この映画は、医学生エルネストと生化学生アルベルトのふたりの青年が1952年に敢行した南米縦断の旅を綴ったロードムービーであり、またバディ・ムービーとして観ることもできる。
しかし、エルネストがのちの革命家チェ・ゲバラであることを知ったうえでこの作品を観ると、鑑賞後の感想は違ったものになるだろう。
ポデローサ(怪力)号と名付けたバイクに乗って旅するふたり。
アルゼンチンからチリ、ペルー、ベネズエラへと、1万キロ以上、6ヶ月にも及ぶ長旅である。
しかし途中バイクは壊れてしまい、以後徒歩とヒッチハイクで旅を続ける。
ないないづくしの乏しい旅だが、旅しながら出会う市井の人々や、経験したさまざまなことによって、エルネストの内部が徐々に変化してゆく。
共産主義であるため、警察に追われながら職を求めて旅する夫婦との出会い。
生活苦を訴える現地人との会話。
ハンセン病療養施設での患者とのふれあいの日々など。
療養施設でのお別れパーティーの席での、エルネストの「南米はひとつの混血国家なのです」というスピーチこそが、エルネストの中の変化を物語っている。
この旅は、エルネストの思想・哲学がよりはっきり形作られることになった貴重なものだったと言えるだろう。
派手なアクション・シーンは出てこないが、無駄な力を込めずに描かれる南米の現状は、物語を見ているぼくらにも問題を提起している。
とても美しく撮られているアマゾン、アンデスなど南米大陸の壮大な自然や、そこに住む人々の生活の臭いが感じられる素晴らしい映像にも引き込まれる。
エルネスト・“チェ”・ゲバラ・デ・ラ・セルナは、のちにフィデル・カストロとともにキューバ革命を成し遂げる。
その後は南米各地の革命にゲリラとして参加したが、最後はボリビアで射殺された。
この映画は、チェ・ゲバラによって書かれた旅行記「チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行記」をもとに作られたものである。
なお映画の最後にアルベルト本人が少しだけ登場しているが、このアルベルトを演じたロドリゴ・デ・ラ・セルナは、ゲバラのまた従兄弟にあたるそうである。
◆モーターサイクル・ダイアリーズ/The Motorcycle Diaries
■製作国
アルゼンチン、アメリカ、チリ、ペルー、イギリス、ドイツ、フランス合作
■公開
2004年
■製作総指揮
ロバート・レッドフォード、ポール・ウェブスター、レベッカ・イェルダム
■監督
ウォルター・サレス
■音楽
グスターボ・サンタオラヤ
■出演
ガエル・ガルシア・ベルナル(エルネスト・ゲバラ)
ロドリゴ・デ・ラ・セルナ(アルベルト・グラナード)
ミア・マエストロ(チチーナ・フェレイラ)
■上映時間
127分
「そうですか、そうかもしれませんね」としか返事のできないぼく。
ここで、「そんなことないですよ」と力説しても、「難しい」と思い込んでいる人や、「難しいこと」を理由にジャズを否定しようとしている人の価値観を覆すことはできません。その人たちは、「難しくてつまらない」ことを前提に話をしようとしているのですから。
ヘタに「そんなことないですよ」と言っても、話は平行線をたどるばかり、最後には気まずさしか残らない、ってことにもなりかねませんからね。
ロックにだって単純なものから難解なものまであるし、それはジャズやクラシックだって同じです。
本当に難解な、前衛的なものは別としても、ジャズ、あるいはクラシックって、「難しい」とか「つまらない」ことを理由に敬遠されることが多いようです。でも、果たしてそうなんでしょうか。
たいていの人が最初に読む本は絵本だと思います。絵本は、字が少なく、挿絵がふんだんにありますね。もちろん読むのも簡単です。そして自分が成長するにつれ、手にする本に書かれている文字の数は次第に増え、挿絵の量が減り、ページ数も増えていきます。
読書が好きな人、本をよく読む人は、文章や内容が難しくなっていっても読みこなす反面、あまり本に親しまない人は、比較的易しい本でも「難しい」と感じることもあるでしょう。このように、読む本の難易度は、人によって違ってゆきます。もちろん、「難しいこと」が悪いことだとは、一概には言えないと思います。
音楽もこれと似ているんじゃないか、とぼくは思うのです。
いろんな音楽を吸収したい人は、多少難しそうに思えても、積極的にさまざまな音楽に親しもうとします。それだけアンテナが敏感だ、とも言えるでしょうね。こういう人はしぜん、「耳が肥えた」状態になっていくわけです。これはまさに、読書欲が旺盛な人がだんだん難しい本を読みこなしていくのと同じだと思うのです。
例えば、アイドルが歌うポップスしか興味のない人は、耳が、つまり自分の中の音楽に親しむ心が、それ以上に育たないだけだと思うのです。(それが悪い、という訳ではありません、念のため)
ぼくがガッカリするのは、深く聴いてもいない人が、深く聴いてもいない音楽に対して、自分の狭い価値観で否定することに対して、なんです。
音楽に対して自分の狭い価値観だけでしか接することのできない人は、音楽以外のことに対しても狭い視野でしか見ることができないのでしょうけれど。
もちろんそれぞれの「好み」はあります。これは、また別の問題です。
音楽(に限らず、どの分野でも)を感じる心は自分の中にあります。それは、最初から大きなものではないかもしれないけれど、自分次第でどのようにも成長するのではないでしょうか。
「音楽する心は育つもの」だと思っています。
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♪今日買った中の1枚。マイルス・デイヴィス「キリマンジャロの娘」。
今日は気晴らしに街をブラついてきました。
商店街を歩いていると、さすがに年の瀬の慌しい雰囲気をヒシヒシと感じます。
