暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

怒っている時に

2018-02-25 13:23:05 | Weblog
 怒っている時に、『怒るな』という話ではないと思う。
 「いつまでも、その感情を引きずるな」という話な訳で。
 “怒る時に”怒らないと、結局、怒りの感情をずっと引きずったままになるのではないかと思う。

 葬式もあげた方が良いよね。そしたら、『やったぞ』という達成感があるから。
 そうでないと、悲しみの感情をずっと引きずったままになるのではないかと思う。

 『結婚式もあげた方が良い』と言われるけれども。
 そうでないと、結婚している間ずっと、妻に、『結婚式をあげたかったのに』と言われるから。

(続き)
 『怒っている』時に、怒りの感情を抑圧せよ、というのではないと思う。
 その瞬間、瞬間でないと、出来ない事が多いから。
 後になって、ふつふつと怒りがわいてきても、どうする事も出来ない事も多いから。
 怒りの感情がわいてきたときは、その感情を抑圧するというのは、正しくないと思う。

 それにしても。子供が、家に、月に2万円入れていたら、『貯金しておこう』と思うのに。
 夫が、給料のほとんどを家に入れていても、夫の悪口を書く女性がいるのは、何なのか、と思う。
 いくら、『坊主憎けりゃ袈裟まで憎い』と言っても、ひどすぎないかと思う。
 自分が受け取っている利益について、考えてみれば、良いのに、と思う。

 お金はねえ。
 得るのは、難しいのだから。そんなに、簡単に考えてはいけないと思う。
 自分が、働いて稼ごうと思ったら、大変なのだから。
 『男性なら、夫なら、簡単に出来るはず』と考えるのは、何なのか、と思う。

 「権利だけ、主張しても、上手くいかないよ」と思うのだけれども。
 対価として、払っている分に、注目すべきだと思う。

(続き)
 専業主婦だろうが、何だろが、構わないとして。
 『夫の給料が少ない』と言って、文句を言うな、と思う。
 「文句あるなら、お前が稼げ」と。

 全然、男女平等じゃない。
 こういう人達が、口では、『男女平等』とか言うのだから。どう考えても、おかしいが。

(続き)
 時々、「何で、日本人って、こんなにつまらない事を言うのだろう」と思う。
 人工牛肉の話だって、ネットでは否定的だったし。

 想像するものが、創造されるのだから。想像する中で、もっとも素晴らしい想像をして、それを創造すれば、良いだけ。
 「想像出来るものは、創造出来るのに」。
 信じない人達が、大勢いる。
 で、『そんな事は、ありえない』という。
 そして、外国人が実現させてから、その話に突っ込む。
 別に、外国人が実現させる前から、実現出来たはずなのに。
 『信じない』のだよね。

 まあ、「夢のない人達」とも言う。
 だけど。
 想像されたものが、創造に行くまでの、時間が、どんどん短縮されていっているのだから。
 想像されたものが、すぐに、創造されるようになっていっている。
 だから。『素晴らしい、想像』を否定してはいけないのに。

(続き)
 現状適応レベルの事を、考えてはいけないと思うのだよね。
 まず、『これが出来たら、素晴らしいのだ』と言う事を、想像して。で、その想像を実現しようとすれば、良いだけなのに。

 『将来、ノーベル賞の半分が日本人になる時代が来る』と書いていた人がいたが。
 その前に、克服しないといけない問題があると思うのだが。
 つまらない、研究をする人達が多すぎるのだよね。
 『夢のない研究』『現状適応レベルの研究』。
 「これが、出来たら、素晴らしいのだ」という想像に基づいた研究をしてもらいたいと思うのだけれども。
 まあ、『ビジョンがない』という言い方も出来ると思うのだけれども。
 でも、『夢がない』と言った方が、正しいと思う。

 『ワクワクに基づいた』という言い方も出来ると思う。
 しょうもない、足元を見たような研究をするから。

 『基礎研究を役に立たないからと言って、予算を削るのはおかしい』と言っていた人がいたが。
 「いかに、基礎研究が役に立つのかについての、壮大な物語を書け」と思うのだよね。
 本当は、壮大な物語が書けるはずなのに。

(続き)
 何で、「想像するものが、創造される」と信じないのだろう。
 で、『現状適応』の方法を探すけれども。そんなものに、何の夢があるのか、と思う。
 ただの、『現状適応』のだけの方法に過ぎないではないか、と。
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統合と分離

2018-02-25 13:21:45 | Weblog
 統合と分離

 1万3千年の分離の時代が終わって、1万3千年続く統合の時代が2012年(冬至)に始まった、というが。
 『分離と統合』って何なのでしょうね。

 今までは、『他者は、敵だ』と言ってきた。
 だけど。「悪魔を否定する事は、世界の一部を否定する事になる」と思う。
 「自分の中の、男性的部分も、女性的部分も含めて」と言う事だと思う。
 「自分の中の悪魔の部分も含めて」と。

