暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

どういう意味が

2018-03-31 11:58:45 | Weblog
 どういう意味があるのだろう

 多数決決定に、『多数決で決めるのは、おかしい』という主張について、書いているのは、書いているその時点の私の意見だけれども。その主張を聞いた時点では、「あ、多数決決定について、文句言っている」としか、思わなかったし。
 多分、この問題が、重要な問題であるとは、ほとんどの人は、気づいていないと思う。他の人にとっては、『普通の事(?)』だから。
 でも。

 バシャールのブログを、古い方から見ているのだけれども。
 『2015年12月31日』の記事で、『繊細で、デリケートというのは、正しい事ではない』という趣旨の話が載ってあるのだが。
 
 自分の『傷つきやすさ』をアピールして、それは、私が、善良だからだ、という主張をする人達がいるのだけれども。『それは、間違いである』と言う事だよね。

 私のブログのバージョン3は、『節約ブログ』で、一番上ぐらいにいた人が、『ショックな事があったので、ブログを更新する気にならない。ブログの更新を止めます』と言って、その3日後ぐらいに、「このブログの人のいう事が間違っていて、私の、言っている事が、全部正しいのだ」という事が、分かった。その文章を書いた時点が、自分のブログの、バージョン3の始まりではないかと思っているのだが。

 で、何が言いたいかというと。
 『傷つきやすさ』は善なのか、と。
 で、被害者意識は、善なのか、と。
 『弱ければ正しいのだ』という思想があるよね。でも、それは、正しい考えなのだろうか、と。
 「神を、全て含む集合であると定義するならば、悪魔も含まなければ、神にならないのに」。
 何か、自分にとって、都合の良い意見だけを、受け入れるという態度があるよね。
 それは、正しい意見なのだろうか、と思う。

 で、自分の意図通りに、他人が言わなかったら、『傷ついた』という。それは、正しい事なのだろうか、と思う。
 
 他者を、(意図通りに)コントロールしたいという欲求を持たなかったら、幸福を感じられるようになるのに。
 子育てが上手く行かなくなるのは、大人のいう通りに、子どもを動かそうとするからだ。
 別に、その人にとっては、その人にとって、信じる事があって、その信じる事に従って、動く事が、良い事なのだと思えば、他人に対して、いらだちを感じる必要はないのに、と思う。

(続き)
 『条件を付ける』というのは、『これを受け入れて、あれを、受け入れない』という事だよね。
 『全て』受け入れれば、良いのに。
 『無条件の愛』とは、無条件だから。全て、受け入れれば良いだけだよね。悪魔も含めて、愛せば良い。

 『条件付きの情報』という事を考えるけれども。
 あの人からの情報は受け入れて、この人からの情報は受け入れない、と。
 全て、受け入れれば良いのに。そしたら、賢くなれる。

(続き)
 『答えは、一つでないと、ダメ』って。
 『同意して、同意して』とか、『私は傷つきやすいから、善良なのだ』というのは、そういう事だよね。自分の考えを、他人が言ってくれないとダメ、って。『あなたは、正しいのだ』と言ってくれないとダメ、って、そういう事だよね。

 何で、かなあ。
 全ての情報を持ってきて、その上で、選んではいけないのか、と。
 全ての情報を、洗いざらい持ってきて、その上で、判断してはいけないのか。
 何か、『この意見は、自分達にとって、不都合な意見だから、言ってはいけない意見だ』みたいな事を言う人達がいて。で、まあ、それが、『言論の自由』だとか、言っている人達だったりするのだが。

 だから、「左翼思想は信用出来ない」と。『答えは、一つだ』『それをみんな信じないといけない』というのが、左翼思想、共産主義思想だから。「科学が唯一客観をもたらすから、それに基づいた、体制、って何ですか」と思う。
 
 ここで、ポル・ポトについて、批判しようという訳ではないが。
 『この意見は言ってはいけない意見だ』と言っている人達は、その思想が、何をもたらしたのかについて、考えてみるべきだと思う。『不都合な意見は言ってはいけない』というのだよね。その考えが何をもたらしたのかについて、考えてみるべきだと思う。

 結局、思想が、不幸を生みだす。物理現実は、思想の現れ出たものに過ぎない。

 科学にネガティブな側面があるとして。使う側の意志の問題でしょう。
 悪意があるのならば、塩素(系漂白剤)で、人を傷つける事が出来るのだから。

(続き)
 自分の言論が、暴力になるのは、分かっているのだけれども。
 『ペンは、剣よりも強し』と偉そうな事を書いていた人がいたが。「『ペンは、剣よりも、強い』という事は、ペンは剣よりも、暴力になる」と。
 自分の言論の暴力性に、気づくべきだと思う。
 ペンは、剣よりも、影響力が大きい、と。
 
 思想が変わる事で、物理現実も変化する。
 物理現実だけ見ていても、何も分からない。
 「それって、どういう意味があるのだろう」と思う。
 意味が知りたい。

(続き)
 バシャールの、(まあ、『神との対話』の神もいうのだけれども)『被害者と加害者は共同で、創造している』も。なあ。
 
 『就職して、セクハラ被害にあった。性的な目で見る男性は怖いから、そういう事をしない、男性と結婚したい』もなあ。
 結局、セクハラ被害にあうという事は、そういう事をしても、『断らなそうな人』を選んで、セクハラ行為をする男性はそういうするのだろうが。
 『NOと言える日本』が昔、バブルの頃売れていたが。結局、『NO』と言わなさそうという人を選んで、加害者の男性は、セクハラ行為をしたのだろうが。
 『NO』と言えない、『断れない』という事は、善行なのか、と。
 『被害者だ』と言って、泣くだけだったら、簡単だよね、と思う。本当は、そんなに、簡単ではないのかも知れないけれども。

 頑張って、説明しないと。『説明責任』は、みんなにある。
 でも、拒否を恐れているのだと思う。『私のいう事をみんな、大人しく、うなずいて聞いてくれないとダメ』と思っている。それは、正しい事なのだろうか、と思うのだけれども。

(続き)
 被害者意識の人達に言いたいのは、『「ありがとう」というより、謝罪する方が難しい』と。『子どもを見ていたら、分かるけれども』というのだよね。そういう事を書いていた人がいたのだが。
 実際、自分の経験からしても、「そうだな」と感じる。
 そう言われてみないと、分からない事かも、気づかない事かも知れないが。

 『金持ちを見ていて思うのは、謝るスピードが、猛烈に早い事だ』と。書いていた人、千田琢哉さんが本で書いていたのを見たが。
 普通の人が、簡単に出来ない事を、簡単に出来る人が、金持ちになれる、と。
 だから、“普通の犯罪者”に謝罪を求めても、謝罪の言葉が返ってこないのは、当然だと思う。簡単に謝罪出来るなら、そもそもその人達は、犯罪者にはなっていないと思う。“謝れない人”だから、犯罪者になる確率が高まる、と。

 『被害者と加害者は、共同で、創造している』のは、正しいかも。どちらも、“謝れない”自分の罪を認められない点については、一致している。どっちも、『自分が悪いとは思っていない』点については、一致している。だけど。それはみんな一緒で、みんな、『自分は正しい』と思っている。
 『自分が正しい』と思う事は、“みんなが”はおかしい事ではなくて。『自分は正しい』と思っていて、相手も、『自分が正しい』と思っている事を、認められないから、問題が起こる、と。

 意見は、それぞれ違っているのだけれども。その人にとっては、『それは正しい』。それを認められないから、間違いが起こる。
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