ミーマン日記

週1回ディサービスに夫婦で行って、楽しく過ごしています。

平等院に~(^^♪

2010-04-29 20:05:01 | 日常の事
昨夜からの雨も午前8時頃になると止み、午前11時頃からS君と約束をしていた「宇治平等院」に藤の花を求めて行って来た。(咲いているかな?)

京阪宇治駅に着き先ずは宇治橋をパチリと・・・



           宇治橋                   宇治橋からダムのある方向の風景(風がきつく、橋の上では帽子を脱いだ)

                       

                       橋を渡ると川べりに「紫式部」の銅像が・・・
                      

長い藤はまだ咲いていないが、何枚かUPします。





                               種類の違う藤の花



平等院は永承7年(1052)、関白藤原頼道によって開祖され、鳳凰堂はその翌年の天喜元年(1053)、阿弥陀如来(国宝)を安置する阿弥陀堂(国宝)として建立されました。
庭園は浄土式の借景庭園として史跡名勝庭園に指定され、現在、鳳凰堂周辺の洲浜や平橋・反橋、小島などが整備されています。
その他にも、平等院には、大和絵風九品来迎図(国宝)梵鐘(国宝)、鳳凰1対(国宝)など平安時代の文化財が多数残っています。
特に11世紀の仏像群としては唯一残る、雲中供養菩薩像52体(国宝)は、いずれも雲に乗り、様々な楽器を奏で舞うなど、伸び伸びと繊細に彫りあげられています。

私達、今回は鳳凰堂には入らなく、池の周りをぐるりと回りました。



                                 先ずは正面




                                   側面~(左側)



                                     裏側



                             側面(右側)




                                八重桜が~


平等院を出て、宇治橋の近くの、川の見える食堂に入り昼食を~

                      

              宇治川弁当(ご飯にはお茶の粉を、蕎麦は茶蕎麦と流石に宇治茶の本場)茶団子付き

宇治橋を渡り「通圓」でお茶と茶団子を買い求める。



通円茶屋は吉川栄治の有名な小説「宮本武蔵」にも出てきます。お通さんが通円茶屋でやすんだ。茶団子はあきちゃんへの土産



平城京歴史館・大遣唐使展

2010-04-27 09:00:00 | 万葉関係
                                  「吉備大臣入唐絵巻」

◎遣唐使の使命

遣唐使は、大使・福使のほかに、留学生・留学僧・通訳・医師・技術者・船員などで構成。
当時世界で最も進んでいた唐の政治制度や仏教、技術、学問を学ぶため海を渡った。
帰国した遣唐使たちは、その知識を政治や文化に役立てて、平城京の国造りに大きな影響を与えました。

◎渡航回数

遣唐使の派遣は630年の犬上御田鍬に始まり、894年に菅原道真が停止するまで20回きかくされた。
しかし実際に唐に渡ったのは15回。  天候不良で中止になることなどがあった。

