碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

2005- やっと六甲山

2020-05-29 | 山登り

 昨年暮れに計画した、今年三月の六甲山の滝山行きが 昨日の晴れ間に登頂完了。冬から春を過ぎ、もう初夏の気候だが 桜もツツジも終わり 紫陽花にはまだ早いが 緑はきれいで修法ヶ池のランチ時間は とても心地がよかった。花が無いので計画は少し変え、滝山-再度山-はそのままで 下山路を高雄山を登らず 手前の蛇:ケ谷-市ケ原と言う新コースを下ることにしたが 全所要時間は6時間で余裕を持っての山登りは 後期高齢者と呼ばれる人には適当だったらしい。

 神戸異人街の真後ろにある滝山城遺跡は東西600m、南北400mと言う標高340mの海を一望する山岳要塞だった。戦国時代で城主はコロコロ変わったが 正慶三年の挙兵記録(1333)が一番古いらしい。昔の地図を見ると、西に再度山城・花隈城・東に摩耶山城に囲まれ 海岸に近い高台で 主に大阪湾を航行する船運の監視を担っていたそうだ。見通しの良いこの高台は に京都から大宰府までの西国街道が眼下で監視も出来るので戦国時代は奪い合う拠点だったのだろう。

 今は城山は、登山者は少なく布引渓谷の民家脇から登り 布引ロープウェイの下を潜り 更に上に出た高台が 滝山城を守る廓・・城の守護部隊がいたと言う 木に覆われた広場で 市街を見下ろせる静かな場所だ ウイークデイのこともあって 大龍寺から再度山まで 他の登山者には会わなかったが。 

 滝山城史跡と言う山頂を中心に 廓と言う 土塀・木柵で作られた拠点が存在したそうだ。堀切と言う人口の谷跡は判ったが、私には石が散乱した広場としか見えないが・・森閑とした 歴史は確かに感じる処だった。最後は織田信長の手勢が 城主だったが、花隈城に逃げ込み廃城となったそうだ・・お城の歴史は、どれも悲しい物語があるものだ。

 大龍寺まで登り、弘法大師が二度も修行に訪れたので読み方は「ふたたび山」が正しいらしい。本堂と奥の院を登り470mの山頂に着いた。私はもう、四度目になるのだが・・。

 山頂手前の岩場 天狗岩で道に蛇、マムシではなく ヤマカガシだと思うが体長80cm程。道の真ん中に寝て 後は崖で迂回も出来ず一旦下がってストックで枯葉の上を叩くとキュツと声を上げて、崖下に逃げて行った・・蛇の声も初めて知ったが  この時期は毛虫とか尺取虫が木に下がり 足元にも多くてこれも春の市街地の低山歩きの特徴なのだ。

 蛇ケ谷も初めて入るのだが、薄暗いが良く整備された登山道だった。谷は苔むした岩に囲まれて 歴史では「和気清麻呂はここで遭難した」とある・・六甲山は、村落に近いので 何処をとっても歴史が残り 小まめに標識を置く人もいる。30分ほどで抜けた先が市ケ原だ。いつも桜茶屋から、別ルートを使うので この谷方向に降りると広い河原があったのを初めて知った。

 丁度、上高地の梓川河原の景色に似て 急な流れ中に小魚が群れを成して泳ぎ 家族連れの人たちとか 若者もいた。新しいコースを使うと、新しい発見があるが 今回も心地よい山旅に感謝

 城山 {滝山城址} 登山口

 滝山城址史跡 山頂430m

 再度山 山頂470m ・・いつもは木が茂り展望が無いが この時期は最高

 修法池を東に行き、蛇ケ谷から下山・・昔人の遭難記録があった

 


2005- 通信講座の徳島の田舎 二回目

2020-05-27 | 学習

 徳島県の那賀町発信の 次講座の受講が終了したが この項のテストの結果80点・・中々奥が深すぎて 弘法大師と大量の寺院の歴史になると あまり得意ではこの辺りで失敗。

 お遍路道を開拓し、奈良の高野山を建てたと言う弘法大師(空海)の歴史は 記録も少なく 水銀採掘の丹生族が 山中の一人修行の後見人だったとかの謎、阿波浄瑠璃を演じられた芝居小屋は国内で現存する100か所の40か所がこの徳島那賀町にあり保存会によって支えている。前回の山深い峡谷のダムの話も、面白かったがこれも興味深い。険しい山林に囲まれ滝の音が流れる舞台は、最近は現代ミュージシャンの秘密の舞台にもなり公演が実現したり、農作業も紙幣材料の手仕事による ミツマタ栽培も 手仕事の綿織物も珍しい特産として田舎を支えていると言う事を知った。

