見晴台学園トピックス

 1990年、学習障害や発達障害の中学生・高校生が学ぶ全国にも珍しい父母立の学園です。

学園親のハナシ23

2016年01月26日 | 父母の声

小学校高学年から中学校2年途中までオーストラリアという異国で暮らした娘、
日本にいた頃は障がいの度合いがいつもギリギリのラインで障害者手帳は取る程でもない、
そうかと言って勉強は大幅に遅れ、行動は不安定、
友だちはいるものの常に自分にコンプレックスを感じて中に入って行けず孤独な日々を送っていました。
いじめも何度かあり当時は辛い思いをしていたと思います。

そんな中、主人の仕事の関係でオーストラリアに行く事になりはじめは嫌がっていたのですが
段々異国での生活も慣れ始め、現地の友達もたくさん出来、
家にいる意外はずっと英語での生活だった為か英語は得意でとても充実した生活を送っていました。

日本に帰る事が決まってからは昔の嫌な思い出が蘇ってきたのか
常に不安そうにしていて本当に日本に帰るべきか、娘と残る事も少し考えた程でした。

そんな中、見晴台学園のホームページを偶然見かけて、
アットホームな様子に何故だかわかりませんが私には日本の懐かしさが感じられ、
娘を任せられる学園かもしれないと異国にいながら凄く感じた事を今でも覚えています。

やはりその勘が当たったのか今では娘は学園が大好きで入って良かったと笑顔で言ってくれます。
ただ幾度も学園に行けなくなってしまった事もありましたが、
常に自分の力で乗り越えて今では本科二年になる事に意気込んでいる娘がいます。


学園親のハナシ22

2016年01月17日 | 父母の声

ちょうど3年前の今頃……。

小学校卒業を間近に控えた我が子は、進路を「見晴台学園中等部」と決め、
「この学校なら安心して通えるかもしれない。楽しく学べるかもしれない。」
という期待で胸がふくらんでいました。
そして、親であるわたしは、期待とともに、
「本当に通えるのだろうか……」
「これから先、この子はどうなっていくのだろうか……」
という不安もいっぱいでした。

あれから3年。

タイムマシンに乗って、泣いてばかりだった我が子と、
心配だらけだったわたしに会いに行けるのなら、今、話したいことがたくさんあります。

 

「学園に入学して、友だちがたくさんできたよ。休日に、先輩の家へ行ったり、友だちと一緒に映画に出掛けたりもするんだよ。」

「一人でできることが増えて、自信がもてるようになったよ。今は、“自分でやるから大丈夫!”が口癖なんだよ。」

「バスも地下鉄も一人で乗りこなせるよ。その日の気分や友だちの都合に合わせて、いろんな経路で登下校できるよ。」

「家族と離れて過ごす宿泊行事もへっちゃら!大きな荷物を持って、はりきって出掛けていくよ。」

「学園の行事で大勢の人の前に立つ機会が多いから、マイクで話すのが上手になったよ。」

 

いくら言葉を尽くしても伝えきれないくらい、この3年間で我が子は変わり、成長しました。

不安感が強く、泣いてばかりだった小学校6年間は、
今になって思えば、勉強も生活も友だち関係も、しんどいことの連続だったのでしょう。
「できない」「わからない」「わかってもらえない」……
我が子は、そんな気持ちを抱えながら、
その日その日をやっとの思いで過ごしていたような気がします。

学園では、活躍の場をたくさん与えてもらい、
本当に充実した中学校生活を送ることができました。
周りの人の理解と支えで、こんなにも人は変われるのかと、
親であるわたしがいちばん驚いています。

今年4月、学園の高等部本科に進む我が子がこれからどんなふうに変わっていくのか、とても楽しみです。
障がいのある子を育てることは、たしかに大変なことも多く、課題は山積みですが、
今は「子どものこれからが楽しみ!」と心から言える親にわたし自身も変わりました。


2016 成人を祝う会

2016年01月15日 | 学園行事

5年制高等部の学園では専攻科で成人を迎えます。
今年は9名が新成人となり、1月15日お祝いする会を
開きました。

きりっとしたスーツ姿や華やかな晴着姿の新成人たちを
後輩生徒を中心に手づくりのあたたかい式で祝うことが
できました。

新成人のこれからが楽しみです。

後輩たちが企画したクイズ、手づくりドーナッツやゼリーをいただくお茶会、
新成人のキセキ、親からお祝いのことば、記念品贈呈など盛りだくさんの
楽しい時間を過ごしました

記念品の一つ「2016 成人を祝う会ver.のブラックサンダー」