ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

2019年2月のライブ予定

2019年01月26日 | 演奏スケジュール
【Live Information】


 2月1日(金)
  岡山ピアノバー
 (岡山市北区野田屋町1-11-10 清水ビル3F tel 086-222-8162)
  ♪美淋つゆ子(piano)、皆木秀樹(bass)
  【料 金】1000円(飲食代別途)
  【演 奏】21:00~、22:00~ (2回ステージ)
   ※シットイン可


 2月7日(木)
  岡山ピアノバー
 (岡山市北区野田屋町1-11-10 清水ビル3F tel 086-222-8162)
  ♪MISA(piano)、皆木秀樹(bass)
  【料 金】1000円(飲食代別途)
  【演 奏】21:00~、22:00~ (2回ステージ)
   ※セッション可


 2月16日(土)
  倉敷 木庵
 (倉敷市川西町18-23 tel 086-421-9933)
  ♪小野ハンナ(piano)、皆木秀樹(bass)
  【料 金】飲食代のみ
  【演 奏】19:00~ (2回ステージ)


 2月19日(火)
  岡山ピアノバー
 (岡山市北区野田屋町1-11-10 清水ビル3F tel 086-222-8162)
  ♪古山修(guitar)、皆木秀樹(bass) ライブ&セッション
  【料 金】1000円(飲食代別途)
  【演 奏】21:00~、22:00~ (2回ステージ)
   ※セッション可


 2月23日(土) 昼 
  岡山
エブリイ津高店 (岡山市北区横井上83-3 tel 086-250-2010)
  ♪Okayama Hot Club Quartet[重松洋昭(violin)、河原功明(guitar)、安井亨(guitar)、美藤剛(guitar)]、いしやとしこ(vocal)、皆木秀樹(bass)
  【料 金】無料
  【演 奏】14:00~ (45分1回ステージ)
 
 
 2月23日(土) 夜 
  岡山 GROOVY
 (岡山市北区田町2-5-23 tel 086-221-7721)
  ♪山本博之(piano)、皆木秀樹(bass)
  【料 金】3000円(飲食代別途)
  【演 奏】20:00~ (2回ステージ)
   ※シットイン可


 2月27日(水) 
  倉敷 アヴェニュウ
 (倉敷市本町11-30 tel 086-424-8043) 
  ♪古山修(guitar)、新田佳三(drums)、皆木秀樹(bass)
  【料 金】1000円(飲食代別途)
  【演 奏】20:00~、21:00~、22:00~ (3回ステージ)
   ※シットイン可

 


 
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ネクタイを締めながら

2019年01月15日 | 随想録

【Live Information】

 よく晴れて清々しい日曜の朝。
 ふだん休日はいつも遅くまでダラダラ寝ているムスコが珍しく早くから起きて、髪型をいじくって、そればかりかさらに珍しくワイシャツまで着て、部屋から部屋へウロウロしている。
 
 
 つい一昨日
 「気分悪いの〜なんじゃお前のその態度は
 「何がよ
というやり取りがあったばかりで、そこからケンアクな雰囲気が続いていたのに、今朝は
 「『すべらない話』でアインシュタイン稲田がメッチャ面白かったよ」
と話しかけてきたりしたので、「今日なんかあるんか?」と聞いてみたら、成人式だという。
 
 
 そうか、ついに成人式か。
 「そういえば成人の日は、いまは1月15日じゃないんだな」思うと同時に、「なんや、そんなのなんも聞いてないわ」と一瞬拗ねかけたら、ムスコが「ネクタイこれでいいかなあ」と聞いてきた。
 見てみると、ちょっと長くて不恰好。
 結ぶポイントが合ってなかったので、長さがちょうど良くなるよう結び直してやった。
 
 
 前からだと左右逆に見えるので訳がわからなくなるから、背中から抱きつくような感じでネクタイを締めてやったんだけれど、締めながらなんとなく「自分は誰にネクタイの締め方を教わったかなあ」と考えていた。
 ぼくは早くから家を飛び出してしまったので、父からネクタイの締め方を教わる機会なんてなかった。もしかすると親父もぼくにネクタイの締め方を教えたかったのかもしれないなあ。
 そう思ったらきちんとネクタイを結んでやりたくなった。
 ネクタイピンもひとつやり、タイピンの位置も教えてやったら、ムスコは少し照れたように小さく「ありがと」って言った。
 