 キリスト教で、『原罪』という。
 で、それに対して、『俺は良い子だぞ』という事を書いていた、日本人がいたが。
 キリスト教では、『生まれながらに人間は罪びとだ』と。
 だけど、それに対して、『私は、良い人だ』という日本人がいる、と。

 何で、自分の正しさを信じないのだろう。
 そして、自分の正しさを信じない時、他者の正しさも信じない。
 自分の正しさを信じる時、他者の正しさも信じられるのに。
 『この人のこの部分が受け入れられないのだ』と言う。
 だけど。自分に、そういう部分がある事を認められれば、『この人のこういう部分』も受け入れられるであろうに。
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お金は

2018-02-25 13:20:31 | Weblog
 お金は、自由の象徴だけれども。もらう方は、お金を欲しがるが。あげる方は、お金をあげる事を嫌がるよね、と思う。『お金だと、何に使われるか、分からないから』と。

 アメリカで、虐待を受けていた子供の話で、保護した人が、『あなたは、自由だ』と言うのがあるが。「自由な訳がないではないか」と思う。お金なしに、自由なんて、ありえない。

 母親だけで、子供を育てている人が、『政府からのお金が欲しい』と言う。
 だけど。「母親の親と一緒に暮らせば良いのに」と思う。
 政府からのお金の問題にしても。「何でも、自分の意図通りにすれば、良いというものではない」と思う。他者の意見も聞かないと、と。

 『大学の自治』とか言っても。大学の人達だけで、大学の事を決めて良いという訳ではないと思う。
 『外部監査』というのは、企業ではあるのだから。
 外部の意見なしの、独立した意見があるという考えは、危険だと思う。

 人の意見を聞く、受け入れる事が、本当の正しさなのに。
 自分だけで、何でも、決めるというのは、正しさではないと思う。

 体罰の問題について。『大人の7割が、体罰を肯定している』という話があるようだけれども。
 『親の言う事を聞かせよう』無理やり、というのは、危険だと思う。
 自分と異なる意見も受け入れないと。

 『子育ては、親育て』とも言われるが。本当だと思う。
 自分の意図通りにならないことを、受け入れると言う事が、大事である、と。

(続き)
 『「お金、貸して」の話は、断れ』と言われているが。
 それは、その人は、お金が欲しいのであって、お金を貸す人が欲しい訳ではないからだ。
 大体の場合は、お金を貸したら、お金を貸した人との付き合いを切ってしまう、と。
 『お金を、貸して』の人は、好きにお金を使える状況が欲しいのであって、お金を貸す人との人間関係が欲しい訳ではないから。

 人間関係を断ち切る思想は非常に危険だと思う。

 アメリカって、一人当たりの医療費は、日本の2倍なのに、国民が受ける医療レベルは、日本よりも、低い。 で、母親だけで、子供を育てている人達の事を、『偉い人達である』という人達がいるが。全然、偉くないと思う。他者と一緒に子供を育てている人達の方が、偉い、立派な人達だと思う。インチキ、マスコミは言わないが。

 自分の偉大さを誇るとき、全然、偉くない。自分の未熟さを感じる時、その人は、偉大だと思う。
 『自己責任』と言った時、自分の未熟さを感じるが。問題を他者のせい、不幸を他者のせいにしている人達よりも、立派な人達であると思う。

 お金だって、家で、内職していても、全然、稼げない。だけど。会社で働くと、内職よりも、いっぱい稼げる。それは、他者と一緒に仕事をしているからで。

 年金未納の、フリーランスの人達は、全然偉くない。そして、老後、それよりも若い場合にある、に不幸になって、『サラリーマンの人達は、ずるい。国民年金だけでは、生活保護以下だ』というが、それは、今までの人生の過ちのせいであると思う。

 何で、『外国は素晴らしくて、日本はダメだ』と言うのだろう。
 インフルエンザの治療薬のタミフルについて、ネットで検索を掛けてみたが。
 アメリカで、『タミフルが1万いくらもするので、買わないでいたら、死亡した、女性教諭がいた』というのが出ていた
 『アメリカでは、がんの治療は、放射線を選ぶ事が多い』と書いていた、日本の医者がいたが。
 それは、おそらく、手術にお金がかかって、放射線治療しか、選択する事が出来ない人達が多いからだと思う。
 アメリカの事情も考慮しないで、『アメリカは正しくて、日本は間違っている』というのは、間違いだと思う。

 何でも、自分の意図通りに動けば、良いというものではないと思う。
 他者の意見も聞かないと。
 そして、他者の意見を聞ける人が立派な人であって。
 自分だけで、何でもやろうとする人達は、全然、立派な人達ではないと思う。
 『感謝』というのは、高波動らしいが。
 何か、感謝を忘れて、全部、『自分、自分』というのは、良くないと思う。
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出来なければ

