ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

法然上人展とお花・・・(^o^)

2011-04-29 14:48:18 | 日常の事

昨日、あきちゃんとYちゃんの三人で、京都国立博物館に行ってきました。

京都国立博物館では、「法然上人八百忌◎特別展覧会」が、開催されており、午前10時半に行ったのに、学生が団体で観に来ていた。

法然の“往生”から800年。  ゆかりの品が一堂に!

平安時代の末期に、人々の救済のために念仏信仰を唱え、浄土宗の宗祖となった。法然(1133-1212)

本展は、平成23年がその法然の往生から、ちょうど800年になるのを機に開催します。

法然の伝記の集大成ともいえる。

国宝「法然上人絵伝48巻」を中心に、寺院に伝わる国宝・重要文化財をはじめとした名宝の数々など、ゆかりの品をほぼ一堂に紹介する史上初の大回顧展です。

これらの資料を通して法然の生涯、人物像、思想と行動、さらに同時代の人々との関係をひもとき、人間・法然を浮かびあがらせます。

                           法然上人像

               国宝 法然上人絵伝                          法然上人最期

国宝 阿弥陀二十五菩薩來迎図             阿弥陀如立像(中から沢山の書面が出てきた。)

重文 選択本願念仏集  (題名は法然自筆と伝わります。

見応えのある展示品に圧倒され、約2時間半法然上人の世界にひたっておりましたが、外に出た途端現実に戻り、お腹が空いたと、三人で遅めの昼食を食べて、それぞれの家に帰宅(疲れて早速お昼寝)(-_-)zzz

お花の方ですが、昨年の秋に植えておいた花が、3、4月頃から咲き始め、咲き終わった花もありますが、一応UPしますね。

   一番早く咲いた「クロッカス」            二番目に咲いた「チュッリップ」は散りました。

 三番目に咲いた「ムスカリ」    4番目に咲いた「アイフェイオン」 ムスカリとアイフェイオンは、花ざかり

今年の寒い冬を耐えて、「シクラメン」が花を咲かせました。 蝶々が蜜を吸いに来たのかなぁ~

 


昨日は、第171回例会 田原の里「東陵・太安萬侶・西陵」の旅ハイキング

2011-04-25 15:12:38 | 万葉関係

24日は、第171回例会 田原の里「東陵・太安萬侶・西陵」の旅ハイキングに行ってきました。

京都駅の集合場所から、人が集まり、今日は多くの参加者が来られるんではないかと、わくわくしながら~近鉄奈良駅に着いた。 最終には42名でした。

先日、奈良交通に電話で、「田原御陵前」迄、増便を出していただけるようにとお願いしたところ、「それはして居りません」と、主人が断られました。(;一_一)

それでは、私が交渉してみよう~と、駄目もとで交渉したところ、「チョット待ってくださいね、相談してみます。」

暫くしてOKが出ました。やったね、「流石事務局長だ」と主人に言われた。(^_-)-☆

その時に、「何名ですか?」と聞かれましたが、「この会は、その日に集まってみないと分かりませんが、30名~40名ぐらいだと思いますが・・・」と答えましたので、もし30名切れたらどうしようか~と思っていたので、42名集まってホッとしました。(^o^)

9時40分に、バスが来て、「田原御陵前」までノンストップで行きました。(早かったです。)

バスの前のフロントガラスには、「京都万葉同好会様」と張り紙がしてありました。(#^.^#)

「田原西陵」  奈良市須山町[東金坊]に、天智天皇第七皇子:志貴皇子[施基親王](追尊:春日宮天皇)母は、越道君伊羅都売。白壁皇子[第49代光仁天皇]:湯原王らの父。

