ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

第33回 秋の古本まつり・・・(^0_0^)

2009-10-31 09:31:11 | 日常の事
毎日の朝の散歩は、百万辺から西側を散歩していましたが、昨日古本まつりの、幟(のぼり)が目にとまり、東側を歩くことにした。

古本まつりは、「百万編知恩寺」の境内で、10月30日~11月3日 午前10時~午後5時迄 古本供養と青空古本市

東山通りの西門から入る。

                   

                         東山通りの西門




     芙蓉の花、朝は蕾だった。                        菊の花



              鐘楼                           本堂

「知恩寺」もとは皇円阿闍梨の住房比叡山功徳院の里坊で、平安時代前期に円仁が創建したものと伝えられる。賀茂社との関わりが深く、神宮寺として、御所の北、今出川(京都市上京区、現在の相国寺付近)にあった。その所在地から、賀茂の河原屋といった。円仁作とされる釈迦如来像を安置したことから今出川釈迦堂、などとも称された。

法然は度々この地を訪れていた。法然が賀茂の河原屋に一時住んだのは、賀茂の神職から招かれたといわれる。法然入滅後、弟子の勢観房源智は賀茂の河原屋をついで、功徳院神宮堂とし、法然の御影を安置して、法然を開山第一世とした。念仏の道場とし、伽藍を整備し、如空のとき功徳院知恩寺と称した。

1331年(元弘元年)第8世善阿空円のとき、京都に疫病が蔓延し、後醍醐天皇の勅により七日念仏百万遍を行い疫病を治めたことから「百万遍」の号が下賜された。1382年(弘和2年:永徳2年)相国寺が建立される際に一条小川に移された(京都市上京区一条通り油小路上ルに元百万遍町の町名が残る)。

1592年(文禄元年)には豊臣秀吉の寺地替えにより土御門(寺町通り荒神口上ル)に移された。江戸時代に入り、1662年(寛文2年)現在の北白川の地に移転した。

現在 [編集]
境内や本堂・庫裡はしばしばフリーマーケットの会場として貸し出されており、特に京都古書研究会主催で開かれる「秋の古本まつり」(会期は概ね10月末から11月初めまで)の会場となっていることで知られている。



           目立つ様にこんな工夫も                こんなものまでが、門の外に



        今出川通りの門

今出川通りを東に行くと、京大の門が見えてきた。
中に入ると、「理工学部」「農学部」と通り過ぎ、御影通りに出て帰宅

今日の散歩は、50分かかった。

                  

                   頂き物



                

S君が北海道からの直送便で、「ホタテ」を4キロも買った。

夕べ早速バター炒めで食べた。美味しかった~S君有難う~

朝の散歩で見つけたお花~(^^♪

2009-10-29 17:02:37 | 日常の事
10月13日から、朝S君を見送りがてら、朝の散歩をしています。

初日は、足慣らしで20分ぐらい歩きました。

その時に気づいた事ですが、各家の玄関先には色々な花が咲いています。

これは写真に撮り、気に入ったのが有れば、絵に描いてみようと思い、あくる日は、デジカメを持って散歩に行った。

余りにも沢山の種類で、みんなをUP出来ませんが・・・歩く順番に私の好みでUPしていきますね。中には花の名前が分からないのが有りますので、もしご存知でしたら教えてね。



          センニチコウ             ゼラニュム  



       フウセンカズラとチロリアン                     ランタナ




大きな木には、こんなに可愛い赤い実が、ハナミズキでした。                      百万辺の交差点(建物は京大です。)


百万辺の交差点を西に入り~



 海老草(お家の人に聞いたらこの様に呼んでますと。)           ケイトウ




              赤い花?実?                       ホトトギス



                 トランペット                       紫式部?



