ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド

2005年08月31日 | 名盤

 
 ぼくはビートルズが大好きだし、「サージェント・ペパー」も大好きです。  
 このアルバム、ビートルズの最高傑作、というより、ポピュラー音楽史上でも有数の名作と言われていますね。  
 すでにいろんな方によって批評しつくされていると思うので、ぼくは、「サージェント・ペパーのあれこれ」について書いてみようと思います。といっても、よく知られた話ばかりだと思いますけれど。
 
 
★このアルバム、「ペパー軍曹のバンドのショウ」というコンセプトを持っています。これは、ポピュラー音楽史上、初めてのトータル・アルバム(ひとつの主題のもとに統一された内容を持つアルバム)だと言われています。


★このアルバムは、1967年度のグラミー賞で、「最優秀アルバム」「最優秀コンテンポラリー・アルバム」「最優秀エンジニア」「最優秀ジャケット・デザイン」の四つの賞を受賞しました。


★このアルバムを聴いたレナード・バーンスタイン(NYフィル常任指揮者)の評。
 「ビートルズのサウンドはバッハのフーガにも匹敵する美しさを持っている。彼らは今世紀最高の作曲家だろう。いや、今世紀ならずとも、シューベルトやヘンデルなどより素晴らしい」 
 ・・・最大級の賛辞ですね。


     


★サイケデリックなジャケットはポールのアイデアで、以前のビートルズを葬って新しく出発する、という意味が込められているそうです。
 ジャケットに登場しているのは、ビートルズのメンバーそれぞれが好きな人物ばかりです。それら著名人の肖像権を得るため、EMIは問題が発生した時の用意として1000万ドルのロイヤリティを確保していましたが、今のところトラブルは発生していないようですね。 
 おもな登場人物は

   ◎メイ・ウエスト(女優) 
   ◎アルバート・アインシュタイン(物理学者) 
   ◎ボブ・ディラン(ミュージシャン) 
   ◎マレーネ・ディートリッヒ(女優) 
   ◎ルイス・キャロル(作家) 
   ◎カール・ユング(心理学者) 
   ◎白雪姫 
   ◎エドガー・アラン・ポー(作家) 
   ◎シャーリー・テンプル(女優) 
   ◎カール・マルクス(社会学者) 
   ◎ソニー・リストン(ボクサー) 
   ◎トーマス・E・ローレンス(軍人=アラビアのロレンス) 
   ◎H・G・ウェルズ(作家) 
   ◎アレイスター・クロウリー(20世紀の有名な黒魔術師) 
   ◎スチュアート・サトクリフ(元ビートルズのメンバー) 
   ◎マーロン・ブランド(俳優) 
   ◎オスカー・ワイルド(作家) 
   ◎ジョニー・ワイズミュラー(水泳選手・俳優) 
   ◎ジョージ・バーナード・ショウ(作家)

 
といったところで、総勢では62人を数えます。日本代表としては、「福助」が出場していますね。
 
       
★アルバムの発表とほぼ同時期に、ポールの「LSD体験発言」があったりしたので、アルバム自体も、「ドラッグとの深い関わり」を指摘されました。 
 ♪ジャケットにマリファナが描かれている。 
 ♪「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」の歌詞に「…ハイになる」という部分があるためドラッグ・ソングだと言われた。また、タイトルの「ちょっとした助け」が文字通り、「ドラッグに助けられる」という意味に解釈された。 
 ♪「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」という曲のタイトルの頭文字が「LSD」となるほか、サイケデリックな歌詞の内容もドラッグによる幻想を連想させるため、ドラッグ・ソングだと言われた。 
 ♪歌詞の内容から「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」をドラッグ・ソングと解釈して放送禁止とした放送局もあった。 
 ♪同じく歌詞の内容から「フィクシング・ア・ホール」もドラッグ・ソングだと解釈された。 
 ・・・以上の「ドラッグとの関わり」は、今ではほとんどがこじつけだったとされています。「ルーシー・イン・ザ・スカイ~」などは、ただ単にジョンの息子(ジュリアン・レノン)が描いた絵がヒントになっているだけだそうだし、「フィクシング~」はポールが別荘の屋根を修繕したことを元に作った歌なんだそうですね。だいたい、イマジネーション豊かなビートルズの面々が、ドラッグによる幻想からしか曲を作ることができないなんて、とても思えないですよね。


★ポールはLSD発言直後にテレビ出演しています。 
 「あなたは若者のアイドルなのだから、彼らに与える影響を考えるとLSD発言は公表しないほうが良かったのではないですか?」 
 「ぼくは真実を言ったまでだ。もし誰かかマネすることを心配するなら、あんたたちマスコミこそ報道を控えるべきだったんじゃないかい?」 
 ・・・ある意味もっともだと思うなぁ。


     
 
         
★インド音楽の影響を深く受けている8曲目の「ウィズイン・ユー、ウィズアウト・ユー」には、ビートルズからはジョージしか参加していません。


★9曲目の「ホエン・アイム・シックスティーフォー」は、デビュー間もない頃に、ポールが父のジム・マッカートニーのために作った曲だそうです。


★13曲目の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」終了後、約8秒間、犬にしか聴こえない2万ヘルツの信号が録音されています。「まだ動物がビートルズのファンになったという話は聞いてないから、犬にしか聴こえない音を入れよう(ポール)」という理由からだそうです。そしてその後には、ビートルズによる意味不明の挨拶が約22秒間録音されています。


★「サージェント・ペパー」の発売披露パーティで、リンダ・イーストマンという女性がカメラマンとして出席していました。リンダとポールは、そのパーティの数日前に初めて出会っており、この日「再会」したわけです。ご存知の通り、彼女はのちにポールと結婚、リンダ・マッカートニーとなりました。  