2018-02-25 13:19:34 | Weblog
 出来なければ、言わないはずだ

 パリ協定の話が言われているが。

 毎日新聞で読んだ記事で(2月17日?)『2010年から現在までの約7年間で、太陽光発電のコストは73%、陸上風力発電のコストは約25%低下しており、(中略)再生可能エネルギーの発電コストは、化石燃料を利用する電源と比較しても遜色ないレベルまで下がっている。報告書では、太陽光発電については、さらに2020年までにコストが半減する見通しという。さらに、陸上風力発電も同年までに5セント/kWhまで下落するとしている。』

 しかし、何で、今の時期なのでしょうね。太陽光発電のアイデア自体は、私が子供の頃から言われているのに。
 最初に、『ヨーロッパ全土と、アフリカ全部と、中東の全部の全エネルギーを、サハラ砂漠に敷き詰めた、太陽光パネルで発電する』時代がきて、その後で、フリーエネルギーのアイデアが出てくるのかも知れないけれども。概念、信念は、徐々に出ないと、放棄出来ない事があるから。

(続き)
 バシャールが、『マッチ箱にぎゅうぎゅうに押し込めているみたいでおかしい』というのだけれども。
 想像する事は、創造可能な事かも知れないのに。勝手に制限を設けて、『これは、言ってはいけない事だ』と制限を設けているよね、と思う。
 本当は、『想像可能な事は、創造可能』かも知れないのに。
 可能性はいっぱいあるのに。勝手に、『これは言ってはいけない事だ。やってはいけない事だ』と制限をつけているみたいな。本当は、全部、言っても良いし、やっても良い事かも知れないのに。

 バシャールは、『今、自分のやるべき事を探しているのだ。ワクワクする事で気をそらさないでくれ』という言い方をするのだけれども。
 何で、『ワクワクする事』をやってはいけないと思うのか、と。
 想像する事は、全部、創造可能なのに。
 思いつく限りの素晴らしい想像をして、それを創造すれば良いだけなのに。

(続き)
 AI(人工知能)の問題だって。何で、『仕事が奪われる』という言い方をするのだろう、と思う。真実は、「働きたい人が働いて、働きたくない人は、働かないで済む、世の中が来る」のに。
 『AIに仕事が奪われる』というのは、貧困意識に基づいた発想だと思う。
 「大体、大勢の人が、出来れば、働きたくないと思っているのに、何で、『AIによって、仕事が奪われる』という言い方をするのか」というのは、正しいと思う。
 『みんなだって、3億円あったら、働かないでしょう』というのは、正しいであろうに。
 「働きたいと思う人達だけが、働いて、働きたくないと思う人達は、働かなければ良いじゃない」と思う。
 それが、世の中の正しさだと思う。

 だから、「地球の科学技術は子供のおもちゃ」だって。
 現時点では。「これから、小学生に入学するレベルぐらい」。多分。
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ポジティブにしろ

2018-02-25 13:18:19 | Weblog
 『ポジティブにしろ、ネガティブにしろ、全部、さらけ出さないといけないのです』とバシャールは、言うが。

 大学の人達って、基本的に、『裏はない』。
 言う事は、はっきり、結構しているが。
 
 怒っているのに、『怒っていない』とは言わないし。
 勝手に不機嫌になって、『何で、怒っているの』と言って、『自分で、考えて』とは言わない。

 何か、自分のマイナスの感情を出したら、ダメ、という考えがあるような気がするが。
 でも、マイナスの感情を否定していたら、プラスの感情も、出てこなくなるのではないかという気がする。
 マイナスの感情も含めて、自分だから。

(続き)
 「刑務所に入れた後で、許す」の話だけれども。
 刑務所に入れる、努力をすることによって、後で、許せるようになる訳で。
 刑務所に入れる努力をしなければ、ずっと許せなくて、怒っていないといけない。

 しっぺ返し戦略も実は奥が深い話で。
 『前回、相手が、善を返してきたら、善を返し、前回、相手が、悪を返してきたら、悪を返す』。
 だから、以前、悪い人だと思っていた人でも、前回良い人だと思ったなら、善を返す、と。
 変化を含んでいる、と。

 相手に悪を示す事によって、逆に許せるようになる。
 良い人ぶって、相手が悪を与えてきたのに、善を返すようでは、多分、心の中に怒りが生じたままになると思う。
 自分の中に怒りを貯めこむ事は、悪だと思う。
 だけど、それは、『仕返ししよう』という感情を否定していては、自分の中で、怒りを貯めこむだけだと思う。

 「やるだけの事をやって、あきらめる」なのだよね。
 だけど。そのためには、「やるだけの事を」やらないといけない。
 黙って、『誰かして欲しい』ではどうにもならない。