◎渡航コース

航路は北路と南路が有り、前半は北路が中心、後半は南路が中心でした。
この時代は磁石や海図が無いため、星や太陽の位置を手がかりに唐を目指した。

停止になるまで、、山上憶良・安倍の中麻呂・吉備真備・最澄・空海をはじめ、数千もの人々が海を渡り、大陸の知識・情報・文物を日本にもたらしました。



「奈良国立博物館」で展示されています「大遣唐使」展の中からいくつかの仏像・名宝をご披露します。



   十一面観音立像      観音菩薩立像       聖観音菩薩立像



           菩薩半跏像                  空海ゆかりの名宝




唐の皇帝・玄宗の愛馬を描いた中国の動物画史上、隋一の名画。初公開     唐皇帝勅撰の詩文集



           仕女図壁画                東征伝絵巻 

他 沢山展示されていましたが、パンフレットからの抜粋です。

第二会場の通路の処にこの様なものが展示されていた。



一日に二ヶ所回るのは、チョットハードで、疲れましたが・・・観れて良かった。 


平城遷都1300年祭

2010-04-26 14:46:07 | 万葉関係
昨日は、第163回「平城遷都1300年祭」の旅(ハイキング)でした。

近鉄「西大寺駅」に集合して、説明を聞いた後、各自の拝観となりました。

絶好のハイキング日和、48名が、シャトルバスに乗る人や、歩いていく人達と・・・それぞれが会場に向かってGO・GO

私達は、シャトルバスに乗って会場に向かう。

  平城宮について

 平城宮は710年から784年までの奈良時代の都です。広さは120万平方メートル余、奈良県の県都である奈良市のほぼ中央に位置しているにも関わらず、広々とした野原として保たれています。東南隅には東院庭園が、南端中央には朱雀門がそれぞれ復原され、西北隅には平城宮跡資料館、また北端中央部には遺構展示館が設けられています。

延暦3年784年11月長岡京へ遷都した。『8代、約70年の都」であった。

平城宮を中心に南正面・直線に朱雀大路、幅員約90m、京域を区切る羅生門まで、長さ3,7km寧楽(なら)の最大・大路である。
この朱雀大路から、東を「左京」・西を「右京」とし朱雀から東一坊~東四坊まで、西一坊~西四坊まで、一坊は、約540m四方の正方形である。
南北は一条~九条まで9つの区画と東西坊8つの区画合計72区画は各「一坊」とよばれる。
単純計算によれば、平城京は、東西が4,320km、南北は、4、860kmということになる。
平城京は、東に五坊六坊七坊の下京を持ち、南北一条~五条までの15坊が付属し、また平城京北辺に3ヶ所の張り出し部分が16、半坊があるが、都城の面積に入らない。「奈良の大路」朱雀大路は、幅員90m既述のとおり。
坊を区切る大路は幅員約24m・坊内小路でも12mあり坊内小路3本縦横交差すれば、どの戸も12m以上の道に面していることになる。

バスを降りると、アナウンスーが聞こえ、「歴史館に入るには整理券が必要になるから、今は、11時40分の整理券を配布しております。」それでは先に整理券を貰いに行きましょう~

11時40分には、まだ時間が有るから、新しくなった「大極殿」を観に行くことに・・・



             朱雀門                            小さな花が植えてあった。

大極殿に向かって歩いて行くと、「トラム」に乗りませんか~と言っていただき、乗ることにした。



          ハートフルトラム                         車窓から見る風景

速度と言うと、人の歩く速度と一緒ですが、足の痛いものには嬉しいですね。南門広場で下車

少し歩いて行くと、天平衣装を着た若い女性が、放送局の人にインタビューを受けている様子に出会う



       天平衣装を着た若い女性                はるかかなたに大極殿が・・・

「第一大極殿」朱雀門の真北800mに堂々とそびえる「大極殿」正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。
直径70cmの朱色の柱44本、屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿であり、その建物は奈良時代の中頃に、一時都とした恭仁宮移築され、山城国の国分寺金堂になりました。
当時天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていました。



       正面から見た大極殿                         横から見た大極殿 横から中に入る。

時間が早かったので、混雑することなくスムーズに中に入れた。



 中に入ると、余りの美しさにビックリ・・・上の壁画には、「玄武」「青龍」「白虎」「朱雀」が、描かれてある。(ピンボケで分かりにくいが・・・)



         正面の「高御座」                            横からの「高御座」



「大極殿」を後にして、「トラム」に乗り「歴史館」に向かう

平城京歴史観/遣唐使船復元展示場に入る。

中国大陸・朝鮮半島との交流と、そこから発展した日本の国造り、東アジアにおける国際交流の要性を見つめ直す契機となるエリアです。

中には、テーマ展示
中国大陸、朝鮮半島をはじめ大陸との交流により発展した我が国の国づくりの歴史や往時の文化・暮らしに焦点を当てたテーマ展示。
ストーリー仕立ての映像展などでわかりやすく解説されていた。