              シクラメン                         ハイビスカス



              トウガラシ                          我が家の豆タヌキ 

一筋毎に違った花が有り、散歩も楽しい~

雨降り以外は、毎日30分前後の散歩ですが、最初の時よりは、徐々に歩く速度も速くなりつつありますが、最後の方になると、息切れがして、足取りも遅くなる・・・                      

第160回例会『佐保内・佐保路』の旅ハイキング

2009-10-26 14:41:25 | 万葉関係
昨日25日は、第160回例会『佐保内・佐保路』の旅ハイキングに行ってきました。

集合場所の奈良駅には40名が集まり、少し説明を聞き出発です。

途中、東大寺の屋根が見える場所でパチリと



      とても良い構図でしょう~(本郷貴彦氏提供 )            水面に映っているのも絵になるかな~

「正倉」拝観にはまだ時間が有る。



         少し紅葉しています。                       「正倉」入口 10時になり入る。  

 

                  

                    正倉院(正倉)《国宝》 (本郷貴彦氏提供)


                  


「正倉」はもとの東大寺の「正倉」で、奈良時代以来宝物を収蔵して来た宝庫です。檜造り、単層、寄棟本瓦葺きで高床式に造られています。
間口約33m、奥行約9,4m、床下約2,7m、総高約14mの大きさを持ち、床下には直径約60㎝の丸柱が自然石の礎石の上にどっしり立ち並んで、巨大な本屋を支えています。
宝庫の建築年時については、そのことを直接記録した資料がないので、明確に出来ません。
しかし、種々の資料から考えて、遅くとも天平宝字三年(759)三月以前に出来上がっていたことは確実とされています。
内部は三室に仕切られ、北(正面向かって右から順に、北倉、中倉、南倉と呼ばれています。)
北倉と南倉は大きな三角材えを井桁に組み上げた校倉造りであり、中倉は北倉の南壁と南倉の北壁を利用して南北の壁とし、東西両面は厚い板をはめて壁とした板倉造りです。
また各倉とも東側の中央に入り口があり内部は二階造りとなっています。

                    


                          中の説明図がありました。

      次に行ったのが「転害門」

                   

                         「転害門」(本郷貴彦氏提供)

「轉害門」(奈良時代)国宝創建当時の東大寺の伽藍の偉観を偲ばせる雄大な八脚門。三間一戸、切妻造り。
二重虹梁蟇股(にじゅうこうりょうかえるまた)の妻飾り等細部の美しさもよく残る。佐保路門とも言う。(佐保路に面しているから、佐保路門という)

次に行ったのが「聖武天皇陵」



        【聖武天皇・佐保山南陵】(本郷貴彦氏提供)               【仁正(光明)皇后佐保山東陵】(本郷貴彦氏提供)       

あをによし 奈良の山なる 黒木もち 造れる室は 座せど飽かぬかも  「御製歌」

我が背子と 二人見ませば 幾許(いくばく)か この降る雪の 嬉しからまし  光明皇后

次に行ったのが、「鴻ノ池運動公園」 で昼食



              鴻ノ池公園 (本郷貴彦氏提供)                  『藤原不比等公記念碑』

三輪山遠望・惜別歌 [天智6年(667)3月19日近江遷都]の時(長歌省略)

三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや  額 田 王

               

              池の周りを歩いていると、何とスッポンが、何か狙っている様だ・・・(ご愛嬌のワンカット)

R-44の交差点で、歌唱 指導 紺谷外志夫先生




     「赤トンボ」「紅葉」を解説付きで歌う                指導 紺谷外志夫先生

 

    元明天皇・奈保山東陵(奈良坂町)                       団体写真 

最後に団体写真を撮り散会として、バスに乗り近鉄奈良駅まで向かう

今日のハイキングは、薄曇りの万葉日和で~皆様お疲れ様でした。 

ちらほらと紅葉も見られて、心配していた足も何とか持ち、最後まで歩けた事が嬉しかった。          









第160回例会『佐保内・佐保路』の旅ハイキング

2009-10-24 10:23:35 | 万葉関係
明日は、『佐保内・佐保路』の旅ハイキング


     《千鳥鳴く 佐保の川門の 清き瀬を 馬打ち渡し 何時か通はむ》

世界遺産の旅から一変して、佐保内・佐保路門(転害門)を出発し、別途コースによりハイキングします。


                         {お知らせ}


日時       平成21年10月25日(日)

