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碧い山・青い海

趣味の山登りとか、技術とネット情報を照合し個人メモに・・

1811- 山上のゴルフ場

2018-11-30 | 山登り
 先日登った 六甲最高峰を目指すルートには2カ所、ゴルフ場の扉を開けて向かい側の登山ルートに渡たる変な場所がある。
前からこの山頂直下にある「神戸ゴルフ倶楽部」は 疲れた登山者には無粋なものだと思うが 六甲山には、山頂ケーブルと摩耶山と六甲山を結ぶ道路があり車道・別荘とホテルバスも通っているので 広い都市公園の延長でありこれも仕方がないのだ。
 このゴルフ場は、明治時代に英貿易商「A・Hグルーム」氏が六甲山の山上に山荘を建てて スポーツ登山を日本人に広めたが この方が更に敷地を購入し作られたのがこの由緒ある 国内最古のゴルフ場らしい。

 明治36年(1903)の110年前に作られ、818m標高は近畿地方で 今も一番高い。車が発達した現在は 長野の高原辺りは 標高 1500m前後のゴルフ場は山ほどあるが 車の無い時代の高地ゴルフ場と言うのに価値がある。しかし、ゴルフを日本人に広めようとした訳では無く 恐らく神戸に住む外国人達の遊興の為だったと想像するが 当時は馬と馬車が交通手段であり 馬を持って 六甲山脈を登るのも外国人にはスポーツだったのだろう。
 グルーム氏は長崎グラバー紹介に努める兄を頼って、神戸で貿易を始め成功した神戸では 毎年「グルーム祭」があるし 六甲山山頂には「記念碑台」にはグルーム氏の銅像もあり 登山の開祖と言われている人なのだ。

 神戸の街は小さな漁村だったが、彼は登山が好きで 当時は手つかずだった 六甲山を盛んに登り 山頂に別荘を建て 外国人達の交流場所としてゴルフ場までを 山頂近くに作り仲間は皆 馬で集まったのだろう。
当時の日本人は、馬は農耕馬か明治時代も官僚の持ち物で遊びににど使えなかったが 英国人は馬は現代の自家用車だった。英国人の馬に対する考えは、一緒に遊ぶ友人であり絶対に 馬肉など食べないそうだから愛車の様な感じだったのだ。
 日本アルプスの開祖と言えば、これも英国人の宣教師「ウェストン」が有名だが、それよりも30年も前に六甲山は登山に開けていたのだ。六甲山には、登山ルートは今でも英語の名前が多いのだが 異人達が沢山の馬を連ねて 「トェンテイクロス」の谷のせせらぎを遡って登って行く姿を想像すると それは日本の景色では無かったのかも知れない。

 英国人は「アルピニズム」の元祖だが、日本でも 遊び・スポーツとしての登山は純粋なストイック(偏狭?)な独特の精神世界を言う。狩猟とか信仰は違うし、最近のガイド登山もアルピニズムと呼ばれているが これとは少し違うものだろう。ゴルフ場を横切る時、ゴルフカートから降りる赤いシャツと白いズボンの雑誌のグラビアの様なゴルファーが数人芝生に向かって歩いていたが「登山者は入らないで・・」と注意書きがあり 写真を撮りたかったが入れないのだが この世界も特別な世界で 私には縁の遠い存在らしい。

 私も昔ゴルフを過去3回程、同僚に誘われ休日に参加した事がある。スキーの様な貸し道具は無いので、道具を買ったり譲られたりして揃えたのだが、天気も環境も申し分ないのに 前が終わるまで 順番待ちしないと出来ないのが気に入らない。待つ姿勢も、物を食べたりせずに 態度も紳士らしく・・もう無理。日本人にはやはり、忍耐・努力・コツコツ の登山の方が似合っていると思うのだが。

 神戸ゴルフ倶楽部のページから抜粋



1811- 六甲山の晩秋

2018-11-28 | 山登り
 海側から紅葉の六甲山を眺め、登る機会を迷っていたが やっと天候も安定し昨日表斜面から登り 北側の裏六甲まで 少し予定より時間は掛かったが無事踏破できた。
芦屋川コースは定番ルートで、火曜日なので紅葉狙いの 高齢者ばかりと思っていたら 若い人も結構多い。 現役でも今は 働き方も多様化しているのだろう。

 阪急芦屋川駅から直ぐ歩き始め、瀟洒な街並みを抜け 最高峰山頂まで直線で 約6km4時間が標準タイムらしい。私は朝9時から、山頂到着が5時間で着いたが 疲労で左足が時々 吊りそうになるのを抑えながらの成績で前回は6時間も掛かった事を思えば上出来だったと思う。
 足疲労と水分不足から起こる「こむら返り」だが用心してこの漢方薬を休憩時に2回服用した、 山頂に着いた途端に 脹脛が張り足が動かなくなり暫く待って靴を脱ぎ1時間ほど山頂近くで お湯を沸かしカップ麺とコーヒータイムで足を休めた。やっと足が回復し 結局下山始められたのは1時間後の15時にスタート。