 それにしても、実に創造的で素晴らしいアルバムですね。今聴いても、しみじみそう思います。



◆サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド/Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
  ■歌・演奏
    ビートルズ/Beatles
  ■リリース
    イギリス1967年6月1日、アメリカ1967年6月2日、日本1967年7月5日、
  ■レコーディング
    1966年12月6日~1967年4月1日
  ■プロデューサー
    ジョージ・マーティン/George Martin
  ■収録曲
   A① サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド/Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
    ② ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ/With a Little Help from My Friends 
    ③ ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ/Lucy in the Sky with Diamonds 
    ④ ゲッティング・ベター/Getting Better 
    ⑤ フィクシング・ア・ホール/Fixing a Hole 
    ⑥ シーズ・リーヴィング・ホーム/She's Leaving Home 
    ⑦ ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト/Being for the Benefit of Mr. Kite! 
   B⑧ ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー/Within You Without You 
    ⑨ ホエン・アイム・シックスティーフォー/When I'm Sixty-Four 
    ⑩ ラヴリー・リタ/Lovely Rita 
    ⑪ グッド・モーニング・グッド・モーニング/Good Morning Good Morning 
    ⑫ サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプライズ)/Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(Reprise) 
    ⑬ ア・デイ・イン・ザ・ライフ/A Day in the Life 
    ※composed by Lennon & McCartney①~⑦、⑨~⑬  George Harrison⑧
  ■録音メンバー
   【Beatles】
    ポール・マッカートニー/ (lead-vocals, harmony-vocals, background-vocals, bass, electric-guitars, acoustic-piano, electric-piano, organ)
    ジョン・レノン/John Lennon (lead-vocals, harmony-vocals, background-vocals, acoustic-guitars, electric-guitars, organ, percussions, final piano E chord)
    ジョージ・ハリスン/ (lead-vocals⑧, harmony-vocals, background-vocals, acoustic-guitars, electric-guitars, sitar, tambura, harmonica, percussions)
    リンゴ・スター/Ringo Starr (drums, percussions, harmonica, lead-vocals②, final piano E chord)
   【Additional Musicians】
    ニール・アスピノール/Neil Aspinall (tambura, harmonica)
    マルコム・エヴァンス/Malcolm Evans (harmonica, alarm-clock, final piano E chord)
    ジョージ・マーティン/George Martin (harpsichord⑤, harmonium⑦, organ②⑦, glockenspiel⑦, piano④⑩, final harmonium chord)
    サウンド・インコーポレイテッド/Sounds Incorporated (the saxophone sextet⑥)
    ニール・サンダース/Neil Sanders (french-horn①)
    ジェームス・W. バック/James W. Buck (french-horn①)
    ジョン・バーデン/John Burden (french-horn①)
    トニー・ランドール/Tony Randall (french-horn①)
  ■チャート最高位
    1967年週間チャート  アメリカ(ビルボード)1位(7/1~10/7 15週連続)、イギリス(メロディ・メーカー)1位(6/3~10/28 22週連続)
    1967年年間チャート  アメリカ(ビルボード)10位、イギリス1位
    1968年年間チャート  アメリカ(ビルボード)6位
    1960年代ディケイドチャート  アメリカ(ビリボード)1位
    1987年週間チャート  イギリス3位、日本(オリコン)3位
    2009年週間チャート  イギリス5位、日本(オリコン)20位
    2017年週間チャート  アメリカ(ビルボード)3位、イギリス1位、日本(オリコン)5位


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遠くで汽笛を聞きながら

2005年08月30日 | 名曲


 初めてギターを手にしたのは中学時代、という人は結構多いのではないでしょうか。「好きな曲を自分で歌ってみたい」と思ったりしたんですよね。  
 

 当時、フォークやロックなどを消化しながら歌謡曲と洋楽の中間に位置して圧倒的に支持されていたのが、「ニュー・ミュージック」と呼ばれていた一派です。彼らの全盛期の勢いはたいへんなものでした。 
 この「ニュー・ミュージック」に属するとされていたグループのひとつが、アリスです。


     


 まだまだマイナーな存在ではあったけれど、馴染みやすいメロディーと、青春期の若者の心情を代弁するかのようなシリアスな歌詞が受け入れられて、一部では非常に人気がありました。
 また、メンバーの谷村新司は、当時ブームだったラジオの深夜番組でディスクジョッキーも務めていて、その軽妙なしゃべりは、「深夜放送愛好族」にとても人気があったんです。  


 アリスの曲は、難しいコードがあまりなく、使われているのは簡単なコードばかりだったので、カポタストを付ければギターを手にしたばかりのぼくらにも簡単に弾くことができました。これもアリスに親近感を覚えた理由のひとつでしょうね。   
 そのアリスの曲の中で、ぼくたちに一番人気があったのが「遠くで汽笛を聞きながら」でした。「冬の稲妻」で彼らが大ブレイクするより前の作品です。 


 フォークそのものの初期の作品とは違い、この曲からは「ロックっぽい」感じを受けたものです。矢島賢の弾く伸びやかなエレキ・ギターのソロがとてもかっこよくて、エレキ・ギターを始めた友達の多くはこの曲をコピーしようとしていました。またこの曲のドラムのフィル・インが大好きで、当時ドラムを叩いていたぼくは一生懸命コピーした記憶があります。 
 ちょっぴり苦くて大人っぽい歌詞は、青春時代に入りかけて背伸びをしてみたかったぼくたちの心によく響きました。


     
     アリスV


 当時、「文化祭でアリスの曲を演奏しよう」、ということになり、同じクラスのメンバーでバンドを作ったのもいい思い出です。男4人女6人、計10人の大編成のバンドでした。
 名前覚えてるかなあ。アコースティック・ギター&ボーカルはタカギくんハシモトくん、サトウさんがアコースティック・ギターとコーラス、エレキ・ギターはマツオカくん。ボーカルとサックス、フルートにツカモトさん、ベースはフジイさん、ドラムスはぼくで、ピアノはシブヤさん、シンセサイザーにタカダさん、キーボードにヒョウドウさん。
 覚えてた覚えてた。(^^)
 何度も練習するうちに、ちょっとした恋バナが咲いたり、みんなで遊びに行ったり、打ち明け話をし合ったり。まさに青春でしたね~
 メンバーのうち、フォーク・ギターを弾いていたサトウさんの家は広かったので(水島臨海鉄道のとある駅近くの薬局でした)、そこに集まって練習したりしたなあ。
 ラジカセに録音するんですが、ライブ感を出そうとして曲が終わるとみんなで大きな拍手をするんです。これが結構悪ノリして大きな拍手を何十秒も続けたりするもんだから、サトウさんのお母さんがあきれて目を真ん丸にしていたのが思い出されます。
 
 
  

 このバンドの文化祭での演奏を録音したカセット・テープがぼくの部屋に残っています。
 今聴くと本当に恥ずかしくなるような音だけれど、なんともいえない懐かしさで胸がいっぱいになるんです。



     
       


【遠くで汽笛を聞きながら】
悩み続けた日々が まるで嘘のように     
忘れられる時が 来るまで心を閉じたまま     
暮らしてゆこう 遠くで汽笛を聞きながら     
何もいいことが なかったこの街で      

俺を見捨てたひとを 恨んで生きるより     
幼い心に秘めた むなしい涙の捨て場所を     
探してみたい 遠くで汽笛を聞きながら     
何もいいことが なかったこの街で      

せめて一夜の夢と 泣いて泣き明かして     
自分の言葉に嘘は つくまい人を裏切るまい     
生きてゆきたい 遠くで汽笛を聞きながら     
何もいいことが なかったこの街で