遣唐使シアター
アニメーションなどを駆使して、遣唐使の歴史や渡航の様子をドラマチックに再現されていた。

平城京VRシアター
外国使節団が見た平城京をコンセプトに、往時の壮麗・壮大な都の姿や華やかな文化を最先端のVR技術により再現された。

此処の会場では、一番前の席に座ったので、画面が下の方に行き良く見れて、とてもよかった。






船内では、「遣唐使の航海」「遣唐使の積荷」「遣唐使船の構造」「網代帆」「主舵」「遣唐使の部屋」「雑居部屋」「賄い部屋」等の説明がされていた。

見学後昼食

13時45分発の近鉄奈良駅行きのバスに乗り、「奈良国立博物館」へと向かう



       

明日は、第163回例会 『平城遷都1300年』の旅ハイキング

2010-04-24 14:43:55 | 万葉関係
    <目に青葉 山ほととぎす 初かつを> の季節になりましたね。

明日は、お天気も良さそうですし~新緑の奈良にハイキングに参りましょう~


今年は平城遷都1300年記念祭です。

【北】◎平城宮跡『玄武会館』 

【東】◎室生寺『青龍会場』 

【西】◎信貴山朝護孫子寺『白虎会場』   

【南】◎金峯山寺『朱雀会場』 

 各社寺の協力のもと、数々の秘宝・秘仏が特別開帳されます。

           

                   お知らせ


日時        平成22年4月25日(日)

集合・出発    近鉄京都駅で行先乗車券「西大寺」まで購入後②③番ホーム08:00時集合 
             
              08:22分発天理行・急行乗車 西大寺09:04分下車     

合流       西大寺駅改札付近  玄武会場バス=循環バス乗車


式典・行事     平城宮跡{遷都1300年記念祭・第一次大極殿院・玄武会場【北】イベント会場

携行品      昼食・飲み物・筆記具・雨具・カーペート等

興味のある、知人、ご友人の方々をお誘い合わせのうえお出かけをお待ちします。


会場は混雑が予想されます。各自の参加になるかも分かりませんが、兎に角行ってみましょう


毎日が忙しく・・・(^0_0^)

2010-04-23 09:15:59 | 日常の事
20日(火曜日)午前11時からの 、「仙洞御所」拝観に行ってきました。

あいにくの雨模様でしたが、新緑が雨に打たれ素晴らしいお庭を観てきました。(この模様は、後日詳しくブログに載せます。)

拝観後昼食を、百万辺で済ませ、その後「カラオケ教室」に行き帰宅したのが、午後4時半頃で、お茶を飲んだりして少し休憩をして、夕食の支度にとりかかっている時に、電話のベルが鳴り、弟からの電話で、「兄が病院で倒れて、危ない状態です。」え~

「どうして~」S君の夕食支度をして、私と主人は車で病院に向かう、病院では兄弟が集まり、「危ない状態だと・・・」心拍停止、脳死状態・・・

ペースメーカーを付けているが、この状態が何時まで続くか分からないが、時間の問題だと・・・私達は午後10時に病院を離れいったん帰宅。

午後11時55分に亡くなったとの知らせ・・・
病名は「心筋梗塞」79歳でした。

通夜が21日に、告別式が22日に執り行いました。

人ってあっけなく逝ってしまうものね。

午前中は掃除機をかけ掃除をしており、その後チョット横になり、起きて「背中や胸が痛い、何時もの痛さと違う」と言い、自分でタクシーを呼び、病院に行き、先生に診察を受けようと椅子に座った途端に、倒れてそれっきり、意識が回復しないまま・・・帰らぬ人となった。

今日と明日は、万葉の写真や、準備で忙しく、マイミクさんの処に訪問したりコメントが出来ないと思いますが・・・お許し下さいませ~

大和ご利益寺院巡り~3 (^0_0^)

2010-04-16 10:50:55 | 日常の事
大和ご利益寺院巡り~1・2とお付き合いいただきまして、有難うございます。

今日は最後の(3)を書かせていただきますが、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。

「安倍文殊院」で、頭への御加持祈祷をしていただき、「おふさ観音」へとバスは移動

「安倍の文殊は金剛界、おふさ観音は、胎蔵界、どちら欠けても片まいり」と巷でうたいつがれている様に、金剛界が父ならば胎蔵界は母、金剛界が理ならば胎蔵界は情となります。