志貴皇子の薨去は、続日本書紀には霊亀2年(716)8月11日 [万葉]では「秋9月」

              宮内庁の立て札が有り・・・    その奥には「志貴皇子」(追尊)田原西陵に行く参道

                                                                                                                     「志貴皇子」(追尊)田原西陵、春日宮天皇・田原陵 の前で説明と歌を朗唱

笠朝臣金村の歌った挽歌は、数多い万葉挽歌の中でも白眉のもので、限られた詩中に舞台設定や第三者を登場させ葬送の答えをだす,戯巧は見事。

2●2-230 梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み 立ち向かふ 高円山に。

         春野焼く 野火と見るまで 燃ゆる火を 如何に問えば 玉桙の 道来る人の 泣く涙 

         小雨に降  れば 白妙の 衣ひづちて 立ち止まり 我に語らく 何し鴨 もとな謂ふ 聞けば 

         哭のみし泣かゆ 心そ痛き 天皇の 神の御子の 出ましの 手火の光そ ここだ照りたる

                                            笠朝臣金村

説明が終わり「太安萬侶」墓へと向かう・・・途中道端には花の競演

                 馬酔木(アシビ)                             椿

                ツツジ・ボタン・アシビ                           紫木蓮

   桜の大木 や 水仙等を愛でながら、長閑な田舎道を歩く・・(今は何処の道でも舗装されていますね。)

[太安萬侶]墓   奈良市批瀬町、昭和54年1月18日、火葬された骨や真珠が納められた木棺と共に墓誌が発掘された。

下から見上げ、茶畑の先に、桜の木の下に墓が有る。  墓はこの様に丸く綺麗に手入れがして有る。

この場所で昼食となる。  何時も静かな墓地に今日は賑やかなので、[太安萬侶]さんも驚かれているかな~

高台に居ると、風が有り寒いので、昼食を済ませた人から下に降りる。

       団体写真を撮る。(前田氏提供)

皆が揃ったところで、最後の[田原東陵]へと歩き出す。

[田原東陵]  奈良市日笠町に光仁天皇の田原東陵がある。 土地では「オウノツカ」と呼ぶ墳墓である。

『王城の旅』所収『御陵慕情』津田由伎子氏 御陵の参道から眺めて「光仁陵の樹叢の、まろやかで整な姿は、御陵中随一」と絶賛する。

東陵の前で説明を受ける。

志貴皇子の懽の御歌一首

1● 8-1418  石ばしる 垂水の上の さ蕨の 萌え出ずる春に なりにけるかも

湯原王の芳野にして作れる歌一首

2● 3-375   吉野なる 夏実の河の 川淀に 鴨ぞ鳴くなる 山陰にして

最後に団体写真を撮り、バス停に向かう

帰りも増便をお願いして居り、ノンストップで、近鉄奈良駅まで行き散会とする。

比較的今日は早く奈良駅に着いたので、お茶でもと・・・私はケーキセットを頼む。

電車、バスを乗り継ぎ家に着いたのは、17時30分ごろでした。今日は12、000歩、歩きました 。年々疲れるねと話す。(-_-メ)

夜お風呂で、足のふくろはぎを、下から上にかけてマッサージをすると、(30回ぐらい)あくる日、足の疲れが残りませんですよ~(おためしあれ~)

参加していただきました、会員様有難うございました。(^o^)

 

 

 

 

 

 

 


明日は、第171回例会 田原の里「東陵・太安萬侶・西陵」の旅ハイキング

2011-04-23 09:54:58 | 万葉関係

     

      ◎高円の 野辺の秋萩 な散そね 君が形見に 見つつ思はむ


                      お知らせ

前回に引き続いて、『田原の里の旅』ハイキングです。 万葉集に関連する問題についても掘り下げてみたいと思います。

日時      平成23年4月24日(日)
      
           乗車券は「近鉄奈良駅」まで購入

集合場所   近鉄京都駅②③番ホーム付近 08:20分頃集合 08:31分発「急行奈良行」乗車 
           近鉄奈良駅09:16分着 ▲奈良交通バス停(日笠方面行き)乗車

コース     日笠バス停下車ー田原東陵 [第49代光仁天皇陵]ー奈良県奈良市批瀬・【太安萬侶(墓)】 

        「古事記」編者の墓誌ー田原西陵[志貴皇子・追尊、春日宮・田原天皇]奈良県奈良市須山町金坊。

服装      ハイキングの出来る服装。シューズ(履きなれたもの)

