ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

蘇州夜曲

2010年07月19日 | 名曲

 
 暑い!
 天気予報から傘マークが消えたと思ったらいきなり真夏!
 明日以降も34度前後の日が続くみたいで、カナワンなぁ~~(--;)
 お陰でアイスクリームの欠かせない毎日、今日もシコタマ冷蔵庫の中に備蓄しておきました。最近のお気に入りは「爽」のソーダフロート味なのです。


 最近は毎週土曜日にDVDを大量に借りるのが慣わしとなっておりまして。
 一昨日は「ゴッドファーザー」「TAXI 2」「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」「盲導犬クイール」「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」「M-1グランプリ」などなど10本を借りてきて、テレビの前でイイ子にしています。
 「男はつらいよ」は、ぼくの大好きな寅さん(渥美清)とリリー(浅丘ルリ子)との絡みがあるので面白く観たのですが、なにせ舞台が夏の沖縄・・・、暑さ倍増です
 来週あたり水辺に行きたいなぁ。


 あ、そうだ、近々ジャズを聴きに阪神方面にも行く予定です。これも楽しみ~
 それに、久々に親友一家とも会うし、職場の気のおけない大先輩とも食事する約束があるし、なんぞかんぞで小さなシアワセが味わえる夏になりそうです。
 コワいのは、調子の波がいつ下り坂になるか、ですね。こればっかりは予測不能なのですが、仕事に限って言えば、しんどい時は職場の後輩のHさんがしっかりサポートしてくれるので、おおいに助かっています。口数は少ないけれどいつも笑顔で返事、軽いフットワーク、的確な仕事ぶり、、、平成生まれでこんなにイイ子、あんまり見かけないなぁ~。Hさん、いつもありがとうね!(^^)


 暑い水辺とくれば、水の都・蘇州。
 水の都といえばヴェニス、ロッテルダムなどが有名ですが、東洋では蘇州市が有名ですね。街中を運河が巡っていて、文字通り「東洋のヴェニス」と言われているそうです。
 この蘇州を舞台に作られた歌が、「蘇州夜曲」なんですね。


     
     赤い部分が中華人民共和国江蘇省。蘇州市は江蘇州の東南端あたり。
  
 
     
     蘇州 1
 
 
  もともとは1940年に李香蘭主演の映画「支那の夜」の劇中歌として発表されましたが、同年に渡辺はま子・霧島昇の歌がコロムビアからリリースされました。
 戦後も数多くの歌手によって歌い継がれていて、ざっと挙げるだけでも、アン・サリー、石川さゆり、EPO、小田和正、庄野真代、夏川りみ、平原綾香などなど、枚挙にいとまがないほどです。
 ぼくが演奏でかかわった中でこの曲を持ち歌にしていた歌い手さんも多く、まさに時を越えて愛され続けている名曲です。


         
     「映画『支那の夜』より蘇州夜曲」               李香蘭


 作曲の服部良一氏は、国民栄誉賞も受賞した、日本のポピュラー音楽史に残る大作曲家です。非常にモダンな響きのするサウンドを生み出すことで知られていて、彼のペンによってこの世に残された曲はまさにエヴァーグリーン。
 ぼくの好きな服部メロディーは、他にも「湖畔の宿」「東京ブギウギ」「青い山脈」「銀座カンカン娘」などなど、たくさんあります。  親しみやすいけれど、どこか異国の香り漂う、そんなところに心惹かれるんでしょうね。


 「蘇州夜曲」は、中国音階を隠し味としてうまく使っています。でも、押し付けがましいあざとさは感じられなくて、聴き手の感覚次第でどんどん響きを広げらることができるような、懐の深さを感じるんですよね~。
 それに、単純に上っ面を中華風で装っているのではなく、アレンジの端々からはジャズっぽい、洒落た音の積み重ねが感じられます。
 ぼくもピアノで弾いてみるんですが、不思議なことに、どうしてもあの中華な感じが出ないのです。単純にコードを拾うだけではこの曲の情緒は表せないのだと思います。

    
          
     蘇州 2
 
 
 「蘇州夜曲」も、何度も有末佳弘さんと演奏しました。
 下に貼っているのは、有末さんとの最初のブッキングで演奏したものです。歌っているのは有末さんの生徒さんです(生徒といっても、ピンであちこち歌っていたお方です)。


