19日早朝雪が降り寒い朝になりました。
我が家の郵便受けにも、雪が三センチ程積っていました。
近所のご婦人が、「孫が来るから、喜ばせようと思って作ってます。」お孫さんもきっと喜ばれたでしょう~雪には関係ないのですが、可愛い置き物が有ったから、思わずパチリ。
午後1時から、「万葉歌会始め」が有るのに・・・心配です。
今回は慌てました・・・その日の10時にやっと、資料が出来、主人はチョットでも寝てくると言い、寝室に・・出来あがった資料を貼り付けるのは、私の役目。一人五枚の資料を22人分貼り付け、後は食事の片づけや洗濯を済ませると、11時半過ぎ・・・主人を起こして、出かける用意をしても、最初の予定12時には、出られない・・・時間は過ぎ、早く出かけないと、13時には間に合わないとイライラする。
会場に着いたのは、13時前・・足場の悪い処、殆どの人が来て居られました。遅くなって申し訳ございません・・・
資料を配布して、「万葉歌会始め」が始まる。
最初に「遅くなり申し訳ございません」と・・の挨拶から始まる。
新年の挨拶代わりに、歌を披露(解説しながら)
◎ 17-3925 新しき 年のはじめに 豊の年 しるすとならし 雪の降れるは 葛井連諸会
◎ 17-3926 大宮の 内にも外にも 光るまで 降れる白雪 見れど飽かぬかも 大伴宿禰家持
◎ 20-4493 初春の 初子の今日の 玉箒 手に取るからに ゆらく玉の緒 大伴宿禰家持
◎ 8-1418 石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌出づる春に なりにけるかも 志貴皇子
今回は歌を覚えたい~歌いたいと言う要望が有り、万葉集の二番歌(629)
◎ 巻1-2 大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は
煙立ち立つ 海原は 鷗立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島 大和の国は 舒明天皇
「長歌」
◎ 巻1-17 味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隅 い積るまでに
つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 情なく 雲の 隠さふべしや 額田王
「反歌」
◎ 巻1-18 三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや 額田王
「富士の高嶺」
◎ 巻3-317 天地の 分れし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる 布士の高嶺を 天の原 振り放け見れば
渡る日の 影も隠らい 照る月の 光も見えず 白雲も い行きはばかり 時じくぞ
雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ 不尽の高嶺は 山部宿禰赤人
「反歌」
◎ 巻3-318 田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 不尽の高嶺に 雪は降りける 山部宿禰赤人
皆さんで繰り返し朗詠の練習をしたが、出だしの音程が把握出来ない・・・これからも練習して行きましょう~
最後に集合写真を撮り、16時になり会は閉会します。
次回はお花見を兼ねてやりたいでね。 サイクリングは中止となりました。
謹賀新年
初春の 初子(はつね)の今日の 玉箒(たまはばき)
手に執るからに ゆらく玉の緒 万葉集 巻20-4493
今年の年賀状でしたが、宮廷での行事で、天皇は農園で鋤(すき)鍬(くわ)で耕作の農事はじめの行事をされ、皇后は養蚕場での蚕卵・温度管理・桑の木の育成など専門の職員と共に行われる。 皇族の伝統行事で祝いの記念品を宮廷人に下賜された模様。賀歌として万葉歌に残る。
正倉院展に玉箒・唐鋤など玉で飾ったものが想像されます。 ◎ 本年の初子(はつね)の日は、1月5日でした。
今年は『万葉歌会始め』を計画しました。
内容は◎ 『不世出な風土学者犬養孝先生の力説された事』
◎『風土とともに・万葉の心』
『 お知らせ 』
① 日時 平成26年1月19日 13時~16時
② 会場 紫明センター 京都市北区小山東大野町55 紫明小学校正門南並び
③ 提言 京都万葉同好会 水口 昭男
(地下鉄烏丸線「北大路駅」下車 市バス北大路ターミナル下車)
地上に出て北大路通を西へ徒歩7分 更に北大路室町通を南へ約100m
ご出席希望の方は、ミーマン日記に書いてくださるか、又はメール、もしくはお電話下さいね。
お茶を用意しますので、必ず連絡して下さいませ~多くのご参加お待ちして居ります。(^O^)/
年末に、次女からお節が届き、元旦にお雑煮と一緒に頂きました。
毎年気遣って貰い嬉しいです。(#^.^#) Yちゃん美味しかったよ(^_-)-☆
