな人間は、仕事を選ぶ人だ』と。で、『仕事を選ぶ人は、出世しない』と。
で、『通訳の仕事を嫌がる人達がいる。その人は、結局、英語が上手くないからだと思うが。私は、正確さにこだわらないで、自分が感じたように通訳している。そうする事で、私の考えを伝える事が出来るので』と。
お茶くみの仕事か、コーヒーを入れる仕事かはともかくとして。適当にやれば良い。頼まれれば。だけど、その仕事に対して、真剣になってはいけないと言う事だと思う。適当でも、他の人は喜んでくれるのだから。
今、やっている事からしか、遠くに行けない。
だけど。今は、平だからと言って、頭の中では、社長になる事を考えていないといけない、ということだと思う。
今、平であると言う事を、真剣に考えないで。
(続き)
結局、視野が狭い事が問題だと思う。
大学で研究しているとかいう女性が、『英検の1級取ったけれども。上の地位にはならなかった』というのを新聞の投書欄かで、読んだ事があるが。
「英検の1級取る事と、素晴らしい論文を書く事の間には、何の関係もないではないか」と。
大学で、上の立場になりたければ、素晴らしい論文を書く以外の方法はないのに。そこの所を、勘違いしているなあ、と。
「頭では、世界の幸福の事について、考えていないといけない」と。
そしたら、結局、誰かが注目するのだよね。今現在の生活が、貧乏であったとしても。
セクハラだってある意味、今、接している人達の言う事を聞く事に焦点をあてすぎるから、起こるのであり。今の状態は一時的なもので、本当は、世界の幸福を実現する為に、生きているのだと、思えば、セクハラを拒否出来るのに。
(続き)
言いすぎているのかなと思う。
だけど。私から見て、『被害者であることを選択している』ように見える人達がいるのも、事実なのだよね。
どうしようもなくなってから、『会社は何もしてくれない』とか言うのではなくて。「もっと、前から、言っておくべきではないのか」と。
というか、思想自体が、何か変な感じ。
良い高校に、行って、良い大学に行って、良い会社に行くというのは、一つの考えだと思う。
小学校のテストには、『答えを書きましょう』で、中学校のテストでは、『答えを書け』になるとか言う話があるけれども。
やっぱり、不登校(登校拒否)の人達は、社会で働く事が難しくなる、と。
学校も一つの訓練だから。
専業主婦は、訓練になっていないよね。
で、50代ぐらいで、離婚しても、働く能力がない、と。
無職、ニートも、能力が失われる。
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