ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド (God Bless The Child)

2005年05月31日 | 名曲


 私がキース・ジャレットを好きに…、あ、いかん、この言い回しでは誤解されてしまう、・・・キースのピアノが好きになった強烈なきっかけがこの『ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド』という曲を聴いたからなんです。

 
 もともとはビリー・ホリデイが作ったブルージーな歌曲なんですが、キースはこれをゴスペル・ロック風に演奏しています。
 「Standards,Vol.1」というアルバムの中に収められているのですが、ゲイリー・ピーコック(Bass)、ジャック・ディジョネット(Drums)とともに繰り広げるその演奏の素晴らしいこと!!





 それまで私はなんとなくキースの作品が食わず嫌い(この場合「聴かず嫌い」ですが、「嫌い」というほどでもなかったので、単に「聴いていない」というだけのことですね)だったんですが、皇太子殿下の婚約(1992年)で日本中がお祝いムードに包まれていた頃、「皇太子の奥さんになる女性がキース・ジャレットのファンらしいぞ」という話をテレビのワイドショーだったかで聞きつけて、興味本位で聴いてみたのがその「Standards,Vol.1」だったというわけです。


 感動しました。

 もうこの一言です。とくに「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」に。耳だけで聴くのが惜しくて、もう全身で聴きました。自分の心がふるえているのをあんなに実感できたのは久しぶりでした。そして、キースのピアノそのものに加えて、三人の調和の素晴らしいことにも感銘を受けました。


 音楽、もしくは「ある曲」を演奏するというのはその曲に生命を吹き込むことだ、ということを教えてくれた、私にとっての名曲・名演奏です。


ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド/God Bless The Child (1983年)
  ■作詞・作曲
    アーサー・ハーツォグJr.、ビリー・ホリデイ/Arthur Herzog Jr.、Billie Holiday
  ■演奏
    キース・ジャレット・トリオ/Keith Jarrett Trio
  ■プロデュース
    マンフレート・アイヒャー/Manfred Eicher
  ■収録アルバム
    スタンダーズ Vol.1/Standards Vol.1 (1983年録音)
  ■録音メンバー
    キース・ジャレット/Keith Jarrett (piano)
    ゲイリー・ピーコック/Gary Peacock (bass)
    ジャック・ディジョネット/Jack DeJohnette (drums)



キース・ジャレット・トリオ 『ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド』(1985年2月15日 東京・厚生年金会館ホール)





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レット・イット・ビー (Let It Be)

2005年05月30日 | 名曲

 レット・イット・ビー。
 言わずとしれた、ビートルズ名曲中の名曲。


 初めて人前でキーボードを弾いたのは「青い影」。
 そして、初めてピアノで弾くことのできた曲が、この「レット・イット・ビー」なのです。
 (もちろん簡単にアレンジしてもらいましたが)


     


 あれは忘れもしない小4の冬。
 学校帰りに誘われて行った友だちの家には、オーディオ・セット(当時は『コンポーネント・ステレオ』と呼ばれていました)がありました。
 「うちの兄ちゃんのレコード、聴かせてやろうか?」と言ってかけてくれたのが、『青盤』という愛称で知られた、後期ビートルズの2枚組ベスト・アルバムでした。
 夕陽でオレンジ一色に染まっていたその部屋にせつなくおごそかに響くピアノのイントロ。
 この瞬間、ぼくはそれまで音楽にほとんど興味がなかったにもかかわらず、「いつか必ずこの曲をピアノで弾いてみたい」と決心したのでした。
 この時聴いた曲が「レット・イット・ビー」です。
 そして、これが「ロック・ミュージック」というものに生まれて初めて触れた日でもありました。


 この体験は、今でもその情景をありありと思い浮かべられるくらい衝撃的だったわけです。
 おかげで一生音楽と離れられないだろう生活を送っています。
 シアワセなことだと思っています。


     


 そして中学3年の3学期。
 音楽の授業の最後の試験の内容は、「誰と組んでもいいから、好きな曲を演奏すること」。
 すぐさま友人K君を誘い、「レット・イット・ビー」をやることに決めました。 
 担当は、K君がリコーダーで、ぼくはピアノ。
 もちろんぼくはピアノなんか弾けません。
 田舎の中学のこと、ギターのコードをジャカジャカ弾くことのできるヤツすら学年で数人程度、ピアノを弾く男子なぞ皆無でしたが、レット・イット・ビーをやる以上、どうしてもピアノを弾きたかったのです。