 村芝居も、農村仕事も村人のワイガヤで進めているのを知った 都会の若者も 最近参加してくると言う事も 情報端末とか 機会に囲まれた単独仕事より みんな一緒に・・と言う一体感のある日常仕事に魅力を見つけたのかもしれない。

 私にしても、誰もが農耕民族の血筋なので この農村風景には懐かしいと共感するだろう、この調子では講座終わりに 芝居見物か剣山ハイクのお誘いが来るのかも知れない予感があるが 行って見ても良いと思う感じだ。

 講座講師も村で活躍する村長・山ガイド・大学教授・芝居小屋管理人・僧侶とか多彩な分担で村中がこの通信講座に協力しているのも珍しい試みだろう。

 講座動画から 村芝居風景

  ミツマタの皮を処理する工程


2005- いつも変わらずに

2020-05-22 | 日記

  やっと町の本屋さんに行き一冊を買うが、もう一冊は見つからないので仕方なく アマゾンに・・同じ著者なので大丈夫だろうと。散歩を兼ねて家から橋を渡り歩きながら三宮市内に行ったが、丁度コロナ解禁日で 途中の港の森公園も 街中も少し人がいて活気が戻っていたのでホットさせられた。

  電気量販店もこの機会に従来のショールーム風から レア輸入品の真空管オーディオとか ドローン・コーナーを増やしたり 近くの人気洋食店もこの機会に店内改装するなど 何処もコロナ後に備えた慎重な準備をしていて この休止をそれぞれ工夫して この危機に備えている様子だった。

 来年延期の東京五輪は、その延期維持に更に四千億円かかるそうで 五輪史上最高額の投資になりそうだ。五年前「世界一コンパクトに、既存施設活用、初夏の良い季節、総額三千十三億円」とPRし誘致成功した東京五輪だが 新競技デザイン・五輪マークで揉めて 直ぐに予算が六倍の一兆八千億円になる事が判りその上に一年延期維が重なった不運もある。次の2024年はフランス開催だが、既にコロナ動向も 隣国施設も借りる視野も入れ 既存施設で費用抑制する慎重な備えをしているそうだ。 

 IOCは コロナ感染が世界で10月に収まらない国が残るなら中止、と伝えられたが メディアも国民も気にしていないように感じる。運よく開催出来たとしても、世界中で検疫ゲートが設置され 委縮した人々は TV観戦の五輪で我慢する方向にチェンジすることになるのかも知れない。今年の熱中症五輪は、避けられたのは良かったが・・・。

 五輪も当初のアンケでは招致反対が多かったが 招致決定すると逆転し賛成票が多くなった・・ 一度決まると「それで良かったのだ」と自身を納得させて「 みんな一緒に、一丸となって」と言うのが好きな国民性なのだ。予算が何で狂ったのか、追加予算はどうするのかも決められないまま進み 政府が指名した有識者委員会と言うのも 決めるが責任は無いと言い 政府も結果責任は取らないから誰も罰せられない・・そんなことが、延々と続いているとこの国はコントロールが切れている感じだ。

 神戸の人工島にはポートライナーと六甲ライナーと言うロボットの無人車両が走っている。今まで事故は聞いたことが無いが、コロナにも関係なく毎日通勤・通学と空港からの客を運ぶが全てコンピューターが管理し運行している。ゴムタイヤなので街中の高架を走っているが騒音も少なく私達には 理想的な交通機関だ・・島の企業が増え利用客も増えて、コロナ問題前は座れなかったのが コロナになっていつも座れるので快適な乗り物になった。今は採算も取れているそうで コロナも関係なく働き続ける機械の方が人よりも信頼できる事を自慢している様だ。

 コロナ収束で街の風景も、長閑で平和に見えるのだが 今日の新聞は司法トップが、不祥事で辞職したとか 給付金で使うマイナンバー・カードシステムが想定外り利用で機能しないと言うニュースだった。無責任と過去は無かったとする事で、乗客には見えない船底から腐り始めて 既に修復も出来ない居心地の悪さも感じてしまうのだが。

 港の森公園・・トラックを走る人も多い

 立ち寄ったコーヒー店も、日常が戻った様子

 