 下山コースは、紅葉谷を予定していたが 前年台風の崩壊箇所で途中から魚屋道(トト屋道)に迂回の指示もあり 紅葉もほぼ終わっていたので魚屋道に決めた。魚屋道も途中崩れた箇所を迂回したり、以前より道が荒れていたがやっと5時近くなって下山したが 日暮れは早くて温泉街はもう街灯が点いていた。有馬に下る登山客は皆温泉に寄って帰るのだが「金の湯」は来年3月まで改装中で 透明温泉の「銀の湯」にお客が集中し いつもより混んではいたが 温泉効果で足の方はすっかり復調できた感じがした。

 山頂で、高齢のグループの一人から有馬温泉の道を聞かれ道を案内してあげたが 何処から登ったのか聞くと「ケーブルで登って、高山植物園を見てこれから下る」と言う。高齢者登山は登りは 下からケーブルを利用し 下りだけの「下山」で登山を楽しむと言う訳だ。私も、当初登山口までバスがある「石切り道コース」で考えていたが ・・山上バスもあるし登山でなくて下山が選べるのも六甲なら出来る近代登山の選択肢だ。
 最近のニュースに高齢の自称冒険家が息子と多くの支援者に支えられ エベレストに挑戦するそうだ。登山家とは思えないが、その内に山小屋荷物を輸送する北ア穂高岳のヘリポートまで ヘリで飛び そこから雪渓を下るだけの登山も流行る予感もするので 登山は何れレジャーに代わるのも避けられないのだろう。

 海抜ゼロに近い芦屋川駅から山頂930mは六甲山のアルプス銀座コースで、岩場があって変化があり 岩は花崗岩なので動かず登りやすいのだ。六甲の水が美味しいのは花崗岩の山脈だからだそうだ。このコースは確か4回目だが 登ってみると体力的には年々厳しくなり ネット情報を使った安直な計画を立てても 予定通りには中々行かないことも多い。しかし、山登りの原点は予測が出来ない事に面白さとか 登頂する価値があったのだからこれは当然なのだが。

 気温も快適な時期、途中の登り下り距離も長いので 健康診断の実践確認を兼ねて 少し無理なコースを選んでしまうが 冬も近くなった時期の 紅葉は充分に満足出来たが 少し体力的には無理だったかも知れないかも。

 登山開始の駅前から芦屋川を登る・・六甲の南斜面は全山紅葉だ


 有名なロックガーデン入口にある「高座の滝茶屋」・・この上から花崗岩の間をよじ登る長いアルバイトになる


 高座の滝の傍らにあった石碑・・大正時代の日本最初の山岳会「やまゆき会」


 真っ赤なナナカマドが、青空に映えて気持ち良い登山日和


 標高600m 雨が峠のルート案内図 ・・あまりに良くできていたので


 山頂930mは曇り空で気温15度、足が復調して3時から下り路に入る・・ブナやカエデの芝生の絨毯が美しい


 有馬温泉に30分辺りに、昔あった茶屋跡に作られた休憩小屋かある・・江戸時代は魚屋だけでなく籠も峠越えした道だったらしい

1811- mac OS新バージョンアップ

2018-11-26 | テクニクス
 Appleのmac-OSの大型アップデートがあり、実行したのだが約1時間掛かってしまったが無事完了。最近のmac-OSのコードネームは、カルフォルニア州の公園地名で呼ばれ今度は「mojave モハペ」と読む砂漠の名前らしい。
今までは「high sierra ハイシエラ」と呼ぶ公園内の山脈の名前だったが 次は砂漠名に。
 アップルOSのコードネームは2001年「チーター(10.0)」から 2013年「マーベリックス 一匹狼(10.9)」まで動物名だったが、2013年からネタ切れからか カルフォルニア州の公園・地名で続いてきた。公園に「山脈・砂漠・グランドキャニオン」もある米カルフォルニア州の広大さは どんなに説明されても中々理解出来ないが・・・。

 「モハペ」アッデートしたばかりで確認はこれからだが 大きな改善は、画面を暗くして目の疲労を抑えた「ダークモード」と 使い易いデイスクトップを積極活用する「スタックス」と言う自動でグループ・フォルダにしてくれる機能があるらしい。他にも、いろいろ改善され提案もあるらしいが 操作して見つけ出して行く事も 一つの楽しみでもある。
 私は WindowsとMAC(mac mini-2012)を両方^併用しているが Windowsの方が使い易いので MACはアップデート確認とメール確認に使う位だ。でも画面の美しさとか操作の思想にはいつも感心してしまう。今は日本語対応が、良くないのでWindow機不調時の補助使いとなっているが この小型の瀟洒なデザインは使う程 何故か愛着が沸いてくるから不思議だ。多分、将来 Windowsは手放なしても MACは手元に残すだろう。

