ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

最後の釘を・・

2012-08-22 17:39:53 | 日常の事

6月25日に足の手術をして、7月18日に退院しましたが、最後の釘1本が残ってました。

最後の釘を20日に抜く事になり、午前11時に病院に行きました。  11時半からの手術と言う事なのに、行ってすぐに手術室に案内され、点滴や血圧を測る用意が出来、すぐに始まるかと思っていたのに・・・30分ぐらい手術台に乗ったまま待たされました。(;一_一)  

するんだったら早くしてほしいのに、長く待たされ、気を紛らすために、看護師さんが交代に話しかけられ、時間つなぎだね・・手術の用意が手間取っているんだって・・・局部麻酔が始まり、いよいよ釘の取り出しにかかられましたが、今度は釘の頭が分かりにくく・・アッチコッチ、チクリチクリと、頭を探して傷がつく様で、その度に痛い・・・麻酔をしていても、すぐに効き目が無くなり・・痛い痛いと言うたびに、麻酔をされて、やっと抜けました。病室に入って、1時間半、外で待っている主人は、長くかかるので・・心配していた。

釘の頭に当てるTじのドライバー1ミリ狂っても、ピッタリ来なく、抜くのに手間がかかって済みませんでした。 おまけに、釘に肉が巻いていたのだって・・・(@^^)/~~~

釘を抜いてから、縫い合わせの時には、麻酔が切れており、縫う度に痛い痛いと、我慢していた。(;一_一)

無事に手術も終わりあくる日に診察に行き、毎日行くのなら、一日入院さしてくれればいいのにね。 術後の出血も無く、良かったと・・ 右足は縫い目だらけで、何と哀れな足になりました。

今度の診察は24日です。 


お墓参りに~

2012-08-16 08:49:25 | 日常の事

主人の里の墓参り「岐阜の多治見」には、12日(日)に主人一人で行ってもらいました。(靴を履いての歩行が困難のため) 予定通り1泊してきました。

12日は好きな番組のテレビを見たり~と、のんびり解放感を味わっておりました。13日は鬼の居ぬ間の洗濯と、お掃除をして昼食時になると、何故か物足りない感じ・・・何時も傍にいるとうるさく感じますが、居らぬと何か気が抜けたような・・午後三時半に帰宅し又うるさい毎日が続きますが、丈夫で長生きをして欲しいと思いました。(^o^)

15日(水)は、二人で私の実家の墓参りに行って来ました。

主人曰く、「私も京都が故郷になったなぁ~この付近に来ると何となくほっとするわ~」と笑っております。岐阜を離れて、60年~無理ないわ~京都にいる方が3倍も長いんだものね。

その後、病気で入退院を繰り返している弟を見舞いに行こうかと、主人が言ってくれたので、転居後初めての訪問です。

弟はもしかしたら、入院中かと案じながら行くと、今は家で療養中で、元気そうなので安心しました。 弟とは気まずい思いが有り疎遠になっておりましたので、訪問した後気まずい思いが残らないかと心配しましたが、とても喜んでくれたので、私も嬉しくなりました。   弟の見舞いに行こうと言ってくれた主人に感謝・感謝


二度目の診察に~

2012-08-11 10:48:50 | 日常の事

毎日残所厳しい日が続いておりますが・・皆様にはお変わりございませんか?

今日は朝からゴロゴロと雷がなり、きっと大雨になると思っておりましたが、お湿り程度の雨が降って、10時半頃からは、日差しが有り、今日も残暑とお付き合いかと思うと、うんざりします。

さてタイトルの二度目の診察に昨日行って来ました。  前回7月27日の診察に行った時には、足がむくんで汚い色をしてましたが、先生の仰せの通りに、「交代浴」をしておりましたら、むくみも無くなり、17日にもう一度行き、色々と検査をして、20日にねじを抜くことになりました。(退院してきたばかりなので、検査は必要ないと思っていますが・・) 先生曰く 「一応手術なので同意書も書いてもらいます。」

ねじと聞いていましたので、レントゲンを見た時には、ピンと来なく、「えらい長い釘が(白く)写っているのが、何だろうと」思っていたら、先生が「これを抜くのです。」と言われてビックリ・・・!(^^)!