即ち広大無辺の宇宙は「金胎両部」が相整いてこそ円満の相を示すものです。いずれが欠けても調和を欠くものです。

「おふさ観音」  ”体からのぼけ封じの寺”

奈良県橿原市小房(おうさ)町にある寺院の通称名で、正式名は高野山真言宗別格本山+無量山観音寺。

大和三山の耳成山と畝傍山のほぼ中央に位置する寺院で、慶安3年(1650)に鯉ヶ淵という池の中から白いカメに乗った観音が現れ、それを発見した付近に住む娘おふさが小さな堂を建立して観音を祀ったことが起源とされている。
境内では、四季それぞれの花が、鉢植えで管理され、境内で栽培展示されている。
 
”花まんだらのお寺”として有名です。


本堂に入り、参拝と法話を拝聴後身体への御加護祈祷を受ける。




「おふさ観音」  あいにくと境内には、花が咲いていなかった。        「子安地蔵」

「おふさ観音」を後にして、「大安寺」に向かいバスは走る。

最後の訪問、「大安寺」”がん封じの寺” 

奈良県奈良市にある高野山真言宗の別格本山で、開基(創立者)は聖徳太子が平群に建てた熊疑精舎がその草創と伝わる。
南都七大寺のひとつに数えられ、奈良時代(平城京)には東大寺、興福寺と並ぶ大寺でした。東西2基の七重塔をはじめとする大伽藍を有し、「南大寺」とも呼ばれた。
しかし、平安時代以後は徐々に衰退し寛仁元年(1017)の火災で主要堂塔を焼失した。
現存する堂宇はいずれも近世末~近代の再建であり、規模も著しく縮小し、遺品としては8世紀末頃の制作と思われる木彫仏9たいが残る。
ガン封じの寺として名高い。

本堂では、遷都1300年記念特別公開として「十一面観音立像、馬頭観音立像」が公開

参拝と法話拝聴、宝物殿拝観



      正門                         昔はこんなんでしたと、写真が飾ってあった。

宝物殿では、沢山の仏像が有り、横には当時の模型が展示されていた。



   大安寺復元模型 (縮尺600分の1)当時の資料にもとづいて作成された。

「大安寺」を後に、バスはJR奈良駅に、

散会して、私達は、17時39分発快速京都行きに、ぎりぎり間に合い乗車

今日一日、非公開の秘仏や、ぼけ封じ、がん封じ等の御加持祈祷等と、有意義な時間を過ごせた事に感謝感謝

又 つたない日記にお付き合いしていただいた皆様に感謝
お疲れになったでしょう~
書いている私も疲れました。




 

大和ご利益寺院巡り~2 (^0_0^)

2010-04-15 15:58:55 | 日常の事
安倍文殊院に到着、「安倍文殊院」”頭からのぼけ封じの寺”

奈良県桜井市にある華厳宗の寺院で、大化の改新(645)の時に左大臣として登用された安倍倉梯麻呂の氏寺として開基、建立されたという。創建当時の寺地(西南へ約300m)は「安倍寺跡」として国の史跡に指定され、史跡公園として整備されている。
切戸文殊(京都府宮津市)・亀岡文殊(山形県高畠町)とともに日本三文殊に数えられ、また”頭からのぼけ封じの寺”としてもしられる。ちなみに陰陽師で有名な安倍晴明が陰陽道の修行をしたともいわれ、平成12年(2000年)には安倍晴明堂が建立されている。

境内のなかに古墳があり、解放された境内に多くの参拝者が訪れる安倍文殊院では、鎌倉時代に仏師快慶によって造立されて以来800余年目にして初めて、巨大な獅子から降りられた文殊菩薩が本堂に安置され、眼前にて特別拝観が出来ます。


