ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

マイ・ウェイ(My Way)

2011年06月09日 | 名曲

【Live Information】 


 5月と10月の気候が一年で最も好きです。暑くもなく、寒くもなく、食欲は出るし、景色はいつにも増して美しい。
 でも、気づけばあっという間に空気はジメジメ。。。少し動けばじっとり汗ばむ季節になりました。


 のっけからこんな話題で申し訳ありませんが、ここ何年か、毎年ひとりは知人を亡くしています。それも同世代か、近い世代の方々ばかり。こういうお別れは、言葉にするまでもなく、ただただつらいです。そんな気持ちを何度も繰り返し味わうと、「人間いつ最期を迎えるか分からない」という気持ちになってしまいます。いや、自暴自棄になっているのではなく、「だからこそ最期の時がいつやって来てもよいよう、準備をしておかなくては」ということなんですね。気がつけば、自分の人生も折り返し点を過ぎていますからね。
 「最期を迎える準備」、ぼくにとってそれは、「残された時間を濃密に悔いなく過ごす」ことでしょうか。やり残したことの多さで心を煩わせるのではなく、最期の時に「やり残したことはあるが、少なくとも今日この時までは全力を出し尽くせた」という、満足感を味わいたいのです。


 フランク・シナトラの名唱でいつまでも音楽史に残るであろう名曲「マイ・ウェイ」の歌詞がスムースに心に響くようになったのは、「自分の最期」について考えるようになったことと無関係ではないような気がします。
 「マイ・ウェイ」の歌詞は、死期が迫ったある男性が、自分の半生を振り返るという状況のもとに語られています。男性は自分の人生で起こったすべての苦難に立ち向かって行ったことについて後悔せず、むしろ自信を持っているようです。


 この曲を知ったのは高校生くらいだったかな。とにかくメロディーが好きで、カセット・テープ(懐かしい)に伴奏してもらってよく熱唱したものです。
 20代の頃、夜遊びに行ってカラオケになると、ほとんど必ず「マイ・ウェイ」を歌っていたような記憶があります。でも当時、「カラオケで嫌われる歌No.1」がこの「マイ・ウェイ」だったんですね。理由は、たぶん、おおげさな編曲・歌うのは陶酔した暑苦しいオジサン達、などということだったんではないでしょうか。その中で、「人生の重み」のカケラも分からない小僧っこ(注:ワタクシです…汗)がこの歌を朗々と歌う姿がどんなだったか、いま思い返すと顔から火が出ますね~~(^^;)


 ただ、あの当時は、歌詞にはたいして興味も思い入れもありませんでした。しかし、この年になってきちんと歌詞を読んでみると、「ひとりの人間の生きざまの重み」がくっきりと浮かび上がってくるような気がします。逆に言うと、ようやく歌詞の内容が心に染み渡る年頃になった、ってことでしょうか。


 「マイ・ウェイ」は、フランスのジャック・ルヴォーとクロード・フランソワが作曲したシャンソン「Comme d'habitude(コム ダビチュード…作詞:クロード・フランソワ&ジル・ティボ)」が原曲です。この曲に、「ダイアナ」の大ヒットで有名なアメリカのミュージシャン、ポール・アンカが英語詞をつけて、シナトラに捧げたと言われています。


 原曲では男女の愛と別れを描いていますが、ポール・アンカ版の歌詞の内容は原曲とは無関係で、波乱万丈の人生を生き抜いてきた一人の男の回想というか、精一杯過ごしてきた彼の生き様に対する達成感のようなものが織り込まれています。そういう時の男って、きっと満ち足りた、何かを悟った顔をしているんでしょうね。


 出だしは淡々としていますが、メリハリのついたアレンジがメロディーの良さを引き立てています。フランキーの深みのある声が実に良いですね~。貫禄充分です。渋さ、力強さ、気持ちの込め方、表現力、どれを取っても文句なしです。さすがは"ザ・ヴォイス"、アメリカのポピュラー音楽界の代名詞にもあげられるだけあります。
 エンディングの盛り上がり方は、「これぞアメリカン・ポピュラー・ソング」といった感じですね。悪く言えばおおげさ、良く言えばダイナミック。どちらにしても、盛り上げ方の見本のような、聴かせどころを突いてくる、見事なアレンジですね。アメリカのショウ・ビズ界のエッセンスが詰まっている、とでも言ったらいいのかな。


