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グラムシの陣地戦論

2011年03月22日 | サ行
 グラムシがその革命論の中で機動戦と陣地戦という語を使って考えていることを、私は2年前に知った。私自身の陣地戦主義という考えを反省して深めるのに何か役立つのではないかと想像してきた。しかし、グラムシの文は分かりにくい上に、いい訳が無いらしいという話も聞いていて、いまだに直接グラムシを読んではいない。しかし、ほとんど研究されていないらしいこの問題を、石堂清倫(いしどう・きよとも)氏が『現代変革の理論』(青木書店、1962年刊)の第5章で主題的に取り扱っているらしいことも分かった。ようやくこの本を手に入れたので、私見をまとめてみた。

1、グラムシの考え

 石堂氏によると、グラムシの考えは次のようである。

 「グラムシは革命闘争の形態を運動(機動)戦と陣地戦の2つに分けた。運動戦というのは、権力獲得のための革命的攻撃にあたる。われわれの常識では、革命概念はまずこの運動戦につきている。そしてそれなりの歴史的根拠があったのである。これに対して、革命的攻撃がさしあたり可能でないか、または革命的攻撃を可能にする以前の準備としておこなわれる動作を、彼は一括して陣地戦と言っている。彼は社会構造を陣地に見たてたのである。

 彼の言葉によると、『現代の民主主義の巨大な構造は、国家組織としても、文化生活のなかの各種団休の総体としても、政治技術にとっては陣地戦のために構築された塹壕や要塞のようなものである』。だから、これらの陣地を1つ1つ攻略することなしに、いきなり総攻撃をおこなえば、友軍は大きな損害を受けて退却しなければならなくなる。つまり国家権力の攻略に成功できない。

 古い時代には運動戦形態が階級闘争のすべてであったけれども、いまの新しい段階では、それはすべてではなく、全体の闘争の1つの部分になっている。あるいは、過去には運動戦は戦略的機能を持っていたが、いまではその機能は戦術的なものに引き下げられたということもできる。社会機構が単純なものから複雑なものに変化しているからである。

 もともと国家権力を単純に抑圧機構、暴力装置だけに還元するのは一面的である。特に近代社会の発展にともなって国家は複雑な諸要素からなる1つの体系となった。その要素のうちできわめて重要なものであるとはいえ、暴力装置だけを選び出してこれを打倒することは困難である。多くの陣地から成る体系であることを無視し、すべての陣地を飛び越えて主陣地に迫ることが困難なのと同じことである」(208-9頁)。

 石堂氏はまたこうも言っている。

 「グラムシによると、恐慌の襲来、あるいはなんらかの危険に際会して『国家』が動揺しはじめると、市民社会の頑強な構造が姿をあらわし、国家をつよく支える。すなわち市民社会の上部構造が積極的に体制を維持し、戦闘における塹壕体系の役割を果すのである。国家はこれらの塹壕体系中の1つの前進陣地である。前進陣地を攻略しても、その周辺に要塞と砲台の頑強な連鎖が依然として聳え立っている。したがってこの市民社会の上部構造、陣地戦における防禦体系にあたるものを具体的に研究し、詳細な戦闘計画をたてなければならない。

 市民社会にあって〔は〕ブルジョアジーのヘゲモニーが支配している。これをプロレタリアートのヘゲモニーによる指導に転化することがこれらの連鎖陣地の攻略内容である。物理的に粉砕しなければならない暴力装置と粉砕してはならない経済機関の区別は、すでにマルクスもレーニンもおこなったが、陣地戦における作業には、知的道徳的指導による社会的ヘゲモニー確立の側面が存在していることを繰り返し述べておきたい」(217頁)。

 そして、石堂氏はこのグラムシ説はマルクスとエンゲルスとレーニンの説の発展だとして、マルクス著『フランスにおける階級闘争』に対して1895年に寄せたエンゲルスの序文からいくつかの命題を引用している。その中でとくにここと関係のある句を拾うならば、それは次の句であろう。

 「ただ1度の打撃で勝利を収めることは思いもよらず、~1陣地、1陣地と、おもむろに前進しなければならない」

 「奇襲の時代、自覚したわずかな少数者が無自覚な大衆の先頭に立っておこなう革命の時代はすぎさった」(219頁)。

 これでほぼ分かる。グラムシによる機動戦は国家権力の中の暴力装置に対する直接的戦いで、それは革命の暴力によらなければならず、やるなら奇襲になるから、それを機動戦と呼ぶ、ということであろう。それに対して陣地戦とは、国家の諸要素の内の暴力装置でない部分との戦いであり、それは知的道徳的な力で戦わなければならず、1分野ずつ征服していくことになる、ということであろう。