 放課後、音楽の先生へお願いに行きました。
 「レット・イット・ビーをどうしても弾きたいんです。ピアノを教えてください」
 男子は音楽の授業というといつもふざけるばかり。その中のひとりだったぼくが放課後の職員室に現れたものだから、先生は最初不審げだったんですが、本気で頼むと快くOKしてくれました。
 「ただしビートルズのレコードどおりに弾くのは時間的にみてムリだから、簡単な方法を教えてあげる」
 たまたま姉が習っていたおかげで、家にはエレクトーンがありました。
 夜中にヘッドホンをつないで、結構練習を頑張ったんです。
 おかげで、最後の試験は無事に弾き終えることができました。


     


 「レット・イット・ビー」は、ビートルズの22枚目のオリジナル・シングル曲で、解散前に最後にリリースしたシングル・レコードです。
 ピアノを主体としたバラードです。
 歌詞の内容、曲調ともにゴスペル色が強く、厳かで、メロデイアスで、感動的な曲です。
 無人島に行くのに1曲だけ持って行っていいとしたら、あるいは残りの人生で1曲しか聞いてはならないことになったら、、、
 悩むでしょうが、ぼくはやっぱりこの曲を選ぶんじゃないかな。


 「レット・イット・ビー」にはアルバム・ヴァージョンとシングル・ヴァージョンがあります。
 大きな違いは、ギター・ソロの内容、エンディング前のリフレインの回数、ストリングス等の有無、などです。
 ちなみにぼくはシングル・ヴァージョンのほうが大好きです。


 そして、この曲にも忘れられない大切な想い出があるんです。


 ぼくは、オンナのコを口説く時のBGMに この曲をよく使わせて頂きました。
 その意味でもポールには本当にお世話になりました。


     
     アルバム『レット・イット・ビー』



[歌 詞]
[大 意]


レット イット ビー/Let It Be
  ■歌・演奏
    ビートルズ/Beatles
  ■シングル・リリース
    イギリス・・・1970年3月6日  アメリカ・・・1970年3月11日  日本・・・・・1970年3月25日
  ■作詞・作曲 
    ジョン・レノン & ポール・マッカートニー/John Lennon & Paul McCartney
  ■プロデュース
    シングル・ヴァージョン・・・ジョージ・マーティン/George Martin
    アルバム・ヴァージョン・・・フィル・スペクター/Phil Spector
  ■録音メンバー
   [ ビートルズ (Beatles)]
    ポール・マッカートニー/Paul McCartney (lead-vocal, backing-vocals, piano, maracas)
    ジョン・レノン/John Lennon (backing-vocals, 6strings-bass)
    ジョージ・ハリスン/George Harrison (lead-guitar, backing-vocals)
    リンゴ・スター/Ringo Starr (drums)
   -・-・-・-・-・-・-・-・-
   [ ゲスト ]
    ビリー・プレストン/Billy Preston (organ, electric-piano)
  ■収録アルバム
    レット・イット・ビー/Let It Be (1970年)
    ザ・ビートルズ1967年~1970年/The Beatles 1967-1970 (1973年)
    パスト・マスターズVol.2/Past Masters Vol.2 (1988年)
  ■チャート最高位
    1970年週間チャート アメリカ(ビルボード)1位、イギリス2位、日本(オリコン)6位
    1970年年間チャート アメリカ(ビルボード)9位



ビートルズ『Let It Be』


ポール・マッカートニー『Freedom~Let It Be』

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禁煙(1)

2005年05月29日 | 価値観

 最近の自分が人に提供できる話題のひとつ、それは禁煙。


 昨年(2004年)12月14日22時を期して始めた禁煙は、今も無事続いている。
 なにせセブンスターを一日最低2箱×ウン十年。歯ばかりでなく腹の中までヤニで真っ黒けに染まっていたこの自分が、禁煙グッズの助けを借りることもなくあっさり煙草をやめられたのはわれながら意外意外。知人連中もおおいに仰天している。


