碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

1905- 書写山と円教寺(山岳寺院)へ

2019-05-31 | 山登り
 この山名は、私は六甲山系の西にある山だと思い込んでいたが 加古川の姫路市の北にあるそうだ。
の時期、摩耶山の新緑を谷川に沿って登る予定を考えていたが この書写山が姫路城を訪れる外国人観光客に今大変な人気になっていると聞いて今回はこの山を登る事に。
 調べると山頂には円教寺と言う寺院群があって 西の比叡山とも呼ばれる平安中期に建てられた 大規模な寺院群なのだそうだ。
国内の不便な観光地は、最近は外国人観光客の方が ネット調査をして訪れ以前にも 宮崎県の飫肥城城下町を知り 九州の人もあまり知らない観光地を知り驚かされたことがある。
 日本人の観光は、幹線沿いとか高速道路の整備された行き易い所に集中しているが、海外から眺めた日本の魅力的な観光地選び方は 違うのでこの書写山も同じパターンなのだろう。

 姫路駅からバスで40分、参拝に訪れる人達の山頂ロープウェイもあるが 1時間半程度の東阪参道の登りと40分の西坂参道の下りの基本ルートを使って新緑を楽しむことにした。ところで、姫路の山は初めてなのだが 先ずは鳥取県境の氷ノ山(1510m スキー場)が有名だ。
ところが山人気を調べると「1.高御位山 (takamikura 304m)、2.書写山 (shosha 371m)、3.雪彦山 (seppiko 915m)」らしい。ロッククライミングの雪彦山は 魅力的だが山奥過ぎて 日帰りは無理、高御位山は近いが 岩山歩きでこの暑さには不向き・・で軽登山の気楽さから「書写山」に決めた。

 新緑の山道は整備もされて、入山料500円を払って入る円教寺の散策は 京都清水寺に似た岩肌に建つ巨大な魔尼殿とか ラストサムライ・大河ドラマ軍司官兵衛などの 映画ロケに使われた大講堂の広場も 圧巻だった。
ここの起源は 一千年前に性空上人(しょうくう しょうにん)によって開かれた古刹で、比叡大山と並ぶ天台宗三大道場の一つと説明にある。

 大講堂の広い木造建築の中には、小鳥の声を聴きながら静かに 写経をする人達がいて 下に見える広大な庭には 体育ユニフォームの男女の地元中学生数人が 清掃活動をしているのが見える。
明るい若葉の緑と、古欅の廊下を吹き抜ける涼しい風 寺院群をつなぐ道には 普段は建物の暗い中でしか見れない 全国から寄贈された仏像が並び 明るい木陰の下で見る様々な表情はとても興味深い ・・今年は良いことがあるのかも。

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 五丁中間点からの、姫路市内展望


 円教寺の山門





 
 食堂の二階回廊から見る、大講堂

1905- 先駆者の評価は

2019-05-25 | テクニクス
 メールの添付写真が開けない ・・・photo-拡張子を調べると「HEIC・・ヘク?」、調べて判ったがApple派のメールでAppleの最近の「iphone とiOS-High Serrea」から、写真はJpegでは無く High Efficiency Image Format ・・HEIF」に変わったが Apple社は動画も「HEVC-HE+Video Compression」なので少し変えて「HEIC」と呼ぶらしい。

 この写真がWindowsでは開けず、セカンド機MAC Serreaを立ち上げて開くと「iOS-フォトビュアー」で表示され Jpeg変換も可能なのはなんとか理解。
どんなメリットがあるのか調べると画像容量がJpegの1/2に、jpegでは無理な透明化も可能、8bit画質が16bit画質になり 次世代「高効率画像ファイル・フォーマットーHEIF」と呼ぶらしい。Windowsも 新バージョンから対応するらしいが この画質は特に拘る Apple社がリスクを恐れずに常に 先取りして現状打破する姿勢には いつも驚かされている。
 マウスは、ステーブジョブスが直ぐに 40年前の大ヒット「PCマッキントッシュ」に採用し普及させ、次々とマウスパットとかスマートフォンの「スワイプ操作」もAppleが提案し操作方法が進化してきた。ユーザーは慣れたものを守る保守派が大多数だが それにはめげずに Apple Watch/Apple TV/iTunes音楽配信・・・など 情報端末の革命はApple社無くしては成しえなかったものばかりだ。