みんなそれぞれ買い物袋や荷物をたくさん持ち、心なしか早足で歩いているのを見ると、「年越しが迫ってる」って感じがします。
コートやジャンパーで着膨れした親子を見て、「ああ、大雪ダルマと小雪ダルマだなぁ~」などと思いつつ、気ままに歩いておりました。何を買うかとくに決めていたわけでもなかったのですが、本屋さんとCDショップを覗くのはもう当たり前みたいなもんですから、ふと目についたCDショップに入ってみました。
まだ開店して数年の小さなお店です。しかし、こういう所で思わぬ掘り出し物を見つけることができる気がするものです。
嬉しいことに、1970~80年代のロックのCDが結構目につきます。
たいていのお店は、やはり90年代以降のCDを主に扱っていますよね。そういうお店では、80年代以前の物が陳列棚を占める割合は自然低くなっています。
だから今日、80年代以前のCDをいろいろと手に取って見ることができただけで、結構満足した気分を味わいました。
キング・クリムゾンとか、プロコル・ハルムなどにチラチラ視線を走らせながら、じわじわジャズのコーナーへと移ります。
最近、マイルス・デイヴィスに関する本を読んだばかりなので、マイルスを無性に聴きたいと思ってたんです。
ありましたありました、マイルスのCD。しかも、ぼくが持っていないものばかり。
さあ、欲しくてすでに気持ちはムズムズしてます。でもね、財布の中身とも相談しなければなりません。さてどうしたものか。
ここで思い出すのが、ぼくが関西方面でいつもお世話になっているピアニストA氏の言葉です。
「ミュージシャンやったら、自分のためになるモンはどないしてでも手に入れるもんや。おカネがなかったら盗むぐらいの気持ちがないとアカンで~」・・・。
「盗む」というのは、まあ、アレですが、言ってる意味はよーく分かります。
そして、「お店で欲しいCDを見つけたら、その時に迷わず買うべし。『また今度買おう』と思っても、二度と巡り合えないことが多い」という言葉まで思い出しました。この言葉、結構当たっているんです。
ハイ、もう悩むのをやめました。「決~めたっと、買おう!」と思うと同時に財布を取り出します。
そういう訳で、CD5枚(うちマイルス・デイヴィスは3枚)という、今年最後の衝動買いをしたのでありました。。
「今年最後」になるかな、果たして・・・
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シカゴは、ビートルズと並ぶ、ぼくのお気に入りグループです。
A.O.R.路線、というか、オトナのポップ・ロック・グループとしてのシカゴも悪くはないのですが、ぼくが一貫して最も好きなのは、「ブラス・ロック・グループ」と言われていた頃のシカゴです。
アルバムで言うと、デビュー作からサード・アルバムにかけて、くらい。
高校生の頃、町の図書館に併設されていたミュージック・ライブラリーで、「栄光のシカゴ」という、日本編集のベスト・アルバムを聴いたのがシカゴとの出会いでした。
当時、すでにベテラン・バンドだったシカゴでしたが、ぼくはそれまで聴いたことがなかったので、興味本位でなんとなく聴いてみたのです。
『栄光のシカゴ』
「栄光のシカゴ」は、デビュー作から3作目までの代表曲をピック・アップしたアルバムです。
荒々しく迫ってくるブラス・セクションがとてもカッコ良く感じられました。
単なる伴奏ではなく、ブラスそのものを生かそうという意識がはっきりしているので、サウンド全体におけるブラス・セクションの比重は非常に大きいものになっています。
ブルージーでワイルドなギター、よくドライヴするベース、ジャジーでテクニカルなドラムスもとても好きです。
気に入ったらとことんまで聴き倒すぼくです。「栄光のシカゴ」、すぐ買いに行きました。
当時かなり売れたんでしょうね、中古レコード店にも在庫が何枚かあったのですぐ手に入れて、毎日のように聴き入っておりました。
このグループの、あのロゴも好きでしたね~
ジーンズ・ショップで買った真っ白なTシャツに、自分でシカゴのロゴを書いたりしました。
プリントなんて、どうやっていいか分からなかったですからね。ショップの店員さんに尋ねると、「油性サインペンで大丈夫」だと言うので、自分で書いたんです。結構自分でも気に入ったものができましたよ。
『シカゴの軌跡』(1969年)
『シカゴと23の誓い』(1970年)
『シカゴⅢ』(1971年)
政治的な発言も積極的に行っている社会派グループであるというのはよく知られています。しかし当時のぼくは、それがどういうことか分かるのには、まだまだ子供でした。
それにしても、今や、当時のシカゴのような、ゴリゴリの「ブラス・ロック」、見かけなくなったなぁ・・・。
そんなバンド、また出てこないかな。
ファンク系ではブラス・セクション入りのバンドは普通に見かけるんですけれど。
いっそのこと自分がボスになってグループを作っちゃおうかな・・・
♪ブラック・マヨネーズ
結構、毎年楽しみにしているM-1グランプリ。
個人的には「笑い飯」がとても好きなので、
応援していたのですが、今年は惜しくも2位。
今回も、もっさオモロかったのにね。
しかも1票差。。。
「笑い飯」
これで、
「『笑い飯』っていつもあと一歩やな」ってイメージが
自分の中に植えつけられてしまったかもしれんな~
期待していた南海キャンディーズも
早々に圏外に落ちちゃった。
優勝は「ブラック・マヨネーズ」でしたね~
久しぶりに見たけれど、すごくパワーアップしてて、
笑いころげて見てました
視聴者も1~3位までの順位予想にメールで挑戦でき、
しかも的中者には100万円、というので、
ぼくも目の色を変えて(笑)予想に参加してみました。
1位…ブラック・マヨネーズ
2位…笑い飯
3位…南海キャンディーズ
おおおおっっっ!
