神戸元町は、東から西へ賑やかな1、2丁目を過ぎて少しレトロに感じる3丁目と言う場所に嵌っている。明治45年創業で今年で百年と言う洋品店は、日本初の毛糸の仕入れを初めたそうだ。古いアルバムを開いて「祖母が異人さんのセーターに疑問を持ち当時、日本に居なかった"羊"と言う動物を教えて貰った所から始まったのです」とそこの初老の社長さんが古いアルバムで説明して貰ったのが最初。又、この辺りに未だに「○○傘店」と言う傘専門店があり、店の中は珍しい傘を含めて無数の傘ばかりで「以前は7店あったのてすが、今は3店になりました」・・・子供の頃、傘は専門の傘屋さんで買うのが当然だった懐かしさを思い出したが、全国で消えても神戸にはまだ残っているのが不思議だ、。こんな具合に、創業百年を越える家具も、店構えも立派なコーヒー喫茶なども多く 店主らしいお婆さんが必ず入口に座っている。多分「コーヒーが美味しかった」とでもお礼をしたら お店のルーツを延々と聞かされるだろう。傘屋さんも、老舗のコーヒー店もーにも 日常会話で付き合える律儀な常連さんが必ずいてくれて街並みも、お店も昔ながらに存続できる居心地の良い秘密の場所なのだろう。私にとっては、特別に歴史に興味があると言う程では無くてもそんな商店街の歴史を聞くと昔、外国文化が日本に入って来た様子が生々しく理解できてとても興味深い。今なら語れる方が、この街にはまだ多く残っているのだ。
今日も、いつも店前を行く人に入れたてのお茶を振る舞う 老舗の御茶屋に立ち寄る。友人が珍しくお茶を購入したので、お店の中を見させて貰おうと中に入ってみた。驚いたのは店内の奥に積み上げられた茶箱とか、大きな葉茶壺とか時代物の沢山の調度品。「何時頃の物ですか」に聞いたら、たまたま居られたこの店の女社長さんだった。「創業170年、江戸時代になり出所は京都宇治の茶畑を持つ仕事をしていて京都と元町に店を持つ」そうだ。1867年(慶応3年)神戸開港で、日本茶輸出を手掛けたが 船に要望のあったコーヒーを積んで帰ったのが国内初の喫茶店を開業することになったきっかけだそうだ。明治11年の新聞にこのお店の「琲加販売と店頭にて喫茶自由」と言う広告を、神戸美術館所蔵の記録コピーがあるとそれを紹介して頂く。「この記事にも歴史にも記録され、元町は離れられない」と言う社長さん・・毎日、常に通行人にお茶を出すのも「喫茶自由」と言って琲加を振る舞った時代の名残りなのかも知れない。帰って、一番古い老舗かも知れない・・・と創業の歴史をWEBを読んでみたのだが、フィリピンに輸出した御茶はもしかして紅茶になってイギリスに渡ったのでは・・・更に興味が尽きなくなった。



神戸博物館 所蔵 明治時代の小冊子「神戸の魁」、なるほど日本初の喫茶・・コーヒーの看板。
今日も、いつも店前を行く人に入れたてのお茶を振る舞う 老舗の御茶屋に立ち寄る。友人が珍しくお茶を購入したので、お店の中を見させて貰おうと中に入ってみた。驚いたのは店内の奥に積み上げられた茶箱とか、大きな葉茶壺とか時代物の沢山の調度品。「何時頃の物ですか」に聞いたら、たまたま居られたこの店の女社長さんだった。「創業170年、江戸時代になり出所は京都宇治の茶畑を持つ仕事をしていて京都と元町に店を持つ」そうだ。1867年(慶応3年)神戸開港で、日本茶輸出を手掛けたが 船に要望のあったコーヒーを積んで帰ったのが国内初の喫茶店を開業することになったきっかけだそうだ。明治11年の新聞にこのお店の「琲加販売と店頭にて喫茶自由」と言う広告を、神戸美術館所蔵の記録コピーがあるとそれを紹介して頂く。「この記事にも歴史にも記録され、元町は離れられない」と言う社長さん・・毎日、常に通行人にお茶を出すのも「喫茶自由」と言って琲加を振る舞った時代の名残りなのかも知れない。帰って、一番古い老舗かも知れない・・・と創業の歴史をWEBを読んでみたのだが、フィリピンに輸出した御茶はもしかして紅茶になってイギリスに渡ったのでは・・・更に興味が尽きなくなった。



神戸博物館 所蔵 明治時代の小冊子「神戸の魁」、なるほど日本初の喫茶・・コーヒーの看板。