 この時は、咄嗟に「最初は歌とピアノのデュオにしてやれ」と思ったので、ワン・コーラスはベースはカラです。でも、有末さんはそんなぼくの思惑をすんなり察知してくれたみたいで(実質的初顔合わせ、しかも自分のライヴで共演者から仕掛けられて、それを受け入れるとこが、有末さんの音楽的器の広さを感じました)、歌とピアノだけの世界を作り上げています。
 ワン・コーラス目の終わりにベースが入ってるんですが、この時ぼくはやや強引にフェルマータをかけながら音を出したのにもかかわらず、ピタッとそれに合わせてくるピアノ、、、その反応の早さには内心ビックリでした。
 中間部とエンディングでは、ぼくはアルコ(弓)を使っています。これは二胡(中国の弦楽器)の感じを出そうとして、演奏中に急遽思いついたものですが、思惑通りにチャイニーズな雰囲気になってるのかどうか・・・(汗)


 有末さんとの「蘇州夜曲」はいくつかのテイクが残っていますが、どれにも共通して思い浮かべるのが、
 「夜半 静寂 木立ちの脇の湖 水面に静かに映っている月 湖畔でそっと寄り添うふたり」
 こんな風景なんです。
 ぼくは、有末さんの奏でる音は、まさに「音で描いた絵」だと思っているのです。
 


[歌 詞]


◆蘇州夜曲
  ■発表
    1940年6月 (歌:李香蘭)
  ■シングル・リリース  
    1940年8月(歌:渡辺はま子・霧島昇)
  ■作詞  
    西條八十
  ■作曲  
    服部良一


蘇州夜曲 [李香蘭]

蘇州夜曲 [有末佳弘、皆木秀樹、森本悦子]

蘇州夜曲 [アン・サリー]
 
 


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母(かあ)べえ

2010年07月11日 | 映画
 週間天気予報見たら傘マークばっか。。。それだけでユーウツになっちまうな(-д-;)
 今日は案の定朝から雨だったけど、重い腰(腹?・・・汗)を上げて選挙に行ってきました。もちろんこれまでの成果から与党にも、元与党にも入れるつもりはなく。で、歩いて投票所に向かうためにお供のiPodを耳に突っ込むと、いや、iPodのイヤホンを耳に(略)、、、出てきた曲の一発目がビートルズの「レヴォリューション」だったのにはちょっとビックリ・・・(^^;)


 どこをポイントに投票するのかは人それぞれだろうけど、拉致が平気などこかの国みたいに、建前は選挙でも、誰に投票するかを監視する監視員の目が光っているようなことはなく、ひとまず好きなように自分の意見を述べることができる今の日本に住んでいられることは幸せなことなんでしょうね。
 ただ、自分、あるいは自分の属するグループと違う意見を持つ人を排除・否定しようとする空気が根深い部分もまだあるみたいですね。
 民主主義って、多数決での決議が基本だけど、「少数意見の尊重」も忘れてはならないことなんですよね。あきらかな犯罪を肯定するのは論外ですが、「ああ、そういう意見もアリね(^^)」くらいで納まる場合でも相手の人格を否定しようとする人ってたまに見かけます。そういう人のことは、反面教師にしてゆきたいと思います。
 そういえば、クラシック出身のプレイヤーがクラシック以外を見下していたり、ジャズ畑の人が「ロックをやるとヘタになる」と吹聴していたりするのを見聞きしたこと、ありますよ。好みは人それぞれ、他人の意見や感性を頭から否定するような人間にはなりたくないです。


 でも、自由に自分の意見を言えないような時代がかつてあったんですよね。しかもたった65年前までのことです。
 ちょうど沖縄戦が終わったのが6月、それに関した本を読み返したり、映画を観たりしてまして。。。そんな時にレンタルショップのDVD紹介を見て借りてきたのが「母(かあ)べえ」です。軍国主義一色の日本にあって、信念を曲げずにその時代を生き抜いたひとりの母親の物語です。


■母(かあ)べえ

監督 山田洋次
原作 野上照代
音楽 冨田 勲
出演 吉永小百合(母べえ)
    浅野忠信(山崎徹…父べえの教え子)
    檀れい(チャコおばちゃん…父べえの妹)
    志田未来(初べえ)
    倍賞千恵子(初べえ…大人)
    佐藤未来(照べえ)
    戸田恵子(照べえ…大人)
    坂東三津五郎(父べえ)
    中村梅之助 (藤岡久太郎)
    笑福亭鶴瓶(藤岡仙吉)  ほか
2008年 松竹映画



     