 しかし、この考えでいくと、中国革命はどっちだったのだろうか。ロシア革命の場合と同様、市民社会があまり発達していなかったから、軍事が中心になった点では同じだが、革命根拠地を築いて陣地を広げていく持久戦的なやり方は違うと思う。

 つまり、グラムシが暴力装置との戦いとそれ以外の要素との戦いを機動戦と陣地戦という語で分けたのは不正確であった。では、この両者の区別はどう捉えるべきか。機動戦と陣地戦という語はどう使うのが正しいか。そこへ進む前に、グラムシはどういう問題を考える中でそのような用語を使うようになったのか、つまりグラムシの問題意識を確認しておこう。

2、グラムシの問題意識

 グラムシの問題意識はロシア革命を説明することだったらしい。ロシア革命は『資本論』に反するのではないかとの疑問から出発したようだ。すなわち、「グラムシによると、ロシアでは市民社会はまだ原始的であり、ゼラチン状であった。そこでは国民生活のカードル〔幹部〕が萌芽的で、ゆるんでおり、国家体制を防衛する『塹壕や要塞』にはまだなれない。市民社会が未発達であり、国家がほとんど全てであった。だから、国家機関に対する革命的攻撃が比較的に容易だったのである。

 だが運動戦形態を必然とする初歩的な段階にある社会には、社会主義革命が可能であるだろうか。それは1つの政治革命ではあっても、真の社会主義革命として完成するには、別の条件が必要ではなかろうか。その条件は1917年以後でも農民国ロシア内部には存在せず、これを西欧先進諸国の『世界革命』に求めるべきではないか。これがトロツキーたち『永久革命論者』および一般に古い社会民主主義者に共通する疑問であった。ロシア革命の運動戦的形態と、社会主義的内容に矛盾はあるか否か」(215頁)。

 そして、この問題にグラムシは次のように考えたらしい。「社会主義革命〔ロシア革命〕がジャコバン的形態を採ったことは事実である。だが、フランス革命のジャコバン派は中間層であってプロレタリアートではなかった。ロシアには、革命的生成の最終の論理的環であるボリシュヴィキ党が最初から存在した。それはリレーの第1走者であり最終走者でもある。ボリシェヴィキは、労働者と農民を結集する組織形態としてのソヴェト〔労農評議会〕を中心にすえた。ソヴェトを通じて階層秩序の塹壕を作り上げることができた。ボリシェヴィキはソヴェトの末端において真の大衆を、国民の多数者を結集することができたのである。もっとも遅れた国で進んだ革命を遂行するために、レーニンたちがどのような闘争手段と組織形態を結合したか。形態のジャコバン性と内容のプロレタリア性の結合には必然の根拠があったというのが、グラムシの見解であった」(216-7頁)。

 即ち、グラムシの考えは次の3点にまとめられる。①社会主義革命は生活の全側面の変革であって、単なる政治革命ではないから、全国民をまき込まなければならない。②市民社会が十分確立されている国では、その市民社会を少しずつ変革していく陣地戦しかない。③市民社会が十分発達していない国では運動戦になるが、国民の多数者をまき込み獲得していく手段を創り出さなければならない。

3、陣地戦主義

 われわれの陣地戦主義をまとめる所に来た。

 まず、これらの議論の前提となる国家観について2つのことを確認しておかなければならない。第1は、国家とか「くに」の概念と本質を分けることである。国家というのは、その漢字から分かるように、家族的共同体的情愛的な人間関係をひとまとまりの地域社会に投影して作られた観念であり、語ではなかろうか。それは「くに」と呼ばれる時、「ふるさと」的包容力を持つものとさえ考えられている。私はこれを「国家の概念」と呼ぶ。

 それに対して、我々が生きている階級社会の国家には、支配階級が他の階級の反抗を抑圧したり、外国を侵略したりするための暴力的要素と、国民の日常利害の調整や福祉のための共同体的要素との2つがある。唯物史観は前者の要素こそ主たるものであり、支配的だと考えている。これが「国家の本質」であり、「国家の実態」である。このように分けて初めて、真の愛国心とは「国家の概念」の立場から「国家の実態」を考えることだと分かり、「国家の実態」を無批判に肯定するニセの愛国心と戦えるのではなかろうか。

 さて、国家の実態にはその2要素があるのだが、それぞれの要素も決して単純ではなく、様々な人間関係から成り立っている。同じ日本の軍隊の組織も時と共に変わっているし、環境問題が出てくると環境庁が作られるし、女性の大臣が生まれたと話題にもなる。つまり、国家の実態の中身は「政治的人間諸関係の総和」と言い換えることができる。これはもちろん国民の経済生活を「生産諸関係の総和」としたマルクスの考えに連なるものであるが、ここでの「生産」は広義なので、他との対比も考えて、「経済的諸関係の総和」と表現したい。こう取ると、残る分野は広義の文化生活であり、その中身は「文化的諸関係の総和」と表現できる。