 で、やめてみる過程で改めて思ったのが、「もしや嫌煙権というものは愛煙家に対する魔女狩りではなかろうか」ということであります。

 
 もちろん真っ当な嫌煙権も存在いたします。
 でも、ワタクシ思いますに、嫌煙運動なるもののうちかなりのものがウサンクサさを振りまいているような。
 
 
 一番ワカランのが、「煙草のケムリのせいで周囲はメーワクしておる!」という人が排気ガスを出し続ける車に平気で乗っていること。「他人の健康を損ねている」理由なら車だって同じはず。ある人と論争になったことがあって、その時にこの「排気ガス」を持ち出してみたところ、「法律で規制された範囲内だから問題ない!」って言われた。
 なにぃ~!? 煙草だって法で認められた嗜好品やないか! 
 それにいくら規制されていたって、排ガスだって体に悪いことに違いないはずだ。


 誤解をおそれず書いておく。
 マナーさえ守れば、煙草を吸いたい奴は吸って構わ~~ん!、、、と、思ふ・・・。


 ただですね、煙草をやめてから気づいたことがいろいろありまして。
 禁煙を始めて2~3日後から夜フトンに入ると目がチカチカ胸がムカムカ、自分の車に乗るとまたもや目がチカチカ胸がムカムカ、、、
 そうなのです。自分はそういうヤニ臭さに対して鈍感になってたんです。
 屋外なら吸っても文句あるまい! 
 イヤイヤこれも甘かった。外を歩いていたり、車の窓を開けて信号待ちしていたりする時などに突如としてあの懐かしいヤニの香りが!
 そうです、煙草ギライの人にとっては、外であろうが空であろうが海の上であろうが臭うものは臭うということだったんですね。
 いやあ、自分に対して鈍感ということは、他人に対しても鈍感だということだったのだ・・・。
 
 
 ウサンクサイ嫌煙運動を責める前に、もっと周囲に気を配ることが必要だったことに遅蒔きながら気づいた次第であります。

 
 あれ?自己中な嫌煙運動に文句を言うつもりだったのに、、、
 まあいいや、自分がひとつ勉強させてもらったということで、マルク収まりましょう
 



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ジャニス・ジョプリン

2005年05月28日 | ミュージシャン


 この先も音楽の歴史に燦然と輝き続ける数多の偉大なシンガー、名ボーカリストの中から「ひとりあげろ」と言われたら、ぼくはほとんど悩むことなく彼女を選ぶだろう。
 まさに「ブルースを歌うために生まれてきた女性」。


 最初に聴いた彼女の歌はアルバム「チープ・スリル」に入っていた「サマータイム」だったな~。
 最初の一節を聴いただけで見事にKOされてしまった。
 彼女の持つものすごいパワーとエネルギーの虜になるのにたいして時間はかからなかったな。





 ジャニスが歌う歌の中で特に好きなものは、
 今ではハード・ロックの古典ともいえる「ムーヴ・オーヴァー」をはじめ、

 「コズミック・ブルース」
 「寂しく待つ私」
 「トライ」
 「心のかけら」

 などなどだろうか。


 そのほか、「ワン・グッド・マン」のギター・ソロにもハマッたが、それがマイク・ブルームフィールドによるものだと知ったのはもう少し後のことだったように思う。





 ハスキーな歌声。
 絞り出すような歌いっぷり。
 歌い始めるとすぐに周りの空気を変えてしまう、とてつもない存在感。
 歌っている時の、セクシーでさえある豊かな表情。
 憂いだけでなく、豪快でエネルギッシュで、哀しみをもたたえた表現力。
 彼女の歌は、ぼくの心をとらえたまま決して離さない。


 ジャニスは、ビッグ・ブラザー&ザ・ホールディング・カンパニーに加わってからの1960年代後半を駆け抜けた。
 そして1960年代が終わると間もなく、わずか27歳でこの世を去ってしまった。
 人生最後の何年間かは、おそらく100年後も熱く語られるであろう濃密な時間だったことは万人が認めるところ。
 その光り輝いた短い時間と、ジャニスに長い時間まとわりついたままついに消えることがなかった孤独感のコントラストが、悲しくもあり、人間くさくもあり、清純ささえ感じられる。



 

 豊中市在住で、あまりにも強烈なブルース歌手・小林万里子さんとお会いする機会がかつてあったんですが、ジャニス話で盛り上がった時は、なんか同志を得たような気分になったもんです(大げさ?笑)


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青い影 (A Whiter Shade Of Pale)