3位以外は的中しているじゃないかぁぁぁ~
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♪クリスマス・プレゼントがわりに「ホワイト・クリスマス」を弾かせて頂きます。音が出ている、と思い込んでくださいね 笑
ブログを始めて早や7ヶ月。
自分の思うことを自分自身の文章で表現するということで、
世界が広がったような気がします。
何を書いても構わないと思っているのですが、
だからこそ自分の主義主張を発表する場合、
書いた内容には責任を持っていたいな、と改めて思います。
交流して下さる方もだんだんと増え、
温かいコメント、嬉しいコメントを頂くこともしばしばです。
これはぼくの考え方なのですが、
「文字だけの世界」とは言っても、
その文字の向こう(書き手)には人格が存在しているのですから、
その文章には書き手の人格が現れているのではなかろうか、と思うのです。
だからこそ、書き方ひとつ、読み方ひとつで
自分自身を伝えることができるのではないでしょうか。
行間には、自分の本質が現れていると思います。
例えば、もし自分の中身が空っぽならば、
いくら美辞麗句を並べ立てても、
読んでいる人には「空っぽな自分」が見えているのでしょうね。
逆に、ぼくの方から見ていると、
文字以上の温かみを文章から感じる場合も多いです。
書き手の人柄の良さが感じられる文章です。
そういう「ぬくもりを感じる」コメントや文章に接するというのは、
ブログを始めた時には予想もしなかった「喜び」です。
自分の拙いブログが半年以上も続いた理由のひとつは、
読んで下さる方々の後押しもあると思っている今日この頃です。
温かいコメントの数々で嬉しい気持ちにさせて貰ったこと、たくさんありました。
今年の終わりを控えて、そんなことを考え、
このブログを訪れて下さっている方々に
ちょっとお礼を言いたくなりました。
皆様、本当にありがとうございました。
来年も引き続き、よろしくお願いします
いや~、ヒネクレ者のぼくがこんなことを素直に思えるのは、「聖夜」だからなんでしょうかね、へへへ。
あ、ブログは、年末までまだまだ頑張って、いろいろ書いてみるつもりでーす。
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この作品のファンって、物凄く多いと思うので、記事に取り上げるのも「今さら」という感がなきにしもあらず、ですが。。。
「ゴスペル」や「アカペラ」のブームに火を点けただけあって、この映画、理屈抜きに楽しい!
「聖職者」と「ヤクザの情婦兼三流シンガー」の意外な組み合わせで、しかもストーリーは単純明快なのがいいですね。
ウーピー・ゴールドバーグのコミカルな味が思いっきり楽しめます。
ウーピー・ゴールドバーグ(左)とハーヴェイ・カイテル(右)
ビル・ナン(左)とウーピー・ゴールドバーグ(中)
ストーリーの面白さはもちろんですが、やっぱり聖歌隊のシーンには圧倒されますね~
あれだけひどかった聖歌隊が、ウーピーが加わわっただけで素晴らしく上達するくだり、そこだけでも気持ちがユカイになります。
それに、アレンジといい、選曲といい、観ているこちらがちゃんと「ノレる」ものを見せて、聴かせてくれますね。
左から キャシー・ナジミー、ウーピー・ゴールドバーグ、ウェンディ・マッケナ
劇中歌は「ヘイル・ホーリー・クイーン」、「マイ・ガイ」、「アイ・ウィル・フォロウ・ヒム」など。
メドレーっぽくアレンジした「ヘイル・ホーリー・クイーン」で、教会のアシスタントの少年がノッてきた様子や、街の不良が歌声に惹かれて教会を覗くところなんか、キュンキュンしてしまいます。
フィナーレの「アイ・ウィル・フォロウ・ヒム」の、なんてカッコいいこと!歌い終わってからのローマ教皇のスタンディング・オベーションがチャーミング!