 「神が裁くのではなくて、人間が裁く」のだけれども。
 で、裁くのは、他者ではなくて、自分なのだけれども。
 「あなたに神が持っているとされる力を持っているよ」と。
 あなたが、神として、振る舞えば良い。
 他者に、期待しないで。
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心優しき人達

2018-02-25 13:17:02 | Weblog
 心優しき人達

 大学の研究室の人達の事を、『心優しき人達』とブログで書いていた女性は、『失恋したので、消えたいです』と書いて、ブログ、アクセスランキングから消えてしまった。
 『NO』と言えないのは、欠点だよね。
 無職の弟が、その人名義のクレジットカードを使えなかった事に怒った事に対して、その人が、弟に対して、『土下座して謝った』なんて。

 多分、人に対して、『NO』と言う事を身に着ける事が、その人の人生の課題なのだろうが。

 『同意して、同意して』とブログに書いていた女性は、『ショックな事があったので、ブログの更新を停止します』と言って、その前の回のブログの文章で、『自分の事を、賢いと思った事はなかったけれども』と書いていたけれども。
 『同意して、同意して』で生きると、付き合う人間関係が制限されるよね。『同意して』に同意してくれる人としか、人間関係を築けないと言う事なのだから。

 『非武装、中立』はともかくとして、『中国が侵略してきたら、どうするのか』『降伏する』とか言っている人達は、中国人が侵略してきて、優しくしてくれると、勘違いしているよね。人の善を、優しさを前提とするのは、どうなのだろうか、と思う。それは、結局の所は、不幸を呼ばないだろうか、と。

(続き)
 共産主義と仲が悪いけれども。それは、『みんなの賛成』を前提とするからだと思う。
 
 投資が悪い事だとは思っていないけれども。
 『全部掛ける』から、悪い事になる訳で。ちょっと、やる分には問題ないと思う。
 何でも、『一つのものに、全部を掛けてはいけない』が。

 『失敗の経験』を人から、取る事は出来ないと思う。
 成功だけでは、知りえない事があるので。

 『家賃保証』に騙されて、多額の負債を抱える人達がいるらしいが。
 だけど。何で、自分に出来ない事が、人に出来ると思うのだろうか。
 未来の保証、結果の保証なんて、誰にも出来ないのに。
 『だけど。成功の保証はされていないのですよね』。
 その通りだと思う。
 『成功の保証』を求める事自体が、過ちの原因だと思う。
 未来の不確定性を元に、生きていかないと、全ての人が、なのに。

 自分で制約をつけているだけだよね。
 『こうでなければならないのだ』と。
 だけど。別に本当は、そんなものは、必要ないかも知れないのに。

 「異論、反論、どうぞ」だけど。
 だけど。異論、反論を、否定した所に、豊かさがあるのだろうか、と思う。
 結局、そこの所の問題だと思う。
 共産主義は、異論と反論を認めないから。

 「過ちの経験を人から、奪い取る事は出来ない」だと思う。
 そこの所の問題があるように思う。
 「成功の保証はされていない」と。
 「未来は、常に不確定だ」と。

 『失敗したから、ダメだ』というものではないと思う。
 “失敗を受け入れない”考えがダメなだけで。
 「成功だけを取る事は出来ないよ」というだけの話な訳で。

 ソウルメイト(魂の知り合い)というのは、何なのでしょうね。
 ソウルメイトで言えば、「愛も憎しみも等価」。
 愛し合っていても、憎しみあっていても、家族関係になりうる。
 全然関心のない人達同士では、家族関係、ソウルメイトにはならない。
 
(続き)
 人は、ドキドキする関係を求めている。
 愛し合っていても、憎しみ合っていても、ドキドキする。
 感情が揺さぶられる、という意味だが。
 結局の所、「全ては経験」だから。
 ドキドキする経験がしたい、と。
 それが、愛であれ、憎しみであれ。

 何も考えずに、ぼんやり生きると言う事は、あまりない、と。
 まあ、何も考えずに、ぼんやり生きると言う事は、魂の望みではないのでしょう。

 基本的に他者に対して、無関心というのはありえない。
 関心があるから、引き寄せ合うのだからして。
 それが、愛であれ、憎しみであれ。
 結局、問題は、感情なのでしょう。

(続き)
 バシャール以外の精神世界系の情報はあるが。何か違う。
 「選択の余地があるよ」と言う事ではないか、と。
 『みんな同じ思想でないとダメ』というのは、間違っていると思う。
 「好き勝手な事言う権利がありますよ」と言う事だと思う。
 『この考えを信じないといけない』『みんな同じでないといけない』というのではなくて、と。