遠くで汽笛を聞きながら
  ■歌・演奏
    アリス
  ■シングル・リリース
    1976年9月20日

  ■プロデュース
    橋場正敏     

  ■作詞
    谷村新司    

  ■作曲
    堀内孝雄

  ■編曲
    篠原信彦
  ■録音メンバー
   <アリス>
    谷村新司(backing-vocal)
    堀内孝雄(lead-vocal, backing-vocal, acoustic-guitar)
    矢沢透(drums)
   <ゲスト>
    矢島賢(electric-guitar)
    高水健司(bass)
    篠原信彦(piano, organ)

  ■チャート最高位
    1976年週間シングル・チャート オリコン51位
  ■収録アルバム
    アリスV(1976年)


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鬼のパンツ

2005年08月27日 | ネタをたずねて三千里

                                       ♪これも「鬼のパンツ」の一種といってよいでしょう(笑)  



 お遊戯歌として知られている「鬼のパンツ」。誰でも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。  


  鬼のパンツはいいパンツ つよいぞ つよいぞ
  トラの毛皮でできている つよいぞ つよいぞ  
  五年はいてもやぶれない つよいぞ つよいぞ  
  十年はいてもやぶれない つよいぞ つよいぞ  
  はこう はこう 鬼のパンツ  
  はこう はこう 鬼のパンツ   
  あなたも あなたも あなたも あなたも  
  みんなではこう 鬼のパンツ

 
    

 今日は、ここにもよく遊びに来てくださるhippocampiさんがリクエストして下さったので、「鬼のパンツあれこれ」ということでお届けいたします。  


 陰陽五行で、鬼の出入りする方角を鬼門といい、十二支に当てはめると丑寅(北東)の方角になります。これらのことから、牛のような角、虎のような牙、虎皮ふんどしという鬼のイメージが定着した、と考えられています。  
 さてこの「鬼のパンツ」、カンツォーネの「フニクリ・フニクラ(Funiculi, Funicula!)」の替え歌なんだそうですね。 
 作詞はペッピーノ・トゥルコ(Peppino Turco 1846~1903)、作曲はルイジ・デンツァ(Luigi Denza 1846~1922)です。


 1880年、トーマス・クック旅行社によってベスビオ火山(79年に大噴火してポンペイの町を埋没させたことで有名)への登山鉄道(ケーブルカー=フニコラーレ)が敷設されましたが、勾配が非常に急だったため、利用者がほとんどいませんでした。そこでこの登山鉄道にお客を勧誘するべく、L・デンツァに依頼して作曲されたのが「フニクリ・フニクラ」です。
 ビエディグロッタ音楽祭で発表されると大評判となり、当時としては驚異的な1万枚の売り上げを記録しました。そして、鉄道の利用者もめでたく大幅に増えたそうです。
 これは世界で最初のCMソングとも言われています。


     
     フニコラーレ 

 
 ちなみに、ベスビオ火山は1944年3月22日に大噴火、このため鉄道は廃止となりました。現在では二人用リフトが客を火口付近まで運んでいます。  


 この歌の原詞はナポリ語で書かれています。 
 余談ですが、俗にイタリア語と言われているものはトスカーナ語をベースにしたもので、ほかにナポリ語やミラノ語など独立した言語に近いものがあるため、例えばナポリ語で放送する時にはイタリア語の字幕スーパーが出たりするそうです。


 日本では、フニクリ・フニクラを原曲とした「となりの横町」が、1929年に二村定一の歌で発表されています。 
 1961年にNHKの「みんなの歌」で紹介されてから、全国的に広まりました。
 もともとは登山電車に乗って山をのぼりおりしながら結婚を決意する男性を歌った愛の歌でしたが、日本では、「みんなの歌」という番組の性格上、幼稚園や保育園などで行われる集団遊戯の歌として定着したようです。そして、とくに世界的に広まっているわけではないみたいですね。  


 「フニクリ・フニクラ」の日本語詞は清野協氏と青木爽氏の共作ですが、これは訳詞ではありません。 
 「鬼のパンツ」の作詞者は不詳とされていますが、1953年頃にボーイスカウトの関係者によって作られたとか、この歌を歌い始めた田中星児氏によって作られた、などの説があります。


 またこの曲の替え歌としては「ウサギのパンツ」、「トラのパンツ」、「グリとグラ」、「唐揚げモミモミ」などがありますが、ここでは「キノコバージョン」を紹介しておきましょう。
 


 ♪赤いキノコは毒キノコ うまいぞ うまいぞ  
  ひとくち食べれば笑いだす わははは わははは  
  ふたくち食べれば踊りだす うほほほ うほほほ  
  みくち食べれば回りだす ありゃりゃりゃ ありゃりゃりゃ  
  食べろ 食べろ 赤いキノコ  
  食べろ 食べろ 赤いキノコ  
  あなたも わたしも あなたも わたしも  
  みんなで食べろ 赤いキノコ
  


なんだか、ちょっとシュールですね~





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明日に架ける橋 (Bridge Over Troubled Water)

2005年08月26日 | 名曲

 
 サイモン&ガーファンクルは、非常に幅広い音楽性を持つコンビです。 
 透明感がある反面、どこか土の香りがする温かい歌声を聴いていると、不思議な懐かしさを覚えます。


     
     サイモン&ガーファンクル


 たくさんの重荷を背負って疲れている自分に気づく時ってありませんか。 
 なんとなく虚無感におそわれたり、なんとなく弱音を吐きたくなったり、なんとなく泣きたくなったり。
 そんな時、この曲の、やさしさと強いメッセージが込められた歌詞や、美しく荘厳なメロディーによく慰められました。  


 「明日に架ける橋」は、スケールの大きなゴスペル風のメロディーと、深く温かな愛が根底に流れる歌詞を持つ、ポピュラー音楽史に残る不朽の名作と言えるでしょう。  
 1970年のチャートではアメリカ、イギリス、カナダ、フランス、ニュージーランドで1位を獲得したほか、アイルランド、スペイン、オーストラリアで2位、ドイツで3位、オーストリアと南アフリカで4位、スイスとオランダで5位となるなど世界的な大ヒットを記録しました。同年のグラミー賞では、最優秀レコード、最優秀アルバム、最優秀コンテンポラリー歌曲など、5部門を受賞しています。そしてこの曲、のちにはアレサ・フランクリンや、エルヴィス・プレスリーなど、多くのミュージシャンにカバーされています。


     
     アルバム「明日に架ける橋」


     
     ジャケット違いのシングル「明日に架ける橋」


 作者のポール・サイモンによると、この曲はバッハの「マタイ受難曲」の中に出てくる讃美歌をモチーフにしているそうです。  
 時には、サイモン&ガーファンクルの自然なサウンドに身をゆだねて、寛いでみるのもいいかもしれませんね。
 


     

    

     [歌 詞]

