渡島学区の中で高校再編上、函館はもう一つやっかいな問題を抱えている。
それは、私立高校の存在だ。
函館市内の市立函館高校を含めた公立の定員数の合計は、1,560人。(定時制200人含む。)
対する私立高校は、1,540人である。
公立高校の中で定員割れを起こしているのは、定時制を持つ3校の道立高校と南茅部高校のみである。
全日制に限っていえば、南茅部高校のみだ。
対する私立高校は、8校で271人の欠員、単純に学級数でいえば7学級分だ。
この私立高校が定員を絞らなければ、ますます公立高校の定員割れは深刻となる。
とはいうものの、私立は経営上の問題もあることから、おいそれと縮小するわけにもいかない。むしろ、公立の枠が減ってもらわなければ死活問題だ。
実際に、一部の学校では深刻な事態にあるらしい。
だからといって、私立は必要ない、全部公立で賄えばよいのでは?という意見を言う方もいるかもしれないが、僕は基本的に反対だ。
なぜなら、教育の原点は私学にあり、そこに建学の精神が脈打っているからである。
こうした私学がなければ、教育は画一的なものになり、体制に都合のよい人間だけを育てることになりかねないからである。
僕が自身の高校を公立にしたのは、金銭的に苦しかったからであり、そうでなければ別の選択をしたように思う。
函館市外の渡島とは違い、せっかく選択の自由があるのに、これを潰すのは、まったくもって問題意識が低いといえよう。
僕は、教育はすべからく私学を補完するのが公立の役割と思っている。
したがって、理想は教育程度が高いのが私学で、その下に公立があるべきとも思っている。
しかし、地方都市の悲しさか、函館市では未だ、公立が上という意識を捨てきれない古い世代が多い。
平成32年度には函館市内の中卒者は、2,009人。半数ずつ公私が定員を保とうとしても、それぞれ10学級ほどの削減が必要、当然高校教育から撤退する私学が複数出てくることになる。
切磋琢磨の度合いは、さらに厳しくなり、それぞれの生徒獲得競争も激化、公立との共存は諦め、自らの道を歩むことになるかもしれない。
そうしたときに、飛躍はしているが、函館市内の公立高校は、低所得家庭、低学力者の受け皿に過ぎなくなるのかもしれない。(教育の程度は、家庭の所得に比例しているというのが昨今の現状である。)
次回は、もう一つの問題。市立函館高校の存在だ。
それは、私立高校の存在だ。
函館市内の市立函館高校を含めた公立の定員数の合計は、1,560人。(定時制200人含む。)
対する私立高校は、1,540人である。
公立高校の中で定員割れを起こしているのは、定時制を持つ3校の道立高校と南茅部高校のみである。
全日制に限っていえば、南茅部高校のみだ。
対する私立高校は、8校で271人の欠員、単純に学級数でいえば7学級分だ。
この私立高校が定員を絞らなければ、ますます公立高校の定員割れは深刻となる。
とはいうものの、私立は経営上の問題もあることから、おいそれと縮小するわけにもいかない。むしろ、公立の枠が減ってもらわなければ死活問題だ。
実際に、一部の学校では深刻な事態にあるらしい。
だからといって、私立は必要ない、全部公立で賄えばよいのでは?という意見を言う方もいるかもしれないが、僕は基本的に反対だ。
なぜなら、教育の原点は私学にあり、そこに建学の精神が脈打っているからである。
こうした私学がなければ、教育は画一的なものになり、体制に都合のよい人間だけを育てることになりかねないからである。
僕が自身の高校を公立にしたのは、金銭的に苦しかったからであり、そうでなければ別の選択をしたように思う。
函館市外の渡島とは違い、せっかく選択の自由があるのに、これを潰すのは、まったくもって問題意識が低いといえよう。
僕は、教育はすべからく私学を補完するのが公立の役割と思っている。
したがって、理想は教育程度が高いのが私学で、その下に公立があるべきとも思っている。
しかし、地方都市の悲しさか、函館市では未だ、公立が上という意識を捨てきれない古い世代が多い。
平成32年度には函館市内の中卒者は、2,009人。半数ずつ公私が定員を保とうとしても、それぞれ10学級ほどの削減が必要、当然高校教育から撤退する私学が複数出てくることになる。
切磋琢磨の度合いは、さらに厳しくなり、それぞれの生徒獲得競争も激化、公立との共存は諦め、自らの道を歩むことになるかもしれない。
そうしたときに、飛躍はしているが、函館市内の公立高校は、低所得家庭、低学力者の受け皿に過ぎなくなるのかもしれない。(教育の程度は、家庭の所得に比例しているというのが昨今の現状である。)
次回は、もう一つの問題。市立函館高校の存在だ。
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