見晴台学園トピックス

 1990年、学習障害や発達障害の中学生・高校生が学ぶ全国にも珍しい父母立の学園です。

新しい一歩

2011年03月02日 | 日々つれづれ
 2月27日に行われた「見晴台学園開校20周年祝賀会」には、
私たちの予想をはるかに上回る200名以上の方に参加していただき
ありがとうございました。
 関係者一同、うれしく思っています。

 会場が狭く、参加していただいた方には窮屈な思いをさせてしまいましたが、
懐かしい顔をあちらこちらで見つけ、改めて学園の歴史を感じることができた
一日となりました。


 会場貸し出しから受付開始まであまり時間がないので、生徒・親、関係者が
力を合わせて会場設営。


 受付開始後、すぐに会場は熱気でムンムンに。




 今回も音響にはこだわりました。
これも学園応援団のおかげです。



 実行委員長の挨拶で始まり、昨年11月に受賞した博報賞・文部科学大臣奨励賞
受賞式の様子を学園長と式典に参列していただいた推薦者の神谷先生から報告
いただきました。




 「受賞が意味するもの」と題し、前学園長の田中良三先生から一言。

 乾杯の音頭は学園開校時から応援いただいているあいち労働協同事業団理事長の
長谷川様に

 

 しばしの歓談の後、学園応援団紹介とご挨拶。
学園創りのきっかけとなった「あいちLD親の会」の代表の方々や卒業後の進路などで
お世話になった愛知中小企業家同友会障害者問題委員会の代表の方、開校当初から
学園創りにアドバイスをいただいた大学の先生方など。

 またこの祝賀会のために遠くは熊本や山口県、和歌山や大阪、そして東京などから
来ていただきました。

 飲み物を飲みながらリラックスしたところで、学園父母出し物。

「我が良き学園よ」(かまやつひろしの「我が良き友よ」の替え歌)

おんぼろ長屋に始まって 刈谷の校舎は穴だらけ
 校舎は綺麗になったけど やっぱり不思議な穴が開く
 あ~あ~ 見晴台よ~ あっちへ行ったりこっちへ行ったり
 それでもしぶとく授業をするのは いいもんだ~

 こんな調子で9番まであります。そしてこの替え歌には所々小道具も
登場します。

 ここで小道具紹介
 
4番:卒論 白山あるけれど フランテ葡萄もやらなきゃね
   次から次へと課題です とどめに全専研もある
   あ~あ~ 専攻科さん 職業準備大切だけ
   ドラム叩いて青春するのも いいもんだ~


 ↑専攻科の恒例実習となっているブドウ農園での袋掛け実習

8番:子どもが入学したために バザーに物資に銭勘定
   よさこい練習してみれば 足腰首肩筋肉痛
   あ~あ~ 父母のみなさん 運営するのは大変だけど
   子どものためにテキ屋になるのも いいもんだ~


  ↑筋肉痛には「介」の字貼り

 “写真で学園20年を振り返る”では、事前に出席連絡をいただいた方には
昔の写真を引っ張り出して登場していただきました。

 「あなたが主役」リレートーク
 ・学園創設期の教員たちが全員集合!
 ・歴代のパワフル運営委員長も集合!!
 ・当時は小学生だった土曜教室メンバーも今では20歳代に
 ・刈谷時代にお世話になった非常勤講師の方々など…

 すすめる会理事長遠山より発起人代表あいさつ

 そしていよいよフィナーレで生徒たちの登場
 
 まずはリコーダーで「カントリーロード」の演奏
長~い、でもゆったりとした道のりをのんびりと進む
まさに見晴台学園の20年にピッタリの曲です。
この日のために毎日練習しました。



 次は20年間名前を変えながらも続けられきて、関わってきた人みんなが
楽しい思い出となっているまつり(笠寺時代:収穫祭、刈谷時代:フェスタみはらし
現在:みはらしだいまつり)のスローガンを紹介



 1997年だけどうしてもスローガンがわからず、もしかして参加者の方で
覚えている方がいるのではと思ったのですが……残念。

 そして最後にこのメッセージをこめて


 いきものがかりの「ありがとう」を歌いました。

 懐かしい顔をあちらこちらで見つけ、あっという間の2時間。
月日が流れても「見晴台学園」という大きな木の下にはいつでも誰でも
遊びに来られるのだなぁと思いました。

 また新たな一歩を踏み出した見晴台学園。
これからもよろしくお願いします。

 
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