     [大 意]
     生きることに疲れはて
     みじめな気持ちで涙ぐんでしまう時     
     その涙をぼくが拭ってあげよう     
     ぼくはきみの味方だよ     
     どんなに辛い時でも 頼る友が見つからない時でも     
     苦悩の川に架かる橋のように     
     ぼくはこの身を横たえよう      

     きみが打ちのめされ あてもなくさまよう時     
     夕暮れが冷たく垂れこめる頃     
     きみを慰めてあげよう     
     暗闇が立ちこめ 苦痛がきみを覆う時     
     ぼくが身代わりになろう     
     苦悩の川に架かる橋のように    
     この身を横たえよう      

     出帆するのだ 銀色の乙女よ     
     帆をあげて進むのだ 今こそきみは輝くのだ     
     きみの夢はすぐそこまで来ている     
     眩しい光で輝いているのが見えるだろう     
     ひとりで心細いのなら ぼくが後ろからついて行こう     
     苦悩の川に架かる橋のように     
     きみの心を和ませよう  

 
 
◆明日に架ける橋/Bridge Over Troubled Water
  ■録音
    1969年11月9日
  ■シングル・リリース
    アメリカ 1970年1月20日
    日  本 1970年3月21日
  ■作詞・作曲
    ポール・サイモン/Paul Simon
  ■プロデュース
    ポール・サイモン/Paul Simon、アート・ガーファンクル/Art Garfunkel、ロイ・ハリー/Roy Halee
  ■歌
    サイモン&ガーファンクル/Simon & Garfunkel
  ■録音メンバー
    ポール・サイモン/Paul Simon (vocal)
    アート・ガーファンクル/Art Garfunkel (vocal)
    ラリー・ネクテル/Larry Knechtel (piano)
    ジョー・オズボーン/Joe Osborn (bass)
    ハル・ブレイン/Hal Blaine (drums)
  ■チャート最高位
    1970年週間チャート アメリカ1位(ビルボード 1970.2.28~4.4 6週連続)、イギリス1位、日本11位(オリコン)
    1970年年間チャート アメリカ(ビルボード)1位、イギリス5位


  


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ネコふんじゃった

2005年08月25日 | ネタをたずねて三千里

 生まれて初めてピアノで弾いた曲、なんでしたか?

 
 ぼくが、イタズラ弾きにせよ、生まれて初めて弾いた「曲」、それは「ネコふんじゃった」でした。
 メロディをどうやって覚えたんだろう…。たぶん小学校低学年のころ、ピアノを習いたての女の子が教室でよく弾いてたのを聴いてたんだと思いますね。


 この曲、キーをG♭(F♯)に設定すると、最初の16小節は、ファ以外の全てを黒鍵だけで弾くことができるんです。
 だから、ピアノを習ったこともない小僧風情が嬉々として弾くことができるわけです。


 さてこの「ネコふんじゃった」、ぼくはきちんとした譜面を見たことがないんですが、それもそのはず、正式な楽譜はないのだそうです。作曲者も、推測はされているけれど、不明なんだそうですね。(19世紀にロシアで生まれた曲だと言われている)
 それにもかかわらず世界中の人に知られているというのは、不思議な伝播力というか、エネルギーを持っているのでしょうね。


 ちなみに、調べてみると、国によっていろんなタイトルになっていました。


 ルーマニア……黒猫のダンス
 ハンガリー……ロバのマーチ
 フィンランド…ネコのポルカ
 デンマーク……王女の足
 ドイツ…………蚤のワルツ
 オーストリア…蚤のワルツ
 オランダ………蚤のマーチ
 フランス………カツレツ
 スペイン………チョコレート
 イギリス………箸
 アメリカ………箸
 キューバ………三匹のアヒル
 チ  リ………犬のポルカ
 ロシア…………犬のワルツ
 韓  国………ネコの踊り


 「蚤」や「犬」がつく国が多いのは、曲調からすばしこい動きが連想されるからでしょうか。
 米英人は「箸」に対して、これも忙しく動きまわるというイメージを持っているのかもしれませんね。
 食べ物の名前がついているところも複数ありますね。由来は何なんだろう。


 「黒猫のタンゴ」というのは、なかったな~
 「やっぱり」というべきか、「残念」というべきか…
 




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ボンビ柿本さん

2005年08月24日 | ライブ


 今日の昼、岡山駅地下街(一番街)の誕生31周年記念のイベントがありました。
 そこに登場したのは、大阪在住のジャズ・ヴォーカリスト、ボンビ柿本さんです。
 数日前にメールを頂いていたので、久々にお会いしてきました。 


 楽しいステージでした~
 ボンビさんが歌うステージは、いつもほっこり温かくなります。今日も楽しい雰囲気のステージになりました。
 もともとサービス精神が旺盛な方で、今日も楽しそうに聴いているおじいちゃんに歌いながら近づいて、ほっぺに「チュッ」とキスしたり、小さな子供たちが何人も座って聴いているのを見つけると、即座に「となりのトトロ」を歌ったり。マイクを向けられた子供は、「トットロ、トット~ロ」と一緒にかわいく歌ってました。


 ボンビさんの歌はオーソドックスで、とても心地良い。聴き手を包み込んでくれるような豊かで温かい声が、そのまま人柄を表わしているようです。
 血の通っている歌を歌う方だと思います。歌声が生き物のように耳に届いてくるのです。
 ぼくがとっても好きなジャズ・シンガーのひとりです。


 ボンビさんのステキな歌は、神戸市のソネや、大阪市のブルー・モンクなどで聴くことができます。またその楽しいキャラクターで女優として、舞台やテレビでも活躍されています。
 今後もずっと楽しく温かいステージを作り上げていってほしいものです。





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はたして音楽は衰退するか?

2005年08月22日 | 随想録

                                    ♪こんなパーカッショニストはイヤだ(でも頼もしそう 笑)





 この世の中で音楽というものは、
 非常に不思議な存在だという気がします。
 なぜかというと、
 なくても生活に困らないのに、
 本当になくなってみると
 「なくては困る!」と
 半狂乱(オオゲサですね)になる人が多いと思えるからです。
 これはまあ、音楽という分野に限ったことではないですけどね。
 

 たまに、
 どういう状況が音楽の存在の妨げになるのか、
 について考えることがあります。(妄想に等しいですが)
 


1社会情勢の変化
 自由主義が崩壊して全体主義となるとすると、
 音楽そのものはなくならないにしても、
 表現の自由が規制されるわけですから、
 かつての日本のように
 「敵性音楽」などというワケワカラン意味不明なレッテルが貼られ、
 そのジャンルは演奏できなくなる。
 でも、禁止されることは隠れてでも禁を破りたくなるのが人の常。
 困るけれどもかえって音楽愛に火がつく、とニラんでます。
 障害があるほど愛は燃え上がる、って言うじゃないですか。
 


