ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

今日は平和の始まりの日でもある

2005年08月15日 | 随想録

 以前、鹿児島県の知覧に行ったことがあります。特攻隊の基地だった知覧飛行場です。


 展示されている遺書はすべて読みました。妹にあてて書かれたある手紙がもっとも印象に残っています。


 「私は出撃する。還ってくることは考えていない。しかし、私は日本の空の上からおまえ(註 妹のこと)をいつも見守っているよ」という内容でした。
 胸をうたれました。


 「お国のために」とか「鬼畜米英を粉砕」などの遺書が多数だと思っていましたが、そういうたぐいのものはまれでした。ほとんどが、自分が死ぬことで家族が守られると考え、愛する家族の幸せを願ったものでした。


 死んでいった特攻隊員たちはなにを考えていたのでしょう。
 みんな喜んで敵艦に体当たりしたのでしょうか。
 みんな、よく言われるように、積極的に志願したのでしょうか。

 
 戦争のおそろしいところのひとつに、「人間の尊厳の破壊」があります。
 特攻隊の考案自体がすでに戦争のもたらす狂気、つまり人間の尊厳を破壊しようとした行為なのではないのでしょうか。
 無理やり志願させられた例もある事実。
 機の故障でやむなく帰還した者を「卑怯者」呼ばわりし、「早く死んで来い」と罵倒した上官のいた事実。
 部下に特攻をかけさせ、士気を鼓舞していた(かのように見えた)司令官(もちろん将官です)が、自分だけさっさと安全な内地へ逃げ帰っていた事実。
 体当たりをしなくとも、(危険度は高いが)帰還の可能性がある攻撃方法があったにもかかわらず、体当たり攻撃を強制した事実。
 これらを命じた側の人間性も「破壊させられていた」のだと思います。
 また、上層部と実際に出撃した隊員との「意識」の違いも無視できません。


 特攻で出撃した人々は、決して愚かでもムダに死んでいったのでもありません。
 しかし、特攻隊員の死をムダにしないこととは何でしょう。
 あの戦争がもし正当なものだということにしようとするなら、死んでいった人々は納得するでしょうか。
 歴史から何が誤りだったかを学んで、平和を守ってゆくべきだと思うのですが…


 終戦記念日にあたって、思うところを書いてみました。
 あくまで一個人の考えです。


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コメント (6)
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