携行品    昼食・水筒・筆記具・カーペット・雨具等

その他    第172回 平成23年5月22日(日)

          「長岡京」の旅ハイキング

          第173回 平成23年6月26日(日)

          「京都御所への遷都」

◎ 今回の奈良行きで、奈良のハイキングは終わりになります。 

◎ 又第173回 平成23年6月26日(日) 「京都御所への遷都」で、京都万葉同好会のハイキングを終息したいと思います。

田原の里に行くバスが、通常だと1時間待ちになるところ、奈良交通と交渉した結果、増便を出していただけることになりました。皆さん最後の奈良ハイキングを楽しみましょう~(*^_^*)

    ご友人知人の方々 お誘い合わせの上お出かけをお待ちします


都をどりを観に行って来た。

2011-04-15 21:45:24 | 家族旅行、食事など・・・

芸妓・舞妓さんのをどり2011

今日は、Yちゃんと孫の三人で「都をどり」を観に行ってきました。
               四条花見小路を下がって行く                      会場
中に入って、引換券を渡して入場券を貰い会場に入ると、舞子さんが、義援金の箱を持っておられたので、心ばかりの寄付をする。 右の舞子さんは、知り合いの人達と記念写真を撮っておられたので、舞子さんだけ残して、後はカット・・
お抹茶の準備が出来るまで、庭に下りて、桜の写真などを撮る。桜が満開で、池には、鯉もおり、綺麗なお庭でした。
お抹茶の用意が出来ましたので、椅子席でお抹茶と、お饅頭をいただく。
左の舞子さんは、お点前をして、右の舞子さんは、お抹茶を運ぶ人
私達は、お運びさんが運んでこられた、お抹茶を頂き、部屋を出て、売店の待合室で、なま八ッ橋を買う
時間が来たので、会場に入る。
左が正面舞台 、右が芸子さん(お姉さんたち)お囃子・謡い 写真には載っていませんが、左は、舞子さんの鐘・太鼓・笛などを奏でる舞子さん。
腰を下げ、すり足の京舞井上流独特の動きが特徴的な都をどり。
明治維新の東京遷都に伴い、京では王朝以来の歴史の誇りを守るべく、博覧会の計画が進められ、その「附博覧」として明治5年(1872年)に創演されました。
四季の中でも最も美しい京の春、明治、大正、昭和、平成と四世代に亘り回を重ねています。出し物はその年の干支や季節の風情にちなんだもので井上八千代さんの振り付けです。
祇園甲部は京都で一番大きな花街。「都をどりはぁ~、よーいやさー」の掛け声で祇園は、一足早く春・本番を迎えます。 1つの演目に芸・舞妓さん約20名が参加します。
咲き誇る艶麗な桜と美を競う都をどりは、祇園の芸妓、舞妓の優美な姿と日本美溢れる絢爛豪華な舞台により、広く皆様に愛され、国内のみならず、チェリーダンスとして富士山と共に、海外に知られております。
    「春花京都名所尽(はるのはなみやこめいしょづくし)」 全八景
  • 第一景: 置歌(銀襖)-長唄-
  • 第二景: 梅舟入飛雲閣(西本願寺)長唄-
  • 第三景: 伏見稲荷大社田植祭(伏見稲荷大社)-別踊 長唄-
  • 第四景: 大田澤杜若(大田神社)-別踊 長唄-
  • 第五景: 松風村雨須磨浦(須磨浦)-別踊 浄瑠璃
  • 第六景: 渉成園紅葉狩(東本願寺)-長唄-
  • 第七景: 圓通寺比叡遠望(圓通寺)-別踊 長唄-
  • 第八景: 東山知恩院山桜(知恩院)-長唄-
    「ヨーイヤサー」のかけ声とともに、次々と花道に現われる芸舞妓たち。 客席は一瞬静まり返り、やがて感嘆のため息が漏れる・・・。京舞井上流の伝統に裏づけされた確かな技芸が生み出す可憐な舞は何度見ても思わず息をのむ美しさです。総をどりをはじめとするすべての衣装は毎年誂えており、着物は京友禅、帯は西陣織の老舗が半年以上かけた逸品です。「何もかもが一流で」というこだわりをもつ都をどりの格調高い舞台を観てきました。

