毎日35℃を超える暑い日が続いておりますが、今日は暦の上では立秋、そこで残暑見舞いのはがきを作りました。
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文章はインターネットから引き出し、向日葵の絵は昨年描きました。 下の魚の写真は、左は熱帯魚、右はイルカです。 魚の写真で少しは涼しさを感じてください。
向日葵の苗木を差し上げました接骨医の先生が、インターネットで「はるかのひまわり」の記事が載っているからと、ご自分の日記に詳しく載せておられましたのを、拝借しました。
はるかのひまわり
兵庫県神戸市東灘区に住む、加藤いつかさんと4歳年下の妹・はるかちゃんは仲の良い元気一杯の姉妹でした。いつかさんは、中学のハンドボール部でゴールキーパーとして全国大会に出場するほどのスポーツ少女。はるかちゃんは動物が大好きで、隣の家のオウムまでかわいがり、笑顔のたえない活発でオテンバな女の子でした。
平成7年1月17日の明け方、5時46分、大きな地震が襲いました!木造の建物は、その揺れでひとたまりもなく崩れてしまい、2階で寝ていた、いつかさんはなんとか自力で脱出したものの、2階部分が崩れ落ち、1階は完全に押しつぶされていました。「はるかは?どこや?はるかがいない!」
はるかちゃんがガレキの下から発見されたのは、地震発生から7時間後。近くの高校に設けられた遺体安置所に行った姉のいつかさんは、内出血で腫れ上がった遺体の顔を一目見て思いました。(こんなん、はるかやない。はるかと違う!)妹の死をやっと納得できたのは、震災後の混乱の中で形ばかりのお葬式が終わり、納骨を済ませたときでした。(はるかはもういないんやなぁ…)
震災から半年後、かつて加藤さんの家があった空き地、はるかちゃんの遺体を発見した場所。驚いたことに、そこに無数のひまわりの花が、力強く、太陽に向かって咲いていました。お母さんの満子さんはひまわりを見て、「娘がひまわりとなって帰ってきた。」と涙しました。近所の人たちは、この花をこう呼びました。『はるかのひまわり』
何も無くなってしまった町の空に、次々に咲いた大輪の花は、たくさんの人を励まし勇気付けました。いつかさんは今、病院の事務の仕事をしながら、全国の小学生や中学生たちに、地震の体験を伝え歩いています。
「おやすみ」を言った人に、必ず「おはよう」を言える訳ではありません。「行って来ます」と出た家に、必ず「ただいま」と帰れるわけではありません。誰かとケンカしてしまったら、明日に「ごめんね」と言えるかどうか、そんなことは誰にもわからないのです。だからこそ、今そばにいる家族や友達と仲良くしてください。自分の命と相手の命というものを、いつも大切に見つめてください。」
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左は隣の向日葵、3メートルは有ります。 右は我が家のベランダの向日葵、花が大きくなり干しもの竿に寄りかかってます。頭が重たいと・・・(^o^)
サイクリングの時に、何人かにおわけした、向日葵の種、花は咲きましたでしょうか?
周りの花が落ちると種が黒くなります。 それから花の根元から切り、新聞紙の上で種を採り(手でこすると採れます。)2,3日乾かして、湿り気のない箱に入れ、来年の5月の上旬に植えていただくと、又立派な花が咲きます。 皆さんで幸せの輪を広げましょうね。(^_-)-☆