2005年05月27日 | 名曲


 青い影。なんてロマンチックな邦題なんでしょうか。
 この曲は、プロコル・ハルム(PROCOL HARUM)という今ではなじみのなくなってしまったグループの代表曲であるとともに、1960年代のポピュラーソングを代表する、いやロック・ミュージックの歴史に残る名曲だといっていいと思います。


 タイトルやバンド名を知らなくても、オルガンが奏でるイントロのメロディーは、音楽ファンのほとんどが知っているに違いないと思われます。それがオオゲサであるとしても、少なくともエレクトーンを習ったことのある人のほぼ100%はこの曲を知っているのではないでしょうか。


     


 作曲はゲイリー・ブルッカー。
 当時「パラマウンツ」でピアノを弾いていたゲイリーは、バンドが解散して間もないころに友人の紹介で詩人のキース・リードと出会います。意気投合したふたりは、バッハの管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」(一説には、バッハのカンタータ第114番「目覚めよと呼ぶ声あり」、あるいはパーシー・スレッジの「男が女を愛する時」にインスパイアされたとも言われている)「青い影」を書きあげ、レコーディングするためにメンバーを募集します。こうして生まれたバンドが「プロコル・ハルム」です。
 (追記:2005年、マシュー・フィッシャーが「ソロだけでなく、オリジナルのコード進行に重要な改変を加え、この曲にオルガンで貢献している」という理由で訴訟を起こした。足かけ5年の裁判のすえ、2009年にフィッシャーの言い分が認められた。)


     

 
 当時は「ロックとクラシックの結婚」などと言われてもいたようです。
 クラシックばかりでなく、R&Bのエッセンスもしっとり感じられるような、荘厳で重厚なサウンドには魅了されっぱなしです。
 ぼくがこの曲と出会ってからすでに何千、いや何万回と聴いているにもかかわらずいまだに飽きません。自分にとってたいへん「相性の良い」曲であることだけは確かです。


     
     プロコル・ハルムのファースト・アルバム『青い影』


 ちなみに、聴衆を前にしてキーボードで弾くことのできた初めての曲がこの「青い影」だったのです。
 高校2年の時でした。吹奏楽部にいたぼくは、この曲を演奏する時にオルガンを加えることをけっこう強めに提案しました。そしてムリを言ってエレクトーンを借りてもらい、本番で弾いたんです。いまだから正直に言えますが、バンドのサウンドなんかどうでも良かったんです。そんなことよりも、ただ自分がこの曲を人前で弾きたかっただったんですね(^^;)


 そして、かつてはほかの面でも非常に助けてもらっていました。
 オンナのコを口説くときのBGMとしてもこの曲を最大限に活用させて頂いていたんですね(^^;)  
 そういう意味でも懐かしく、思い出に残る曲です。
 


     
[歌 詞]
[大 意]
僕たちは軽やかにファンダンゴを踊った
車輪がダンスフロアを横切るように
僕は船酔いみたいな気分になったけれど
みんなは「もっと踊れ」と囃したてた
部屋の騒がしさは天井が飛んでしまうほどだった
もう一杯飲み物を、と僕たちが大声で呼んだら
ウェイターがトレイを持ってきた

※それからすぐ後のこと
粉屋の物語(注:妻に浮気された男の物語)をすると
彼女の顔は、幽霊のようになり
もっと蒼ざめていった※

彼女は言った「理由はなにもないけれど、真実は見てのとおりよ」
でも僕は自分が切り出すカードを探した
彼女をそうさせたくない
16人のヴェスタの巫女のひとりに罰せられ沖に流されるみたいに
僕は目を開けていたけれど
閉じていたのと同じだったのかもしれない

※~※くりかえし



青い影/A Whiter Shade Of Pale
  ■歌・演奏
    プロコル・ハルム/Procol Harum
  ■シングル・リリース
    1967年5月12日
  ■収録アルバム
    青い影/Procol Harum(1967年)※アメリカ盤には収録されていたが、発売当時のイギリス盤には未収録。
  ■作 詞
    キース・リード/Keith Reid
  ■作 曲
    ゲイリー・ブルッカー、マシュー・フィッシャー/Gary Brooker, Matthew Fisher
  ■録音メンバー
   [ プロコル・ハルム/Procol Harum ]
    ゲイリー・ブルッカー/Gary Brooker (vocal, piano)
    マシュー・フィッシャー/Matthew Fisher (organ)
    レイ・ロイヤー/Ray Royer (guitar)
    デヴィッド・ナイツ/David Knights (bass)
    ビル・エイデン/Bill Eyden (drums)
    キース・リード/Keith Reid (lyrics)
  ■チャート最高位
    1967年週間チャート アメリカ(ビルボード)5位、イギリス1位
    1967年年間チャート アメリカ(ビルボード)38位


