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日本経済は実態以上に悪く言われているような気がする

2011-10-09 23:01:00 | Weblog

 日本経済は実態以上に悪く言われているけれども。本当は違うのじゃないかな。

 

 世界最大の経常収支黒字国という事実があるにも関わらず、その事実を書かずに、ある日本人は、『このままでは2030年には、日本の経常収支は赤字になる』と書いていた人がいました。どういう計算によって、そういう結論が出るかは知らないが。要するに、自国の情勢を悪く言いたがるのが、日本人の習性のような気がする。

 

 『造船量について、日本は韓国に抜かされている』と書いていた日本人がいました。『本当かな』と思っていたら。本当にそうらしいのだけれども。データを見れば、ヨーロッパとアメリカの造船量は、日本や韓国と比べると、ほとんどないに等しい額なのでした。(10分の1以下)。日本は韓国に次いで2位で、データ的には、韓国と同程度という所のようでした。

 

 アメリカやヨーロッパがライバルではなくなったから。『このままでは韓国に抜かされる』とか、『中国に抜かされる』と騒いでいるというのが事実ではないだろうか。というか、多分、製造業において、アメリカやヨーロッパはもはや日本のライバルではなくなっている、というのが、事実であろうと思われる。

 

 日本人が、日本人の事を評価しないから。世界の人達も、日本人の事を過少評価している。本当は、日本という国は、素晴らしい国なのに。その評価がされていない。

 

 『円高不況論』を信じる日本人がいて。で、当事者である、日本の製造業も、『円高になると、我が社の工場を海外に移転しないといけなくなる』と主張している、ように見える。実際に本当にその言論を自分達自身も信じているかについては知らないが。

 

 日本は、弱者であることのアピールが、政治的アピールになる国だから。放っておくと、誰も彼もが、『私達は弱者です』と言いそうというか、実際に言っている訳だが。それが本当に真実なのか、疑わしいような気がする。それが、日本社会においては、政治的利益になるから、そういう主張をするだけなのではないのか。そういう気がするのだけれども。

 

 『地域経済復興券は、高齢者と子どもという現代日本における強者に配られた』と書いていた日本人がいたが。

 弱者アピールばかり熱心になるから、日本という国が世界において、どれほど素晴らしい国かという事が、全然、ちっとも分からないということで。

 

 いや、こういう話をしたいのではないのだが。

 

 アメリカ人の作家の『金持ち父さん貧乏父さん』の作者は、『ラットレースから抜け出せ』と書いてある。つまり、『どうやったら、お金持ちになれるか』という努力、苦労から抜け出して、金利収入、家賃収入だけで、何もしないでも、自動的にお金が増えていく、ラットレースから抜け出した、状態になる事を目指せ、という主張をしていた。

 

 それに対して、日本人はいつまでも、働きたがる。生涯現役が日本人の夢らしい。世界の普通の人達は、リタイアメント、すなわち、いかにして働かないで、生活出来る状態に持っていくか、という事が夢なのに。

 

 これは、庶民レベルでも確認されていて。日本のクイズミリオネアの賞金金額は、世界で一番少ないとされていて。日本の宝くじの最高当選金額は、先進国の中で、最低レベルの水準にある。

 欧米の金融機関の行為を、『ばくち経済だ』と呼ぶのは簡単だが。要するに、世界の普通の人達は、ばくち好きなのである。ただ単に、エリートと言えども、欧米人は皆同じというだけの事に過ぎないのである。

 

 『働かない人生なんて、何の人生だ』『人間はいくらお金をもらっても無職であるより、例え、少ない賃金でも働いている人生の方が幸せな人生である』という考えは、日本人の考えであって。世界の人達の考えではない。

 

 で、日本人は口では、『お金持ちは良いなあ』と思って言っていたとしても。宝くじに当たった後、働かない人生を選択した人の事を、馬鹿にしている。大体、日本の政治家は、65歳過ぎても働きたがる。日本の神話の神様が、労働している事は、知っている人なら知っている話だし。要するに、日本のエリートがしている行為が、『生涯現役で働きたいな』である。世界のエリートなら、いかに働かないで、豊かに暮らすかという事を実践しているのに。

 

 世界の一神教の神は、地上に降りてこない。日本の神は、地上に降りてきている。

 

 MBA取得者の尊重は、根本的には、“命令するだけの存在”を正しいというか、間違っているかという違いにある。日本人は、“命令するだけの存在”を拒否した。それが日本人がMBA取得者を拒否した根本的理由である。

 

 関係ない話だが。『自殺者はダメだ』と言われる根本的理由は。『悩みのない世界に行きたい』という要求自体が間違ったものである、からかも知れない。

 

 『我々は永遠に悩み続けなければならない存在である』と考えるのと。『悩みのない状態にしたい』というのとでは、全然違う。

 

 欧米人にも利点があって。『永遠不変の真理とは何か』という研究については、欧米人は優れている。日本では科学と言えば、『生活を豊かにするもの』という感じだが。欧米人にとって科学とは、『万物普遍の真理を知るためのもの』であって、『生活の豊かさをもたらすとかいうのは、科学の副次的な産物である』という考えである。

 