集合・出発    近鉄京都駅で行先乗車券「奈良駅」まで購入後②③番ホーム07:50分集合 
             
             08:05分発急行奈良駅行・急行乗車      
          
合流       「奈良駅」09時:00分頃 先着も可 東改札待ち合わせ

コース予定    近鉄奈良駅ー北東出口を北上-坊屋敷町突当東へ・鍋屋町東へー4筋(Rー369)北信号3つ目《校倉(あぜくら)》
              
              佐保山東陵ー鴻池運動公園ー三輪山・惜別歌(遠望)-興福院ー不退寺

今回は、滅多に見れない《校倉(あぜくら)》を観に行きます。


携行品      昼食、飲み物、筆記具、座用(カーペット)折り畳み傘

        次回 11月22日(日)「佐紀路の旅」

ご興味のある知人・ご友人の方々をお誘い合わせの上お出掛けをお待ちします。

明日の天気予報では、曇り・雨のマークが付いていますが、曇り時々晴れになる様に願ってます。

紅葉にはまだチョット早いかもしませんが、遠くに見える山々では、紅葉が進んでいることでしょう~

六甲山頂に・・・(^^♪

2009-10-21 15:07:30 | 家族旅行、食事など・・・
昨日の日記にコメントを入れて頂き、又 お祝いの言葉を頂いた皆様にお礼申し上げます。有難うございました。

19日朝7時目覚めて、三度目のお風呂に揃って行く事に・・・

昨日は9階の展望風呂だったが、今日は2階のお風呂に行こうと出かける。

風呂場に入りこれは失敗だ・・・規模や明るさが、展望風呂と違う

展望風呂に行く道には、綺麗なお花が飾ってあった。




「ランの花」「白い胡蝶ラン」 「シャコバサボテン」等が沢山ありました。

2階のお風呂にも「金泉」の湯が有りました。

待ち合わせて、朝食会場にと向かう

朝食はバイキングで、自分の好きなものを少しづつ入れていくが、何と17品になりビックリ~
品数が沢山あって、これでも限定して入れました。味も良く美味しかった。

お風呂帰りなので、デジカメを持って行かなかったのが残念です。

チエックアウトをして、庭を散歩する。



        花ぐるま                               噴水



最後に家族写真を 

ホテルのバスで、ケーブル乗り場に送っていただく

 

このケーブルで山頂に行く。(15分で行ける)

途中景色を見ながら、まだ紅葉には早かったが、ちらほらとは見えました。

山頂に着くと、やはり温度差が有りますね~厚手の上着でも寒いくらい・・・



               ガーデーンテラス                   神戸の街と、遠くに関空が見える。 



       店の中にはこの様な可愛い細工物が有った。



チョット一休みしてお茶でもと・・・私はコーヒとタルト 

又 散歩に出かける。

           

         《イギリスガーデン》

散歩も終わり、ケーブルで降りる事に。(此処でホテルに電話する)



ケーブルで降りると、ホテルの人が車で迎えに~感激。
チエックアウトした後もこんなに親切にして貰って~

ホテルに戻り遅めの昼食を・・・それぞれが好きな食べ物を注文する。

S君は、ざる蕎麦を、あきちゃんはざる蕎麦と太巻を、Yちゃんは上にぎり(お茶の時間にステーキとご飯を食べているのに、凄い食欲だ。)私はざる蕎麦と、太巻・にぎり等を食べる。

昼食後「有馬グランドホテル」のバスで、阪急バス乗り場に送っていただく。(本当に親切やわ~特に若い運転手さんが、お世話になりました。)
有難うございました。又来たくなります。

梅田までの切符を買って、20分ほど待ち時間が有る。



                   有馬川                         ねねの像と有馬橋

15時30分のバスに乗り、梅田で阪急電車で河原町(終点)で降りタクシーで帰る。

旅行も楽しかったが、親切にして頂いた事で、良い思い出が出来ました。






有馬温泉一泊に~(^^♪

2009-10-20 15:42:17 | 家族旅行、食事など・・・
チョット遅くなりましたが、あきちゃんの「傘寿」のお祝いに、18日~19日にかけて「有馬温泉」に出かけて行きました。