 この表現で大切な所は、人間関係を物質的関係と観念的イデオロギー的関係に二分しないで、後者を政治とそれ以外の文化に細分して、3つに分けた事である。もう1つは、「諸関係の総和」という捉え方である。外でナントカ運動をやりながら、自分の家庭を正すことのできない「活動家」とやらを見るにつけ、この「諸関係の総和」という表現の意味はもっと注目されてよいと思う。

 さて、このように人間生活の諸分野が様々な人間関係から成っていることが確認された今、更に、その人間関係を何らかの恒常性のあるものと一時的なものとに分けてみる。その時、前者を比喩的に「陣地」とし、後者を「野」と言うことができる。従って、ある仕事をするのに恒常性のある人間関係(組織)を作って進める活動方式を陣地戦と呼び、一時的な人間関係で処理する方式を機動戦と呼ぶことができる。

 実例で考えてみよう。政党の支部会議が定期的に開かれて活動を進めるのは陣地戦だが、何か事があった時だけ集まるのは機動戦である。会社の仕事のやり方を向上させるためのQCサークルを作るのは陣地戦だが、何かあった時だけ話し合うのは機動戦である。会の運営が民主的かどうかを反省するための「民主主義の時間」を常設しておくのは陣地戦だが、誰かの問題提起があった時だけ話し合うのは機動戦である。プロジェクト・チームとか「○○闘争本部」とか特別捜査本部などはかなり陣地戦に近いとはいえやはり機動戦だと思う。しかし、出てくるのが分かっている急ぎの用のために「すぐやる課」を常設するのは陣地戦と言ってよい。

 残る問題は、陣地戦と機動戦をどう使うか、その一般原則は何かということである。私はそれを「陣地戦を基本にし、時に応じて機動戦を使う」と定式化したい。そして、これを「陣地戦主義」と呼ぶのである。

 これに対する反論ないし疑問がいくつか予想される。いや、実際に聞いてもいる。第1は、政治的自由の無い国ではゲリラ戦で始めるしかない、という考えである。「初め」はそうだろうが、発展すれば陣地戦に比重を移さざるをえない。だから、それは陣地戦主義と矛盾しない。

 第2は、恒常的な組織を作ると惰性でマンネリになり、そこから内部権力が発生する、という考えである。実際、べ平連などはこういう考えで、毎回のデモに集まった人がその場限りでの会員だという考えだったらしい。しかし、これでは抵抗運動なら出来るかもしれないが、建設運動は出来ない。それにやはり大きい力にはならないと思う。べトナム戦争はべ平連だけの力で止まったのでもなければ、べ平連が特に大きい力を発揮したのでもない。マンネリ化と内部抑圧権力への対策は別に考えるべきであろう。

 グラムシは、陣地戦では知的道徳的指導以外にないとした。ということは、大衆から尊敬されるような人だけで前衛党を作るべきだということである。しかし、実際には、世の自称前衛党では、「党の綱領に賛成します」と言えば、どんなチンピラでも入党できる。そして、そういう人たちは「知的道徳的指導」が出来ないから、自分が自称前衛党に入っていること自体を鼻にかけ、「理論と実践の統一」とやらを振り回して、政治ごっこを強要する。グラムシ理論に基いて構造的改良を掲げるイタリア共産党は、精鋭だけを集めて「知的道徳的指導」をしているのだろうか。

 終わりに。以前、私が「哲学主義の政治」の中で「本質論主義の運営」を書いた所、ある人からお便りをいただいた。その方も食べ物運動の中で、反原発運動を強引に持ち込もうとする人々に困ったので、拙稿をいちいちうなづいて読んだ、というありがたい文面であった。しかし、その方は、私が定式化した4点の内、①と②に賛意を表して下さったが、③と④には発言が無かった。即ち、会としての行動決定を最少限にし、言論の自由は最大限認めるというのだが、この区別を保証するためのラウンド制や「民主主義の時間」の意義にはとまどったらしいのである。

 たしかに「民主主義の時間」を設けているのは私たちの自然生活運動動だけかもしれない。大した問題も起きていない段階でそういう事を反省する時間を制度化するのは、大げさにも思えるだろう。しかし、ヤマギシ会はもちろん、エクセレント・カンパニーと言われる企業では、内部の意思疎通を重視し、その方法の改善に日夜心を砕いているのではあるまいか。 (1989年11月05日)

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