* * * * ネ タ ば れ あ り ま す * * * * * * * * 


 今の日本には「思想犯」はいないんだそうです。これは世界でも数少ない例だというのを何かで読んだことがあります。
 ドイツ文学者の父べえは、その思想犯として特高に逮捕されてしまいます。昭和15年のことです。
 当時は、国の方針に異を唱えようとする者を取り締まるために、悪法として名高い「治安維持法」があり、父べえはこれに引っかかってしまったんですね。穏やかで、でもユーモアと信念のある父べえを失った野上家はいったんは途方に暮れますが、夫の信念を信じる母べえは希望を捨てず、暗黒の時代の波に押し流されないように生き抜いて行くのです。


 父べえを恩師と慕う山ちゃんや、父べえの妹のチャコおばちゃんはそんな野上家の支えです。チャコおばちゃん役の檀れいさんって、ほとんどはじめてマジマジと見ましたが、とても魅力のある方ですねぇ~~。可愛くて、でもどこか凛としていて。チャコおばちゃんの存在は劇中の清涼剤かもしれないです。
 山ちゃんを演じる浅野忠信さんは、もっと濃い存在で、観る者・競演する者を「浅野ワールド」に引きずり込むタイプかと思ってたんだけど、この映画では吉永小百合の助演に徹していて、奥が深い役者さんだと感じ入りました。信念は持っているけれども、どこか頼りない、でもとても温かくて一生懸命で、いつに間にか周りから懐かれているような好青年を見事に演じていると思います。


 志田未来さんの表現する、父を慕う切ない思い、じんわりと伝わってきます。気持ちがたびたび途切れて涙をこぼしはするものの、大好きな父のいない寂しさや恐怖に必死に耐えているけなげな姿には、胸を打たれたなぁ。
 それから共感できるのが、笑福亭鶴瓶演じる仙吉おじさん。関西人という設定も手伝ってか、あの時代にあっても強烈に自己主張しています。思ったことをそのまんま口に出すので初べえは仙吉が大嫌いですが、仙吉は単に「空気の読めない、図々しいアホ」なのではなくて、他人の生き方にまで口を出す当時の世の中に対して痛烈な皮肉を浴びせているのです。きっと山田監督は、仙吉の姿を借りて「個人の意見は尊重されるべき」ということを伝えたかったのではないかな。もちろん「軍国主義信奉」も個人の自由ですが、言論の自由を維持する側と、それを統制する側のどちらがより良い世界を作るのかは、少しの知識と少しの常識があれば分かることでしょう。その点もこの映画から伝わってきたような気がします。


 吉永さんって、60歳過ぎてるんですよね~。それなのに小学生のお母さんを演じても違和感がないのは・・・(若)素敵すぎます。
 それにやはり俳優としての重み・美しいセリフまわし・品のある立ち居振る舞いなどなど、さすがは一時代を作った大スターですね。ますます好きになりました(*´∀`*)。


 どちらかというとこのドラマは、父べえのいない野上家の日常や、戦争の泥沼に引きずり込まれる日本に徐々に慣れてしまっていく町内の様子を淡々と描いてはいるんだけれど、それらの小さなエピソードの中から個人個人のキャラクターが浮き彫りになっていて、そこから山田監督が言いたかったことがあちこちで見受けられるような気がします。


 戦争が終わり、山ちゃん・チャコおばさん・仙吉おじさんについての悲しい知らせが伝わってくるのが、また無常感をつのらせます。そして場面は一気に現代へ。その極端な場面転換がさらに何かを訴えかけてきます。
 母べえの臨終の日。
 照べえは「これで父べえにやっと会えるね」と穏やかに母べえに語りかけますが、母べえの今わの際の声を聞き取るやいなや、「そんなぁ!」と激しく泣き崩れます。母べえの受けていた心の傷は、長い年月がかかっても癒されてなどなくて、心の奥に深く刻まれたままだったのですね。「主権在民」が当たり前の今の世の中ですが、それとは正反対の、「まず国ありき、国民はその国に服従すべし」という考え方がどれだけ多くの人の命や心を傷つけていたか、を思い知らされる場面です。ここでの戸田恵子さんの精魂込めた演技には気持ちを揺さぶられました。


 こういう文章でも、70年前であれば取締りの対象なんですね。世が世なら自分も「危険思想の持ち主」と見なされていたでしょう。そんな時代が来たらさっさとこの記事を削除せねば・・・(^^;)
 ラストが暗く、暗澹たる気持ちにさせられはしますが、、、言論の自由の保障された現代に生きていることを感謝し、また「自由」を守り抜く世界のささやかな一助でいられたら、と思わされた映画でした。



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