2不況
 CDや楽器にかけるお金を
 すべて生活費に回さざるを得なくなる。
 「なるほどそれは音楽どころではないなぁ」、
 と、ふと思った人、安心しましょう。
 貧乏な階層から生まれた音楽、いーっぱいあります。
 代表的なものがジャズとロックですね。
 食べるにも事欠く家庭に育った名演奏家、たくさんいます。
 腹の減り具合と戦いながら、
 好きなことに没頭する、そんな性質を持った人、
 想像以上に多いんですね。
 
 


3電力の消失
 あ、これはイタイかもしれない。
 とりあえず電気製品で音楽を聴くことは不可能になります。
 テレビ、ラジオ、パソコン、CD、iPODなどなど…
 電気楽器はすべてダメ。
 ガスエアコンなら見たことあるけど、
 ガスギターとか、ロウソクシンセサイザーは
 うーん、見たことない…(誰かが発明するかな)
 でもですね、
 こういう状況でも全く困らないのは、
 アコースティック楽器のみで演奏可能な
 クラシックと、ジャズなんですね。
 この両分野、一挙に息を吹き返します!
 あ、
 ロックもアコースティックな音に変化する可能性もあるな。
 すると石油が枯渇して電気がない世の中になると、
 音楽の新しい方向が生み出されるかもしれないわけですね。
 



 結論。世の中がどう変化しても音楽は生き残る!バンザ~イ(笑)
 




 いや~、今日の記事は実に中味がなかったなぁ~(笑)


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スロウ・ダンサー (Slow Dancer)

2005年08月21日 | 名曲


 とかく突っ走ってしまいがちだった若造の頃にはあまり良さがわからなかった曲って、ありますよね。
 「スロウ・ダンサー」は、ぼくにとってそんな曲のひとつです。


 典型的ともいえるラブ・ソングです。
 でもこれをボズに歌われると、女の人って「クラクラ」っとなるんじゃないでしょうか。
 そう思ってしまうくらい大人の雰囲気がいっぱいで、やさしくてシブい歌声ですね。
 こんなふうに歌えたら、もうモテるどころの騒ぎじゃないでしょうね。う~む、同性としてちょっとシットしてしまうな・・・


     


 バックを務めるのが、J・サンプルとか、J・ジェマーソンとか、D・T・ウォーカーとか、W・W・ワトソンだとか、とにかく名手ぞろいなんだけど、彼らがまたそろいもそろって「一致団結して女性を口説きたおしにかかっているような」、ロマンチックな演奏で迫ってきます。
 だいたい、少々外見がマズくとも(ものの例えです)、ちょっと楽器を鳴らすだけで女性をウットリさせるくらい朝飯前の名手ばかりですからねぇ。


 ま、こういうヒガミや羨望のマナザシはちょっと横に置いておいて、


 こういう雰囲気のある歌を、ギターかピアノを鳴らしながら口ずさむことができたらいいなぁ~。
 気持ち良いだろうなぁ~。
 モテるだろうなぁ~。


 あ、やっぱりうらやましがってしまう(笑)


     


[歌 詞]
[大 意]
今まで女性を愛したこともなかった
肌のような滑らかな膝に触れたこともなかった
メイコン・ベイビー、きみに夢中さ
きみを愛することは、たやすいことだった

ジョージアの松林に横たわり 樹々の間からぼくにそっと囁いてくれ
いつも君だけを夢みてる いつもきみだけを見つめてる

スロウ・ダンサー、かわいい空想家 その光を投げかけてくれ
スロウ・ダンサー、きみだけが ぼくを自由にする鍵を持っている

太陽の下できみの顔を見たことはなかった
月の光がきみを運んでくれたのだから
ぼくの名前さえちゃんと覚えられない君
きみを愛することは、たやすいことだった



◆スロウ ダンサー/Slow Dancer
  ■歌
    ボズ・スキャッグス/Boz Scaggs
  ■発表
    1974年
  ■収録アルバム
    スロウ・ダンサー/Slow Dancer(1974年)
  ■作詞・作曲
    ジョージ・デイリー、ボズ・スキャッグス/George Daly, Boz Scaggs
  ■プロデュース
    ジョニー・ブリストル/Jonny Bristol
  ■録音メンバー
    ボズ・スキャッグス/Boz Scaggs (vocal)
    ワウ・ワウ・ワトソン/Wah Wah Watson (guitar)
    デニス・コーフィー/Dennis Coffee (guitar)
    デヴィッド・T・ウォーカー/David T. Walker (guitar)
    ジェームス・ジェマーソン/James Jamerson (bass)
    ジョー・サンプル/Joe Sample (keyboards)   
    クラレンス・マクドナルド/Clarence McDonald (keyboards)
    ジェームス・ガッドソン/James Gadson (drums)
    キャロライン・ウィリス/Carolyn Willis (background-vocals)
    ジュリア・ティルマン/Julia Tilman (background-vocals)
    マーナ・マシューズ/Myrna Matthews (background-vocals)
    ローナ・ウィリアード/Lorna Williard (background-vocals)
    パット・ヘンダーソン/Pat Henderson (background-vocals)

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誰にも気づかれずに大阪近辺に移り住む方法

2005年08月20日 | ネタをたずねて三千里

                                                     ryoさん&ヒロセさん


 いろいろ気にかけてくださる方々、どうもありがとうございます。
 まだちょっと気分は落ち込みぎみではありますが、このままでいい筈もないので、昨日(19日)は少しでも元気を取り戻すべく、以前から鍵盤奏者のナルセさん(keyboard)に声をかけていただいていた宝塚Promised Landでのセッションに行ってまいりました。


 「休肝日の会」という、なんともまあオシャレ(笑)なタイトルの飲み会兼セッションでした。
 ナルセさん、出席していた方々、どうもお世話になりました。


 アフター・セッションでは、大阪でよくご一緒させていただくギタリストのryoさん、パーカッショニストにしてドラマーのヒロセさんとの三人で、ミッドナイト・コーヒーとしゃれ込んでみました。
 ミュージシャンが三人寄るとクダラナイ冗談の応酬になるのは世の常ですが、昨夜の話。
 しょっちゅうぼくが関西方面にお邪魔しているので、活動の根拠地を関西に置いたらどうだろうか、というところが始まりです。



 「まず総理大臣になって、手始めに岡山県と姫路までを合併しましょう。んで、次は神戸まで、その次は尼崎まで、と合併を進めていけば、自動的に岡山は大阪の隣の県になりますね

 「兵庫が岡山に合併されることがまずありえへんな~」

 (笑)