お昼12時が済んでいたので、先に昼食



                  知恵弁当                        知恵の抹茶

昼食後は法話ご拝聴 赤い物を身につけていると、魔よけになると

ぼけない人の七ヶ条                        ぼける人の七ヶ条

①信仰心厚く、朝夕のおつとめをする人           ①信仰心なく、仏さまをおがまない人

②テレビを見すぎない人                     ②人の言い分を聞かず自己中心で頑固な人

③よくお話をする人                         ③すぐ腹をたててどなったり短気な人

④物忘れを気にしない人                     ④仕事いちずで趣味の無いない人

⑤人の世話をよくする人                      ⑤友達のいない人

⑥感謝の気持ちを忘れない人                  ⑥人を信じられず物・金だけがたよりの人

⑦いくつになっても張り合いと生きがいを求めている人   ⑦笑わない人

此処でぼけないようにと、お札(安倍文殊院・おふさ観音)二つがセットになっているのと、ぼけ封じ枕敷き、お守りが入っているのを買った。3000円、一人だけでは不公平になると二つ購入


食事後、本堂に入り御祈祷を受ける。

その後、巨大な獅子から降りられた文殊菩薩が本堂に安置され、眼前にて特別拝観が出来るので観ることに・・他の仏像等を観て庭に出て、金閣浮御堂をパチリと




        金閣浮御堂                           参道

安倍文殊院は、万葉でも二回来ております。

二回目の時は、コスモスの綺麗な時期で、コスモスの花の迷路が出来ていました。

平成19年の9月でした。詳しく知りたい人は、「カテゴリ万葉関係」と言うところをクリックしていただき、見ていただければ載っています。

又長くなりましたから・・・スルーしていただければ結構ですよ~
続きは明日~



大和ご利益寺院巡り~(^0_0^)

2010-04-14 20:32:24 | 家族旅行、食事など・・・
昨日、2010年寅年~招福祈願の寅の寺と病気封じの寺~「 大和ご利益寺院巡り」をあきちゃんと行ってきました。

集合場所が、JR奈良駅改札口前 8時45分なので、家を出たのが、6時10分です。6時14分発のバスに乗り、京都駅で、7時14分発の奈良行きに乗車

余裕を持って家を出たから、気持ちも余裕でしたが、単線なので、すれ違う列車が、遅れ、遅れが続き、奈良駅に着いたのが、集合時間ギリギリ・・・、余裕も持って出て良かったわ~       列車が遅れたために、遅れてこられた人が有った。

9時過ぎに奈良駅を出発

今日の拝観は、

◎「信貴山朝護孫子寺」<寅年に寅の寺で招福祈願> 

◎「安部文殊院」<”頭から”のぼけ封じの寺> (法話のご拝聴とお抹茶(菓子付き)の御接待)

◎「おふさ観音」<”体から”のぼけ封じの寺> (法話のご拝聴)

◎「大安寺」  <”がん”封じの寺>     (法話のご拝聴と宝物殿のご案内)
を回るツアーです。

先ずは「信貴山朝護孫子寺」に向かってバスは走る。


「信貴山」について・・・大和国信貴山は、聖徳太子のご開山による日本最初の毘沙門天の霊山です。
毘沙門天は、寅年・寅日・寅刻に出現され、七福神の随一、商売繁盛、福徳開運、諸願成就のご利益あらたかな福徳の守護神です。以来、信貴山の毘沙門天王は寅に縁のある神として信仰されています。



    バスを降り、この坂を登りついたところに、            「信貴山」観光案内図が有りました。



     本堂と寅(これから色々な寅が出てきます。お楽しみに~)       本堂



            親寅                              子寅


           聖徳太子の像                 こんなに大きな寅だぁ~



       参道                     三神が祭られていた。(真中が弁財天)



階段を上り本堂に・・・中で招福祈願を受ける。めったに見れない秘仏の毘沙門天立像を見せていただく。(非公開)   