2005- 毎週、届く 通販冊子

2020-05-19 | 日記

 今日も通販誌がポストに入ってくる冊子。そんなに利用している訳では無いのに・・・

 半世紀前、1970年頃に仕事で行く羽目になった初めての海外 米国で担当した商品が米国内の通販ルートで扱かわれていたので初めて通販の仕組みを知って驚かされた。米百貨店シアーズの通販カタログが入手できたので、この電話帳風の冊子を日本に送ったり 土産にした記憶もあるが 車・ボイラー・ネジクギまでも通販が ハイウエイの発達した米国では1800年代からの常識だったのだ。 

 1960-70年頃の日本の生活用品は どの家も同じようなアルミの灰皿だったり 食器棚もガラスに竹とか梅の模様があり居間のテーブルも似たような物を使っていた気がする。物選びと言っても、価格の安い同じような物が どの家庭に行っても自分の家と同じものが存在していた。テレビも持てるようになり、家族が集まり見る番組も決まっていて皆で観て笑ったりしていた。やっと、生活必需品が各家庭が持てるようになったのが日本はまだその状態だったのだろう。

 世界と言えば「兼高かおる・・世界の旅」だつたり、電話も公衆電話しかなかったり、流行っていた曲もボブ・ディランのスローな物だった。

誰か忘れたが「Pale Blue Eyes」と言う曲があった。タイトルは青い瞳の君に、憧れてきたが いつの間にか手放してしまった・・と言う意味らしい何もかもが 考えながら動いていた。

 でも古い昔は、スマホもネットもクロネコも無く 全てがゆったりと流れていた時代は 貧乏でも みんな楽しかったことばかりの様な気がする。今どきの立派な通販カタログを見ると、持っているのに うっかり衝動買いさせられそうになるが 果たして豊かになったのだろうか。今はTVも新聞もすっ飛ばして、発信者と受信者が直接繋がっているインターネットの時代で スマホを使って離れた友と毎日チャットするとか ボタン一つで翌日物が届く通販とか昔人から見たら驚愕だろう。

 この様に昔を振り返ると、20世紀から21世紀の変化は頭は容量不足になる程だが 現代は溢れる過去は捨てながら 前ばかりに進みたがっているだけかも知れない。 

L,LBean社の通販カタログ

スエーデン IKEAの通販カタログ

1970年 米シアーズ社の通販カタログ  ・・

 


2005- もうすぐ本屋も再開 ?

2020-05-18 | 日記

  この街も、三日後辺りから店舗が開かれるらしい・・・やっと、本も買いに行ける。ネット入手もできるが、昔人間は手に取り 中を開いて文体を確かめてから買わないとダメなのだ。中学の頃は図書委員をさせられる程、図書室の世界名作全集を片っ端から殆どは読んでいたが 最後に 難しそうと敬遠していたドストエフスキーの「罪と罰」で頓挫した記憶が残っているが かなりの本好き少年だった。

 今はニュースも何もネットで読むのが日常だがどうしても偏向しがち プロの書いた本の見方の方が的確で 情報信頼度は高い位置にある。現代はマスゴミと呼ばれている様に、あふれる情報は 真偽混在で 肯定意見は少なくて 反発意見が多い様子で 実際何が正しいのか判らないし 人の多様化もあって部分的に正しいが全体的には間違い・・と言う事も含み 現在の生活環境を知り 自身の道を決めることも難しいから 本を読むのだが。

 ネット情報はバイキング料理に似て、自分の好きな物を選び 未知のメニューは大抵の人は避けて通る。避けたメニューはその人にとって永久に知らないメニューだ。逆に、極偶に行くホテルのディナー・コースではシェフの考えた順序で「作品・思想・料理哲学・美味しく感じるタイミング・食の環境」で時間をかけて食べさせて貰うが いつも新しい発見があり新しい食材を知るその違いだ。

 良い本に出合うのも、作者の目を通した世界を知るので 似ているが それは毎朝の新聞でも補えるのかと言うと 最近の新聞は何処のものも 昔と比べて論争も消えて読みごたえが無いがこれは自身の感性の劣化もある。しかしTVニユースも、以前は番組はプロが編集しそのフィルターを通し情報を見ていたが ネットは素人が作った偏向情報が圧倒的に多いし マスコミ情報も安直なネット取得が増えている・・多くの意見を聞いて・見て・読んで全容を出来る限り理解し ネットの鵜呑みはダメだろう。

  最近の政治家の手前勝手な失言が多いが、国民との乖離は恐らく手軽にネット世論とかで得た情報データが原因かも知れない。ネット情報の多くは上滑りな情報が多く 世間一般の世論ではない別物なのだと私は区別する様に心掛けているけれど。

 バイキングは・・問題もある