ちなみにこの曲は、1963年にリトル・ペギー・マーチが歌ってビルボード1位の大ヒットを記録しています。
ウーピーのパワフルな歌、小気味良いな~。
そして、ウェンディ・マッケナの歌いっぷり(ただしアンドレア・ロビンソンによる吹き替え)、これがまたソウルフルでカワイイんだ。
この吹き替えに関して、ウェンディは「もちろん歌えるわ、と言って歌ったら恥をかいた」「口パクならまかせてよ」とコメントしているそうで、それもまたお茶目でカワイくないですか? このコメントで、ぼくは却ってもっとウェンディが好きになっちゃいました。
この『天使にラブ・ソングを…』って、観る側にアクションを起こさせるだけのエネルギーに満ちてると思うんです。
この作品を見て歌ってみたくなった人や、実際にコーラスを始めた人、とても多いはずですよ。
ぼくだって、歌のシーンでは、知らず知らず体が動いてたもんな~
『パート2』の方は、ウーピーが少々「善人」に描かれすぎているので、本来の奔放でヤンチャなところが影をひそめてしまっているのがちょっと物足らないんですが、それでもやっぱりコーラスのシーンはカッコいい。
とくに、「オー!ハッピー・デイ」のライアン・トビーのソロで背筋をゾクゾクさせた人、たくさんいるんじゃないかな。
音楽の持つ凄い力を身近に感じさせてくれるこのような映画、もっともっと作って欲しいです。
◆天使にラブ・ソングを・・・/Sister Act
■1992年 アメリカ映画(日本公開1993年)
■製作会社
タッチストーン・ピクチャーズ
■配給
ブエナ・ビスタ・ピクチャーズ
■監督
エミール・アルドリーノ
■音楽
マーク・シャイマン
■出演
ウーピー・ゴールドバーグ(デロリス・ヴァン・カルチィエ/シスター・メアリー・クレランス)
マギー・スミス(修道院長)
ハーヴェイ・カイテル(ヴィンス・ラ・ロッカ)
キャシー・ナジミー(シスター・メアリー・パトリック)
ウェンディ・マッケナ(シスター・メアリー・ロバート)
メアリー・ウィックス(シスター・メアリー・ラザラス)
ローズ・パーレンティ(メアリー・アルマ=ピアノ担当シスター)
ビル・ナン(エディー・サウザー警部)
ジョゼフ・メイハー(オハラ司教)
ロバート・ミランダ(ジョーイ=ヴィンスの部下)
リチャード・ポートナウ(ウィリー=ヴィンスの部下)
ジーン・グレイタック(ローマ教皇)
■上映時間
100分
時折、どっぷりじっくりジャズ・ピアノに浸りたい時がある。
少しだけ人恋しくて、なんとなく物寂しい時。
寂しいけれど、一人でいたい時。
そして、音楽との一体感を味わってみたい時。
こんな時は、ボリュームをちょっとだけあげてピアノ・トリオのアルバムを楽しむことにしている。
こういう心境の夜って、不定期ではあるけれど、時々巡って来る。
一種の持病のようなものかもしれないね。
今夜は、ビル・エヴァンスのライヴ・アルバム、『ワルツ・フォー・デビイ』と『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』を続けて聴いた。
1961年6月25日に、タイトル通り、ニューヨークのジャズ・クラブ、ヴィレッジ・ヴァンガードで行われたビル・エヴァンスのライヴの模様を、この2枚に分けて収録してある。
『ワルツ・フォー・デビイ』
『サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード』
黒人の弾く、粘っこくてファンキーなピアノとは違い、どこか暗くてファンタジック、叙情的なビルのピアノは、少しだけブルーな気持ちを抱えたまま寛いでいたい今夜のような時には、水がスポンジに吸われるように、「すっ」と体の内側に沁み入ってくるようだ。
この2枚のアルバムでベースを弾いているのはスコット・ラファロ。
このふたりの織り成す音については語り尽くされているけれども、その響きはいまだに新鮮な驚きを感じさせてくれる。
当時としては非常に斬新なベース・ラインだが、おそらくスコットは、相手がビルだからこそ、こういうプログレッシヴな弾き方に徹底できているのではないだろうか。
こんなことを考えながら聴くのもまた一興かも。
ビル・エヴァンス・トリオ(左からスコット・ラファロ、ビル・エヴァンス、ポール・モチアン)
静まりかえった部屋で、この2枚のアルバムに聴き入っていると、肩の力は抜け、音に身を委ねてしまうことができる。
少しだけブルーな気持ちでいることが、むしろ心地よいように思えるくらい。
このトリオからは、まさに「音を通じての会話」が成され、「生きた音」が紡ぎ出されている。
伝わってくる彼ら三人の会話の生々しさ、これがジャズの楽しさのひとつなのですね。
☆1961年6月25日
■演奏