 私が、「何か変」と思って、チェックしたのは、(2017年9月)、自分のブログの文章の回数だった。
 本当に、ハイヤーセルフ(高次の自己)とつながっているなら、アイデアがいっぱい沸いてくるはずだと思うのだよね。
 『インスピレーションを得るのに苦労する』というのは、そもそも、ハイヤーセルフとつながっていないと思う。

 本当に漫画家として才能のある人は、アイデアがいっぱい沸いてくるというが。
 結局、『文章が書けない』というのは、そもそも、高次の自己とつながっていないと思う。

(続き)
 何で、『選択の余地を認めない』のだろう。
 思いつく限りのアイデアを言って、そのうち、良さそうなものだけを、実行、選べば良いだけではないかと思う。
 勝手に、『これでないと認められないのだ』と制限をつけないで。
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影響力を

2018-02-25 13:15:53 | Weblog
 影響力を作り出すのに、政治家になる必要はないのに。

 『同意して、同意して』の人は、普通の女性だと思うよ。
 単に、『多数決で、決める事に対して、文句を言う人達』の影響力が大きいだけで。

 影響力を作り出すのに、政治家になる必要はないのになあ、と思う。

 橘玲さんが、女性の閣僚が汚職等の疑惑が原因で、閣僚を辞める事に対して。『女性議員の数が少ないから、そういう人を閣僚にせざるを得ないのだ。だから、北欧のように、クォーター(4分の1)制度を導入して、女性議員の数を増やせば、問題が解決する』と書いていたが。
 だけど。『ノーリスクで、女性議員になれるなら』という理由で、女性議員とかになって、議場に座っているだけで、意見を言わない女性議員とやらが、増えたら、どうなるのだろうか、と言うことで。

 『誰か、言って』という人達はいる。
 でも、それでは、影響力は、作り出せない。
 
 影響力を作り出すのに、みんなが自分の言う事を聞く立場を得る事によって、という発想は危険だと思う。

(続き)
 「金持ちの方が、幸いではないか」。
 実は、みんな、分かっているのだよね。分かっていても、『貧しきものは、幸いなり』と言う。そうでないと、貧乏人の行き場がないから。

 橘玲さんが、しっぺ返し戦略を取り上げて、『非武装中立というのは、ありえない』と書いていたが。だけど、私が思うに、『非武装中立』という人達は、日本政府の中核にいる人達の意見ではない、と。日本政府に影響力の全然ない人達の意見である、と。
 問題は、数ではないのだが。

 『多数決で決定するのは、おかしい』という時に影響力を作り出せる。
 『多数決が、絶対正義だ』という時には、影響力を作り出せないのに。
 数の力で何とかしようとする事自体が、影響力を作り出すのに、失敗する、と。

(続き)
 『非武装中立』は、まだ、美しく言った言い方で。
 『中国が攻めてきたら?』『侵略を受け入れる』とかいう説明をする人達がいる。
 「いい加減、『弱者だから、善だ』というのは、止めたら?」と思う。
 それで、女性が、みんな、強姦されても、良いというのだろうか、と思う。
 武力を持っていないと、守れない事があるのに。

(続き)
 今回も、かなり、神経に触る話だなあ、と思う。
 観念を、洗いださないといけない事は、分かっているのだけれども。
 「数は問題ではないと言った時に、影響力を作り出す事が出来るということ?」
 まあ、そうなのでしょう。

 小学校の頃は、周囲の言う事を聞いて、それに誘導される。
 だけど。中学校ぐらいになったら、自我が出てきて、「自分の意見は、こうなのだ」となる。
 橘玲さんは、『子供が親の言う事を聞かなくなるのは、遺伝子のせい』とかいうような事を書いていたけれども。
 だけど。どうなのだろう。周囲の言う事よりも、自分の言う事を聞いてしまうのが、子供が親の言う事を聞かなくなる、思春期から、の理由ではないか、と。

 まあ、言い方は色々あると思う。でも、結局の所、自分と向き合う以外に、答えを得る方法はない、と。
 自分に対する正直さが、真理を得る一番簡単な方法だと。

 『誰か代わりに言って』って。
 「自分が言えよ」という話だが。
 で、人に期待を押しつけて、『期待通りに動いてくれない』と言って怒る。
 「自分がやれよ」と思う。

(続き)
 最初に、ブログに、『多数決で決定するのはおかしい』という人の話について、書いた時の私の意見は、中学校の時の多数決決定を取り上げて、「あれは誘導ではないか」と言う事を書いたのだけれども。
 だけど。本当は、多数決決定に納得いかない事もある。だけど、大抵の人達が、『多数決決定だから』と言って、あきらめる。だけど。多分、“感情が”『納得いかない』と叫ぶのだと思う。表面的には、『多数決決定に従わないといけない』と考えたとしても。
 だからこそ、ネガティブな未来の地球の、グレイ種は、『感情を、取り除こうとした』。なぜかと言うと、感情があれば、“みんなの意見”に一致させる事が出来なくなるから。