 今年9月に公開された「2018-mojave モハペ10.14」の画面


モハペには「タークモード」の背景画を夜間に替えられる 

 
 モハペの追加機能「スタックス」コンテンツを自動識別し右にグループ化されると言う


 下は最近まで使っていた「2017-ハイシエラ10.13」と「2016-シエラ10.12」の画面



1811- プリンターでスキャン

2018-11-24 | テクニクス
 低価格プリンターだが、コピー・スキャン機能まで付属しているので これが意外と重宝している。以前はビジネス用で、手書資料のコピーとか、資料の会合配布するためだったが・・こんな事例が日常生活で増えるのは スマートフォンの普及なのかもしれない。
 前回もクラウドの「グーグル・ドライブ」を使うと写真文字が 文章文字に変換するOCR機能もある・・と紹介したが 意外とこの機能は日本語文化圏で便利なのに あまり話題にはなってないので 活用もされないのだろう。
手書き文も「グーグルドキュメント」では瞬時に活字変換され、難しい「漢文の縦書き」をやらせてみたが 辞書にない難しい漢字までを 読み取り正確に文書にされていた。
以前にスキャナ専用機に付属した 文字のOCR変換は、間違いと手直しが多く普及しなかったのだが この「グーグル・ドライブのドキュメント」のOCR機能は人間よりもかなり賢くなっている。

 しかし最近 グーグル・ドライブも「ファイル・ストリーム」と言う自動同期が基本となり、PC内の大量の写真を自動的に 全てをクラウドに同期されるのは気持ちが悪い。無料で15GBと言う容量も Gフォト・Gメールの合算なので直ぐに満杯になり動作しなくなる。容量アップは有料なので、使用時には自動同期をさせない設定にすれば従来通り利用できる様だ。
 この自動同期は、クラウドと言う機器の多くも避けられないが 写真類を移すのも不安だが 容量が大きいので 出来る限り外付けHDDに移すして置く様に 心掛けてはいるのだが・・・。
少し前までは「プリンタ・コピー機・スキャナ」を買って周辺に並べて使っていたが 今は同じ機能が 複合プリンター 一台で しかも1万円前後と言う技術の進化には驚きでもある。

 上の枠内の縦書き部はスキャナ画像だが 下のライン以下の横書きは読取変換された文字だ ・・辞書にも無い漢字を含め 完璧だ

 
 庭の枯れ葉を拾って、スキャナーにかけて見る・・紅葉と病葉の複雑な色彩が瞬時に・・

1811- 山のバイブル

2018-11-21 | 山登り
 古い本の整理を始めた。仕事の知識・趣味の模型・勤務先の社史・山岳図書・山の地図・・30冊程あるこれが 私の主な蔵書。
並べて見たが、一冊捨てがたい山の本があった。20センチ角の200頁ほどの崩文堂「日本アルプス山の旅」と言う変形本だ。初版が昭和31年なので、山岳ブームが始まった頃に全国の本屋さんで売られていた。かなり売れた本だと思うが当時、崩文堂は山の本の出版社で最も信頼できたのだが 今も残っているのだろうか。
 
 表紙も全体も60年経て、酷く変色しページを開いたらパチッと音がして 綴じ込みが切れた。この本は北ア・南ア・白山など 国内のアルプスを毎月登っていた山のガイドブックだが 使い続けて行く内に私の山登りのバイブルの様になった。
 中ページには、メモとかアンダーラインを引いた処もあって この情報を手掛かりに当時 5万分の一の国土地理院の白地図を購入し計画を立て山を登っていた。今は常識の「インスタント・ラーメン」も無い時代、40kg前後のキスリングを背負い南アルプスの伝付峠から千枚岳・悪沢岳を 仲間と登った苦しかったことを思い出したが今は5kgでも重いと感じる。
 この本もボロボロだが綴じ込みを少し 修復し 暫く残して置く事にした。

 蛭地梅太郎の山男の絵が巻頭に描かれている「日本アルプス山の旅」

 
 当時の山岳ガイドブックの地図は概念図が中心で 現在の精密な写真・地図よりも判り易かった気もする


 アルプスの山岳案内人の電話番号とか、登山十戒とか装備ガイドを読むと山登りにも時代を感じる


 山岳風土記は義兄から10巻全部が譲られ 読み始めたら止まらない内容だった。抜けてるのは友人に貸し 多分そのままに・・