ビル・エヴァンス/Bill Evans (piano)
スコット・ラファロ/Scott LaFaro (bass)
ポール・モチアン/Paul Motian (drumas)
■録音場所
ヴィレッジ・ヴァンガード(ニューヨーク市)/Village Vanguard
ー ☆ ー ☆ ー ☆ ー ☆ ー ☆ ー ☆ ー ☆ ー ☆ ー ☆ ー
◆サンデイ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード/Sunday at the Village Vanguard
■リリース
1961年10月
■プロデュース
オリン・キープニュース/Orrin Keepnews
■レコーディング・エンジニア
デイヴ・ジョーンズ/Dave Jones
■レーベル
リヴァーサイド/Riverside
■収録曲
[side A]
① グローリアズ・ステップ/Gloria's Step
② マイ・マンズ・ゴーン・ナウ/My Man's Gone Now
③ ソーラー/Solar
[side B]
④ 不思議の国のアリス/Alice in Wonderland
⑤ オール・オブ・ユー/All of You
⑥ ジェイド・ヴィジョンズ/Jade Visions
◆ワルツ・フォー・デビイ/Waltz For Debby
■リリース
1962年2月
■プロデュース
オリン・キープニュース/Orrin Keepnews
■レコーディング・エンジニア
デイヴ・ジョーンズ/Dave Jones
■レーベル
リヴァーサイド/Riverside
■収録曲
[side A]
① マイ・フーリッシュ・ハート/My Foolish Heart
② ワルツ・フォー・デビイ/Waltz for Debby
③ デトゥアー・アヘッド/Detour Ahead
[side B]
④ マイ・ロマンス/My Romance
⑤ サム・アザー・タイム/Some Other Time
⑥ マイルストーンズ/Milestones
♪我が家の本棚の一部。みんなカワイイです
年末っていえばやっぱり一年のシメですね。
そういうワケですから、少しずつ掃除・片付けをこなしていってます。
毎年誰かに言われるのが、「少し本を整理したら~?」
整理って、この場合、「捨てる」のとほぼ同義語なんですよね・・・。
部屋の壁面のかなりの部分を占拠している本棚。
たしかに、こいつがなかったら、もっと部屋を広く使えるんだけどな~
でも、本を捨てたり、しまい込んだりすることはできないよ。
ものすごーく抵抗がある。
いろんな知識を教えてもらったし、
自分について考えるということも教わったし、
物の見方についても教わったし、
暇な時間にはとことん付き合ってもらったしね。
いらない物・使わなくなった物を整理するのとはちょっと違って、
本は、そこにあるというだけで価値があると思う。
読みたい時に、すぐ手の届くところに本があるのが良いのです。
何を読みたくなるのかは、その時になってみないとわからないし。
本は知識の宝庫であると同時に
自分を慰めてくれるものでもあるから、
いつでも取り出せるようにしておきたいのです。
「整理したら?」と言われるたびに、本に愛着があるのを再認識しますね。
♪CD棚。おまけでUP。(^^)
ぼくはアナログ人間だから、いわゆる「電子書籍」っていうのには馴染めない。
やっぱり、「本ですよ!」という四角い手ごたえがないとつまらない。
本が全部「電子書籍」になると、本棚も必要なくなるから、
たしかに部屋の空きスペースは広がるだろうけれど、
自分の「心の中の空きスペース」も広がるような気がします。
というわけで、本棚には、来年も変わらず今のスペースにとどまって貰いまーす。
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何年か前に、友人に借りて一本のビデオを見ました。
現代ジャズ・トランペッターの最高峰のひとりであるウィントン・マーサリスが、子供たちの前でジャズのレクチャーをするという衛星放送の番組を録画したものです。
例えがとてもわかりやすく、とても面白いレクチャーでした。そのうえ、マーサリスをはじめ、一流プレーヤーの演奏をふんだんに見ることができたのですが、そこにゲストとして招かれていたのが、ヨーヨー・マだったのです。
ヨーヨー・マの演奏を聴いたのはその時が初めてだったのですが、その音色にはホレボレしてしまいました。
ジャズのフォーマットにはあまり慣れてないようだったので、方法論の異なる「ジャズ」というカテゴリーの中ではいくら天下のヨーヨー・マでも戸惑うだろう、と興味本位で見ていたら、いやその演奏の素晴らしいこと!