 「家のモンに気づかれんように、少~しずつ大阪よりに引っ越す、ちゅーのはどうや。隣の町、隣の町と引っ越していって、気づいたら兵庫県に住んどった、これでいこ

 「少~しずつ大阪の方に向かって建て増ししたらどないですか。そしたら家のはしっこの部屋が大阪になりますよ」

 「もうそれ万里の長城ですやん」

 「経費かかるなぁ。建て増し部分は廊下だけやね」

 「ほな経費節約のために、幅のせま~い廊下にしますか


笑笑笑



 こういうアホな話になるととどまるところを知らないのがミュージシャンです。
 でもおかげでウサ晴らしになって気分もほぼ元通りになりましたよ。




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猿。

2005年08月19日 | 写真

                                                     神庭の滝


 ここ最近、せっかく仲良くなれたと思っていた人が遠くへ行くことになったり、あるいはもう会えなくなるかもしれないということになったり、ということがなぜか立て続けに起こりました。
 それに加えて大きなショックを受けた出来事があったりして、かなり気落ちしています。


 そんな時は、ちょっと平和な風景に浸ってみましょう。
 岡山県真庭市にある「神庭の滝」に棲む猿たちです。
 一昨日、気晴らしに少し遠出してきました。


     
      ノミトリ。子猿の気持ち良さそうなこと!


     
      ノミトリしてもらってもう恍惚状態


     
      親子かな?  平和だな~ 





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新耳袋

2005年08月17日 | 見る聴く感じるその他

 

 ぼくは本屋さんが好きです。


 何か読書欲をそそるような本はないものか、と思って、しょっちゅう本屋さんに行くのですが、先日見つけたのが、「新耳袋 第十夜」です。
 この「第十夜」が最終集になるらしいんですが、これで無事に全巻揃いました。


 最近はこの本を原作に、映画化された作品もあるそうですが、ぼくは本を読むほうが好きだなぁ~。
 ほんとうに怖い物語を読むと、怖さのあまり自分で勝手に怖いイメージを膨らませてしまうところがあります。それが怖さをさらに増進させるんですが、これは一種のマゾヒズム?(笑)


 怪談ギライの人から見ると、なんでわざわざ自分から怖い目に遭いにゆくのか理解できないみたいです。 
 たしかに、たまに夜中にこの本を読んでしまって、少し後悔することがあります。やっぱり平気ではいられないんですね。いい年してトイレに行けなくなってる。


     


 地道に取材を続けただけあって、この本にはいろんな種類の怖い話が詰まってます。民俗学的にたんねんに話を分析してゆけば、おそらく十巻千話の中のかなりの数の話が、勘違いとか、思い込みとか、単なる伝聞とか、そういう根拠のないものに分類されてしまうのかもしれません。
 でもぼくの場合、実話かどうかよりも、こちらがゾッとするような怪談を読むことができれば満足なので、その基準からゆけばこの本は、充分すぎるくらい期待に応えてくれました。  


 一巻百話構成で、一冊1200円と手ごろだし(文庫化もされている)、一夜で一冊読み終えると自動的に「百物語」に加わったことにもなるという、シャレた構成になってます。実際、一夜で完読した人の身に、ささやかな怪異が起きた例がいくつか報告されています。
 ぼくは、本を買ったその日に読み終えてしまうことがほとんどでしたが、とくに怪異は起きませんでした。残念? いやいや、そんなもん起きないほうが良かったに決まってます。 


 ちなみにタイトルは、18世紀後半から19世紀前半にかけて書き継がれた随筆「耳嚢」をもじったものです。
 「耳嚢」の著者・根岸鎮衛は、下級旗本の出身ながら、のちには江戸南町奉行まで務めた人物です。彼は生涯の中で数多くの人に出会っていますが、それらの人々から聞いた膨大な話を個人的にまとめたものが「耳嚢」というわけです。もちろん怪異な話も多数収録されています。
 こちらも、今読んでもとても面白い随筆だと思います。


     


 カバーをよく見てみると、小さな文字でびっしり本文が印刷されていたり、カバーを外した表紙には奇妙な写真を使っていたりと、小さな仕掛けがほどこしてあって、ほどよく怖さを演出しているところも好きだなあ。



新耳袋 (全10巻)
  ■著者
    木原浩勝・中山市朗(共著)   
  ■第1巻初版発行
    1998年4月12日
  ■発行
    メディアファクトリー 




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今日は平和の始まりの日でもある

2005年08月15日 | 随想録

 以前、鹿児島県の知覧に行ったことがあります。特攻隊の基地だった知覧飛行場です。


 展示されている遺書はすべて読みました。妹にあてて書かれたある手紙がもっとも印象に残っています。


 「私は出撃する。還ってくることは考えていない。しかし、私は日本の空の上からおまえ(註 妹のこと)をいつも見守っているよ」という内容でした。
 胸をうたれました。


 「お国のために」とか「鬼畜米英を粉砕」などの遺書が多数だと思っていましたが、そういうたぐいのものはまれでした。ほとんどが、自分が死ぬことで家族が守られると考え、愛する家族の幸せを願ったものでした。


 死んでいった特攻隊員たちはなにを考えていたのでしょう。
 みんな喜んで敵艦に体当たりしたのでしょうか。
 みんな、よく言われるように、積極的に志願したのでしょうか。

 
 戦争のおそろしいところのひとつに、「人間の尊厳の破壊」があります。
 特攻隊の考案自体がすでに戦争のもたらす狂気、つまり人間の尊厳を破壊しようとした行為なのではないのでしょうか。
 無理やり志願させられた例もある事実。
 機の故障でやむなく帰還した者を「卑怯者」呼ばわりし、「早く死んで来い」と罵倒した上官のいた事実。
 部下に特攻をかけさせ、士気を鼓舞していた(かのように見えた)司令官(もちろん将官です)が、自分だけさっさと安全な内地へ逃げ帰っていた事実。
 体当たりをしなくとも、(危険度は高いが)帰還の可能性がある攻撃方法があったにもかかわらず、体当たり攻撃を強制した事実。
 これらを命じた側の人間性も「破壊させられていた」のだと思います。
 また、上層部と実際に出撃した隊員との「意識」の違いも無視できません。


 特攻で出撃した人々は、決して愚かでもムダに死んでいったのでもありません。
 しかし、特攻隊員の死をムダにしないこととは何でしょう。
 あの戦争がもし正当なものだということにしようとするなら、死んでいった人々は納得するでしょうか。
 歴史から何が誤りだったかを学んで、平和を守ってゆくべきだと思うのですが…


 終戦記念日にあたって、思うところを書いてみました。
 あくまで一個人の考えです。


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レイ (Ray)

2005年08月14日 | 映画


 伝記映画というものは、数十年ぶんの時を2時間ほどに詰め込むために、かえって印象が薄くなったりするものだけれど、これは、「スターの伝記映画」としてではなく、悩みや葛藤に満ちたひとりの人間の生き様を描いているドラマとして見ることができたので、見終えた後に残る印象はどこか重厚な趣があって、満足できるものだった。


