貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

やっと辿り着くや雄島なり!

2022-11-14 14:10:43 | 日記
令和4年11月14日(月)
松島市: 雄 島   
         
 朱塗りの渡月橋を渡ると、
百八の岩窟があったという
雄島だ。
 復興した渡月橋
 
 現在は50程度しか残っていない。
 まさに霊地。 
 中世の松島は、
「奥州の高野」
と称される死者供養の霊場だったという。
 三方に岩窟のある崖とわずかの平地
に気がとられる。


 見仏上人が、
法華経六万部を読誦した見仏堂の跡で、
奥の院といわれた場所。
 
 修行場所のひとつ。

 また、江戸後期、
江戸からの便船が暴風に巻き込まれ、
乗り合わせていた白キツネに救われた話
をもとに、 
海難防止の守り神・新右衛門稲荷が祀られる。
海難防止の守り神の稲荷神社

 震災による津波で流失した渡月橋は、
平成25年6月下旬に完成、
7月より雄島に渡ることが可能になり、
往来することができる。

 「奥の細道」の標柱と句碑が立っており、
江戸時代へタイムスリップ!
 句歌碑群あり。

 その中で、芭蕉と曾良の句碑を選別する。
~つづく。


どんぐりころころ・・・芭蕉への感謝の思い募る!

2022-11-13 10:10:11 | 日記
令和4年11月13日(日)
 松島 : 観 瀾 亭   
 観瀾亭大欅の説明 
 
 観瀾亭は、文禄年中に、
豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した
伏見桃山城の一棟で、
江戸品川の藩邸に移築したものを、
二代藩主忠宗が一木一石変えず、
この地に移したものと伝えられている。

 童謡「どんぐりころころ」は、
松島町出身の青木存義氏が、
文部省在職中の大正年間に、
松島での幼き日を偲び作詞したもの。

 雄島へ向かう途中で、
歴史建造物・地元の出身の歌碑
「どんぐりころころ」、

独特の形をした大欅、

そして、
六年過ぎてもまだ復興中の様子等々

未知の遭遇!
 自然の強さ

 芭蕉への感謝も募る朝となる。

        そして、雄島入口へ。
 



鐘楼のよき鐘の響き!!

2022-11-12 11:17:18 | 日記
令和4年11月12日(土)
第42番 宇和島市:
 仏木(ぶつもく)寺    

 大同二年(807)、
弘法大師がこの地を巡錫中に、
牛を牽く老人と出会った。
 導かれて進んでいくと、
楠の大樹の梢で
大師が唐から投げた宝珠が光っていた。
 その霊木で大日如来像を刻み、
眉間に宝珠を納め、
本尊として安置。
仁王門

 
 鎌倉時代には領主西園寺家、
江戸時代には藩主伊達秀宗の庇護を受け、
隆盛を誇る。         
 四国霊場では
珍しい茅葺き屋根の鐘楼堂は、
納経所の向かいに建つ。

 一撞きさせていただく。
 よき響き、よき音色、
心底落ち着いた。


よくぞ、残った!松島の絶景!

2022-11-11 11:08:33 | 日記
令和4年11月11日(金)
松島市: 松島湾島巡り         
 松島湾一周乗船前。
        
 案内図を楽しみながら、乗船する。
  
 朝一番なので乗客もまばら。                 
 五大堂近くの観光桟橋より出発。
 乗船券は千五百円。 

 大型遊覧船「第三仁王丸」だ。
 取りあえず、窓側に場所をとる。
 毘沙門島、大黒島等七福神命名
の島を見ながら甲板に出て、
カメラ片手に船旅を楽しむことにする。
出帆後の光景
 
 鐘島、仁王島等見ながら、

「あの大地震による津波被害は、
ここまでで済んだのか、
よくこの景観を後世に残してくれた」
と胸を撫で下ろす。

絶景の船旅

 仁王島と島唯一の小学校が印象に強く残る。
仁王島

 
 50分の遊覧はあっという間。

 見事な松島の風景が残ったと同時に、
象潟も残っていれば・・・
等と独りよがりの欲をかく。


日台交流:松島市の福浦橋で

2022-11-10 10:12:15 | 日記
令和4年11月10日(木)
松島市: 福 浦 橋               
 道の駅「上品の里」を、
6時30分に出発。
 7時過ぎに、松島に到着。
 今回は、松島湾一周も楽しもうと
目論んでいたので、受付へ。  
 9時発なので、
8時半に駐車場へ入れば良しという由。
 駐車料金も高いので、
島の端っこで一休みする。           
 7時半頃から福浦橋の風景を楽しむ。

 この福浦橋は、
台湾と松島町の友情の絆の橋という説明。
 日台の架橋だ。

 東日本大震災の影響は人と人が結ばれる
ことも多い。
 復興も未だ続いている姿も垣間見る。

 福浦島は、桜や多様な植物できれいだ
という話。