暇つぶしです

私が思いついた事を書くだけのブログです。

ベーシックインカム

2010-09-19 15:04:25 | Weblog

 『日本は世界5位の農業大国』を読んでいて。段々、腹が立ってきました。「農林水産省なんて無駄だ」と言いたくなってきます。実際、無駄なのだが。しかし、「公務員は解雇出来ない」のが日本の法律だから、それが問題なのだよね。

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 今の、民主党政権が、農家個別保障政策のみならず、漁業個別保障政策まで、実行しようとしているらしい。私から見れば、「魚をとって、十分な収入が得られないなら、魚なんてとらなきゃ良いだろう」と言いたくなるのであるが。しかし、一度ついた職業について、他の職業に転職することは、困難だから、こういう政策が実行されるらしいと。

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 もう、「労働者の雇用を守るための政策なんていらない」と言いたいのだけれども。円安誘導策も愚かだよね。円安でやっていけない、製造業があるなら、日本でやらずに、海外に移転すれば良いだけなのだけれども。それが出来ないらしいと。

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 今、新聞に、「新卒者の一括採用制度を廃止せよ」というのが載っていたが。正社員になれる人の、パイは決まっている以上、“新卒者の一括採用を廃止”した所で、正社員になれる人の数が増える訳ではないと思う。それよりも、「若者をもっと、中小企業で働きなさい」とか、「派遣社員や、パートで満足しなさい」と言った方が、合理的だと思うのだけれども。

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 日本は、終身雇用が前提で。だから、内定切りをしたら、その企業は怒られるし。派遣社員を解雇しても、その企業は怒られるし。正社員を首にしても怒られると。

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 私は、それは変なことだと思うのだよね。未来は予測出来ない以上、企業の側も、永久に、雇用を保障することなんて、不可能だと思う。

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 ちなみに。公務員の教師の中にも、正規雇用が減っているらしいと。なぜなら、今は人手不足だけれども。将来的には、少子化のせいで、子どもの数が減り、必要な教師の数も減るからだって。

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 ベーシックインカムという制度は、基礎的収入とも訳されるが。つまり、すべての人に、例えば、月7万円なら、月7万円の、収入を保障しようということだと思う。しかし、その代わり、例えば、国民年金の3分の1か2分の1かは、税金だけれども。そういう所に対する、税金補てんは止めようという考えにしようということではないかと思う。もちろん、これは、私が考えていることだけではあるが。

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 ちなみに。月7万円を、1億2千万人に配ると、年間100兆円だと思う。

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 その代わり、政府の、労働者の雇用保護のための、仕組みを一切、なくす。公務員の、解雇禁止の条文をなくし、企業に対して、労働者解雇が自由なようにすると。

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 本当に自由な社会って何かなあと思う。働かなくても、食べていける社会のことなのではないかと思う。つまり、働きたくない人は、働かなくて良いよと言い。働きたい人は、いくらでも、働いて頂戴ねという社会のことではないかと思う。

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 今の社会でも、たくさん収入があるにも、関わらず、ちょっとしか消費していない人は結構います。聞いた限りでは、日本で一番売れている(収入がある?)芸能人にも関わらず、過去15年間で、海外旅行に行ったのは、韓国へ1回だけの人とか。(自分の書いた)累計本売上1億冊にも関わらず、海外旅行を、“恥さらし”とか言っている人とか。

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 すべてを、民営化(純粋な資本主義化)し、しかし、すべての人に、月7万円のお金を配ると。それが、目指すべき未来なのではないかと思うのだけれども。どうなのかな。

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コピーを否定してはならない

2010-09-05 13:31:47 | Weblog

 コピーを否定してはならない。

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 中国に進出して(中国の人達のことを言って)、「自分達の製品をコピーされて、売り出された」と言って、文句を言っている日本人とか先進国の人達がいるようであるが。しかし、すべての現存する物は、コピーである。学校に行かずに、掛け算の概念を自力で思いつくという人間がいるであろうか。教育というのは、誰かの出した結果だけを自分のうちに取り込むという、コピーなのである。