 
プロコル・ハルム『青い影』 


プロコル・ハルム『青い影 1968』



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はじめに

2005年05月26日 | Weblog~雑記
 このブログでは、好きな音楽の話題を中心に、日常のさまざまなできごとや、自分の思うことなどについて書いてゆきたいと思います。
 堅いものからくだけたものまで、できるだけ幅広い話題にふれてみるつもりです。
 自分の素が出るような記事になれば、と思っています。





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好きなネタ集

2005年05月17日 | ネタをたずねて三千里

【知られざる宇宙開発史】
 アメリカ人が宇宙に行ったとき、無重力状態ではボールペンが使えなくなることが分かった。そこでアメリカは巨額の研究費を費やし、NASAを中心とした最先端の技術を結集して、宇宙ではもちろん、水の中でも氷点下でも摂氏300度でも、どんな状況下でも使えるボールペンを開発した。

 ・・・一方ソ連の宇宙船では鉛筆が使われていた。


【伝説の鈴木さん】
 新入社員の頃、課内で「伝説の鈴木さん」という名前がよく出ていた。
 ある日、主任から「この書類、伝説の鈴木さんに渡してきて」と頼まれた。
 「どこにいらっしゃるのですか?」と聞き返したら、
 「伝説の鈴木さんなんだから伝説の部屋に決まってんだろ。3階の奥だよ」と言われた。
 伝説の部屋という言葉にわくわくしながら3階の奥へ行くと「電気設備課」があった。


【評論家といふ者】
 小林秀雄の娘が、学校の試験ですごく難しい文章が出てうまくできなかったと言って、問題用紙を父親に見せた。
 小林秀雄「誰だこんなわけのわからん文章を書いた奴は」
 娘「お父さんよ」


【女子高生の間で噂の怪談】
 電車の中での女子高生たちの会話
 A「めっちゃ怖い話し聞いた」
 その他「何?」
 A「一人暮らしのうちのおばあちゃんに電話がかかてってきて、
   出てみたら『お母さん?俺やけど・・・・』って言って。
   おばあちゃんが『ヨシカズか?』って聞いたら『うん』って・・・
   でも、ヨシカズおじさんって去年、交通事故で死んでるねん」
 その他「えぇ~!!怖いーーー!!!それで?」
 A「『・・・俺、事故起こして・・・・』って言うから、おばあちゃん泣いてしもて
   『もう、事故の事は気にせんでいいから、成仏して・・・・』言ったんやて」
 その他「うっわー、怖い~」「せつないーーー」「ほんまにあるんやなぁー、そんな話」


【結婚相手の見極め方】
 ある男が、自分を愛している3人の女の中で、誰を結婚相手にするか長いこと考えていた。
 そこで彼は3人に5000ドルずつ渡し、彼女らがその金をどう使うか見ることにした。
 ひとり目の女は、高価な服と高級な化粧品を買い、最高の美容院に行き、自分を完璧に見せるためにその金を全て使って、こう言った。
 「私はあなたをとても愛しているの。だから、あなたが町で一番の美人を妻に持っているとみんなに思ってほしいのよ」
 ふたり目の女は、夫になるかも知れないその男のために新しいスーツやシャツ、車の整備用品などを買って、残らず使いきるとこう言った。
 「私にとってはあなたが一番大切な人なの。だからお金は全部あなたのために使ったわ」
 最後の女は、5000ドルを利殖に回し、倍にして男に返した。
 「私はあなたをとても愛しているわ。お金は、私が浪費をしない賢い女であることをあなたに分かってもらえるように使ったのよ」