デューク・エリントンの「ムード・インディゴ」という曲をセッションしていたんですが、なんて楽しそうに演奏するんでしょう!こんなに楽しそうに演奏する人の音が楽しくないはずがありません。まるで、曲に「命を吹き込んでいる」かのようでした。
その後、ふとしたことでヨーヨー・マに関して書かれたブログの記事を読みました。
【Yo Yo Maのバッハ】
【元気がでるYo Yo Ma!】
それに啓発されて、ヨーヨー・マのCDを2枚買ってきたというわけです。
『The Best Of Yo-Yo Ma』
『Cantabile ~The Best Of Yo-Yo Ma~』
たくさん出ているアルバムの中から、まずはぼくの好きなビバルディの『四季』より「冬」、バッハの『主よ、人の望みの喜びよ』、同じくバッハの『無伴奏チェロ組曲第1番』なども入っているベスト・アルバムを選びました。
これが世界のトップ・チェリストの音色なんですね。
ふくよかで、温かくて、とっても細やか。そして、チェロでいろんな情景を見せてくれるんです。
聴いているこちらが素直に謙虚になることができるような、そんな音だと思います。でも、決して肩肘張った、尊大な音楽ではないんですよね。とても親しみやすいです。
クラシック畑ばかりではなくて、ジャズ、映画音楽、タンゴ、民族音楽など、さまざまな分野の音楽とも積極的にコラボレートしているようです。名を成しても開拓者精神を持ち続けているその姿勢にも敬服します。
せっかくヨーヨー・マの音楽に出会えたのだから、もっとじっくり聴いて、もうちょっと近づいてみようっと。
来年から20本入りタバコ1箱が20円値上げされるそうですね。
あ~、タバコやめて良かったよ
そうです、昨年の12月14日、夜10時を期して禁煙をはじめて、メデタク1年経ちました!
一日にセブンスターを2箱は吸うヘビー・スモーカーだったんですが、あっさり禁煙に成功してしまいました。自分でも意外です。しかも禁煙グッズは全く使わなかったな~。それも意外。
禁煙初日は多少気合が入っているから、わりと楽に乗り切れたんですが、2日目だけがさすがにちょっと辛かったですね。
一週間目くらいだったかな、あることに気づいたんです。
夜、布団にもぐると目がチカチカして少し吐き気がする。
車を運転していると、目がチカチカして少し吐き気がする。
ストレス?禁断症状?新種の病?
でも、吐き気と目がチカチカは布団の中と車の中だけなんですよ。
よ~く考えてみました。なんだろうな・・・・
あっ、そうか! 布団や車に沁み付いている自分の吸ってたタバコのニオイのせいなんだ!
あとね、外を歩いているとタバコの香りがポワンと漂ってくるのがわかるようになりましたよ。今までは、「外で吸う分にはモンクないやろ」とちょっと強気に考えてたんですが、吸わない人にとっては戸外でも臭いが気になるってこと、よーくわかりました。
禁煙が軌道に乗った時、考えたのは、いくら節約ができるだろうか、ってことでした。
一日セブンスター280円×2箱、これが1年分だから、560円×365日。
なななんと、204400円!
そうかぁ~、今までは1万円札20枚に火をつけて灰にしてたんだなぁ~、ああモッタイナイ・・・
タバコ吸ったつもりで貯金して、1年たったら・・・、というモクロミは計算違いに終わりましたけどね。
自分が禁煙に成功してみて改めて思いますが、喫煙マナーって相当厳しく自覚しておく必要があるもんなんですね。吸っていた時には気づかなかったこと、結構ありました。
だからといって、喫煙者を排除しようとは思いません。
今の「嫌煙運動」というのは、明らかに過剰だったり、喫煙者に対する差別としか思えないものもあると思います。一種の嗜好品として認められているものですから、マナーさえ守れば吸う自由もあると思います。
愛煙家の方々、ぼくの側では遠慮なくタバコ吸ってくださいね(不思議と苦にならないんですよ)。
ぼくは喫煙者に理解のある禁煙者だと自負しております(笑 ただしマナーは守りましょう~)
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♪手前が新品です。結局似たようなデザインのものを買いました。
ぼくの視力は、両眼とも0.2くらいです。当然メガネは必需品。
ぼく自身はメガネがあまり好きではないのですが、それでも車を運転する時や、テレビや映画を見る時は、メガネをかけないわけにはいきません。
しかし、メガネをかけたり外したりするのがあまりにもひんぱんなうえに、根がいい加減なものですから、外したメガネをポケットに雑に突っ込んだりするので、レンズの表面がキズだらけになってしまいました。
おかげで、夜に運転する時など、対向車や街灯の光がレンズのキズのせいで乱反射して、とても見にくい。メガネをかけないほうがマシ、というくらいです。
