伯耆大山正面です こちらは北壁
8月2日 標高700mでの
午後2時の気温は25度でした
山陰本線米子駅から
大山めぐりのループバスで大山寺バス停に着きました
何日か前から避暑している優雅な男の子の出迎え
会えば いつでも10歳の男の子、女の子に戻ります
岡山から一緒の I ちゃんと私 3人は疎開仲間です
久しぶりの会合でした
この大山の麓で敗戦の日をはさんで4月間
学童疎開をしていました
お互い、それぞれに
これまで何度かこの地を訪れていますが
大山の中腹で3人が会うのは初めて
まずは大山寺と大神山神社奥宮にお参りです
大山寺山門 です
「なあ、疎開してたとき 一緒に遊んだ記憶ある?」
「無い、無い、男の子達のお寺に行ったことはあるよ」
「何しにきた?」「忘れた」 とかなんとかポツポツと
とぎれ とぎれ の記憶を再現しつつ 山門まで
ここで 男の子は
「最初の日にお参りしたから もうええわ
ここで森林浴して待ってる、ゆっくりお参りして来て」
本堂までは かなりきつい数ある石段を登ります
「あ~ あの子も爺さんになったねえ」と
かなり上ってから、女の子達は嘆きました
昨夏の猛暑で体をこわしたので
今年の酷暑は大山でと決めた・・と聞けば
「元気出して行こ」とは言えません
大山寺(大山町ホームページより)
山岳信仰に帰依する修験道の修行道場として栄えた大山寺。
平安時代以降、山岳信仰の仏教化が進むにつれて寺院が増え、最盛期には100を超える寺院と3000人以上の僧兵をかかえるほど。一大勢力として、比叡山、吉野山、高野山に劣らないほどの隆盛を極めていました。
しかし、明治初期の神仏分離・廃仏毀釈をきっかけに衰退の一途をたどり、数多くあった寺も現在は4つの参拝堂と10の支院を残すのみ。
本堂は天台宗の古刹で、昭和3年に一度焼失、同26年に再建されています。もとの大日堂で、明治8年以降本堂となる。大山寺の開創は養老2年(西暦718年)金蓮上人が地蔵菩薩をお祀りし、修験道場として開かれましたが、貞観7年(西暦860年)天台宗第4代座主慈覚大師により天台宗に。
近世、封建時代には江戸幕府より3000余石寺領をゆるされ、別格本山としてその隆盛を極めました。
現在の本堂は、昭和3年の火災で焼失したものを昭和26年に再建したものです
一旦 山門まで下り
大神山神社奥宮まで緩やかな自然石の参道
この参道は鬱蒼とした森の中を700mも続きます
出会う人達は口々に
「すべるから気をつけてください」と声をかけてくださって・・
足元に気をつかいながらも
森の香りに「良い~気分」
大山登山をする前に 道中の無事を祈り
下山後再びお参りする人が多いと聞きました
私も学生時代に友人6人と
キャンプをし、大山縦走をしました
まだ夜も明けない時間に
懐中電灯の光を頼りに上る山道は
息苦しい思い出があります
幸いなことに頂上ではご来光を拝むことが出来
大感激であった若い日のこと
もう 55年も昔かあ
でも、誰の発案で、誰の計画で来たのだったか
メンバーはしっかり顔まで甦ってくるのですが
のんきに参加して楽しんだだけの私には
その辺りの記憶の甦りがありませんでした
「そんなに皆みな覚えていたら頭がパンクするよ」
と I ちゃんに慰められながら 下山して
「お待ちどうさま」と男の子とと合流
「明日はどうするつもり?」
「何も決めてないけど、宿からは北壁が見えるらしいので
お山の真正面が見たい」と女の子達
「それなら 枡水原にいくと良い、昨日行ってきた」と男の子
「そしたら、明日は別行動やね」 と 女の子達
「ほんまに お互い気を使わないですむねえ」
早速宿に電話して迎えの車にきてもらい
「ほな、明日は気をつけてお帰り」 と男の子に見送られて