 で、自分が、この問題について、書く事に対して、抵抗があるのも。結局の所、“感情”に関する問題だから。で、感情的になってしまう。“感情”を感じる、出す事に対して、恥の気持ちがあるからだと思う。

追記
 アジア・太平洋戦争の原因となった、アメリカのハル・ノートについて。『交渉出来たはずだ』と主張する人がいる。当時の日本人では、難しかったと思うが。
 日本人って、すぐに、『相手の事を受け入れるか、それでなければ、全部、拒否するか』になるから。
 相手も勝手な事を言っていて、そして、自分にも勝手な事を言う権利があると分かる、理解していたら、交渉出来るのに、と思う。
 そして、「話し合いに、話し合いに重ねた結果、『意見が違う事に同意した』」としても、別に、お互い、相手の事を、嫌う必要はないのだと思えば、他の色々な可能性が見えてくるのに、と思う。

(続き)
 日本人ってすぐに制限を付けるよね。『これじゃあ、ダメだ』と。
 だけど、愚案陳案を含めて、全部、さらけ出した上で、良い意見を実行すれば良いではないか、と思う。
 『日本人とユダヤ人』の話の中に、『愚案陳案を含めて、100個書いて送れ。その中で、これが良い案だと思うものに○をつけて、回答してあげよう』と回答した。そしたら、しばらくたった後に、『全ての問題が解決した』と手紙が送られてきた、という話が載っているが。
 初めから、可能性について、否定してはいけないと思う。
 愚案陳案を含めて、全部の可能性を考えてみるべきだと思う。
 それが、例え、愚案陳案に思えたとしても。

(続き)
 『ハンセン病患者だった人と、会えば、分かりあえるはずだ』という主張をする人達がいる。「会って、『そりゃ、ハンセン病患者は、差別されるはずだ』という感想を、抱く人達の権利は認めないのですか」と思う。
 “会えば”理解しあえる、という強要をするのは、おかしいと思う。

 阪神・淡路大震災の後、『こんな素晴らしい活断層は見た事がない』と言って、怒られた、地震学者がいたが。
 そういう発言をする人の権利も認められるべきである、と。
 自分達にとって、都合の悪い意見だからと言って、否定するのは、良くないと思う。
 
 「ろくでもなしに、怒鳴り散らされる事に、地球人生の価値がある」なのだよね。
 天国は、退屈な所だと。
 『想像するものが、創造されたら』、最初は、素晴らしくて感動しても、段々、退屈してくるでしょう?

 地獄に落ちる権利もあると思うのだけれども。

(続き)
 政治家の汚職が問題になっていて。『女性が政治家になれば、汚職は起きないであろう』と言われていて。実際に、女性が、閣僚になったら、汚職が判明した、と。それは、良い事だと思うのだけれども。
 女性議員が、女性の代表ではなくて、政治家としての立場を言った事は良い事だと思うのだけれども。
 それが、分かっていない人達が、大勢いる、と。

 大体、物理法則は、女性も、男性も関係なく働くのに。何で、『女性が、男性が』と言って、大騒ぎする人達が、大勢いるのだろうか、と思う。
 女性だろうが、男性だろうが、良い人は良い人で、悪い人は悪い人なのに。

(続き)
 『男女平等』を言うなら、男性にも、専業主夫になる権利はあるし、無職でいる権利はあると思うのだけれども。男性の、専業主夫になる権利や、無職でいる権利を認めないで、『男女平等』を言うのは、おかしいと思うのだけれども。
 人は、疲れる、働く事に、の権利があるのだから。
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女性で言えば

2018-02-25 13:14:29 | Weblog
 女性で言えば、『同意して、同意して』の人達だけれども。男性で言えば、『居酒屋では、立派な意見を言うのに、会議では黙っている人達』だよね、と思う。

 左翼思想の人が、『一緒に飲めば、分かりあえる』とか書いていたけれども。
 話し合いに話し合いを重ねた挙句、『意見が相違する事に、お互い同意した』だったら、どうするのだろうか、と思う。
 自分の意見を、他者にも、賛成してもらえる事を、前提にするなんて、傲慢だよね、と思う。

 『同意して、同意して』の人達も、同意してもらえなくて、苦しむ事があるらしい。
 千田拓哉さんは、『みんなで、一緒につるむから、出世しないのだ』と書いていたが。
 『同意して、同意して』の人達は、みんなで、一緒につるみたがるが、結局、同意してもらえない事があって、苦しむらしい、と。
 でも、『みんなで、一緒につるむ人達』も、別に、結局の所、幸せを感じる人生を生きるという訳でもないであろう、と。