主人・Yちゃん・S君・私と四人です。もう一人長女が居りますが、東京からなので今回は欠席です。

18日午前11時半に阪急デパートに集まり、昼食を食べて、午後12時40分の阪急電車で梅田まで行き、阪急バスで、「有馬温泉」に行く

「有馬温泉」に着くとホテルのバスが迎えに来ていた。

「有馬温泉」はこじんまりとした、旅館やホテルだと思っていましたし、バスから降りてビックリ・・・余りの大きさに

今夜お世話になります「有馬グランドホテル」です。今夜の宿泊人数は2.000人だって~



   ロビー                            

受付が終わり7階のお部屋に入る。窓から見た風景



プールの噴水

一回目のお風呂に入りに行く。 9階のエレベータを降り進んでいくと、色々な花が咲いており、長椅子も置いて有り、此処でお茶など飲んで、相手の人を待つのですね。
展望台のお風呂は広く、色んな風呂が有った。

 


「有馬温泉」と言えば金泉の湯(赤茶けた色)日本最古の温泉です。





お部屋に帰ると、窓の外は綺麗なイルミネーション (昼間のプールの噴水)

いよいよ夕食です。ビールを注文し乾杯



食前酒(果実酒)前菜 (旬彩七種盛り)  吸物(松茸の煮物椀)造り(五種盛り)    




傘寿のお祝いにとお赤飯を特別に用意して頂く  焼物(太刀魚筒焼き)焚合(山菜)和牛しゃぶしゃぶ 相鉢海老饅頭) 酢物(蛤・分義葱酢味噌がけ)



松茸ごはん 漬物(五種盛り) 止椀赤だし      果物(フルーツ)

食事の後売店に行き、土産物を見る。

部屋に帰り二度目のお風呂に入りに行き、後疲れたので眠ます。

明日は六甲頂上に行きます。




  

アンコールワット展に(^-^)

2009-10-12 15:34:49 | 日常の事
 10日(土曜日)学生祭典を見た後、移動して、伊勢丹の7階で公開中の「アンコールワット展」を観に行きました。            

               《アジアの大地に咲いた神々の宇宙》

2001年、上智大学がバンテアイ・クデイ遺跡で発掘した”クデイ仏”を日本初公開。
最高傑作の仏像11点を含む、人類の至宝、約60点を一挙公開!



「アンコール遺跡群」はカンボジア王国にある東南アジア最大規模の文化遺産で、1992年にユネスコの世界遺産にも登録されました。
この文化遺産は、600年にわたる栄華の大寺院、そこにはアンコール時代に製作されたたくさんのヒンドゥー教の神像や仏像が安置されていました。
それら彫像は、世界の最高傑作作として高い評価を得ています。

6世紀頃からこの地に、クメール民族によってアンコール王朝が開かれ、ヒンドゥ教、仏教の美術が花咲きました。
特に9世紀からはアンコールの地が王都になると、歴代の王によって神々を祀る寺院が数多く建立されました。
この建造物の中で最も有名なものが、12世紀にスールヤヴァルマン2世(1113~50年頃)により創建された、世界の至宝「アンコールワット」です。
今回の企画展では、プノンペン国立博物館とシハヌーク・イオン博物館所蔵のアンコール王朝最盛期の彫像作品と民族工芸品を中心に約60点を公開しています。

出品作品の中には、2001年に上智大学アンコール遺跡国際調査団がバンテアイ・クデイ遺跡で発掘した仏像11点が含まれ、本展最大の見どころとなっています。
ほかに三島由紀夫が戯曲の題代にしたと言われる、砂岩の丸彫による第彫像「鎮座する閻魔大王ヤマ天」などの本邦初公開となる圧巻な彫刻や繊細な浮彫作品が多数含まれている。



