家庭の電化では空調機・掃除機・パン焼き器・・などスイッチ一つで全て自動化されそれが今は当たり前となったが 戦後家庭に入った自動化の最初は東芝の電気炊飯器だったと思う。
発売された電気炊飯器は今から半世紀前(1955年) 価格は3200円で東芝が発売した。大卒初任月給1万円の頃高価なのに大ヒット品となった。私の最初に勤めた企業がその生産拠点だったのに驚いた。「美味しいご飯が」 スイッチ一つで自動でご飯が炊けている・・と言う価値が初めて認められたのだろう・・今の価値で考えれば10万円に近いのに。
入社してから知ったのは東芝は戦前から米GEと提携関係にあり、戦後提携が再開し直ぐに民生家電の先端を走っていた。米デザインのトースター・電気ポット・Sアイロンのベルトラインの中に、炊飯器もあり次々と山のように生産されていた。2年間製造ラインに配属され3年目に技術部に配転となり炊飯器のご飯を炊き上げながら内部温度を計測する試験業務を任されたが 白米を美味しく炊く為に 内釜と外釜に少量の水を入れ沸騰を抑えた温度を暫く保持させて 水分が消えると一挙に温度を上げてからバイメタル・スイッチで電源を切る特許のアイデアに感心したが 楽しい仕事だった。
当時この炊飯器に接続し朝炊き予約出来る「置時計形タイムスイッチ」はあまり売れていなかった、そこでコロ石型の小型商品を開発することになり その主担当に任命された。歯車設計など初めてだったが 時計企業から支援技術者も先輩にいたので 夢中で勉強しながら 設計・試作から通産省に通って 製造認可も取り製造のライン指導もして生産開始に漕ぎつけた。
未だ22歳だったが東芝商品として全国に発売されたので 休日に横浜高島屋に母と見に行って自慢したが「そうなの・・」と言われただけだったが・・。
実はこの炊飯器は同じ地域のS社と2社で生産されていてS社が特許権も持ち K社は生産を支援した関係だったようだ 。歴史を調べるとS社はK社より歴史も古く 戦前の軍需企業で戦後に 東芝家電の委託生産することになった先輩格の技術企業だったが、今では航空電装部品・防災機器・避雷針装置などを製造する独特な企業として現在も活躍しているようだ。
以前NHKプロジェクトXと言う番組でS社技術者がこの炊飯器開発で紹介されたのを見たが、三種の神器と言われた「冷蔵庫・洗濯機・炊飯器」の中で 炊飯器だけが日本の発明だった。今は温度制御はサーミスターとタイマ回路でヒーター電流制御すれば学生でも出来るし、当時の金属板変形バイメタルとか 難しい調整作業も不要になったが 当時はこれが企業の強みだったのだ。
当時優れた技術と言えばバイメタルの他に 周波数をカウント出来るメカニカルカウンターとか、湿式全盛だった頃に 乾式コピー技術などいろいろあったが 今はそれらの商品は消えたり変ってしまった、サーミスターとか液晶デジタルになり 家庭用プリンターも低価格で溢れている。
国内製造業の多くは、これらの独自技術で国内経済を世界2位に押し上げたが その成功と技術に固守し過ぎて消えた行った事例が多い。技術者の目で、広く世界を見ていれば 社会から抹消されることは無かったのに。AIの活用で誰でも何処で何でも出来るが、その土台となるプログラミングは 過去の感と腕のノウハウが詰め込まれて出来たものだが それがなければ大きな進展は出来ないだろう。
自動炊飯器の温度調節も「最初ちょろちょろ、中ぱっぱ 赤子泣くとも蓋とるな」と言う大昔のカマド炊きからヒントを得て出来たが たのだと言っていた様に・・・。
古すぎて情報が少ないが、懐かしい写真を見つけた・・