     
     ジェイミー・フォックス


 自分にとっての障壁を受け入れることができず、なにかで自分の気持ちをごまかそうとするのは、誰しも同じだ。だからこそ、葛藤に苦しみつつ生きてゆくレイに共感できるのだろう。
 ヘロインや女で気持ちをごまかしながらも、音楽に対して真摯であろうとする人間臭い姿勢には、やはり共感と感動を覚える。


 心の中の母と対話するレイが、自分の苦しみを母にさらけ出す場面には泣ける。
 亡き母がレイに教えたこと、それは前向きに、自分の力で生き抜いていくことにほかならない。
 レイの場合、盲目であることと、心に傷を抱えること、黒人であることが大きく彼の前に立ちはだかっている。しかし、母の強い教えが、のちに精神的などん底に落ちるレイを支えることになるのだ。
 そして、もしかするとそれは、映画を見たぼくをも支えてくれることになる言葉なのかもしれない、などと考えてしまった。


     
     ケリー・ワシントン(左)とジェイミー・フォックス


 ふんだんに演奏シーンがあるのは、やはりうれしい。
 とくに、ジャム・セッション風にインプロバイズする「What'd I Say」の演奏シーンでは、即興で音を作ってゆくことの面白さや戸惑いがよく感じられて、なんだか楽しかった。
 そしてジェイミー・フォックスの大熱演が素晴らしい。
 ジェイミーは3歳でピアノを始め、大学やジュリアード音楽院で音楽を学んだミュージシャンでもあるだけに、演奏シーンの迫力には圧倒される。
 それにも増しての演技力。レイ・チャールズ本人がジェイミーに「君はぼくの後継者だ」と絶賛したほどだ。
 残念ながらレイ・チャールズは、映画が公開された2004年の映画公開前の6月10日に、肝臓ガンのため73歳で亡くなっている。


 決してスターの華やかさにスポットを当てた作品ではない。でも、ひとりの人間の人生を通じて、生きていくことについて考えさせてくれる映画なんだと思う。


     
     レイ・チャールズ(左)とジェイミー・フォックス



◆レイ/Ray
  ■公開
    2004年
  ■製作国
    アメリカ
  ■監督
    テイラー・ハックフォード/Taylor Hackford
  ■音楽
    レイ・チャールズ/Ray Charles
    クレイグ・アームストロング/Craig Armstrong
  ■撮影
    パヴェル・エデルマン/Pawel Edelman
  ■出演
    ジェイミー・フォックス/Jamie Foxx (レイ・チャールズ)
    ケリー・ワシントン/Kerry Washington (テラ・ビー・ロビンソン)
    レジーナ・キング/Regina King (マージー・ヘンドリックス)
    クリフトン・パウエル/Clifton Powell (ジェフ・ブラウン)
    ボキーム・ウッドバイン/Bokeem Woodbine (ファットヘッド・ニューマン)
    ハリー・レニックス/Harry Lennix (ジョー・アダムス)
    アーンジャニュー・エリス/Aunjanue Ellis (メアリー・アン・フィッシャー)
    シャロン・ウォーレン/Sharon Warren(アレサ・ロビンソン=レイの母)
    カート・フラー/Kurt Fuller (サム・クラーク)
    デヴィッド・クラムホルツ/David Krumhpltz (ミルト・ショウ)
    カーティス・アームストロング/Curtis Armstrong (アーメット・アーティガン)
    リチャード・シフ/Richard Schiff (ジェリー・ウェクスラー)
    リック・ゴメス/Rick Gomez (トム・ダウド)
    ウェンデル・ピアース/Wendell Pierce (ウィルバー・ブラスフィールド=ローウェル・フルソン・バンドのマネージャー)
    クリス・トーマス・キング/Chris Thomas King (ローウェル・フルソン)
    ロバート・ウィズダム/Robert Wisdom (ジャック・ローダーデイル=スウィング・タイム・レコード社社長)
    テレンス・ダッシュオン・ハワード/Terrence Dashon Howard (ゴッシー・マッギー)
    デニース・ダウス/Denise Dowse (マーリーン・アンドレ=「ロッキング・チェア」のマダム)
    ワーウィック・デイヴィス/Warwick Davis (オベロン=「ロッキング・チェア」の司会者)
    ラレンズ・テイト/Larenz Tate (クインシー・ジョーンズ)
    パトリック・ボーショー/Patrick Bauchau (ハッカー医師)
    C. J. サンダース/C. D. Sanders (子供時代のレイ・チャールズ)
    ターロン・ベル/Terrone Bell (ジョージ・ロビンソン=レイの弟)   
  ■上映時間
    152分

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ウッドストック (Woodstock)

2005年08月13日 | 名盤

 
 ヒッピー文化などの1960年代カウンター・カルチャーの象徴、「ウッドストック・ミュージック&アート・フェスティヴァル」は、1969年8月15日(金)から18日(月)午前までの4日間、ニューヨーク州郊外のサリバン郡ベセルにある小高い丘で開催された。もともとは、ボブ・ディランなど多くの芸術家が住んでいた同州ウッドストックで行われる計画だったという。現在このコンサートが「ウッドストック」と呼称されているのはそのためである。


       
     『Woodstock』                 『Woodstock 2』 


 今では半ば伝説と化しているこのロック・フェスティヴァルの概要を少し記しておきます。
 ☆出演者は合計32組。
 ☆観衆は約30万人とも、40万人とも言われている。
 ☆料金は、3日間通しで18ドル。ただし聴衆の半数以上は入場料を払わなかった。フェスティヴァルが始まると金網を破壊して不法に入場する者が続出し、途中から事実上の無料コンサートになったためである。
 ☆会場は、マックス・ヤスガー氏所有の、600エーカーもある広大な農場。
 ☆期間中、死者3名、出産2件。病人は5000人。
 ☆暴力事件は報告されていないという。


     
     『Woodstock』(DVD)


 当時はベトナム戦争の真っ只中であり、反戦平和運動もまた激しさを増していた。また黒人の公民権運動や女性解放の機運も高まっていた。日本では学生運動や、赤軍派の活動が激しさを極めていた頃である。
 ちなみに、アポロ11号が月面着陸に成功したのはこの年の7月であった。


 そうした空気の中、「愛と平和と音楽の3日間」と銘打たれて行われたこのフェスティヴァルには、理想郷の形成を目指していた若者たちも多く集まっており、出演者と観衆が平和への願いを音楽に託して、ひとつになった3日間でもあった。