 根本的に違うから、相いれない。私は、日本のような国が、存在しているのは、世界的奇跡だと思う。

 

 ちなみに。色々考えてみたけれども。『日本の時代がもうすぐ来る』とか言っている人がいるが。本当はもう既に来ているのかも。日本人がそれについて、報道しようとしないだけで。

 

 日本のデフレの象徴と言われている、100円ショップは、アジアにも、いっぱい進出していると聞くし。これまた、日本のデフレの象徴と言われている、ユニクロも、ヨーロッパ等にいっぱい店を開いている。あまり報道されないけれども。(無印良品も、世界的に進出しているのじゃなかったっけ)。

 

 『日本の経常収支は世界最高額だ』というのは。『輸出で儲けた金を、日本の還流させずに、海外に投資して、その上がりが、世界最高の経常収支の黒字として現れているだけだ』という与太話を信じなければ。単純に考えて、日本の海外投資が上手く言っているから、日本の経常収支の黒字は世界最高なのであろう。大体、正確な数字は知らないが。日本の経常収支の黒字は、貿易黒字の2,3倍はあったと記憶しているから。貿易黒字→経常収支の黒字の訳ではないと思うのだが。(調べてみたら、2倍でした。正確には、貿易黒字額と所得収支の黒字が同程度で、経常収支は貿易黒字+所得収支のようです。)

 

 日本人は永遠に悩み続ける運命らしい。で、会社経営、国家運営、その他もろもろの事について、永遠に悩み続ける事を選択したから、進歩があるのは、当然の事である。ウサギとカメの話じゃないけれども。急いで先に行って、昼寝をするウサギより、歩みは遅くても、ずっと、歩き続けるカメの方が、遠くに行くのは、当然の事である。大体、日本人はカメではない。そんなに歩くのが遅い訳ではない。急いで行って、永遠の平安を得るのが、善だと思わないだけの話である。

 

 『日本人はどこへ向かっているか分からない』と言われるが。自分達も分かっていないのだから、当然の事である。考えているのは、現状における、最適な選択を取るという決意だけである。

 

 

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言っている事とやっている事が別なのだよ

2011-10-09 23:01:00 | Weblog

 『言っている事とやっている事が、別なのだよ』。

 

 しばらく前、日本の知識人の人達は、日本の携帯電話が、ガラパゴス携帯だと言って悲観的に言っていました。日本の携帯がなぜ、ガラパゴス化したかと言えば、日本の携帯の規格が世界の他の国々と違う規格を採用したからでした。

 『じゃあ、世界と同じ規格にすれば良かったのか』と思っていたら。最近発表された報道によれば、日本の携帯会社は、また、世界の先進国と違う新しい規格を採用したようでした。

 『言っている事とやっている事が違うのだよ』。

 

 私は、正義を信用していないが。日本人も信用していないようです。堺屋太一さんも、『風と炎と』という、昔の本の中でこういう事を言っていました。『新しい時代の帝国となる国は、前の時代の価値観の帝国からは評価されない事をやっている国である』と。

 

 日本悲観論者はこの話を忘れているらしい。堺屋太一さんも、忘れているようであるが。

 

 大前研一さんのある本は、ベストセラーだったはずである。100万部売れたかは知らないが、数十万部は売れていたと思う。MBAの資格を素晴らしいと言い、AAAの高利回りの金融商品を買わない、日本人は馬鹿だと言っていた本である。

 でも、日本人は結局、この意見に従わなかったのだよね。本は、ベストセラーだったにも、関わらず。

 

 増田悦佐さんは、『知的エリートがいない故に日本の市民は偉大で、日本は強いのだ』と書いているが。単に、言論が信用されていないだけではないか。というか、『言っている事とやっている事が別なのだよ』。

 

 言論は、『日本の携帯のガラパゴス化はダメである』と言っていながら。実際やっている事は、『ガラパゴス(孤立)規格の採用』。一体何をやっているのか。

 

 もちろん、悪い事だと言って非難している訳ではない。言論人の言う事と、実際に、その選択をしている人との判断が全然違う。なぜ、言論人は、実際にその判断をしている人が、なぜ、その選択をしたかについて、書かないのだろうか、と思っているだけである。

 

 軽い言論。日本では、『新聞の社説なんて誰も読まない』と言われているが。なぜ、こんなに言論が軽いのか。それが悪い事だとは思わないが。

 

 増田悦佐さんの『マネジメントの日米逆転が始まる』を読んで思った事は。欧米人は言論が先で、行為はそれに付随するものである、という論理がある。でも、日本人は、行為が先で、言論は、はっきり言えば、狼の遠吠えみたいな所がある。誰も信用していない。

 『日本人とユダヤ人』という本の中にこういう話が出てくる。『国民が一致して反対している安保を強行しと、新聞は書いているが』と。本当に国民が一致して反対している事をすれば、その政権は、次の選挙で負けるはずである。でも、私の知る限り、安保強行で、その当時の政権、自民党政権が次の選挙で負けたという歴史的事実はないから。新聞上の言論は、『国民が一致して反対している』であったとしても。実際は、国民は反対していなかったということであろう。

 なんで、言論がこんなに軽いのだ? むしろ現実がAだから、言論はBになるという感じがする。

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