しかも、キズに入り込んだ汚れはとても落ちにくいので、よけい使いづらいメガネになってしまいました。
「かけると見えにくくなるメガネ」、ほとんど意味がありませんよね。ぼくがメガネの手入れをサボってたせいなんですけどね。。。
おまけに、外した時に適当にその辺りにポイッと置くもんだから、メガネの上に座ってしまったり、踏んづけたり・・・。いくら「ガンキョウ」でも、上に座ってはひとたまりもない。シャレですよ、シャレ。。。
そこで、今日、新しいメガネを買ってきました。
フレームのデザインも流行があるんですね。今は、例えばヤクルトの古田兼任監督がかけているようなタイプが主流みたいです。10年くらい前にぼくが使っていたようなタイプなんて、いやにヤボったく見えるんですよ。
そんなわけで、あれでもない、これでもない、といろいろ選んだ末に、財布の中身とも相談して決めました。
メガネが新しくなると、こんなに明るく、ハッキリ見えるんですね! いや~、まるで別世界にいるみたいだな~。世の中がこんなにキレイだったなんて・・・
今まで、見えることが当たり前だと思っていたんですが、実は見えてなかったんですね。自分が見えている、と思っていただけだったんです。
メガネは汚れたりキズだらけになったら買い替えればよいけれど、「心の目」は曇ったらすぐ取り替えられるってわけにはいかないですからね。
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沢田研二。通称ジュリー。
タイガース(阪神じゃなくて、もちろんグループ・サウンズのほうです)時代のことはほとんど記憶にないのですが、『勝手にしやがれ』で再び大ブレイクしてからの彼の人気はすごいものでした。
出すレコードというレコードは片っ端からヒットしていたし、テレビの歌番組で見ない日はなかったですし、もちろん賞レースの常連でもありました。
でも、今の10代の人たちの中には、彼が「ジュリー」と呼ばれて大騒ぎされていた存在だったことを知らない人も多いみたいです。
ちなみに、「ジュリー」というニックネームは、彼がジュリー・アンドリュースの大ファンだったことから付けられたものだそうです。
ちょっとチープで、ちょっとイキで、ちょっとキザな「歌手・ジュリー」を演じているようで、カッコ良かったな~。
右手の人差し指を高々とうげて、「一等賞~~」とアピールする姿、学校でマネするヤツもいました。
1970年代後半の彼のメイクやファッションは、グラム・ロックっぽかったりしましたね。
少し鼻にかかったような甘い声にシビレた女性ファン、それはもうもの凄い数だったことでしょう。
モテる男というのは同性からあまり支持されないものなんですが、沢田研二には男性ファンも多かったんじゃないかな。
ぼくも、彼には全く反感を覚えなかったです。というより、密かにちょっとばかり憧れてもいました。
俳優としても活発に活動していましたね。シリアスな役から、コミカルな役まで幅広くこなしていました。
ぼくは「男はつらいよ」シリーズの第30作、「花も嵐も寅次郎」がわりと好きなんですが、そこでは、田中裕子に恋する気弱な青年を好演してました。
ちなみにこの作品が、このふたりの出会いだったらしいですね。
実は、ぼくは、タイガース解散から『勝手にしやがれ』を出すまでの間の沢田研二が一番好きなんです。
また、大野克夫とのコンビで生み出した作品も好きです。大野克夫の書く曲が、沢田研二の独特の甘い声にピッタリ合っているんですよね。
名曲『時の過ぎゆくままに』や、『追憶』『許されない愛』『カサブランカ・ダンディ』『憎みきれないろくでなし』などなどがぼくの愛聴曲です。
「スター」という言葉の持つ煌びやかなイメージがこれほどピッタリくる人も少ないんじゃないでしょうか。
今日は「コジカナツル」のサード・アルバム、聴きまくりましたよ。
いや~、期待を裏切らない、と言おうか、期待にたがわず、相変わらずヤンチャな大人の熱くてヤンチャな演奏を聴くことができて、マンゾクです!
今回は、ゲストととして多田誠司(サックス)をフューチャーしています。2曲目の『カンタロープ・アイランド』のみ、TOKU(フリューゲルホルン)が参加しています。
3枚のアルバムを聴いて、飽きるどころか、彼らの奥行きの深さ、スケールの大きさを改めてしみじみ感じます。
ピアノの小島良喜のプレイ、まるで尽きることのなく湧き出る泉のようですし、鶴谷智生のドラミングは、打楽器の範疇には収まりきれないような色鮮やかなものです。それを金澤英明が深みのある安定感バツグンの演奏で包み込んでいます。ゲストの多田誠司、TOKUのふたりも、懐の深いこの三人に支えられて、安心して自由奔放にブロウしているのがまた楽しい。
「コジカナツル・ワールド」の面白さ楽しさ、もうぼくはほとんどトリコになっているのかも。
そして9曲目に収められた、ボブ・ディラン作の『マイ・バック・ペイジ』の演奏の凄まじいこと!