 人に合わせた方が、簡単な事はある。
 だけど。
 それでは、結局の所、何も成し遂げる事は出来ないのではないか、と。
 『一緒に飲めば、分かりあえる』の左翼の人達も、結局、上手く行っていないのではないかと思うけれども。

 バシャールが、リアリティの話をしている。『2018年バシャールの年賀状』という話だが。
 『あなたが深くまで理解していないから、リアリティがなく、ただのアイデアに過ぎないと感じるのです。あなたが自分コアの信念を見つけるまで、アイデアはアイデアのままです。分かったように感じたとしても、骨に達するまで深くは理解していません』と。

 自分の意見が怖い。
 なんか、排除の理論のような気がするが。
 「霊的レベルが高い人というのは、世界の幸福とか、宇宙の幸福とか言う人で、霊的レベルが低い人というのは、自分の利益が得られれば、他者が不幸になっても構わないという人の事」とか。
 『問題を他者のせいにして、「何で、こんな所にゴミ箱を置いてあるのよ」と言っていませんか』とか。
 
 自分の問題に向き合う事が、その人の人生の目的だと思う。
 八つ当たり(?)して、問題を他者のせいにしても、全然、自分の人生の目的を果たした事にはならないと思う。
 だけど、問題を他者のせいにして、『旦那の給料が低いから不幸だ』とか、『姑のせいで、不幸だ』とか、『職場の人達のせいで不幸だ』とか言っている人達が大勢いる、と。
 まあ、「普通の人達」だと思う。
 だけど、そういう、「普通の人達」を、「間違った人達である」と言っているのだから。心理的抵抗があるのは、当然だと思う。

(続き)
 まあ、「自分と違う意見を持つ人と出会う事」が、生まれてくる目的、価値だよな、と思う。
 天国では、自分と同じような人としか、知り合えないから。
 それが、常に、幸福ばかりをもたらす訳ではないとしても。

(続き)
 ブログの、ツイッターで、『カリアゲ(北朝鮮のトップ)と、話し合いが出来る訳がない。お前が北朝鮮に行って、話し合いとやらをしてこい。そして、日本に帰ってくるな』と書いていた人がいたが。

 『共産主義って上手く行っていないよね』と思う人は多いと思うけれども。
 基本的に言えば、『科学が唯一客観をもたらすので』が分からない。
 共産主義の事を、『全体主義』という言い方をする人達がいるが。これは、美しい言い方をしている方だと思う。実際は、「トップの人の言う事を、みんな正しいと信じなければならない」という思想だから。
 だから、「共産主義の理想」を求めた、カルト村(ヤマギシ会らしいが)は結局、上手くいかないのであり、と。

(続き)
 そりゃまあ。自分がポジティブ列車に乗っていたら、ネガティブな、分離の人達との違和感は大きくなっていくよね。
 で、バシャールの言っている事が正しければ、ポジティブな人達は、人数が少ないらしい、と。
 で、結果として、いわゆる、“普通の人達”の事を、否定する意見、見解が出てきてしまう、と。

 結構色々あるのだ。結局の所、「自分が変わってしまった」のだろうが。
 グチグチいう人とケンカして、さよならしてしまい、とか。
 グチグチ言う人達に耐えられないのだよね。

(続き)
 自分のふがいなさを認めるのは、辛い。それよりも、誰かのせいにした方が簡単。
 自己責任を認めるのは、辛い。それよりも、誰かが悪いせいにした方が、簡単。

 同居している家族の悪口をブログで書いている女性だって、派遣社員で、時々仕事を辞めているから、一人暮らしする出来る能力はないと思う。やったとしても、貧困生活になると思う。
 悪いのを旦那の給料が低いせいにしておけば、自分に、一人暮らしする能力がない事について、見ないで済むから。

 共産主義は、暴力なしに成立しない。
 一人の言っている事を、40人もの人に言う事を聞かせるには、暴力を使うしかない。
 人は人の言う事なんて、聞こうとしないだろうから。

(続き)
 問題を誰かのせいにすることは簡単だと思う。だけど、それでは進歩がないと思う。
 そして、『自己責任』という言葉にぶち当たる。
 自分の思っている事を、人に言ってもらいたがっている人達がいる。
 そして、自分では自分の言論に責任を取らないで、『どうして、他者が言わないのか』と言っている人達がいる。
 全部、自己責任なのだけれども。

 男性であろうと、女性であろうと、結局の所は、問題にぶつかる。
 それを、自分が考える責任があるとして考えるのが、自己責任と言うことだが。
 他者のせいにしていては、進歩はないし、結局の所は、能力が向上しないままである、と。
 少しずつでも、やっていけば、そのうち能力は向上するのに。
 最初から、『この問題は他者のせい』にしていたら、能力はいつまでたっても、向上しない、と。