鎮座する魔王大王



ジャヤヴァルマン7世の尊顔 濡れた法衣を着ける仏立像




アンコール王朝の歴史が書き換えられたという、その至高の精華一堂に会します。
ベールにつつまれたその歴史に触れ、アンコールの遺跡に息づく神々の息吹を感じて来ました。




ヨガ・京都学生祭典・アンコールワット展

2009-10-11 12:25:10 | 日常の事
12日は「体育の日」でヨガが休みなので、昨日10日に行ってきました。

土曜日のヨガは久しぶりで、月曜日の先生と違い少しきつく感じました。

ヨガが終わりロッカーに戻ると、友達が待って居られて、京都駅ビルで、「京都学生祭典」が13時から始まるが見に行きませんか?とお誘いを受けて即OKした。
この様な事はすぐに即決します。

13時からなので、その前に昼食という事で、ビブレの食堂で食べる事に・・・



       先ずは野菜類・スープ・コーヒ                  和風おろしハンバーグ



デザートにプリン・オレンジ・桃・黒いのはレイシ

オイオイ今はダイエット中と違うんかいな?折角1キロ減ったのに・・・(と聞こえてきそうな声を無視)

これで腹ごしらえも済んだから、さあ~出発と・・・京都駅に向かう

京都駅ビル 室町小路広場(大階段)へ



会場に着いたら、すでに沢山の人が階段に腰を掛けて居られる。

空いている所を探し腰を下ろす。(やれやれこれで始まりを待つだけだ。)

13時から始まり、挨拶が済み、いよいよ始まるが、前に人がいてこれでは写真撮れない・・・デジカメを持って来なかったから携帯で撮ろうとするが、チョット遠すぎる。
右の写真は、mieちゃんの所から拝借



京炎そでふれ!スペシャルバージョン
京炎そでふれ!とは、「学生のまち京都」から新たな文化を発信するべく生まれた京都学生祭典オリジナル創作おどりです。
曲の中には京都の通り名唄(丸・竹・夷に・押・御池・四・綾・佛・高・松・万・五条)
 マルタケ・エビスニ・オシオイケ・シアヤ・ブッタカ・マツマンゴジョウ
もうお分かりでしょう~京都の丸太町~五条通りまでの東西の通りの数え唄です。
祇園小唄等もありました。

『京炎』 「学生の燃えるような想いを京都から全国に発信したい」言う響きには「競演」や「共演」というような意味も含み、学生が「市民と祭を共創したい」という想いを形にしています。

『そでふれ!』 「袖振り合うも多生の縁」ということわざが語源で、どんな出会いも大切にしようという意味です。このおどりをとして袖振りあう人々、おどる人々がみんな友達・仲間になるきっかけになればと考えています。

『四竹』(よつたけ)
「京炎そでふれ!」の最大の特徴がこの鳴り物です。
発祥地は沖縄ですが、京都の”乙訓”が竹の名産地であることから、乙訓の竹で作った四竹を手に持ち、鳴り物として用いています。
おどり手が一体となって鳴らす四竹の音、躍動感は圧巻です。

『衣装』 
おどり手が身に纏う衣装は、留袖をリメイクしています。一着一着が手作りで、それぞれが異なる柄になっています。様々な衣装のデザインも見所でした。

13:30分からは、学生音楽コンテストが有り、日本全国からエントリーした学生アーティストの頂点を決定する大会が有りました。

エントリーしたグループは、204団体で、一次・二次と勝ち進んできた10グループで競い合う



此処で優勝したグループには賞金50万円が貰えるんだって~みんな頑張ってね~と、思いつつ会場を後にして、美術館「えき」に向かいます。

アンコールワット展の説明は明日にします。




「水彩画教室」で・・・(^^♪

2009-10-08 10:04:29 | お絵かき
皆様、昨夜の台風18号の被害は御座いませんでしたか~

私が住まいして居ります京都では、被害が御座いませんでしたが・・

思っていた以上に、台風の進路がそれたようで、今は雨が降っていますが、これもたいした雨で無くて良かったのですが、まともに台風の中心部に襲われて、被害を被った方達が居られるんじゃ無いかと心配しています。