 
 日ごろのぼくはやりたい放題だけれど、こういう時は自分も人の親だったということを思い出してしまうなあ。
 きっとムスコは今夜は遅くなるんだろう。
 あ、小遣いをやるのを忘れた、、、
 けど正月にやったばかりやから、まあいいかw





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ラヴ・トゥ・ラヴ(Love To Love)

2019年01月13日 | 名曲

                                           ♪UFO『Lights Out(新たなる殺意)』


【Live Information】


 大音量とワイルドな演奏が売り物なのがハード・ロック・バンドです。しかしたいてい彼らは、美しいメロディのバラードをレパートリーの中に入れています。
 「チャイルド・イン・タイム」(ディープ・パープル)、「7月の朝」(ユーライア・ヒープ)、「キャリー」(ヨーロッパ)、「ドリーム・オン」(エアロスミス)、「トゥ・ビー・ウィズ・ユー」(ミスター・ビッグ)、「モア・ザン・ワーズ」(エクストリーム)などなど、いくつも思い返されます。
 1977年に発表されたUFOの「ラヴ・トゥ・ラヴ」も、ハード・ロック・バンドが作ったバラードの名曲のひとつです。





 UFOは、1969年に結成、1970年にデビューしたイギリスのバンドです。
 1973年にマイケル・シェンカーが迎え入れられ、それを契機にバンドの快進撃は始まりました。同時にシェンカーは新たなギター・ヒーローとして世界的な人気を得ることになります。
 しかしシェンカーは精神的に不安定だったため幾度も失踪を繰り返し、とうとう1978年11月にUFOを脱退してしまいました。(この後シェンカーは過酷なリハビリを行ってドラッグとアルコールによる中毒を克服します)
 この、シェンカーが在籍していた1973~78年が、UFOの最盛期と言っていいでしょう。
 「ラヴ・トゥ・ラヴ」はこの頃に書かれた、バラードの名曲です。


 シェンカーはソング・ライティングでも能力を発揮、UFO時代にはバンド・リーダーでボーカリストのフィル・モグとの共作で「ドクター・ドクター」「ロック・ボトム」「ディス・キッズ」などの佳曲を残しています。
 そして、この「ラヴ・トゥ・ラヴ」もシェンカーとモグによる共作です。



マイケル・シェンカー(左)とフィル・モグ


 「ラヴ・トゥ・ラヴ」は、1977年5月に発表されたUFO6枚目(シェンカー加入後4枚目)のアルバム「新たなる殺意」に収録されています。
 ストリングスを大胆に使ったアレンジは、バンドの新たな一面を開拓したとして高く評価されました。


 ほの暗いイントロです。
 雄叫びのようなシェンカーの、ルバートで奏でられるギター・ソロから始まります。
 ポール・レイモンドの弾くエレクトリック・ピアノに導かれるように、曲はイン・テンポでスタートします。8分の7拍子と8分の5拍子を組み合わせているところがユニークですね。
 テーマのメロディは甘く、そしてちょっぴり切ない。3拍子なのがよりクラシカルな雰囲気を醸し出しています。メロディの良さがモグの声質によくマッチしていると思います。
 シェンカーによる間奏のギター・ソロはどこまでもロマンティックですね。
 そしてエンディングに向かうシェンカーのソロは、一転して激しく咆哮します。歌詞の主人公が去っていった恋人を思って身もだえしているような、激しくも切ないソロです。

  
 ブリティッシュ・ハード・ロックの確立に大きく寄与したUFOは、今年(2019年)デビュー50年目(結成50周年)を迎えました。
 途中解散していた時期はありましたが、ハード・ロック界の第一線で活躍すること約半世紀(!)です。
 しかしリーダーのモグは、2019年の50周年記念ツアーをもってバンドから脱退することを明らかにしています。
 長い年月バンドと苦楽を共にしたモグの労と功績に拍手を送りたいと思います。



