碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

2207- 何が残せたのか・・part2

2022-07-29 | テクニクス

   技術は正直・・真実は変えられないのだが 会社と言う組織に入るとそんな幼稚な考えは通用しなくなる。若い時は分からないが、今の政治と同じで一般常識とか習慣には 階層があり その世界では判断は別の基準で決められることが多いようだ。

 民間からのモータの大量受注の用途が枕元に置かれるデジタル・クロックだと知ったのは1969年の頃で主任職30歳の頃だ。納入開始から数か月後に 米国通販で売られたクロックの騒音がクレームで原因はモータに騒音の出る物が混在している理由だった。返品対象の物も別に異常音と言うレベルではないのに組付本体は機密とかで渡されず原因棚上げで 納入は止められず 営業も仕方なく顧客が言う基準を厳しい値で選別納入するしかないと私にも理解不明の事件だった。

 1ドル360円の時代に、海外現地修理が必要だと私と顧客側2名の3名で羽田から出発したのが冬の2月、北海道より緯度の高いニューヨークはとんでもない寒さだった。ウエアハウス倉庫に 30名ほどの作業員を揃えた場所で解体・修理することになった。当初1か月の予定が、結局4月半ばまでニューヨーク・ロサンゼルス・カナダを回り 同じ様な場所で対策作業をして回った。

 現地の作業で私のギヤ部にオイル注入しギヤ音を消す作業の傍らで 他は自社のクロックの桁上げバネを弱める作業をしていたのに驚いて聞いても再調整と言う理由だった。直ぐに分かったのは 顧客側では 騒音原因は本体(桁上バネ負荷)が原因と分かっていて納入先に責任転嫁したと確信したので 直ぐ手紙で日本に連絡したが 何故かあまり問題にされず会議結論は納入側責任となり 毎日の選別納入が重なり 外された保留在庫の山になると納得できない様な報告内容だった。

 結局 その顧客は営業にとって他の制御部品の大型顧客で モータ比較から 全てのの注文を失うより 非を認めた方が得策だと言う経営決断だったようだ。このことは、その後自分が設計した製品でクレームを起こし ・・上司からもその結果の説明もなかったが、そんな事なら説明も出来ず悔しい思いだったのだろう。

 働く正直者がバカを見る話しは 童話でも司法判断でも、現実に平和の為に戦争も起こるし 原因と結果は正直な筈の技術にも、経営判断で原因を転嫁する 筋の通らない事例はこの世の中には多いのだ、自分の未熟から起きたクレームも 実は許可した側にも責任の一端はある筈で原因が納得できれば相互に非は認め早急な修復こそが信頼になる事を学びリピート客も増えた、損害賠償に至る処理でも商品代替えで実害減らす営業テクニックを見て 企業社会も まるで抜きつ抜かれつのゲームの様な世界だった。

 しかし一般が海外に行くことが夢の時代、30歳で米国中心部で過ごした経験はその後の自分に決して無駄なんかではなかった。サラリーマン仕事も、与えられた仕事を積極的に取組む姿勢さえあれば 他に変えられないポジションが確保できる 決して捨てたものでもないのだと。

 

  自分と違う世界に気をつけないと !

経験は


2207- 何が残せたのか ・・part1

2022-07-28 | テクニクス

   生涯で何が残せたのか、そんなことを考えることがある・・そんな晩年なのだ。幸い 私が残したのは電気時計の小さな周波数同期モータだ。

 1958年の最初の勤務先が、東芝系の関係会社で3年後に技術部配属になり 有楽町の東芝商事に商品デザインの受取に通っていたのが21歳の頃だ。当時の東芝は米GE社の提携で国内家電をすべて生産していた超優良企業で、電気炊飯器を作っていた勤務先も大盛況だった。炊飯器に朝炊き時計の開発指示を受けて 減速機は自社設計し内蔵したモータ( ワーレン型)が東芝GE製だったのが このモーターとの関わりの最初だった。

 某制御機器メーカーの創業者の後輩に、上司がいたのだが ある日彼から退社して新会社を設立すると聞かされ 土日が休日で給料が倍条件で誘われ 断る理由もなく5年目で転社 私が23歳だつた時だ。任されていた商品が量産出来たタイミングで国内の百貨店に炊飯器と並ぶのを見て仕事に未練もあったのだが 新会社では主力製品の工業用タイマーの原動機として 東芝購入のモータを自社生産化するその開発担当に任命されてしまい、そのモータが生産中止の20世紀末まで 離れられない関係になってしまった。