     
     ジミ・ヘンドリックス


 このフェスティヴァル、当初の予想をはるかに超える大観衆が集まったために、食料、医薬品、トイレなどが不足して、州知事から非常事態宣言が出されたり、また二日目の夜には激しい雨が降り続くなど、環境は劣悪だった。
 しかしトラブルによる警察の介入などはついに一件も起こらず、参加した人々は互いに助け合ってフェスティヴァルを無事に終了させたのだった。(ただしバック・ステージでは様々なトラブルがあったようだ)


 ぼくは中学生の頃、音楽的にとても早熟だった友人の家で「ウッドストック」のレコードに出会った。3枚組だった。その頃のぼくはサンタナとフーをほんの少し知っているくらいで、出演者の大半を知らなかった。ベトナム戦争の本質や、当時のムーヴメントの政治的な側面など、何をかいわんや、である。


 音楽的にも、技術的にも成熟していなかった頃の演奏で、非常にプリミティヴな部分もあったが、たしかに演奏は熱く、それは映像を見ても一種の感動を覚えるくらいだ。現在ではCDが2種類(ウッドストック パート1&2)と、DVDで、このフェスティヴァルの一部を堪能できる。


 まず素晴らしい、と感じたのはサンタナだった。とくにカルロス・サンタナのギター・ソロと、弱冠17歳のマイケル・シュリーヴのドラム・ソロには釘付けにさせられてしまった。(この時のサンタナはまだレコードも出していない無名の存在だったが、この時の熱演で一挙に名をあげた)


     
     サンタナ


 ザ・フーの演奏も印象に残っている。ピート・タウンゼントの、よくドライブするギターと暴力的なパフォーマンス、カリスマ的雰囲気を漂わせたロジャー・ダルトリーの熱唱には圧倒されたものだ。


     
     ザ・フー


 クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングの演奏する「木の舟」もよく聴いた。
 テン・イヤーズ・アフターを率いるアルヴィン・リーの早弾きも忘れ難い。彼の演奏を見て、「ギターを買う時はギブソンのセミアコ!」と決心したものだ。


     
     アルヴィン・リー(テン・イヤーズ・アフター)


 年を重ねるにつれ、無謀ではあったが理想に燃えていた熱い頃を思い返すと、えも言われぬ懐かしさがこみあげてくる。
 このCDやDVDからも似たような何かが感じ取れるのである。


     
     ジェファーソン・エアプレイン



【出演者】

<8月15日(金)>
リッチー・ヘヴンス/Richie Havens
スウィートウォーター/Sweetwater
バート・ソマー/Bert Sommer
ラヴィ・シャンカール/Ravi Shankar
メラニー/Melanie
アーロ・ガスリー/Arlo Guthrie 
ジョーン・バエズ/Joan Baez

<8月16日(土)>
ザ・クイル/The Quill
カントリー・ジョー・マクドナルド/Country Joe McDonald 
ジョン・セバスチャン/John Sebastian
サンタナ/Santana
キーフ・ハートリー・バンド/Keef Hartley  Band
インクレディブル・ストリング・バンド/The Incredible String Band
キャンド・ヒート/Canned Heat
マウンテン/Mountain
グレイトフル・デッド/Grateful Dead 
クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァル/Creedence Clearwater Revival 
ジャニス・ジョプリン/Janis Joplin
スライ&ザ・ファミリー・ストーン/Sly & The Family Stone
ザ・フー/The Who
ジェファーソン・エアプレイン/Jefferson Airplane

<8月17日(日)~8月18日(月)午前>
グリース・バンド/The Grease Band
ジョー・コッカー/Joe Cocker 
カントリー・ジョー & ザ・フィッシュ/Country Joe & The Fish 
テン・イヤーズ・アフター/Ten Years After
ザ・バンド/The Band
ブラッド・スウェット & ティアーズ/Blood Sweat & Tears 
ジョニー・ウィンター feat. エドガー・ウィンター/Johnny Winter feat.  Edgar Winter
クロスビー、スティルス & ナッシュ/Crosby,Stills,Nash & Young 
ポール・バターフィールド・ブルース・バンド/Paul Butterfield Blues Band 
シャ・ナ・ナ/Sha-Na-Na
ジミ・ヘンドリックス/Jimi Hendrix




     
         おまけ




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8 月

2005年08月12日 | 随想録

 沖縄戦、特攻、原爆、8月15日。
 毎年この時期は、人生とか、命とか、あるいは戦争や、自由について語られることが多い。
 また、近年の自衛隊の海外派兵、教科書問題、靖国問題、反日色を強めるアジア諸国などの問題を見聞きするたびに、得体のしれない不安を感じる人も多いのではないだろうか。


 人間にはさまざまな価値観があり、一方的にある特定の意見を否定することはできないとは思うが、それにしても、論理的にどうも妙だと思わざるを得ない考え方もまかり通っているような気もする。


 「日本だけが悪いわけじゃない」「何度謝罪すれば(中・韓は)気が済むのか」「日本はアジアを解放したという側面もある」「日本人なのになぜ日本のことを悪く言うのか」…
 

 日本以外にも暴虐を振るった国があるとしたら、日本のしたことは許されるのか?
 かつて日本人、日本政府の手によって戦争(犯罪)は裁かれたか?
 そもそも日本は侵略されたのか、侵略したのか?
 良いことをしていれば、良くないことの免罪符になり得るのか?その論理でいくと、ヒトラーやポル・ポトだって「良い一面」はあるわけだから…
 日本に批判的な意見をすべて肯定する必要はないと思う。正しく歴史を見ることと、必要以上に自国を悪く言うことは違うと思う。しかし、「できるだけ日本は悪くないことにしよう」という雰囲気に対しては、大きな疑問を持っている。


 一番不安になるのは、自分と違う意見(自分とって都合の悪い意見)だからという理由だけで、相手を徹底的に攻撃する風潮があることだ。
 今叫ばれているのが、「ある方向へ導くための」間違ったナショナリズムでないことを祈りたい。


 ぼくは、本質をきちんと見ることのできる人間でありたいだけなのだ。



<2020年追記>
上記の価値観は、この記事を書いて15年経っても変わっていません。
しかし「日本の暴虐」を非難する人たちが擁護している国が日本と同じことをしていても、その人たちはそれには目をつむって(口を閉ざして)いることについては甚だ疑問を抱いています。
歴史を紐解くと、日本を非難する国が他国を侵略したり、他国で残虐行為をはたらいていたりするのは珍しくない事実です。
平和や反戦を叫ぶことをどこかの国を貶めることに使う人たちこそが、世の中を平和とは反対の方向に導きたがっているんだと思います。
非難されるべきは特定の国でしょうか。
人間の尊厳を破壊するがゆえに戦争を二度と起こしてはならない、というのが平和運動・反戦運動のもともとの主旨だったのではないでしょうか。




 

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