 この「マイ・ウェイ」、とても多くのシンガーがカヴァーしていることでも有名です。とくにロックンロールの帝王であるエルヴィス・プレスリーによるカヴァーも秀逸で、エルヴィスが愛着を持って亡くなる前まで歌っていたのはつとに知られています。
 「マイ・ウェイ」は、史上最も多くカヴァーされた曲だと言われています。


 近頃、「縁」というものをしみじみ感じます。
 血縁関係にある子の担任が中学時代の同級生で、※※年ぶりに顔を合わせたと思ったら、先日は、とあるピアニストさんからの「一度お会いしたいと言っているドラマーさんがおられるのでお茶でも…」とのお誘いで行った先に、これまた※※年ぶりにお目にかかった同級生が!そのうえ、ある同じお店に出ているミュージシャンさんが、偶然にも青春時代の想い出の人(もちろん※※年会っていません)の姪ごさんだったり…
 縁が切れていなかったのかも知れないし、もしかしたら最後の瞬間が刻一刻と近づいているので(^^;)、神様が引き合わせて下さっているのかも知れません。こういう偶然の再会って、なにごとかを暗示しているのでしょうか。これがどういう意味を持つにせよ、後悔のない、全力を出し尽くす日々を送りたいものです。そして、今はの際に、フランキーの歌ような心境にたどり着けたら、と思っています。


 とりあえず、行きたいところには行き、会いたい人には会い、やりたい曲は躊躇わずチャレンジし続けたい。そして、満足して最期(決して"楽に逝く"という意味ではありません)の時をを迎えたいと思っています(^^)

 

[歌 詞]
[大 意]
そして今、最後の時が近づき
人生の終幕に直面している
友よ、これだけははっきりと言える
確信をもって私は波乱の人生を送ってきた
あちこちの旅路でいろんな困難があった
しかしそれ以上に私は生き抜いてきた 
自分の信ずるままに


後悔も少しはあった
しかし、取り立てて言うほどの人生だったわけではない
やるべきことはやってきたし、やり通してきた
全て慎重に道に沿って設計し
たまにそれる脇道も注意深く進むようにしてきたんだ
しかしそれ以上に私は生き抜いてきた 
自分の信ずるままに


たしかに君が知っているように
自分がこなせる以上のものを抱え込んだときもあった
しかし疑問に思ったときは
立ち止まり、引き返した
私は全てに堂々と立ち向かった 自分の信ずるままに


わたしは愛し、笑い、泣きもした
満つる喜びも失うことの悔しさも知ってきた
そして今、涙がかわくにつれ
わたしは何もかもが楽しかったと気づいた
私のしてきたことを考えると
私は恥ずかしいやり方はしていないと言える
いや、私は違うのだ 自分の信ずるままに


人はその人なりに得たものがある
自分を偽る者は
自分の本当の気持ちも祈りの言葉も口にできないのだ
記録は私が戦ってきたことを示している 
自分の信ずるままに


そう、自分の信ずるままに





フランク・シナトラ「My Way」


マイ・ウェイ/My way
 ■英語詞…ポール・アンカ/Paul Anka  作曲…クロード・フランソワ & ジャック・ルヴォー/Claude François & Jacques Revaux
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 ■歌
   フランク・シナトラ/Frank Sinatra
 ■シングル・リリース
   1969年
 ■プロデュース
   ソニー・バーク/Sonny Burke
 ■収録アルバム
   マイ・ウェイ/My Way
 ■チャート最高位
   1969年週間チャート アメリカ(ビルボード)27位 イギリス5位
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 ■歌
   エルヴィス・プレスリー/Elvis Presley
 ■シングル・リリース
   1977年10月3日
 ■収録アルバム
   Elvis in Concert
 ■チャート最高位
   1977年週間チャート アメリカ(ビルボード)22位 イギリス9位



コメント (9)
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