「ゴジラとともに 東宝特撮VIPインタビュー集」という本を読みました。インタビューされているのは、宝田明さん、小泉博さん、土屋嘉男さん、佐原健二さん、佐藤充さん、夏木陽介さん、久保明さん、藤岡弘さん、若林映子さん、水野久美さん、ゴジラの中に入っていた中島春雄さん、特撮スタッフだった井上泰幸さん、やはり特撮スタッフだった開米栄三さん、スクリプターだった鈴木桂子さん、特撮監督だった中野昭慶さん、円谷英二没後、その役割を継いだ川北紘一さん、平田昭彦さん、河内桃子さんという面々でした。
さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず6月23日に掲載された「失敗への道」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「開幕まで一カ月。誰が何を言おうと観客を入れてやる気なんだ、というところまで東京五輪の状況は来てしまった。
中止か開催なのかの議論はウヤムヤになり、有観客か無観客かの議論も飛ばして気がつけば上限一万人、開会式は二万人、IOCとスポンサー関係者は別枠、あと酒も…みたいな話になっている。
すでに指摘されているように、主催者側のやり口は旧日本軍にそっくりだ。敗戦の原因を分析した『失敗の本質』は日本軍の特質を〈やってみなければわからない、やれば何とかなる、という楽天主義〉と評している。
〈日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向〉が強く〈一見科学的思考らしきものがあっても、それは「科学的」という名の「神話的思考」から脱しえていない〉。
その結果、先の戦争は日本人だけでおよそ三百万人の犠牲者を出した。日本軍は同胞も簡単に裏切った。そのもっとも悲惨な例が、沖縄戦における集団自決だろう。
かくてこの国は再び敗戦に向かって歩き出している。菅首相は「緊急事態が出されたら無観客も辞さない」と語ったが、五輪ありきで進んできたこれまれの経緯を見れば、誰が信用できますか。失敗は繰り返すまい。犠牲者を増やさないため、ぎりぎりまでギャンギャン言い続けよう。」
また、6月20日に掲載された「鈴木安蔵」と題された前川さんのコラム。
「18日付の本紙夕刊は、福島県南相馬氏の鈴木安蔵の生家を記念館とする計画を伝え、鈴木を「日本国憲法の間接的起草者」と紹介していた。
鈴木は京都帝大在学中に治安維持法違反で投獄された。出獄後の1933年、吉野作造の支援による研究成果「憲法の歴史的研究」を著すも即日発禁処分とされる。
1936年、鈴木は自由民権運動の思想家植木枝盛が起草した「日本憲法」を発見する。そこには「日本国ノ最上権(主権)ハ日本全民二属ス」と書かれていた。
敗戦後、鈴木は「憲法研究会」に参画し、「憲法草案要綱」を起草。この時「(植木)ら祖先以来の伝統を生かして本当の民主国家を造らなければと意欲に燃えた」と後に語っている。GHQはこの憲法草案の自由主義的・民主主義的内容を高く評価し、GHQ草案を起草する際の参考とした。
研究会の一人、森戸辰男にも獄中体験があった。衆議院議員となった森戸は帝国議会の委員系で生存権の追加を提案。今の25条になった。
憲法97条は「この憲法が日本国民に基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり、「過去幾多の試練に堪へ」たものだと言う。そこには植木枝盛や吉野作造、森戸辰男や鈴木安蔵の努力と試練が含まれている。この憲法は決して押し付け憲法ではない。」
そして、6月27日に掲載された「天皇の公的行為」と題する前川さんのコラム。
「「天皇は五輪開催による新型コロナの感染拡大をご懸念と拝察」。西村宮内庁長官の24日の発言は、天皇の強い思いを代弁したものだ。菅首相は苦々しく思っているに違いないが、西村氏個人の見解と説明することは、事前に調整清みだと思われる。天皇はご自身の五輪開会式への出席が感染拡大を助長しないか心配しているのだろう。5月30日の植樹祭はリモート出席だった。
五輪や植樹祭に出席して「おことば」を述べるなどの「ご公務」は、憲法上内閣の助言と承認を必要とする「国事行為」ではない。学説上「天皇の公的行為」と呼ばれ、その性質には諸説ある。天皇だって人間だから五輪による感染拡大を心配するのは当然だ。人権を著しく制限されているとはいえ、天皇にだって一定の言論の自由や営業の自由は認められるべきだ。「公的行為」も、常に政府の言うとおりにやらなくてもいい。少なくとも天皇の拒否権は認めるべきだと思う。