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 世界の目的とは、すべての国が先進国になることだと思う。そして、すべての国が、先進国と同じ事を出来るようになれば、すべての国は先進国になるであろうと思う。未開発国とされる国の問題は、先進国の状態をコピー出来ないことにある。私達の未来は、すべての国で、自動車の製造工場を持ち、すべての国の国民が掛け算(微分積分)を理解し、すべての国で、農業生産が可能になることなのではないかと思う。

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 物事はすべて、最初はコピーから始まる。問題は、そこから、もっと、上に行かなければならないことなのであるが。アインシュタインだって、ニュートンの発見なしに、相対性理論を思いつくはずがないのである。物事には段階があって。すべての人は、前の人の発明された事から次の事を考える。で、つまり、結果だけを理解した上で、次の段階に進んでいるだけのことなのである。これを、前の人考えのコピーと言わずして、何をコピーというのであろうか。教育とはすべて、コピーなのである。で、コピーを否定していたら、前に進まないと思う。

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一流になりたかったら 続き2

2010-09-05 13:30:04 | Weblog

 (続き2)

 よく、「地元商店街の活性化を」と叫ぶ人達がいるが。しかし、地元店主達の欠点は、「昨日と同じ商品を今日も提供して平気でいる」所だと思う。以前、大手コンビニメーカーの本社の社員の人が、「今年はどんなおいしいおでんを提供出来るか」というのに、どれほど一生懸命にやっているかというTV番組を見たけれども。要するに、地元商店街がさびれるのは、この努力がないからだと思う。大体、今は、車社会なのだから、どんなに辺鄙な所にあっても、「日々いかにして、おいしい(すばらしい、消費者にとって利益のある)物を提供出来るか」ということを考えている、お店は栄えているのである。昨日と同じ商品を提供して平気な所は赤字になっているけど。

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 WinWin(勝ち勝ち)の法則を信じていない人々がいるようであるが。しかし、すべての人達が、日々「どうやったらよりよい自分になれるか、よりよいものを社会に対して提供出来るか」ということを考えていたら、世の中は良くなると思う。「他者から与えられる利益」ばかり考えている人達、自分の不幸を嘆いてばかりいて、自己変革しようとしない人達のお店は潰れるだけの話である。

 

 (終わり)

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一流になりたかったら 続き1

2010-09-05 13:27:40 | Weblog

 (続き1)

 大体、「サムソンは偉い」という人に聞きたいが。日本でサムソンの製品を見ることはほとんどないではないか。日本の家電量販店で見る商品の、ほとんどすべてが、日本企業の製品か、アメリカ企業の製品ではないかと。「サムソンは偉い」という話を聞くたびにいつも思います。「でも、日本の家電量販店で、サムソンの商品なんて見たことないし」と。

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 「コピーはもういらない」が。要するに、「『誰かについていけば良い』という道は間違っているのではないか」と思えてならないのですが。一番を知ることには意味があるが。しかし、「誰かについていけば良い」「誰かの真似をすれば良い」という道は、今日本が取るべき道ではないのではないか、という話なのである。

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 真似も、やっているうちにうまくなるけどね。でも、それでは、ただの、コピー商品である。コピーが必要な時期もあるけど。日本はその上に立たないといけないのではないかと思う。

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 「誰かについていけば良い」「その道を教えてくれ」というのは、どうでしょう? 本当はすべての人が神にならないといけないのに。

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 日本では、「中小企業を救わねば」という意見があるが。しかし、中小企業って、要は、“大企業の下請け”でしょう? 大企業が存在しなかったら、その企業も存在しないような中小企業の存在が正しい存在とは思えないが。

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 本当は、我々は、今いる、自分自身よりももっとより良い自分自身という状態を常に目指さないといけないと思う。「大学を卒業した後は何も学ばないというのは間違っている」というのは、大前研一さんも言っているが、その通りだと思う。

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 近所に、予約を取るのが、難しい歯医者があります。大抵の歯医者は、閑古鳥が鳴いているのに。で、その歯医者さんは、歯医者になった後も、新しい治療に関する勉強をしている歯医者さんということらしいです。