5日の土曜日は「水彩画教室」のお稽古日でした。

家で描いていた2作品を持って行き、手を入れて貰った作品



バラの花の色が綺麗だと褒めて貰った。



コスモスの花の色を少し薄めに取り入れました。



家で描いたハイビスカス 何でボケているのかな?と、何度もスキャナーで取り入れて見ましたが・・・原因は、元画に有った。
何度も色を塗り、元画が凸凹しちゃった。



未だに咲いている朝顔


出水通の七不思議について

2009-10-04 16:55:08 | 日常の事
北野神社を後に、出水通りにでる。

<宥清寺(ゆうせいじ)>

延慶元年(1308)、日蓮聖人の直弟・日弁上人によって開創され、京都における日蓮門下最初の寺院となりました。
明治2年には、廃寺同様の荒れ果てた道場となっていましたが、開導聖人が入寺して以来、急速に発展して現在に至っています。



本堂で講師の説明(山村純也さん)

<立本寺(りゅうほんじ>

元亨元(1321)日像が京都最初の道場として四条大宮に開きましたが、比叡山の衆徒に破却され、立本寺として再興されました。その後、後土御門天皇の勅願寺にもなり、江戸時代中頃に現在地に移りました。境内墓地には吉野太夫の夫である灰屋紹益や石田三成の軍師、島左近らの墓があります。
また本堂・刹堂(鬼子母神堂)・客殿・鐘楼・山門(総門)は京都市指定有形文化財にしていされています。

ここは「幽霊の子育て}で知られています。その子が大きくなり、偉いお坊さんになり、刹堂(鬼子母神堂)に祭られています。



<観音寺の泣く山門>

伏見城の牢屋の門を移築したもので、楠の一枚板で造られています。罪人がこの門を出る時に百回鞭で打たれたため、百叩きの門とも言われています。
この門の潜り戸が風で開くと、人の泣き声が聞こえると噂されています。

<極楽寺の二つの潜り戸>

山門の潜り戸が二つあり、何故かはわかっていません?

<地福寺の日限薬師(ひぎりやくし)>

鷹司公の重病を平癒した薬師如来で、穴の開いた石を奉納して祈ると、耳が聞こえないのが治ると伝わります。

<五劫院(ごごういん)

境内にある小門の木目が、お釈迦さんが寝ている様に見えます。



その様に見えますか?(私には見えませんでしたが・・・)

<光清寺(こうせいじ)の浮かれ猫>

境内にある弁天堂に掲げられている絵馬に描かれた猫は、三味線の音が聞こえると浮かれて踊りだすので金網を被せたと伝わります。



色もはげて来ていますが、猫の姿が分かります。



           庭には重森三玲作の石庭が




足利二代義詮が子宝に恵まれず、「櫻宮」に参拝に来ていると、子宝に恵まれた。生まれた子供は、三代義満です。

<華光寺(こうせいじ)の時雨松>

秀吉手植えの松は、晴れの日でも枝から雫を落とし、時雨のようでした。




現在は枯れて松の根のみ鐘楼の下に安置されています。

街の中の、源氏物語のゆかりの地や、平安宮大内裏内郭回廊跡・弘徽殿後・聚楽第の跡等を見学した。



平安宮大内裏内郭回廊跡



桐壷の母の生家


聚楽第の堀跡

<平安京大極殿跡>

千本丸太町から南側の千本通はかっての朱雀大路でした。
現在千本丸太町の北西の公園内には大極殿の石碑が残っています。



大極殿を中心に、左京・右京と別れています。

千本丸太町付近で解散

バス停で、バスを待っていると、盲導犬を連れた女性が来た。



盲導犬は、服を着て、背中には「仕事中です」と言う表示をしていたので、思わず「おう~頑張ってるなぁ~」と、思わず微笑んだ。

バスの中でも、女性の足元で大人しくしていた。