今年も早や5日が過ぎようとしています。 昨日は、何故か身体がだるく、眠気がして、何をするのも気力が無く、何で今年はこんなに、昼寝する時間も無く、日が過ぎるのかな? 良く考えたら、何時も主人がしていた、年賀状の整理・・私がみんなしていたのだ・・
年賀状の宛書きから、裏の挨拶、絵の挿し絵まで、みんな私がしていたので、元旦に年賀状が来た時も、自然と私の係になっていた。(;一_一)
毎年少しづつ減らそうと、差し出す所を減らしましたが、元旦には、50人程新たに書く人が有り、又ハガキを50枚購入
年賀状は、元気にしてますよ~と言うお知らせだと思い、元気なうちは出すことにしよう~(●^o^●)
コメントの欄を閉じておりましたが、気にかけてくださる人が有り、コメント欄を開けました。 皆さんコメントお待ちして居ります。(^O^)/
2日、家族三人で毎年恒例の初詣に行って来ました。(昨年の大晦日に、自転車で最後の買い物に行き、前の買い物かごが重たく、バランスを崩して、歩道から、車道に自転車ごとこけてしまった。その時に捻挫した。)
今年の初詣は、行けるか?どうか心配でしたが、とにかく自転車は乗れるから、近くまで自転車で行こうと、主人と私は、自転車で・・息子は歩いて・・
最初は地元の神社、「田中神社」
<田中神社ご由緒>
当社は、左京区百万遍の京都大学(旧徳川藩邸)より北に位置し田中西樋ノ口町にある。すなわち、御所よりも北東に位置され、御所及び、京の都の青龍の方位(鬼門)の守り神として八世紀頃より御鎮座されたと云う。
そして、この地一帯を田中族と云う豪族が支配し、地名を田中族の領土から田中と称した。また、『三代実録』《貞観五年(八六三)》五月二十二日条にもその存在は明らかなり。少なくとも千二百年以上の歴史を持つといわれる由緒正しき社である。そして、江戸期に徳川家が崇敬しその証しとして本殿及び拝殿には三つ葉葵の御紋を拝し、社紋として受け継がれ徳川家の縁の深い神社としても著名である。この一帯地名の上に田中が付き全国の「田中」姓の発祥の地であると云われているnet引用
先ずは正面から入り 本殿にお参りし、記念写真
稲荷神社に行く参道 玉柳稲荷神社
今年の絵馬 「伊勢神宮逢拝所」
此処でお参りすると、お伊勢さんでお参りしたと同じ事
「田中神社」をお参りして、自転車で「下鴨神社」に移動
「下鴨神社」
祭神、神徳と伝説
賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)
世界平和、五穀豊穣、殖産興業、身体病難解除のほか方除、厄除け、入学就職試験などの合格、交通・旅行・操業の安全などの御神徳のある神とされており、西本殿に祀られている。それにしても御神徳の多い神様である。
下鴨神社の創祀は明らかではないようであるが、崇神天皇7年(BC90年)に社の瑞垣が造営され、垂仁天皇27年(BC2年)には御神宝が奉られたとする記録があるという。詳細は別として、創祀は西暦紀元以前に遡るものと考えられている
玉依媛命が鴨川で身を清めていると丹塗りの矢が流れてきた。この矢を拾って、床に置いたところ矢は男神になり、玉依媛命はこの男神と結婚し子供をもうけたという神話があるらしい。玉依媛命が縁結び、子育ての神として信仰されているのは、この言い伝えに由来しているとされている。
神社の正式名は「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)」であるが、通称名の「下鴨神社」のほうがよく知られている 以上net引用
縁結びの「相生社」若い人の参拝者が多い 今年の絵馬
楼門を入ると、干支の小さい社 主人・私・息子・娘・孫・曾孫の干支を思い出し、三人でお参り。
御手洗川、輪橋
「舞殿」の東北側境内隅の池の上に末社「井上社」が建っている。「井上社」の下から湧き出た水が「御手洗川(みたらしがわ)」(右の写真)となって「糺の森」の方へ流れるようになっている。net引用
この川は通常、水は流れていないようであるが、土用が近づくと水が湧き出てくるといい、京の七不思議の一つとされている。
また、直上の写真に見える橋は「輪橋(そりはし)」と呼ばれ、橋の傍に「光琳の梅」と呼ばれている梅の木がある(左の写真)。
下鴨神社の代表的な祭りとして、毎年5月15日に上賀茂神社と合同で行う葵祭(賀茂祭)がある。葵祭は欽明天皇5年(545年)に始めたとされているようで、平安時代には祭りといえば葵祭のことを意味したといわれるくらい有名だったようであり、現在でも有名な祭りである.以上net引用
今年も無事に初詣が出来たことに感謝。(#^.^#)
初詣を済ませて、近くのスーパー・カナートで昼食。
もっと痛みが有るのかなぁ~と心配でしたが、何とか初詣が出来ました。(*_*)
足を庇うと、腰に来ますね・・・歳をとったと言う事なんだ(;一_一)
今年も、こんな、(そそっかしい)私ですが、お付き合いくださいね。(^_-)-☆