国定公園でもある境内は関西の日光とも称えられ、本堂からは大和平野を一望に収め、また、その広大な境内においては、四季折々の美しい自然とふれあうことができます。



   桜の絨毯の中を歩き、        先ほどの大きな寅の中を通って駐車場に出る。


次は昼食場所の安倍文殊院に向かう

長くなりますから、続きは明日に・・・





            

桜の競演・・・(^^♪

2010-04-12 14:35:34 | 日常の事
今年は、桜が咲き始めてから、急に冷え込んで、長く花見を楽しみました。

桜の競演をご高覧下さいませ~

先ずは、嵐山の桜



                                嵐山渡月橋
                 
 

                                  嵐山中之島(本郷氏提供)

次に登場しますのは、哲学の道の桜




                                  哲学の道の桜

三番手に登場するのは、高野川の桜(川端通り) 我が家から、東に行けば、哲学の道、西に行けば、高野川 





         高野川の桜(川端通り)七条通り~修学院通りまで続く それは見応えが有ります。


最後に控えしは~御所の桜




                               ボタン桜(オカメ桜)




                                 近衛邸の枝垂れ桜


あれほど咲き誇っていた桜も、昨夜からの、雨・風に打たれて、葉桜になったことでしょう~

桜の花は美しい 特にひらひらと舞い散る姿は、特に美しい~

「花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせし間に」
           古今集 巻2・春下(一一三)    小野小町

「散る桜 残る桜も 散る桜」      親鸞聖人

どんなに咲き誇って居ても、最後には散っていくんだ・・・・

今年は長い事、楽しませていただき有難う~また来年も会いたいですね。




御所一般公開に・・・(^0_0^)

2010-04-10 21:51:02 | 日常の事
昨日は、定期健診の後、御所一般公開に行ってきました。

先日のテレビで、御所の「左近の桜」が満開ですと言う事を聞き、観に行こう~

自転車を隅に置き、「宜秋門」から中に入って行った。

バスで来ている観光客の人で中は人・人ですが、人の流れについて歩いていく。

最初に「御車寄」 「諸大夫」(正式に参内した者の控えの間で、身分の上下によって異なった。「殿上の間」等を見て「新御車寄」等を見て・・・



 御車寄 登殿を許された者が正式に参内する時の玄関。   新御車寄 1915年(大正4年)の大正天皇即位礼に際し、
                                        建てられたもので、大正以後の天皇皇后両陛下の玄関

コースに沿って歩いていくと、右側に「建礼門」左に「承明門」




     建礼門 (開かずの門と言われている。)                    承明門(向こうには紫宸殿が見えます。)

「日華門」から中に入り、「紫宸殿」の処に出る。

「紫宸殿」即位礼などの重要な儀式を執り行う最も格式の高い正殿です。大正天皇・昭和天皇の即位礼もここで行われた。
入母屋桧皮茸の高床式宮殿建築です。中央に天皇の御座「高御座」(たかみくら)、その東に皇后の御座「御帳台」(みちょうだい)が置かれている。
現在の高御座と御帳台は、大正天皇の即位礼に際し、古制に則って造られたものです。
今上陛下の即位礼の際には、東京の宮殿に運ばれて使用された。



             紫宸殿                               高御座



   天皇さんから見て、「右近の橘」                      「左近の桜」桜は山桜で、散り始めていた。

「清涼殿」の前を通り、「小御所」に、

「小御所」皇太子の元服などの儀式に用いられ、将軍や諸候と対面される場所などにも使用された













           御池庭                                 御内庭

建物の外に出ると、桜が満開



拝観が終わり、自宅にまっしぐら~

今日は、Yちゃんと、孫と、曾孫が待っているからね。



爺さんと、にこちゃんは、初対面(あなたが曾爺さんですか?と、にこちゃんが見てる。   頑張って起き上がろうとしている。(頑張れ)

昼食後、車で買い物に行く、今日は、忙しい一日でしたが、楽しい日でもあった。

また来てね。

病院に行き、御所拝観、娘や孫、曾孫が来た。(あ~疲れた。)