 東芝モータは当時既にPAT権利も切れていて、GE品を分解し図面化仕立て後 試作と試験ほをする仕事で私にとっては趣味と同じで毎日夢中になって取り組んだ。量産化に成功し、本社の採用試験期間中にも 民生機器のいろいろな用途も使われた。3年位後{1965年頃?}頃にやっと使用認可となり 国内の産業自動化の勢いも増していたので工業用タイマの市場占有率の大半を占めた時代が長く続いた。センサーもコンピューターる無かった時代の自動化は、全て時間制御で温度・圧力・流量・タイミングすべてを行うしか方法が無かったのだ。

  コインを10枚重ねた形に薄い回転子が3600rpm出回り、その微細なトルクを減速ギヤで72rpmから 1/240rpmの20種類のモータ群になった。これは上司の技術人脈によって 歯車は時計業界からの時計技術者、輸入磁性材のヒシテリシス材は三菱製鋼の博士と呼ばれる方の金属開発とか精密歯車加工は八王子の優秀な企業の協力があって 試作品が完成した時点でも 小型化と原価でGE設計を凌ぐ製品だと思われたし その後の樹脂歯車採用で超減速シリーズが追加され 後続のワーレンモータとしては世界最後でも生産数は最大だったと思う。

 最初は京都系列の数人で始まった日本初「ファブレス形式の工場」で 開発中心と生産管理スタッフで関東周辺約30社の協力工場を持つ先進的な企業だった。でも山梨の歯車加工企業は、今や 世界中に工場展開する中企業になり山梨の宝石と呼ばれ 今はロボットの特殊歯車で有名になっているし、1975年タイマ生産の岡山工場に吸収合併となりモータも生産移管したが1995年辺りから登場した自動化のコンピュータ制御に移るまでこのモータの半世紀続いた商品を手掛けてきたのは 好きな仕事を気が済むまでやってこれた幸運な人生だった。

 産業革命も「新しいモーター出現は、時代を変える」とタービン・エンジン出現で英国から起きたのだが その後のガソリン・エンジンが開発されて今は、全ての制御はデジタルとなったのに デジタルでは 車のタイヤは回せないし、ロボットアームもモーターが無いと動かせないから モータの変化は続いても未来も当分生き残るのだろう。

  

  多分、最後のワーレンモーターだったと思う (分解品)

 


2207- 楽しい老後も・・・

2022-07-26 | テクニクス

  晩年と言う言葉がある、今年お亡くなりになった某コラムニストは生前の本に、晩年は亡くなった友人に対し周囲が「あの方の晩年は・・」と決めるもので 生きる自分が決めれるものじゃない・・と書いていた。

 だが私ももう晩年で、あまりに平和が続き過ぎ寿命が延び 動植なら世代交代が進まず食糧争いとか 縄張り争いとか起こるでろう。人間社会は共存制度でそれは無いが、社会の成り行きに従って生存できている。江戸時代なら、ご隠居とかもっと昔なら長老・仙人で 場合によると深山で暮らす変人に相当する年代なのだろう。

 人の行動は世の為だったり、何か必ず目的があるから生きている・・やがてリタイア後の趣味・スポーツに生き甲斐を・・その次にある 第三ステージは現代の問題になっている。

 以前に北欧フィンランドに仕事で長期滞在した同僚が、現役を終えると皆 住居を子供たちに譲り 自分たちは湖の近い山小屋で静かな暮らしをするので当然で 時々息子達が 必要なもの届ける 働く人とリタイヤ組を分けた様な生活形態があると聞いた。

 本を書いたり 天気の良い日に釣りで過ごすのは羨ましいが 雪の冬とか嵐の夜を考えると医療が進んだ長寿も 技術進歩の行き過ぎと同じであまり喜ばしい事ばかりでもなさそうだ。

 何か世の中に残したのなら、多少の老後はゆっくりと過ごすのも良いのだが・・・。

 

  フィンランドではモッキと呼ばれる家で(電気・水道なし)生活する意味らしい


2207- グローバル化通販

2022-07-19 | 日記

  簡単な部品が街に行っても見つからない。以前神戸にも東急ハンズに行けば、何でも見つかり便利だったのだが そこもいつの間にか 一般商品の占有が増えてしまい 足も遠のいたら 昨年ついに閉店してしまった。大型書店もコミックと文房具が増え、電気量販店も食品まで並べているし 米国でも電気量販店の閉店が増えているのも通販の普及だろう。