 男は考え、3人の中で一番おっぱいの大きい女を妻にした。


【受験生を煽る一言】
 受験を前にしたある日、全校朝会で校長が
 「さあ、サジは投げられた!」

 ・・・「賽」ですね。


【船火事】
 ある船に火災が発生した。船長は、乗客をスムーズに海へ飛び込ませるために、
 イギリス人には「紳士はこういうときに飛び込むものです」
 ドイツ人には「規則では海に飛び込むことになっています」
 イタリア人には「さっき美女が飛び込みました」
 アメリカ人には「海に飛び込んだらヒーローになれますよ」
 ロシア人には「ウオッカのビンが流されてしまいました、今なら間に合います」
 フランス人には「海に飛び込まないで下さい」
 中国人には「おいしそうな魚が泳いでますよ」
 北朝鮮人には「今が亡命のチャンスですよ」
 日本人には「みんなもう飛び込みましたよ」
 大阪人には「阪神が優勝しましたよ」と伝えた。


【通常の6倍】
 ある大学で教授が女生徒Aに、
 「適当な条件下で、大きさが通常の6倍になる体の器官を挙げてください。
  その時の条件も言って下さい」と質問をした。
 指名された女生徒Aは、顔を真っ赤にしながら冷ややかに
 「これは適切な質問ではありません。この件は学校に告発します」
 と答えた。しかし教授は平然としたまま、別の生徒に同じ質問を繰り返した。

 次の女生徒Bは落ち着いて答えた。
 「目の中の瞳です。暗いと大きくなります」

 「正解です」「それからAさんには言いたいことが三つあります」と教授は続けた。

 「ひとつ、授業は真面目に聞きなさい」
 「ふたつ、あなたの心は汚れています」
 「みっつ、6倍になるなんて思っていたらいつの日か本当にがっかりする日が来ます」


【いくらでもある物】
 ある時、ロシアの列車で旅行中のロシア人と中国人、日本人の公務員と日本人の会社員が乗り合わせた。
 列車の旅は長く、昼になると中国人がフカヒレスープを食したが、半分ほど食べると窓から投げ捨ててしまった。
 「もったいない」と日本人がいうと、中国人は
 「私の国にはいくらでもあるね」と説明した。
 夜になると今度はロシア人がウォッカを飲み始めたが、これもやはり半分ほど飲み干すと窓から投げ捨ててしまった。
 「もったいない」と日本人が言うと、ロシア人は
 「俺の国には腐るほどあるんだよ」と説明した。
 しばらく考え込んだ日本人は公務員を窓から投げ捨てた。


【ビフォーアフター】
 ある不良が先生から「君はわが校のゴミだ」と言われた。
 卒業後、彼が更正して出世すると「君はわが校のホコリだ」と言われた。


【病院】
 「おたくの病院は正月には閉めるんですか」
 「はい、正月ですから」
 「もし、万が一のことがあったらどうするんですか」
 「大丈夫ですよ。火葬場はやってますから」


【理不尽】
 俺は差別と黒人が嫌いだ。


【ボケ】
 昨日、お爺ちゃんがボケ防止の本を買ってきた。
 今日も買ってきた。


【おじいちゃん】
 じいちゃんが「犬を捨てに行ってくる」と言って犬を連れて出かけました。
 犬の方が先に帰ってきました。


【疑問】

牛を笑わせたら、鼻から牛乳が出るか?

アルファベットがあの順番なのは何故だ? あの歌のせいか?

アメリカ人が結婚式で米を投げるなら、アジア人はハンバーガーを投げるのか?

音速と光速があるのに、匂速はないのか?

最初に牛を見て「このぶらぶらしている部分を握って、出たものを何でも飲んでみよう」と思った奴は誰だ?

バレエダンサーは爪先立ちで踊るが、もっと背の高い奴らを雇わないのは何故だ?

ターザンにひげがないのは何故だ?

スーパーマンは銃弾を跳ね返すのに、銃を投げつけられると屈んでよけるのは何故だ?

パスタとアンティパスタを食ったのに、腹が減らないのは何故だ?


【誕生日】
誕生日に義父が
「これで何か美味しいものでも食べなさない」
と言って割り箸をくれた。

【虫取り】
幼稚園の頃、家の割と近くに役場があった
近所のおじさんに、役場に町長がいると聞いて、
虫取りアミ・虫カゴを持ち役場へ・・・
後、町長室で菓子をご馳走になってた所で、じーさんが迎えにきた。
苦笑いしてたっけ。




※ネタ元
 http://yet.s61.xrea.com/mt/
 http://blog.livedoor.jp/chnet2/
 http://momom.seesaa.net/


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