”ばっきん”のブログ

日常生活中心のブログです。
平成28年9月から妻と息子、母の4人で暮らしています。

函館の夜景は浪費の象徴?・・・ECOに逆行する地域

2010年10月06日 21時47分41秒 | 地域
函館の観光の目玉は,先頃TV番組「美の壺」でも紹介されている「夜景」である。
「函館の夜景」が脚光をあびたのは,第二次世界大戦後になる。
戦前は,そもそも函館山は要塞が築かれた場所であるため,一般人の入山はもとより,写真撮影も禁止されていたという。
したがって,戦後の復興の象徴が夜景なのである。
函館山の夜景がきれいなのは,陸繋島として東西が海であるため,砂州の細い部分に光が集中するからである。
しかし,それだけではきれいにはならない。重要なファクターに光源の多さがあげられる。
函館は,おそらく私が感ずる限りでは,地方都市としては,街灯が多いまちである。街灯と街灯の間の距離が短い。
近年では,さらに公会堂などの観光スポットをライトアップしたり,クリスマスファンタジーなどを催して,ひかりの発散に拍車をかけている。

函館は,産業構造上,生産の町ではなく,消費の町である。そうしたところから,市民も自然に消費に力点をおくクセがついており,貯蓄率も芳しくないはずだ。そうした,消費の気風が,中核市で全国一の生活保護率を生むきっかけになっていると主張するのは言い過ぎではない。

たくさんの電力を消費する夜景が売り物の町は,どう考えてもECOな町ではない。
観光も消費に力点がおかれるなら,やはりECOではない。

私がこの点を憂慮するのは,なにもあまのじゃくだからではない。実際に西部地区に住んでみると解るのだが,夜は人通りの本当に少ない町並みに煌々と街灯が点灯している大通りをみているとむなしさがこみあげてくるからである。
西部地区は,住人が減少し,高齢化も速度を上げている。結局,夜景を維持するために無駄な電力が使用されていることを認識しなければいけないのではないか。

時代は,確実にマーケットの縮小の方向に向かいつつある。無駄との絶縁が新しい函館を生むのではないだろうか。
夜景に頼る構造は,いろんな意味での浪費を糾弾する根拠となり得るのである。