上段左から マイケル・シェンカー、フィル・モグ
下段左から アンディ・パーカー、ピート・ウェイ、ポール・レイモンド


[歌 詞]
[大 意]
もう何度もあった おれは戻れない
夜のバー、ギター、掘立小屋のように荒れ果てたモーテル
何を積まれようが そんなものおれは欲しくない
おれは失ったおまえをいますぐ取り戻したい
霞んだ緑色と青色
おまえを愛したい

一人前の男になっておまえを迎えに行きたい
どんなに愛しているかを 知らないなどとは言わないでくれ

滑稽さが半分で もう半分を悲しさが支配していたあの頃
月は西の空を昇ったり沈んだりするだけ
おれは失ったおまえをいますぐ取り戻したい
霞んだ緑色と青色
おまえを愛したい

一人前の男になっておまえを迎えに行きたい
おれは自分がどこに向かっているのかもわからない
精一杯努力した、今はおまえがここにいて欲しい



ラヴ・トゥ・ラヴ(Love To Love)
■発表
  1977年5月
■作詞・作曲
  マイケル・シェンカー/Michael Schenker & フィル・モグ/Phil Mogg
■プロデュース
  ロン・ネヴィソン/Ron Nevison
■収録アルバム
  新たなる殺意/Lights Out(1977年)
■録音メンバー
  フィル・モグ/Phil Mogg(vocal)
  マイケル・シェンカー/Michael Schenker(guitar)
  ポール・レイモンド/Paul Raymond(guitar,keyboard)
  ピート・ウェイ/Pete Way(bass)
  アンディ・パーカー/Andy Parker(drums)


UFO『Love To Love』


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ディープ・パープル(第1期 1968~1969)

2019年01月03日 | ミュージシャン
【Live Information】


【ディープ・パープル(Deep Purple) 1968~1969】
  ロッド・エヴァンス(Rod Evans:vocal)
  ジョン・ロード(Jon Lord:keyboard)
  リッチー・ブラックモア(Ritchie Blackmore:guitar)
  ニック・シンパー(Nick Simper:bass)
  イアン・ペイス(Ian Paice:drums)


 ディープ・パープル。
 いまではハード・ロックの代名詞ともなっているこの偉大なバンドは、イアン・ギラン、リッチー・ブラックモア、ジョン・ロード、デヴィッド・カヴァーデイルら多くのロック・ヒーローを輩出しています。レッド・ツェッペリンと並ぶ、ハード・ロックのパイオニアと言ってもいいでしょう。
 ぼくがディープ・パープルを聴き始めたのは中学時代。すでにバンドは解散した後だったと思います。
 当時のパープルのイメージは、やはり「凄腕のメンバーがそろっているハード・ロックのトップ・バンド」でした。
 とくにギターのリッチー・ブラックモアに対しては、少なくともぼくの周りは「驚嘆」や「憧れ」を通り越して、もはや「尊敬」の念を込めた眼差しを送っていたように記憶しています。


 「スモーク・オン・ザ・ウォーター」「紫の炎」「ブラック・ナイト」「チャイルド・イン・タイム」「レイジー」など、いまやロック・クラシックスとなった数々の名曲に加え、いわゆる第2期~第3期(1969~1975)に在籍したメンバーすべてがスター・ミュージシャンといってもいい存在感を誇っていました。
 ところがパープルの第1期について語られることがほぼないのに気づいたぼくは、次第に第1期パープルに対する興味を強めてゆきます。そして、1969年までにリリースされた3枚のアルバムからピック・アップした2枚組オムニバス・アルバム「紫の軌跡(Purple Passages)」を買ってみたんです。
 


