3年程前に大学構内コンビニで見つけたワイヤレス・イヤホーンを使って来たが、コードが傷んだので街の電気屋さんで見つけた 中華製ネック・バンド型に更新した。
価格は過去の数分の一、千円程度でも旧品と比べると技術と低価格化で音質も使い勝手も数段優れていて 隣に数万円のブランド品を見ても 良い物は直ぐ低価格の類似品が現れる時代では 購入者は喜ぶが ブランド力も意味が薄くなり その生産者の見えない犠牲者が増えいるのだろう。
良い物を買っても、山登りにも旅行に持ち歩き 紛失し易いものであり 買換えたら済む普及品で充分なのだ。音楽の入手は今は 何でもネットから取り込めるので 市販の CDは買うことも無くなった。ブランド有無で価格に数十倍の差があったり、音楽・映画が無料で入手出来るこの時代は 何処が製造したとか 誰が音楽・映画を提供しているのかを考えなくなったがそれらを 創り出して来た音楽家とか映画製作会社はどうして未来にも存続できるのかを心配する。
需要と供給の経済サイクルが正しく回り安定した社会となる筈が デジタル化でそれが寸断した結果だと思うが他にも、電気製品・衣料品・百貨店など大量の商品・品種を並べられ 消費者は夢の天国と思っていたし 栄えていた量販店達も アマゾン・楽天の 店を持たない低価格のネット販売で 価格競争に追い込まれ 次々と立ち行かなくなっているのも 同じ現象だ。
ネットで世界中の人が、自在に必要情報が得られて必然的に顧客の趣向も入手手段も自由になる一方で、企業は過去成功した販売システムを踏襲する その格差がいろいろな歪を引き起こしているようだ。どの様な流れかなのか良く知らないが 恐らく、働く人の低賃金と不安定雇用は このデジタル化とネットワークによって引き起こされていて この売価実現に 低賃金と過酷労働の働く犠牲者がいて しかも勝者である期間は情報伝搬の僅かなタイムラグで 直ぐに次のライバルが出現する繰返しなのだろう。
身近な例・・以前から蜂蜜「マヌカ」をAmazonで購入するが発注すると輸入元ニュージーランド店から発送通知が来る、地球の裏側なので配送に半月ほど掛かるのだが 価格は半額で最安値なのだが 電気製品でも中国直送の商品も混在していて 通販世界では 既に言語の壁がなくなったようだ・・知らない処で 流通革命がどんどん進行している。
購入した「ネックバンド型」、高級品の「コードレス型」今は似た価格だった・・