10センチ程の長さで、先には十字のまるで釘です。 「どうして抜くのですか?」と聞いたら、「ここに麻酔を打ちドライバーみたいなので、抜くのですって・・・!(^^)!  「それで日帰りですか?」「1本ぐらいだから~大丈夫でしょう~」 若い人なら大丈夫ですが、私は後期高齢者ですよ~その点分かっておられるのかな??心配です。

診察に行っても、入院して居ても、あほなことばかり言って人を笑わしているから、大丈夫だと思われたのかな???

入院中に風景画を描きました。

                 

                  季節的には合いませんが・・12月中頃の風景です。


今日は立秋

2012-08-07 22:49:09 | 日常の事

毎日35℃を超える暑い日が続いておりますが、今日は暦の上では立秋、そこで残暑見舞いのはがきを作りました。

                   

文章はインターネットから引き出し、向日葵の絵は昨年描きました。  下の魚の写真は、左は熱帯魚、右はイルカです。 魚の写真で少しは涼しさを感じてください。

向日葵の苗木を差し上げました接骨医の先生が、インターネットで「はるかのひまわり」の記事が載っているからと、ご自分の日記に詳しく載せておられましたのを、拝借しました。

はるかのひまわり

兵庫県神戸市東灘区に住む、加藤いつかさんと4歳年下の妹・はるかちゃんは仲の良い元気一杯の姉妹でした。いつかさんは、中学のハンドボール部でゴールキーパーとして全国大会に出場するほどのスポーツ少女。はるかちゃんは動物が大好きで、隣の家のオウムまでかわいがり、笑顔のたえない活発でオテンバな女の子でした。

平成7年1月17日の明け方、5時46分、大きな地震が襲いました!木造の建物は、その揺れでひとたまりもなく崩れてしまい、2階で寝ていた、いつかさんはなんとか自力で脱出したものの、2階部分が崩れ落ち、1階は完全に押しつぶされていました。「はるかは?どこや?はるかがいない!」
はるかちゃんがガレキの下から発見されたのは、地震発生から7時間後。近くの高校に設けられた遺体安置所に行った姉のいつかさんは、内出血で腫れ上がった遺体の顔を一目見て思いました。(こんなん、はるかやない。はるかと違う!)妹の死をやっと納得できたのは、震災後の混乱の中で形ばかりのお葬式が終わり、納骨を済ませたときでした。(はるかはもういないんやなぁ…)

震災から半年後、かつて加藤さんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体を発見した場所。驚いたことに、そこに無数のひまわりの花が、力強く、太陽に向かって咲いていました。お母さんの満子さんはひまわりを見て、「娘がひまわりとなって帰ってきた。」と涙しました。近所の人たちは、この花をこう呼びました。『はるかのひまわり』

何も無くなってしまった町の空に、次々に咲いた大輪の花は、たくさんの人を励まし勇気付けました。いつかさんは今、病院の事務の仕事をしながら、全国の小学生や中学生たちに、地震の体験を伝え歩いています。

「おやすみ」を言った人に、必ず「おはよう」を言える訳ではありません。「行って来ます」と出た家に、必ず「ただいま」と帰れるわけではありません。誰かとケンカしてしまったら、明日に「ごめんね」と言えるかどうか、そんなことは誰にもわからないのです。だからこそ、今そばにいる家族や友達と仲良くしてください。自分の命と相手の命というものを、いつも大切に見つめてください。」

左は隣の向日葵、3メートルは有ります。       右は我が家のベランダの向日葵、花が大きくなり干しもの竿に寄りかかってます。頭が重たいと・・・(^o^)

サイクリングの時に、何人かにおわけした、向日葵の種、花は咲きましたでしょうか?

周りの花が落ちると種が黒くなります。 それから花の根元から切り、新聞紙の上で種を採り(手でこすると採れます。)2,3日乾かして、湿り気のない箱に入れ、来年の5月の上旬に植えていただくと、又立派な花が咲きます。   皆さんで幸せの輪を広げましょうね。(^_-)-☆