 

舞台が終わり、外に出ると、観光バスが何台か止まっていました。ツアーで来られる人が居られるのですね。日に4回の公演なのに、客席はいっぱいでした。

遅めの昼食を食べにお店に入り、チョット物足りなく、喫茶店で、ケーキセットを食べて、Yちゃんと、孫と別れてバスで帰り、生八ッ橋を食べた頃から、疲れがど~と出て、お昼寝・・・甘いものを食べ過ぎて、夕食抜き・・・(;一_一)

 


京都の桜 ②

2011-04-10 14:26:16 | 日常の事

今日は朝から良いお天気、選挙日和ですね。皆さんは投票に行かれましたか?

私達は朝食後、三人で投票に行く。  京都では、府会・市会議員の統一選挙が行われています。

しっかりした党で、政治をおこなって欲しいと思います。(^o^)

さて京都の桜 ② 昨日は午前中雨で、写真を撮るの駄目かな?と思いきや~午後から晴れてきた。

先に、枝垂れ桜が咲き、少し遅れて、ソメイヨシノや、山桜が咲きだした。 川端通りの高野川は、咲いたかな?と思い、デジカメ持って、あきちゃんと、自転車で出かけました。川端通りに出た途端、「うわぁ~綺麗咲いてる」  早速パチリ

                          桜の時期、車はのろのろ運転、桜を見ながらの運転

 

左は蓼倉橋から北の方を眺めた高野川の桜                右は出町柳の方向 

          比叡山を背に見事に咲いています。                花の下では無く、河原で花見

            土手では雪柳、水仙               川の中では、番いの鴨

高野川を北に向かい、北山通りで車道に出る。桜並木は、まだまだ続いている。

北山通りを西に向かい、「京都工芸繊維大学」通称(京都工専)の処に出て、南に下がると、疏水の処に出る。

                           疏水の桜も今は満開

                              嵐山 渡月橋 

                    嵐山 中之島       (本郷氏提供)

                

           今年は清水寺に行けなかったので、私の絵で「清水寺」UPしました。 

京都の桜は如何でございましたか?                     

今 京都の桜は満開ですが、観光客が少ないように思います。これも東日本大震災の影響かしら・・・


京都の桜 ①

2011-04-06 16:55:01 | 日常の事

やっと春らしくポカポカ陽気になってきましたね~(^o^)

3日の日曜日は、曇りでチョット肌寒く、風もきつかったのですが、以前から一度行ってみたく、S君を誘って

「醍醐寺」の桜を見に行ってきました。

東西線で「醍醐」の駅で下車、10分おきに、「醍醐寺」までのバスが出ており楽に行けました。

「醍醐寺」 真言宗醍醐派の総本山

豊臣秀吉が開いた「醍醐の花見」を契機に秀吉並びに秀頼によって金堂や三宝院、また、山上では開山堂や如意輪導などが再建された。

            総門                                  三宝院の中の枝垂れ桜

三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建されました。醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。
現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、国宝に指定されています。
国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3年(1598)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。net引用 

庭園は素晴らしかったです。

                唐門 (国宝)                            西大門

  五重塔  醍醐天皇の菩提を弔うため、第一皇子・朱雀天皇が承平6(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5(951)に完成した。初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれている。高さは約38メートルで屋根の上の相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えている。

            金堂(国宝)                 沿道には紅白の幕が張ってあり、所々に桐の紋

醍醐寺では、私達が行った3日現在では、枝垂れ桜が満開で、ソメイヨシノや、山桜は、まだ蕾状態でしたが、此処二・三日のポカポカ陽気で、一気に開花したかもね。(^_-)-☆

5日は、毎月の定期検診なので、Aちゃんとツーリングで病院に行き、帰りに「京都御苑」の中、桜見物に行く

                若い二人が記念撮影                      枝垂れ桜

               近衛邸の跡地                    池のそばで

           枝垂れ桜                        これは、桜か?桃か?

