大和ご利益寺院巡り~1・2とお付き合いいただきまして、有難うございます。
今日は最後の(3)を書かせていただきますが、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
「安倍文殊院」で、頭への御加持祈祷をしていただき、「おふさ観音」へとバスは移動
「安倍の文殊は金剛界、おふさ観音は、胎蔵界、どちら欠けても片まいり」と巷でうたいつがれている様に、金剛界が父ならば胎蔵界は母、金剛界が理ならば胎蔵界は情となります。
即ち広大無辺の宇宙は「金胎両部」が相整いてこそ円満の相を示すものです。いずれが欠けても調和を欠くものです。
「おふさ観音」 ”体からのぼけ封じの寺”
奈良県橿原市小房(おうさ)町にある寺院の通称名で、正式名は高野山真言宗別格本山+無量山観音寺。
大和三山の耳成山と畝傍山のほぼ中央に位置する寺院で、慶安3年(1650)に鯉ヶ淵という池の中から白いカメに乗った観音が現れ、それを発見した付近に住む娘おふさが小さな堂を建立して観音を祀ったことが起源とされている。
境内では、四季それぞれの花が、鉢植えで管理され、境内で栽培展示されている。
”花まんだらのお寺”として有名です。
本堂に入り、参拝と法話を拝聴後身体への御加護祈祷を受ける。
「おふさ観音」 あいにくと境内には、花が咲いていなかった。 「子安地蔵」
「おふさ観音」を後にして、「大安寺」に向かいバスは走る。
最後の訪問、「大安寺」”がん封じの寺”
奈良県奈良市にある高野山真言宗の別格本山で、開基(創立者)は聖徳太子が平群に建てた熊疑精舎がその草創と伝わる。
南都七大寺のひとつに数えられ、奈良時代(平城京)には東大寺、興福寺と並ぶ大寺でした。東西2基の七重塔をはじめとする大伽藍を有し、「南大寺」とも呼ばれた。
しかし、平安時代以後は徐々に衰退し寛仁元年(1017)の火災で主要堂塔を焼失した。
現存する堂宇はいずれも近世末~近代の再建であり、規模も著しく縮小し、遺品としては8世紀末頃の制作と思われる木彫仏9たいが残る。
ガン封じの寺として名高い。
本堂では、遷都1300年記念特別公開として「十一面観音立像、馬頭観音立像」が公開
参拝と法話拝聴、宝物殿拝観
正門 昔はこんなんでしたと、写真が飾ってあった。
宝物殿では、沢山の仏像が有り、横には当時の模型が展示されていた。
大安寺復元模型 (縮尺600分の1)当時の資料にもとづいて作成された。
「大安寺」を後に、バスはJR奈良駅に、
散会して、私達は、17時39分発快速京都行きに、ぎりぎり間に合い乗車
今日一日、非公開の秘仏や、ぼけ封じ、がん封じ等の御加持祈祷等と、有意義な時間を過ごせた事に感謝感謝
又 つたない日記にお付き合いしていただいた皆様に感謝
お疲れになったでしょう~
書いている私も疲れました。
今日は最後の(3)を書かせていただきますが、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
「安倍文殊院」で、頭への御加持祈祷をしていただき、「おふさ観音」へとバスは移動
「安倍の文殊は金剛界、おふさ観音は、胎蔵界、どちら欠けても片まいり」と巷でうたいつがれている様に、金剛界が父ならば胎蔵界は母、金剛界が理ならば胎蔵界は情となります。
即ち広大無辺の宇宙は「金胎両部」が相整いてこそ円満の相を示すものです。いずれが欠けても調和を欠くものです。
「おふさ観音」 ”体からのぼけ封じの寺”
奈良県橿原市小房(おうさ)町にある寺院の通称名で、正式名は高野山真言宗別格本山+無量山観音寺。
大和三山の耳成山と畝傍山のほぼ中央に位置する寺院で、慶安3年(1650)に鯉ヶ淵という池の中から白いカメに乗った観音が現れ、それを発見した付近に住む娘おふさが小さな堂を建立して観音を祀ったことが起源とされている。