「紫の軌跡(Purple Passages)」 1972年 
 アメリカ(ビルボード)57位


 これがとても良かった。
 ハード・ロックを指向した第2期以降とは明らかに異質のサウンドでしたが、1960年代後半のロック界の新鮮な空気をたっぷり感じることができたからです。
 粗削りですが、新しい時代の形成に伴って押し寄せてくる大きな波、あるいは逆らうことのできない瑞々しくも強いエネルギーが満載だった、と言うとおおげさでしょうか。
 のちのハードなサウンドの片鱗はそこかしこに見えますが、オルガンの醸し出す雰囲気がかなり重要であるところが第2期と大きく異なるところです。
 リッチーの使用ギターがストラトキャスターではなく、ギブソン社のセミ・アコースティックギターES-335であることもサウンド面での大きな違いのひとつでしょう。やや乾いた感じのトーンから繰り出すフレーズの数々からは生々しい人間味が感じられます。自分としてはとても好みな、いわが「血の通ったギター」なんです。





 当時のロック界は「ニュー・ロック」とか「アート・ロック」と呼ばれていた新たな波に席捲されていました。
 ジミ・ヘンドリックスやヴァニラ・ファッジ、アイアン・バタフライ、フランク・ザッパ、テン・イヤーズ・アフターなど多種多様なバンドが生まれ、独自の音楽を追求していましたが、パープルもそのうちのひとつと見られていました。とくに、同じくオルガンを重要性を特徴とするヴァニラ・ファッジとはライバル視されていたようです。

 

「ハッシュ(Shades of Deep Purple)」 1968年 
 アメリカ(ビルボード)24位 (発売当初の邦題は「紫の世界」)


 パープルのサウンドの源は(当時主流だった)ブルースよりも、クラシックやトラディショナル・フォークなどからの影響が大きいように思います。
 そのうえオルガン特有の音色をうまく使い、幻想的でサイケデリックな香りをもたたえていました。
 当時のボーカリストであるロッド・エヴァンスの甘みと深みのバランスが絶妙な声質は、陰影に富んでいた当時のパープル・サウンドにはまことにぴったりマッチしていると思うのです。




「詩人タリエシンの世界(The Book of Taliesyn)」 1968年 
 アメリカ(ビルボード)38位 (発売当初の邦題は「ディープ・パープルの華麗なる世界」)



 サイケデリックなイントロから鮮やかなオルガン・サウンドを主体として豪快に押しまくる「アンド・ジ・アドレス」、ボレロ風のパートを加えてヘヴィーに、かつドラマティックに迫る「ヘイ・ジョー」、オルガンのクラシカルな響きとブルース・フィーリング、そしてハード・ロックのエッセンスを融合させた「ハード・ロード」「何故ローズマリーは」、ロックンロールの醍醐味が味わえるエネルギッシュな「ハッシュ」「ケンタッキー・ウーマン」、クラシックの要素を大胆に取り込んだ「4月の協奏曲」、アフロ・ビートが独特の雰囲気を醸し出す「影を追って」、ポップな作風の中にサイケデリックな雰囲気を湛える「ワンモアレイニーデイ」「エマレッタ」など、この頃のパープルも名曲を数多く世に送り出しています。
 クリームの「アイム・ソー・プラウド」、ビートルズの「ヘルプ」「恋を抱きしめよう」などを独特なほの暗さでアレンジしているところも聴きものです。



「ディープ・パープルⅢ(Deep Purple)」 1969年 
 アメリカ(ビルボード)162位 (発売当初の邦題は「素晴らしきアート・ロックの世界」)


 「ラヴ・ポ-ションNo.9」などのヒットで知られる「サーチャーズ」のクリス・カーティス(drums, vocal)が組んだバンド「ラウンドアバウト」がディープ・パープルの前身です。
 カーティスが失踪したため、ふたりのマネージャー(トニー・エドワーズとジョン・コレッタ)と、メンバーだったジョン・ロード、リッチー・ブラックモアの4人が改めて集まり、ロッド・エヴァンス(ex. The Maze)、ニック・シンパー(ex. The Garden)、イアン・ペイス(ex. The Maze)をバンドに加え、1968年3月にバンド名を「ディープ・パープル」と改めたのです。
 




