昨日は、今年最後のハイキングでした。(^^♪
京都駅から乗車された人が少なく、今日は何人ぐらいの人が来て下さるか心配でしたが、最終の集合場所で、35名になり良かったです。
私達の処では、朝 雨は降らなかったが、南の方うから来てこられた人の話では、「朝 雨が降っていたから、家を出るのを躊躇したが、今年最後のハイキングなので、出てきました。」と言っておられました。嬉しいですね。(^0_0^)
電車、バスと乗り継いで、「大宇陀高校前」で下車、「阿紀神社」に向かう・・
長閑な田園風景 前方に見える丘は「かぎろひの丘」で、通称長山と言われている。
「阿紀神社」
神武天皇紀州熊野から宇陀へ入った伝承と崇神天皇の娘(倭姫命)天照大神の御霊を一時安置した場所と伝えられる。
阿紀神社 本郷川の畔(左岸)の杉木立の中に、神明造り(棟木を殿舎左右外支柱)殿舎が柵内に鎮座す。
阿紀神社境内には、松山織田藩の三代藩主・長瀬が造った能舞台が有る。
「かぎろひの丘」に向かう
中心に有るのは、佐佐木信綱先生の歌碑
歌碑の前で団体写真
綺麗に紅葉してる場所で、柿本朝臣人麻呂の歌を朗唱
● 万葉集 巻1-45 (長歌)
やすみしし、我が大君、高照らす、日の皇子、神ながら、神さびせすと、太敷かす、都を置きて、隠口の、初瀬の山は、真木立つ、荒き山道を、岩が根、禁樹押しなべ、坂鳥の、朝越えまして、玉限る、夕去り来れば、み雪降る、安騎の大野に、旗すすき、小竹を押しなべ、草枕 旅宿りせす、古しへ思ひて。 柿本臣人麻呂
● 万葉集 巻1-46 (短歌)
安騎の野に 宿る旅人 うち靡き 寐も寝らめやも いにしへ思ふに 柿本臣人麻呂
● 万葉集 巻1-47 (短歌)
ま草刈る、荒野にはあれど、黄葉の、過ぎにし君が、形見とぞ来し 柿本臣人麻呂
● 万葉集 巻1-48(短歌)
東の、野にかぎろひの、立つ見えて、かへり見すれば、月かたぶきぬ 柿本臣人麻呂
● 万葉集 巻1-49(短歌)
日並の 皇子の命の 馬並めて み狩り立たしし 時は来向ふ 柿本臣人麻呂
山の上では風通しが良く寒かったが、落葉の上を進むとかさかさと気持ち良く、辺りを見渡すと、綺麗な風景に癒された。
落ち葉を布団代わりにして居る姉と妹
かぎろひの丘を後にして、「人麻呂公園」に向かう
「阿騎野・人麻呂公園」
平成7年度の発掘調査で上代の堀立桂群・仲之庄遺跡を整備、一部の遺構復元、馬上の人麻呂像立っている。上代では大宇陀地方は「阿騎野」と呼ばれ、朝廷の薬猟の地とされ、人麻呂(45歳)軽皇子(10歳)は、亡き父君草壁皇子を偲ぶ追善と薬猟の旅【草壁皇子は壬申の乱に11歳で従軍している】帝願望軽皇子の自覚の旅でもあった。
此処で昼食ですが、風が舞って寒い昼食ブルブル・・
昼食を早い目に切り上げて、「森野旧薬園」に向かう
「森野旧薬園」現存する日本最古の薬草園で、森野吉野葛本舗の裏山に広がっている。享保14年(1729)
森野藤助(賽郭)によって開かれ、賽郭は幕府採薬史に随行し、薬草採集に協力した功により下賜された貴重な薬草木を自家の裏山に植え付けたのが始まりと言う。現在も約250種の薬草を往時のまま栽培し、国史跡に指定されている。
綺麗に紅葉している。
葛の汁粉を土産に帰途に着く
今年最後のハイキングに参加された人達お疲れさまでした。有難うございました。
寒さ厳しくなってまいります。御身大切にご自愛くださいませ。
来春、2月1日吉野でお会いしましょう~(^^♪