 結局の所は、「何で、自己責任なのか」と。
 それ以外に能力を向上させる方法はないからだが。
 そして、「自分に責任がある」と認めた時、初めて、それを、変えられる、と。
 自分の責任にない事は、変えられないから。
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自罰的とか

2018-02-25 13:12:48 | Weblog
 自罰的とか他罰的とかいう言い方があるけれども。便利な言い方だよな、と思う。

 アメリカ人が書いた本で、『日本人が、問題の責任を他人のせいにする人を政治家にする事はないであろう』と書かれていたが。つまり、『日本人が問題の責任を他人のせいにする人を政治家にしない』のは、アメリカでは有名な話なのだろうな、と思う。

 私の母親結構適当な所もあるが。『自分が不幸なのは、誰かが悪いせい』とは言わないよ、と思う。

 『東京タラレバ娘、ブログ』で検索されたブログで、『高スペック男に振られた、女性』の話で。まあ、高スペック男が、その女性を振ったのは、仕事の愚痴を、グチグチ言うのに耐えられなかったのだと思う。で、『だから、専業主婦をしたい』というのに、耐えられなかったのだと思う。その、『東京タラレバ娘、ブログ』を書いた人は、振られた女性の味方をして、『「このくそ男が」と女性の間で言われるのです』と書いていたが。
 だけど。問題の原因を、他者のせいにするのは、良くないよね、と思う。
 本当は、仕事の愚痴をグチグチ言う方が悪いのに。

 2017年から私のブログの文章に、「霊的レベル」という説明が出てきているような気がするが。
 つまり、誰が、霊的レベルが高い人で、誰が、霊的レベルが低い人か、分かるようになってきたという事だと思う。
 別に、“霊的なものが見える人”の事を、「霊的レベルが高い人」と見ている訳ではないので。

 結局、問題の原因は自分にあって。「問題の原因は自分にある」と言える人が、霊的レベルの高い人なのではないかと思う。
 問題の原因は、他者にないのに。

(続き)
 バシャールが、『バシャール、スドウゲンキ』で、『ポジティブな人々は、すべてのネガティブな人々から集められたものよりも、多くのポジティブなエネルギーをつくりだすことができます。何十万人かのポジティブなエネルギーの人たちがつくりだすエネルギーだけで、何十億人ものネガティブなエネルギーとバランスがとれるのです。』と言っていて。
 「なぜなのかなあ」と思っていたのだけれども。
 結局、ネガティブな人達、他者を敵だと見なす人達、自分の不幸は他者のせいだと言う人達は、数が多くても、社会的影響力がないのでしょうね。

 私の妹も、そんなに幸せな人生を生きてきたという訳ではないと思うけれども。
 『自分の不幸は他者のせい』とは言わないと思う。
 大体、ある意味の客観的に見える幸不幸は関係なくて。結局、自分の不幸を他者のせいにする人達は、そうするし。しない人はしないだけではないかと。

 ポジティブ、ネガティブの説明をするのに、経済学の比較優位論を持ってくる人は、あまりいないと思うけれども。
 だけど。そうじゃないかと。人は『孤立すると不幸になる』『共に助け合えば、幸福になる』と。
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泣くほどの

2018-02-10 10:47:11 | Weblog
 泣くほどの危機感がなければ

 2型糖尿病ブログのカテゴリーで、『糖尿病も3ヶ月で完治するダイエット』のブログで、記事になっていた話で。
 『健康診断を受けたら、NASHと診断された。ネットで調べたら、治る事はなくて、5年で死亡する人も10%以上ある病気だった。で、男泣きに泣いたと。それで、何とか治す方法がないかと考えて、「糖尿病も3ヶ月で完治するダイエット」のブログを見て、「同じように治らないとされる、糖尿病ですら治せるのだから、NASHも治せるに違いない」と考えて、1年間頑張って、高強度筋トレをした。そしたら、NASHもなくなって、他の数値も全部正常になった』という話なのだけれども。

 簡単に言うけれども。「高強度筋トレをするのは、大変だよな」と思う。
 “男泣きに”泣けるほどに、危機感があったから、出来たのだと思う。
 多分、世の中には、『まあ、何とかなるでしょう』では、何とか、ならない事も、多いのではないかと思う。
 辛い思いをして、泣くぐらいの危機感がないと、出来ない事も多いのではないかと思う。

 『神との対話』の中で、神の言葉として、『自分に向き合うのは、辛い事だ』と言う言葉が出てくるけれども。
 世の中の事について、『自分の考えに向き合う』事は、そんなに大変ではない。所詮他人事だから。だけど。自分に関係する問題について、『自分自身に向き合う事は辛い』。

 がんになったら、『とりあえず、手術して下さい』と頼む。5年生存率がほとんどなかったとしても。『諦めて、そのまま、緩和ケアしましょう』に耐えられない。そしたら、自分の死と向き合わざるを得ないから。
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