 1968年6月、ディープ・パープルはファースト・アルバムに収録していた「ハッシュ」をシングル・カットしました。「ハッシュ」は同年9月にビルボード4位のヒットを記録、これ以降彼らはニュー・ロックのホープとして活動することになります。
 バンドはジョン・ロードの影響でクラシカルな路線を進み、地道に成果を上げるのですが、次第にリッチー・ブラックモアが主導権を握るようになったため、ハード・ロック指向を強めてゆきました。
 その結果、ボーカリストがエヴァンスからイアン・ギランに、ベーシストがシンパーからロジャー・グローヴァーに交替し、ディープ・パープルは黄金の第2期に入ってゆくわけです。
 


左から ジョン・ロード、ニック・シンパー、ロッド・エヴァンス、イアン・ペイス、リッチー・ブラックモア


 ディープ・パープルは1976年にいったん解散しますが、再結成した1984年から現在にいたるまで活動を続けています。
 デビューから50年が経ったわけですが、第1期はそのうちのわずか2年。
 しかし、ぼくの中では強烈な印象が刻まれたままなのです。



 
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2台の鍵盤

2019年01月02日 | 自分のライブで
【Live Information】


 昨年は、12月24日の夜にデュオ編成での演奏の機会をいただきました。
 3連休の最後、しかもクリスマス・イブという、特別感のある日だったので、思い切って鍵盤2台で演奏してみました。
 少し豪華で、少し華やかな音を出したかったんです。
 セット・リストも、どうしてもアドリブ中心となりがちなジャズにこだわることなく、メロディがきれいな、自分の弾いてみたい曲を中心に選びました。もちろんぼくはアップ・テンポの曲は弾けません(^^;)ので、そういう意味でも(笑)バラード中心の選曲になりましたが。





 キーボード奏者として共演していただいたのは、ピアニスト、作曲家などのほか、FM局のパーソナリティーやケーブルTVのリポーターなども務める地元のタレント、朝田恵利さんです。
 ちなみに、朝田さんは高校の1年先輩であることが最近判明しました。※十年前、校内ですれ違ったこともあるかもしれません。共通の知人(朝田さんにとっては同級生、ぼくにとっては1年先輩)も何人もいることがわかって、ちょっとばかりテンションもあがります。





 ぼくがグランド・ピアノ、朝田さんはキーボードと鍵盤ハーモニカを使っての、鍵盤2台でのデュオです。朝田さんにはオルガンやストリングスなど数種類の音色で曲に表情をつけてもらいました。
 




 クリスマス・ソングはもちろん、「アメイジング・グレイス」や「アヴェ・マリア(グノー)」のほか、「きよしこの夜」といま話題の「ボヘミアン・ラプソディ」のハード・ロック・パートよりあとの部分のメドレーや、中島みゆきさんの曲などを演奏しました。
 「ムーン・リバー~フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン~ブルー・ムーン~三日月」の「月メドレー」をアレンジしてみたのも楽しかったし、かつてのボスである有末佳弘さんがよく演奏していた「愛情物語」にも挑戦してみました。 
 一度でいいから弾いてみたかった「いとしのレイラ」の後半部分も弾くことができて、大満足です。
 いやもう自分が一番楽しんでいたと思いますね。
 
 



 雰囲気も、自画自賛ではありますが、とても良かったと自負しています。
 また機会があったらこのフォーマットでやってみたいな~





 3日前と当日昼間にリハーサルを行ったんですが、このリハがこれまた密度が濃くていい感じだったんだな~(^^)
 


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明けましておめでとうございます

2019年01月01日 | Weblog~雑記
【Live Information】


明けましておめでとうございます


 「平成」の最後の年になりました。
 

 ここ数年、毎年思っていることですが、
 相変わらずやりたいことだけやり、
 自分で自分のことを大切にし、
 日々楽しく生きてゆきたいです。


 今年は、「許すこと」を大きなテーマにします。  
 そして、もっと良い音で音楽を奏でられるようになります。


 年の始めにあたって、もっと華々しく目標を掲げようとも思うのですが、今年はシンプルに。(^^)


 今年もどうぞよろしくお願いいたします。



                                                                    
 2019年1月1日


 



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