宿 大山ビューハイツ へ
8月2日 標高700mでの
午後2時の気温は25度でした
山陰本線米子駅から
大山めぐりのループバスで大山寺バス停に着きました
何日か前から避暑している優雅な男の子の出迎え
会えば いつでも10歳の男の子、女の子に戻ります
岡山から一緒の I ちゃんと私 3人は疎開仲間です
久しぶりの会合でした
この大山の麓で敗戦の日をはさんで4月間
学童疎開をしていました
お互い、それぞれに
これまで何度かこの地を訪れていますが
大山の中腹で3人が会うのは初めて
まずは大山寺と大神山神社奥宮にお参りです
大山寺山門 です
「なあ、疎開してたとき 一緒に遊んだ記憶ある?」
「無い、無い、男の子達のお寺に行ったことはあるよ」
「何しにきた?」「忘れた」 とかなんとかポツポツと
とぎれ とぎれ の記憶を再現しつつ 山門まで
ここで 男の子は
「最初の日にお参りしたから もうええわ
ここで森林浴して待ってる、ゆっくりお参りして来て」
本堂までは かなりきつい数ある石段を登ります
「あ~ あの子も爺さんになったねえ」と
かなり上ってから、女の子達は嘆きました
昨夏の猛暑で体をこわしたので
今年の酷暑は大山でと決めた・・と聞けば
「元気出して行こ」とは言えません
大山寺(大山町ホームページより)
山岳信仰に帰依する修験道の修行道場として栄えた大山寺。
平安時代以降、山岳信仰の仏教化が進むにつれて寺院が増え、最盛期には100を超える寺院と3000人以上の僧兵をかかえるほど。一大勢力として、比叡山、吉野山、高野山に劣らないほどの隆盛を極めていました。
しかし、明治初期の神仏分離・廃仏毀釈をきっかけに衰退の一途をたどり、数多くあった寺も現在は4つの参拝堂と10の支院を残すのみ。
本堂は天台宗の古刹で、昭和3年に一度焼失、同26年に再建されています。もとの大日堂で、明治8年以降本堂となる。大山寺の開創は養老2年(西暦718年)金蓮上人が地蔵菩薩をお祀りし、修験道場として開かれましたが、貞観7年(西暦860年)天台宗第4代座主慈覚大師により天台宗に。
近世、封建時代には江戸幕府より3000余石寺領をゆるされ、別格本山としてその隆盛を極めました。
現在の本堂は、昭和3年の火災で焼失したものを昭和26年に再建したものです
一旦 山門まで下り
大神山神社奥宮まで緩やかな自然石の参道
この参道は鬱蒼とした森の中を700mも続きます
出会う人達は口々に
「すべるから気をつけてください」と声をかけてくださって・・
足元に気をつかいながらも
森の香りに「良い~気分」
大山登山をする前に 道中の無事を祈り
下山後再びお参りする人が多いと聞きました
私も学生時代に友人6人と
キャンプをし、大山縦走をしました
まだ夜も明けない時間に
懐中電灯の光を頼りに上る山道は
息苦しい思い出があります
幸いなことに頂上ではご来光を拝むことが出来
大感激であった若い日のこと
もう 55年も昔かあ
でも、誰の発案で、誰の計画で来たのだったか
メンバーはしっかり顔まで甦ってくるのですが
のんきに参加して楽しんだだけの私には
その辺りの記憶の甦りがありませんでした
「そんなに皆みな覚えていたら頭がパンクするよ」
と I ちゃんに慰められながら 下山して
「お待ちどうさま」と男の子とと合流
「明日はどうするつもり?」
「何も決めてないけど、宿からは北壁が見えるらしいので
お山の真正面が見たい」と女の子達
「それなら 枡水原にいくと良い、昨日行ってきた」と男の子
「そしたら、明日は別行動やね」 と 女の子達
「ほんまに お互い気を使わないですむねえ」
早速宿に電話して迎えの車にきてもらい
「ほな、明日は気をつけてお帰り」 と男の子に見送られて
宿 大山ビューハイツ へ