 長い経済停滞が経営難となり 売り難い物を置く余力も無くなり 人々が通販に押しやられ 生活維持には年一度しか必要のない物は結局は通販に頼り パート店員は無い物は通販を勧める世の中の流れになっている。私も工作に必要な工具・材料は「Do it self」店も、最近は街中から郊外に移り これらも通販の Amazon・yahoo・楽天の通販で 数百円の単価を送料込の2倍価格で購入している。

 恐らく、価格を抑えて売上を伸ばすには 品種は抑え売れる物を大量に置く形態になり 日常必要ない物は置いてある普及品で我慢するか 出来なければ通販だけになるのかも知れない。

  Eコマース・・EC とかD2C・・Direct to Consumer と呼ぶ通販は、出かけずにボタンひとつで 原価近い価格で買える利点もあるが 現物が確認出来ないリスクの失敗もある。ショップの比較買いをしていると、発注先は国内だが発送先が海外から配達となり2-3週間掛かる物がある。特に、電気部品は中国から 蜂蜜マヌカは輸入商社から買うより 産地のニュージーランドの直送品になってしまった。これは 越境ECと言われる 海外の出店が既に15%程度になり これからも増える傾向で 日本からも日本独特の商品が海外からの発注が増え通販は 国境のないボーダーレスの世界になっているようだ。以前は日本語が壁で、輸入商社・個人輸入を通じたショップだったのが 自動翻訳で言語を学ばずに通販ショップは開けるので世界商店街の様相になるのだろう。

 生産機材も技術もアジアに移り、日本特有の物も海外に生産委託し国内より安く出来て 国産品は付加価値の高い物に移行して 庶民は輸入品で我慢してと言う流れだ。例えば既に朝の食卓の果物は「バナナ・パイナップル・ブドウ」など輸入品になり 国産果物は高価で贈答用となった。今は北の人が南の農産物を疑問もなく買うが、農産物が新鮮さより価格競争にになると 地産地消は捨てられてしまい この方向も何かが間違っていると思う。

 輸入品の国内販売は国内勢は不利なのも仕方ないが、輸出が減りエネルギー・食品は輸入頼りの生活が進むと 我々は何処に行くのだろうか。

 

 

 

 

 


2207- 半世紀振りの北関東

2022-07-19 | 日記

  コロナが収束気味だった春に、申し込んだ北関東旅行ツアーに参加して無事に戻ったら 都市での感染が急拡大しているとか・・。

 関東に住んでいた頃は当時、社員旅行も毎年日光だったり 個人でも スキー・温泉・山登りでよく 長野・栃木・群馬など気楽に旅行出来ていたのに 西日本の転勤を境にして 北海道とか九州よりも縁が遠くなった北関東にでも・・言う選択だった。茨木空港からバスで行く2泊三日だが 軽井沢・草津・鬼怒川・日光・足尾鉱山と言うのは 私年代には少し忙し過ぎたが 今なら新宿から電車で2時間らしいので その方が気楽に旅行できたのかも知れない。

 二つの温泉は、流石だったが この北関東は何処も都会化が進んでいるらしく 記憶に残る以前の地方色が薄くなってしまったようだ。それでも最終日の足尾鉱山とその電車は特に興味深かった。東京にいた頃は、鉱山があり足尾銅山事件も発生し立入り禁止だったが 1973年に廃鉱となり 1980年に栃木日光市がこの一帯を整備して観光地にしたので 今では坑内見学も出来るそうだ。

 江戸時代に開発され国産銅の4割を占め足尾千軒と言われる富豪も生まれたが 銅鉱石の他に精製の過程で出る硫酸も製造され この渡良瀬渓谷を行く鉄道によって都市に搬出されていた。事件は坑道木と薪に使うため林を伐採したため、洪水が多発し汚染水が下流の田畑を全滅させ人々の健康被害となったのだ。

 車窓から見る古い廃墟の住宅群とか精錬工場を眺めていると 観光地と言う場所は 悲しい話ばかりが埋もれているのが 共通点になるらしい。

 群馬県 草津温泉の湯畑で

 

 長野県のリンゴ畑・・未だ小さい

 

 わたらせ鉄道 足尾駅