一種の無我の境地に到達しているんじゃないか、と思えるほどの素晴らしい演奏なんです。
無私無欲、愛にあふれ、己を燃やし尽くすことだけに力を注いだ、神がかったような演奏です。
この曲に浸っていると、きれいなものや胸を打たれるものを見たり聴いたりした時に、「素直にそれに感動できる自分」になれる気がするんです。
昨夜半から今日の夕方にかけて、何度この曲を聴いたでしょう。もうアホみたいに夢中になって聴きました。そして何度も何度も泣きそうになりました。
ジャンルの垣根など超越した、素晴らしいユニットです。
◆Kojikanatsuru 3 featuring 多田誠司
■演奏/プロデュース
コジカナツル
■アルバム・リリース
2005年9月30日
■録音
青葉台スタジオ(東京) 2005年5月23日~24日
■収録曲
① マイ・フーリッシュ・ハート/My Foolish Heart (Victor Young)
② カンタロープ・アイランド/Cantaloupe Island (Herbie Hancock)
③ サイド・スティック・シスター/Side Stick Sister -dedicated to MIYU Sister- (金澤英明)
④ MAHIMAHI (鶴谷智生)
⑤ あなたを愛してしまう/Eu Sei Que Vou Te Amar (Antonio Carlos Jobim)
⑥ "CK" (小島良喜)
⑦ ソリューション/Solution (鶴谷智生)
⑧ SO RA DO MI DO (小島良喜)
⑨ マイ・バック・ページ/My Back Pages (Bob Dylan)
■録音メンバー
[コジカナツル]
小島良喜 (piano)
金澤英明 (bass)
鶴谷智生 (drums)
[ゲスト・ミュージシャン]
多田誠司 (alto-sax, soprano-sax, flute)
TOKU (flugelhorn②)
■レーベル
RAGMANIA
ヴァイオリニストとして有名な千住真理子さん。彼女の愛器はあの「ストラディヴァリウス」であるというのはよく知られていることだと思います。この本は千住家の様子を交えながら、彼女が「ストラディヴァリウス」を手にするまでのいきさつが書かれています。
hippocampiさんのブログの記事を読んで、この本を読んでみたくなりました。でも、ちょっとヒネクレた先入観もあったんです。
名器として名高いストラディヴァリウスを持っているということで、自分とは無縁のいわゆる「上流階級」の世界の話かもしれない、などと思ったりしていました。事実、千住家の長男は日本画家の博、次男は作曲家の明、長女はヴァイオリニストの真理子で、彼らは芸術家の三兄妹として有名だし、彼らの父・鎮雄氏(故人)は工学博士で、慶大工学部教授だった方です。
芸術関係を深く勉強するからにはそれ相応のゆとりがある家だろう、そしてさまざまな「苦労」があっても彼ら家族一族の力やお金で乗り越えてきたことも多いんじゃないか、などというシツレイなことを勝手に考えていたから、ぼくなどにはあまり参考にならないかもしれない、などと簡単に思っていた部分もあったんです、正直なところ。
それなりの練習は積んだだろうけれど、千住教授の娘さんで、美人だから世に出ることができた部分はあったかも、というイジワルな見方は、読み始めてすぐ消えました。
天才の名をほしいままにした真理子氏ではありますが、決して順風満帆な人生ではありませんでした。彼女の悩みは、演奏家のはしくれ(本当にはしくれです)のぼくにも起こりうることばかりで、決して別世界(上流社会)の話ではなかったのです。
真理子氏を指導した江藤俊哉氏の言葉が随所に出てきますが、それは実に厳しい言葉ばかり。しかしその言葉は、今の自分に欠けている所を厳しく突いてもいます。そういう言葉に出会っただけでもこの本を読んだ価値がありました。
美しい音を追求するからといって、音楽の世界に美しい心の持ち主ばかり集まっているわけではありません。その他の世界と同じくらい、いや、場合によってはそれ以上はるかに汚いエゴが渦巻いているんです。
演奏上の悩みは練習によって解決するほかはありませんが、自分を取り巻く環境についての悩みを解決するにはどうすればよいのでしょうか。自分自身が成長するほかはないんですね。そして、その「成長」も自分次第である、ということをこの本に改めて気づかせて貰いました。
練習は、すればそれだけの結果がついてきます。練習に限らず、人間は何かを行えば、それに応じた結果が得られます。だからこそ、行うべきことは行わねばならないんですね。
ぼくは、「人には『分』というものがあって、なにごとも分相応なのだ」という考え方だったのですが、読み進めているうちに、その考え方って「逃げかもしれない」と思い始めました。「分」を形作っているのは、他ならない自分自身ではないだろうか、ということに思い当たったんです。
本の中盤以降を占めているストラディバリウスとの邂逅譚も興味深く読みました。
もとはスイスの大富豪が所有していたそうです。その富豪は、「決して商人の手に渡してはならない」という遺言を残して亡くなりました。つまり、投機の対象にはせず、純粋な(音楽を愛する)ヴァイオリン奏者の手によって、現役の楽器として音楽を奏でてほしい、ということだったそうです。
「ストラディヴァリウスが所有者の手を離れる」という知らせは、ある楽器商によって真理子氏にもたらされたわけですが、それからのことは、楽器の方から真理子氏の方へ近寄って行ったとしか思えないような、不思議な話でした。
ついに真理子氏がストラディヴァリウスを手に入れる場面は、とても感動的でしたよ。
良い楽器は弾き手を選ぶといいます。ストラディバリウスが近寄ってきたとすれば、真理子氏がそれだけの苦しい鍛錬を続け、辛い経験を自力で乗り越え、人間的にも強く正しかったからではないだろうか、と思います。いや、そう思いたい。ぼくは、単なる不思議な話として片付けたくないのです。
印象に残る言葉にたくさん出会える本です。千住家の教育方針や価値観の素晴らしさに触れるだけでも勇気が湧いてきます。その中でひとつだけあげておきますね。三兄妹の父・千住鎮雄氏の言葉です。
「ハードルは自分にある。まず、それを越せる人間にならなくては、何をやってもダメなんだ」