 Windows の拡張性・使い易さはApple-MACを越えた魅力がありとても手放せないが、Apple派の人は「Keep it Simple」と言うハードデザインの魅力 シンプルなのに隠れた便利機能を習得すると手放せなくなるらしい。確かにデザインに誘われて、手に入れた初心者は、触って慣れろ・・では使い難さに音を上げて 途中で放りだすだろうと 両方使って見て 私もやっと理解したが 魅力的で手放せないセカンド機ではある。
 結局は、何方が良いかと言う評価は無理で どちらも魅力的で 先行機種と普及機種の両方が無いと済まない困った事になってしまった。




1905- 神戸ポーアイ北公園

2019-05-25 | 日記
 北公園の海側に「みなと異人館」と言う、明治時代の洋館があるが船の送迎で良く訪れても いつも閉館され内部は見ることも出来なかった。
神戸市の案内を眺めていて、この異人館が 珍しく今日だけ公開されると言う情報を見て 見逃せないチャンスと午後から 少し離れた北公園に歩いて行って見た。歴史によると1906年(明治39年)に米貿易商 ヘイガー氏が自邸として建てられた物で一世紀以上経つ 神戸市重要建築に指定された文化施設だそうだ。

 当時は、西棟・東棟があつたが戦後の1978年(昭和53年)に東は香川県の四国村に買い取られ移設、西棟はその後に出来たポートアイランド北公園に移された。
最初は日本郵政の社員寮として使った時期を経て 7年前に神戸市本社シメックスが企業のゲスト・ハウスとして 古いそのままで保存維持している。神戸マラソンのスポンサーもする シメックス社の社員らしい方が、会場の受付 内部の展示説明などをされていて見学者も多く来ていた。古い窓ガラス越しに、見えるメリケン波止場と真っ赤な神戸大橋の美しさを見れば 住民全員が この街を大切にしたいと思うだろう。

 明治の古写真に、幕府から指定居留地から10里(40km)以内と規制された中で暮らす 米英仏などの 異人家族は 東公園などでリクレーション・クリケット・サッカーなどをしている珍しいカラー写真もある。六甲山の山登りも含まれて ここから日本のアルピニズムが発祥したのだ。
西洋の香りが、建物の内外に漂っていてとても興味深かったが 「神戸イメージ」はこの当時のスポーツを楽しむ日常のライフ・スタイルを起源にしているとの説明もあった、もう少し公開日を増やして欲しいですね・・と 案内の方にお願いしたけど・・無理なのかな。
 
 この土曜日は、お馴染み「11万トン、ダイヤモンドプリンセス」第四埠頭に入港して 波止場に釣り人も多い








 ロビーのラウンジでは、記念演奏会が開かれ 沢山の人が生演奏を聴いている ・・土曜の休日 みんな幸せそう

1905- 契約と信用・正直者は疎まれる

2019-05-23 | 日記
 二か所ある回線契約をまとめる為、NTT西に電話で 一方の解約をした。2か月先の予定だったが、数分で簡単に完了。
モバイルもネット回線の契約交渉は、電話一本で解約とか名義変更も出来て 書類は送られた変更確認をするだけで済む・・その簡単さはとても便利。
 一方では、印鑑とかサインはともかく 印鑑証明必要と言う世界も残っているし 信用の取り扱いも分野により 斑模様だがこの変革対応の速さが企業存続の決め手なのだろう。以前から宅配クロネコ・メンバーズに加入しているが その支払いシステム・着便通知の改善の素早さに驚いたのだが 顧客と繋がっている企業は 素早く便利さを取り込み 顧客確保を進めているし。

 銀行・通販会社を装った詐欺メールも増えて 最近は 一目見て削除するのが日常になった。同じように、新聞ニュースでも 憲法で不戦とあっても 自衛隊を持ち武器を集め 米支援なら参戦し「不戦の誓い」と言う。福島原発事故から7年経つが、復興して安全でも 多くの人は故郷には戻らない矛盾・・それでもオリンピック会場の一つを福島に置くと言う決定が世界から批判されている話題、平成は安定し景気も維持できたと公表されても、低所得階層の所得は下がり格差は広がっているとか・・この世の中は矛盾で溢れ白黒の判らないグレー色のまま 人は騒がず平穏に暮らしている。

 マスコミで伝えられる情報と 実際に感じた認識が違うのも 当たり前になり それにも慣れてしまった。昔なら、反対運動とか反対する野党もいて いつも論戦が伝えられ 興味も沸いてどちらかに味方して応援しながら知識になった。それが現代は、ニュースとは言えないスキャンダルを 大事件のように各社が報道し興味も沸かないし 日常生活でも「見ても見ない振り」をする人とか 違う意見とか 事実を正直に表現すると周囲から疎外されている人を見ると気の毒な感じもする。