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 医者になったら、後は、何も学ばない医者には、普通の人は通いたくないですよね。それと同じで、すべての人は、今よりも良い状態になろうと努力する必要があると思います。例え、何歳であったとしても。以前(5年か10年ほど前か忘れたが)、『私は55歳で定年まで後5歳だから、パソコンの習得訓練から逃れることが出来ると思っていたが』という投書を読んだことがあったが。そういう人はダメだと思う。実際、その人は会社からパソコンを習得するようにという、命令が来たらしいが。

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 常に、一番を目指すというのは、聖なる性質だと思う。常に、学んで、新しい性質になろうとするのは、正しい認識だと思う。「誰かについていけば良い」「誰かが、なんとかしてくれるだろう」ではなく、「私が正しさを示そう」「私が他者に与えられる光になろう」と考えるべきなのではないかと思う。

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 「サムソンは偉くて、日本企業はダメだ」と言っている人達は何を考えているのだろうと思う。「トヨタが良ければ、日本も大丈夫だ」という考えは、愚かな考えだと思うが。誰かについていこう、誰かに守ってもらおう、誰かのおこぼれをいただこうとするのではなくて。誰かを守れる自分になろう、誰かに何かを与えられる自分になろう、誰かがついて行きたくなるような自分になろうと考えるべきなのではないかと思う。

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 トヨタはトヨタなのだ。大体、トヨタ=日本ではないので。トヨタが黒字でも、日本が赤字になることはありうるし。大体、サムソンが黒字だからと言って、韓国が黒字なのかについては、相当疑わしいのであるが。そこの所が分かっていないのが、おバカな日本人かなと思うのでした。

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 外国と聞けば、いまだに理想化するおバカな日本人がいるが。しかし、そんなことはないのである。韓国の6大銀行は、その8割の資本は外国資本だし。相手の良い所だけを取り出して、「あの国は良いなあ」というべきではないと思うが。

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 結局、「常に良くなろうとすること」なしに、良くはなることはないということである。努力なしに、良い現実は得られないということで。「トヨタに頼っているうちはダメですよ」ということです。自分も努力しないと。努力を他人任せにしてはいけないと。時々、“政治屋”がいるが。政治に頼っていても、我々の生活は良くならないと思う。個々の国民がそれぞれに、より良き未来を引き寄せようという努力をしないと。

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 要は、他者に頼っているうちはダメだという話だな。自分自身がアイデアを出さないと。

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 後、「大手企業には義務がある」と叫び、「中小企業はかわいそうだ」という人達がいるが。大手企業は日々努力をしているから大手企業なのであって、別に鉱山を保有している訳ではないのである。

 

 (続く2)

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一流になりたかったら

2010-09-05 13:22:00 | Weblog

 「一流になりたかったら、一流の人間のやることを見なさい」という話だと思う。

 斎藤一人さんの本(『微差力』)を読んでいたら、『日本で一番高い所に行きたければ、富士山に登るのに、脚立を持って登りなさい。そして、富士山のてっぺんで、脚立にのって立てば、あなたは、日本で一番高い所に登った人になる』という話を書いていたが。

 しかし、これは、何でも、あてはまるのではないだろうか。つまり、一番になりたければ、一番の人のやることということを見て、それから、「私は、それ以上のことが出来ないだろうか」と考えれば良いということで。

 そういう意味で考えると、島田伸介さんのやっていることは正しいということが分かる。どういう話かと言うと。ラーメン屋を作るのに、「一番の麺と一番のスープと一番の具を持ってきて、それを合わせたら、一番のラーメンが出来るであろう」という発想を考えたと。もちろん、このままの意見では、「うまくいかない」らしい。麺とスープと具にはそれぞれ相性があるらしいので。しかし、その発想は良いのだと思う。つまり、「一番の物を見てから考える」という発想が。

 失敗する、個人経営者の考えていることというのは、そこらにあるお店を見て、「私でもこれぐらい出来る」として、自分の店をしようとする所なのではないかと。本当は、一番を見てから、「私は、これとは違う何を提供出来るだろうか」として考えなければならない。そういう意味で、コックのエリートコースを歩もうとしたら、まず、一流の店で修業しないとなれないらしいが。それは正しいということが分かる。初めから、2流を見るのでは、1流の人がどれぐらい、どの点について、努力しているのかが、分からないからね。