安倍前首相は2013年4月28日「主権回復の日」の式典に前の天皇皇后の出席を求め、最後に「天皇陛下万歳」を唱えた。あれは天皇の政治利用だった。前の天皇自身は内心では出席したくなかったのではないかと「拝察」する。
今の天皇には、五輪の開会式に行きたくないなら行かなくていいですよと申し上げたい。」
どれも一読に値するコラムでした。
さて、恒例となった、東京新聞の水曜日に掲載されている斎藤美奈子さんのコラムと、同じく日曜日に掲載されている前川喜平さんのコラム。
まず6月23日に掲載された「失敗への道」と題された斎藤さんのコラムを全文転載させていただくと、
「開幕まで一カ月。誰が何を言おうと観客を入れてやる気なんだ、というところまで東京五輪の状況は来てしまった。
中止か開催なのかの議論はウヤムヤになり、有観客か無観客かの議論も飛ばして気がつけば上限一万人、開会式は二万人、IOCとスポンサー関係者は別枠、あと酒も…みたいな話になっている。
すでに指摘されているように、主催者側のやり口は旧日本軍にそっくりだ。敗戦の原因を分析した『失敗の本質』は日本軍の特質を〈やってみなければわからない、やれば何とかなる、という楽天主義〉と評している。
〈日本軍の戦略策定は一定の原理や論理に基づくというよりは、多分に情緒や空気が支配する傾向〉が強く〈一見科学的思考らしきものがあっても、それは「科学的」という名の「神話的思考」から脱しえていない〉。
その結果、先の戦争は日本人だけでおよそ三百万人の犠牲者を出した。日本軍は同胞も簡単に裏切った。そのもっとも悲惨な例が、沖縄戦における集団自決だろう。
かくてこの国は再び敗戦に向かって歩き出している。菅首相は「緊急事態が出されたら無観客も辞さない」と語ったが、五輪ありきで進んできたこれまれの経緯を見れば、誰が信用できますか。失敗は繰り返すまい。犠牲者を増やさないため、ぎりぎりまでギャンギャン言い続けよう。」
また、6月20日に掲載された「鈴木安蔵」と題された前川さんのコラム。
「18日付の本紙夕刊は、福島県南相馬氏の鈴木安蔵の生家を記念館とする計画を伝え、鈴木を「日本国憲法の間接的起草者」と紹介していた。
鈴木は京都帝大在学中に治安維持法違反で投獄された。出獄後の1933年、吉野作造の支援による研究成果「憲法の歴史的研究」を著すも即日発禁処分とされる。
1936年、鈴木は自由民権運動の思想家植木枝盛が起草した「日本憲法」を発見する。そこには「日本国ノ最上権(主権)ハ日本全民二属ス」と書かれていた。
敗戦後、鈴木は「憲法研究会」に参画し、「憲法草案要綱」を起草。この時「(植木)ら祖先以来の伝統を生かして本当の民主国家を造らなければと意欲に燃えた」と後に語っている。GHQはこの憲法草案の自由主義的・民主主義的内容を高く評価し、GHQ草案を起草する際の参考とした。
研究会の一人、森戸辰男にも獄中体験があった。衆議院議員となった森戸は帝国議会の委員系で生存権の追加を提案。今の25条になった。
憲法97条は「この憲法が日本国民に基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であり、「過去幾多の試練に堪へ」たものだと言う。そこには植木枝盛や吉野作造、森戸辰男や鈴木安蔵の努力と試練が含まれている。この憲法は決して押し付け憲法ではない。」
そして、6月27日に掲載された「天皇の公的行為」と題する前川さんのコラム。
「「天皇は五輪開催による新型コロナの感染拡大をご懸念と拝察」。西村宮内庁長官の24日の発言は、天皇の強い思いを代弁したものだ。菅首相は苦々しく思っているに違いないが、西村氏個人の見解と説明することは、事前に調整清みだと思われる。天皇はご自身の五輪開会式への出席が感染拡大を助長しないか心配しているのだろう。5月30日の植樹祭はリモート出席だった。
五輪や植樹祭に出席して「おことば」を述べるなどの「ご公務」は、憲法上内閣の助言と承認を必要とする「国事行為」ではない。学説上「天皇の公的行為」と呼ばれ、その性質には諸説ある。天皇だって人間だから五輪による感染拡大を心配するのは当然だ。人権を著しく制限されているとはいえ、天皇にだって一定の言論の自由や営業の自由は認められるべきだ。「公的行為」も、常に政府の言うとおりにやらなくてもいい。少なくとも天皇の拒否権は認めるべきだと思う。
安倍前首相は2013年4月28日「主権回復の日」の式典に前の天皇皇后の出席を求め、最後に「天皇陛下万歳」を唱えた。あれは天皇の政治利用だった。前の天皇自身は内心では出席したくなかったのではないかと「拝察」する。
今の天皇には、五輪の開会式に行きたくないなら行かなくていいですよと申し上げたい。」
どれも一読に値するコラムでした。