 要は、契約は簡単な世界に向かっているが 政治とか社会の思惑で 自己利益の理由で 世の中の真実が正しく国民に伝えられなかったり 曲げられて伝えられ 右往左往して生活するのは どうも居心地が悪い・・と。

1905- 埋もれた功労者たち

2019-05-19 | テクニクス
 京大教授の本庶佑氏の昨年のノーベル賞。大学組織に「がん免疫総合研究センター」が設立されるそうだ。研究成果とそのガン治療薬が評価されるまで22年の長い道のりもあり受賞でやっと苦労が報われたが 更にがん患者にも喜ばしい話だ。
 この記事を読んで、世の中には一心に努力しその成果が 社会に大きな貢献と影響を与えても 名前も上げられずに亡くなった人々も多いと思ってしまう。努力して作った功績を忘れ去られてしまった人は私の過去を振り返っても沢山いるから。

 私は企業世界しか知らないが、技術漏洩で先行利益確保のために特許申請もせず ブラックボックス化させ 結局は企業内での評価はされても 世の中一般には紹介されない人が五万といるのだと思う。仕事の中の見えない世界は、テレビドラマよりも 複雑でドラマチックだが その裏にも技術競争があるのだから。
 サラリーマンだから仕方ない事もあるが、成果が商品となり 世の中に受け入れられ務める企業に貢献出来たなら もう充分と言う謙虚な人が恐らくは大半だ。表彰を自分から名乗り出る人はいないが、国の年度褒章を見ても 主に教育機関・行政の推薦で年功序列とか 国民的人気者とかは登場するが 民間企業の功労者は少ないし 一般にも判らない。社会に貢献した人・・と言う尺度も あまり不公平と少し残念に思うのだが これも国が国民にアピールする形式として必要なのだろう。

 仕事の中で出会ってきた沢山の技術功労者の上司・先輩達を思い出しても凄い方が多かった。私が若かった頃、有名時計企業の技術顧問が私の上司として転入してきた。上司がスカウトしたのだが、戦前戦闘機の計器設計をし 戦後時計会社に入社 直ぐに中三針(秒針)腕時計を国内最初に製品化したとお聞きしていた。
 企業にいて 時計技術の工業規格の委員も務め 時計業界にはとても詳しかった。20年前に亡くなったが、私はこの方から歯車設計の基礎は教えて頂いたのは幸運だったと思う。私は企業の歯車として働いたが仕事が 自由で面白いと夢中になれたのも 常にK氏のバックアップがあったお陰だと今でも感謝している。

 もう一人、歯車加工の協力会社の工場長がいる。今は会長さんで、今年中に友人と一緒に 会いに行く予定をしているが 冶金工学に詳しく「早稲田・東工大」の研究室で「超鋼」と言う世界初のタンガロイと言う工具素材開発に係わってきた方だ。社会に出から、東京新宿の町中に金属加工工場を持ち、米ビックスリーに、特殊なカーブの小さな真鍮部品を自動切削し輸出していた頃にお会いした。素材価格の200倍で売れ、世界に私の所しか出来るメーカーは無いから・・と自慢して見せてもらった。
 その後発注したミリ単位の切削歯車も 山梨郊外に工場を移し歯車の中古自動機をこの技術で先行するドイツから50台も仕入れ その刃先を超鋼に換える事での製造原価を数分の一に引下げたから驚いた。更に金属から樹脂歯車にする樹脂収縮の未踏技術もK部長とこのN社長の努力で実現した。その結果、歯車原価が更に半減し低価格と高性能を強みにしたモータが完成した。モータは自動制御の心臓部となり用途も市場も国内どころか世界中に輸出され コンピュータ時代の約30年間に大量を世に製品として送り出していた。当時は、何でも量産化で製造の自動化が流行ったが こんな小さな技術でも日本経済成長の後押しになったのだと私は確信している。
 今、この企業は「山梨の宝石」と地元新聞に書かれる程で歯車加工専業として アジアを中心に複数の系列会社を展開し 大学研究ロボットにも協力しているそうだ。

 金属プレスの世界でも、此処でしか出来ない企業が東京大田区のT精機さん、ここも当時 米ビッスリーからテールランプの成型金型を作っていた。ミクロン単位の成型・プレス金型では 国内一と言われていた。テールランプは、光を反射させるのでダイヤカットの傾斜精度は ここしか作れなかったからと聞いた。

 今も、隠れた社会に手品のような技術者が存在しているとは思うが 当時の努力家・功労者は 自分で自分にノーベル賞を受け取って充分に満足していたのだろう。私しか出来ない・・そんな自負が持てる技を持てば 世の中の為に私はいたのだと納得して。