 ちなみに。本当のオリジナリティーというのも、すべての一流の人の意見とか物を見てからのものだと思う。私だって、何の情報も、本を読むことなしに、自分の意見が書ける訳ではないし。今更、“0(ゼロ)の発見”(数学的には大きな発見なのだが)をした所で仕方ないのである。今、ある最高の物を知った上で、その上に何を作り出すかということを考えなければならないと。それが、本当の意味で、オリジナルということである、ということで。

 「何かを考えよう、一番の成功が欲しいと望むのであれば、まず、最高の物を知りなさい」というのは、決して、微差ではないと思う。大体、一流の学者は、一流の論文を見て、物を考えているのである。2流の物を読んで考えていても、一流の物は生まれないと思う。

 私は、あんまり、「人の言ったことの、コピー的な意見」が好きではないのであるが。つまり、「他者についていけ」という考えのことである。私は、他者の意見は、尊重すべきだと思うが、「自分はそれについて、どう考えるか」というのが、大事だと思う。

 島田伸介さんは、「あなたのようになりたいのです」と言われたら、「俺がいるから別にいらない」と答えているそうですけれどもね。コピーはいらないのではないか。本当は、一番を超えて、もっと上にいかないと。結局の所、日本の経済は発展しないのではないかと思う。

 (続き)

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ポシティブとネガティブ

2010-09-02 16:33:51 | Weblog

 人の陰口とか言うのが、好きな人がいるみたいなのだよね。なぜかは知らないが。多分、人の欠点が気になる人達なのだろうと思う。

 「仕事で、雑用ばかりさせられる」と文句を言う人達がいるみたいなのだけれども。しかし、その雑用を喜んでする人達もいるのだよね。

 ある人が、「自分の仕事を天職などというのは、傲慢だ。なぜなら、どんな仕事にも、やりたくないことはあるからである」と書いていたが。しかし、ボランティア活動をしたって、「嫌だけどしなければならないこと」がある訳だから。「嫌なことがあるから、天職とは呼べない」ということはないと思う。嫌なことを、嫌と思わずに、することは出来るはずなのであって。

 物事それ自体には、良いも悪いもないと思う。問題は、それに対して、ポシティブな評価を与えるか、ネガティブな評価を与えるかということがあるだけであって。

 昔、バブルの頃、「女性は、お茶くみの仕事をさせらえる」と言って、文句を言っていた、女性の人達がいたが。バブルが崩壊した今の辺りだと、「お茶くみをして、給料が発生するなんて、なんて幸せだろう」と思っている人もいるはずだと思うのであるが。

 ポシティブな人というのは、物事に対して、良い面を見れる人達のことである。ネガティブな人達というのは、物事の、悪い面にばかり、気になる人のことではないだろうかと。

 そう考えると、誰が、ポシティブな人間で、誰がネガティブな人間であるかについて、区別することが出来るように思う。

 どんなことに対しても、ポシティブな面をみることは可能な気がするのだけれども。第2次世界大戦の敗戦はその当時の日本人にとっては不幸であるが、そのおかげで、日本は戦後60年間自ら戦争をしかけることを拒否する国になったのだから。逆に、アメリカは国土が戦場になっていないせいで、他国に対して戦争をしかけることを、悪いことだと感じていないように思う。

 でも、誰もがそういう道を辿れる訳でもないような気がする。いじめにあって、「私はいじめはしない」という決断をする人達は、むしろ少数派で、多数派の人達は、「他人をいじめることに対して、鈍感になるという道を選んでいる」ような気がする。

 なんとなく、私の短い(?)人生経験からすれば、「本当に、ポシティブな人というのは、数が少ないのではないか」と思えてならないのですが。

 「すべての事が、自分のしたいことを出来る社会」というのも、私達の目指すべき社会だと思うが。しかし、なんとなく、世の中の多数派は、「どんなに良い仕事についていても、文句ばかりを言っている人達である」という気がしないではない。医者になりながら、「自分の人生に関する不幸」を嘆いている人もいるみたいだし。

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