京都御苑では、今日から一般公開、6日~10日迄です。

京都御苑を後に、桜の綺麗な場所が有ると言うので、見に行く。

             本満寺                       見事な枝垂れ桜

京都の桜①は、「醍醐寺」と「京都御苑」の桜をUPしました。今回は枝垂れ桜でしたが、次回はソメイヨシノをUPしたいと思ってます。(^^♪

 

 

 

 

 


やっと仕上がった。(^^♪

2011-04-02 21:55:29 | お絵かき

二ヶ月かけてやっと仕上がりましたが・・・今は桜の季節、時期外れの絵になりましたが、UPします。

                 

                        雪の金閣寺

 

最近風景ばかり描いており、チョット目先を変えて、先生の見本で「花水木」を描きましたが・・・見本通りには描けなかった。

 

                       

                                 花水木

絵の教室が終わり、昼食を食べに行ったのは、二人だけでした。

仲良しのmieちゃん、水彩画教室に入ったのも一緒ですが、今では描くものが違って、お互いに個性が出てきていますね。

                    

                            「田ごと光悦」でランチを食べました。

 

 

 

               


第171回例会 田原の里「東陵・太安萬侶・西陵の旅」ハイキング

2011-04-01 09:36:38 | 万葉関係

         ◎高円の 野辺の秋萩 な散そね 君が形見に 見つつ思はむ


                      お知らせ

前回に引き続いて、『田原の里の旅』ハイキングです。 万葉集に関連する問題についても掘り下げてみたいと思います。

日時      平成23年4月24日(日)
      
           乗車券は「近鉄奈良駅」まで購入

集合場所   近鉄京都駅②③番ホーム付近 08:20分頃集合 08:31分発「急行奈良行」乗車 
           近鉄奈良駅09:16分着 ▲奈良交通バス停(日笠方面行き)乗車

コース     日笠バス停下車ー田原東陵 [第49代光仁天皇陵]ー奈良県奈良市批瀬・【太安萬侶(墓)】 

        「古事記」編者の墓誌ー田原西陵[志貴皇子・追尊、春日宮・田原天皇]奈良県奈良市須山町金坊。

服装      ハイキングの出来る服装。シューズ(履きなれたもの)

携行品    昼食・水筒・筆記具・カーペット・雨具等

その他    第172回 平成23年4月24日(日)

          場所 当尾[岩船寺~浄瑠璃寺]。または、加茂長町~恭仁京跡。検討中。

    ご友人知人の方々 お誘い合わせの上お出かけをお待ちします

天武天皇の命で『帝紀』『旧辞』を誦習した稗田阿礼。いったん見たもの・聞いたことは忘れない、天才的記憶力と理解力を発揮した舎人だったという。この作業は天武天皇の崩御により一時途切れるが、後を継いだ元明天皇が「稗田阿礼誦む所」を撰録して献上するよう太安万侶に命令し、ここに『古事記』が完成した。

『古事記』巻頭の序文は安万侶が元明天皇へ奉った「上表文」だが、駢麗体(べんれいたい・隋〜唐時代に流行した文体)の見事な文であるという。この二人の天才なくして、『古事記』のクオリティは成立しなかったかもしれない。

ところで「稗田阿礼は男か女か」という論争が江戸後期に巻き起こっている。

女性説は名前の持つ響き、稗田氏が女性を宮中へ遣わす猨女君(さるめのきみ)と同じ天鈿女命(あまのうずめのみこと)の末であるなどの伝承から、平田篤胤らが唱えたもの。

ただ、性別の記載はないものの「舎人」と書かれているから、通説通りの男性説が有力なようだが…。はたして。