境内では、四季それぞれの花が、鉢植えで管理され、境内で栽培展示されている。
”花まんだらのお寺”として有名です。
本堂に入り、参拝と法話を拝聴後身体への御加護祈祷を受ける。
「おふさ観音」 あいにくと境内には、花が咲いていなかった。 「子安地蔵」
「おふさ観音」を後にして、「大安寺」に向かいバスは走る。
最後の訪問、「大安寺」”がん封じの寺”
奈良県奈良市にある高野山真言宗の別格本山で、開基(創立者)は聖徳太子が平群に建てた熊疑精舎がその草創と伝わる。
南都七大寺のひとつに数えられ、奈良時代(平城京)には東大寺、興福寺と並ぶ大寺でした。東西2基の七重塔をはじめとする大伽藍を有し、「南大寺」とも呼ばれた。
しかし、平安時代以後は徐々に衰退し寛仁元年(1017)の火災で主要堂塔を焼失した。
現存する堂宇はいずれも近世末~近代の再建であり、規模も著しく縮小し、遺品としては8世紀末頃の制作と思われる木彫仏9たいが残る。
ガン封じの寺として名高い。
本堂では、遷都1300年記念特別公開として「十一面観音立像、馬頭観音立像」が公開
参拝と法話拝聴、宝物殿拝観
正門 昔はこんなんでしたと、写真が飾ってあった。
宝物殿では、沢山の仏像が有り、横には当時の模型が展示されていた。
大安寺復元模型 (縮尺600分の1)当時の資料にもとづいて作成された。
「大安寺」を後に、バスはJR奈良駅に、
散会して、私達は、17時39分発快速京都行きに、ぎりぎり間に合い乗車
今日一日、非公開の秘仏や、ぼけ封じ、がん封じ等の御加持祈祷等と、有意義な時間を過ごせた事に感謝感謝
又 つたない日記にお付き合いしていただいた皆様に感謝
お疲れになったでしょう~
書いている私も疲れました。
私もあやかりたーーーーい
”花まんだらのお寺”って聞いたことがあるんですがここがそうだったんですね。
知らなかった
mi-manさんには沢山の事を教えてもらえて私にもご利益が巡っていたんだわ
ゆっくり休んでくださいね
両方お参りされて万全・・行楽も兼ねて素晴らしい体験でしたね。
私もぜひ肖りたいですよ~
とても分かりやすい説明、勉強させていただきました。
ありがとう!
しょうね。
ボケはまだまだとは思ってはいるけど、
でも小さいボケはしょっちゅうです。
お疲れ様でした。
楽しい小旅行でしたね
これで、ボケもがんも封じたから大丈夫だね。
しかし、有意義な旅行でしたね
おやすみなさい
みんな書いたら疲れちゃった。
読んで下さった、はないちもんめさんもお疲れでは~
その代わり、御利益が有ったでしょうね。
お付き合いしていただき有難う
私も日記に書いたおかげで、色々と勉強しました。
長い事お付き合いいただき有難う
なこさんにも、御利益が有るでしょう~
お疲れさんでした。
お尋ねのおふさ観音、何故ぼけに効くのかな~
これは私も存じませんが、効くと言われれば、そうかなぁ~と・・・信じるだけですね。
ハヌルさんは、まだまだお若いから、大丈夫よ
長い日記読んでいただき有難う
チョット疲れたが、まだ行っていない処に行けて、良かったわ
エリーちゃんにもお付き合いしてもらって有難う
大安寺 (がん封じ寺)
などのお寺さんお参り此方ままで共に行った
気分にさせて頂きました。ありがとう。
大安寺の復元模型も拝見できて良かった。
当時は八十の塔両脇に二基も建って立派な風格のお寺さんだった当時が偲ばれました。
ミーマンさんの判りやすい説明に大変勉強にさせて頂きました。
お疲れ様でした。
色々とお参りしてきましたが、とん子さんもご一緒にお参りしていただき有難う~
大安寺は広かったらしいですが、今は4分の1ぐらいの処に本堂が立っており、昔の面影がないですね。
写真とか、模型を見れば、なるほどなぁ~東大寺と変わらなく大きかったのど・・・
つたない日記を読んでいただきまして有難うございます。