見晴台学園トピックス

 1990年、学習障害や発達障害の中学生・高校生が学ぶ全国にも珍しい父母立の学園です。

学園の親のハナシ8

2015年01月28日 | 父母の声
わたしは、いつも息子の笑顔に元気をもらい、毎日をすごしています。
息子の笑顔は、周りを明るくしてくれます。息子の笑顔が大好きです。


その息子に障がいがあると知った時から、
この先、『道』を探すのは親の役目と考え、
彼の成長に良いと思う、できる限りの『道』を探しました。
地元といった限られた枠だけでなく、
日本各地、時には海外(アメリカ)をも視野に探していました。


保育園、小学校、中学校。今までを振り返ると、
すべてのステージで息子は素晴らしい友や先生に出会えました。
仲間達(友達やクラスメイト)は、
障がいがあるとか無いとかは問題ではないといって、
様々な場面で共に考えてくれたり動いてくれたりしました。


時々、学園の帰りに同級生らと同じ電車になり、
声を掛けてくれることも。
一緒に帰る時もあるようです。
また、仲の良かった友達が親の私に会いに来てくれることもあります。
とてもうれしい時間です。
卒業をして時間がたっても、
彼のことを覚えていてくれる友や恩師がいて、
感謝の気持ちでいっぱいです。


現在の息子。 五年間の学園での生活も、あと一年です。
学園に入学前、迷っていた学校もありましたが、
最終的に学園を選んだのは彼自身。
残り少ないですが、楽しい学園生活を送ってほしいと思います。
ひとつ欲を言えば、学園で親友と呼べる・呼ばれる友が出来ればいいなあと思います。


一年後、働くのか、もっと学ぶのか、
どう進むのかはわかりません。
とにかく焦らずに、彼の新しい『道』を探し始めようと思います。
親なき後の彼のことも心配ですが、
これからの人生を楽しいと感じられるように、それをまず一番に考えて…。
彼のペースで、人生を一歩一歩、歩んでほしいです。


彼の夢や希望をできる限り叶えられるよう、
全力でサポートしていきたいと思います。
わたしは、彼の応援団長なのだから。

 

学園の親のハナシ7

2015年01月19日 | 父母の声
5年前、長女が見晴台学園に通うようになって以来、
私たちの生活は一変しました。

妻と娘、僕と息子の組み合わせで長野と名古屋と生活が二分されました。
これは、親と子がそれぞれ自立するための第一歩となりました。
そして僕自身は二年前転職で三重県へ、同時に長男の就職もあり、
さらに4分割され千葉、長野、愛知、三重となりました。


人には所属する場が必要です。
どんな人にもその人にあったふさわしい場所が与えられるものです。
娘にとって見晴台学園はまさにそんな場であるということを感じてきました。


おこがましいのですが、僕はこの5年間、
物理的に見晴台学園の行事や作業に参加することが出来ませんでした。
でも娘と時々会って、見晴台学園は誰にでも開かれた学びやであり、
温かく人と人とが向き合う学びや、そして学び合う学びやであることを感じています。

そのような学園生活も間もなく終了し卒業となります。
5年間大変お世話になりました。ありがとうございました。


今後どんな風に娘が進んでいくか、
長野に戻るのか、名古屋にとどまるか。

そんなことを考えている日々です。