先日登った 六甲最高峰を目指すルートには2カ所、ゴルフ場の扉を開けて向かい側の登山ルートに渡たる変な場所がある。
前からこの山頂直下にある「神戸ゴルフ倶楽部」は 疲れた登山者には無粋なものだと思うが 六甲山には、山頂ケーブルと摩耶山と六甲山を結ぶ道路があり車道・別荘とホテルバスも通っているので 広い都市公園の延長でありこれも仕方がないのだ。
このゴルフ場は、明治時代に英貿易商「A・Hグルーム」氏が六甲山の山上に山荘を建てて スポーツ登山を日本人に広めたが この方が更に敷地を購入し作られたのがこの由緒ある 国内最古のゴルフ場らしい。
明治36年(1903)の110年前に作られ、818m標高は近畿地方で 今も一番高い。車が発達した現在は 長野の高原辺りは 標高 1500m前後のゴルフ場は山ほどあるが 車の無い時代の高地ゴルフ場と言うのに価値がある。しかし、ゴルフを日本人に広めようとした訳では無く 恐らく神戸に住む外国人達の遊興の為だったと想像するが 当時は馬と馬車が交通手段であり 馬を持って 六甲山脈を登るのも外国人にはスポーツだったのだろう。
グルーム氏は長崎グラバー紹介に努める兄を頼って、神戸で貿易を始め成功した神戸では 毎年「グルーム祭」があるし 六甲山山頂には「記念碑台」にはグルーム氏の銅像もあり 登山の開祖と言われている人なのだ。
神戸の街は小さな漁村だったが、彼は登山が好きで 当時は手つかずだった 六甲山を盛んに登り 山頂に別荘を建て 外国人達の交流場所としてゴルフ場までを 山頂近くに作り仲間は皆 馬で集まったのだろう。
当時の日本人は、馬は農耕馬か明治時代も官僚の持ち物で遊びににど使えなかったが 英国人は馬は現代の自家用車だった。英国人の馬に対する考えは、一緒に遊ぶ友人であり絶対に 馬肉など食べないそうだから愛車の様な感じだったのだ。
日本アルプスの開祖と言えば、これも英国人の宣教師「ウェストン」が有名だが、それよりも30年も前に六甲山は登山に開けていたのだ。六甲山には、登山ルートは今でも英語の名前が多いのだが 異人達が沢山の馬を連ねて 「トェンテイクロス」の谷のせせらぎを遡って登って行く姿を想像すると それは日本の景色では無かったのかも知れない。
英国人は「アルピニズム」の元祖だが、日本でも 遊び・スポーツとしての登山は純粋なストイック(偏狭?)な独特の精神世界を言う。狩猟とか信仰は違うし、最近のガイド登山もアルピニズムと呼ばれているが これとは少し違うものだろう。ゴルフ場を横切る時、ゴルフカートから降りる赤いシャツと白いズボンの雑誌のグラビアの様なゴルファーが数人芝生に向かって歩いていたが「登山者は入らないで・・」と注意書きがあり 写真を撮りたかったが入れないのだが この世界も特別な世界で 私には縁の遠い存在らしい。
私も昔ゴルフを過去3回程、同僚に誘われ休日に参加した事がある。スキーの様な貸し道具は無いので、道具を買ったり譲られたりして揃えたのだが、天気も環境も申し分ないのに 前が終わるまで 順番待ちしないと出来ないのが気に入らない。待つ姿勢も、物を食べたりせずに 態度も紳士らしく・・もう無理。日本人にはやはり、忍耐・努力・コツコツ の登山の方が似合っていると思うのだが。
神戸ゴルフ倶楽部のページから抜粋

前からこの山頂直下にある「神戸ゴルフ倶楽部」は 疲れた登山者には無粋なものだと思うが 六甲山には、山頂ケーブルと摩耶山と六甲山を結ぶ道路があり車道・別荘とホテルバスも通っているので 広い都市公園の延長でありこれも仕方がないのだ。
このゴルフ場は、明治時代に英貿易商「A・Hグルーム」氏が六甲山の山上に山荘を建てて スポーツ登山を日本人に広めたが この方が更に敷地を購入し作られたのがこの由緒ある 国内最古のゴルフ場らしい。
明治36年(1903)の110年前に作られ、818m標高は近畿地方で 今も一番高い。車が発達した現在は 長野の高原辺りは 標高 1500m前後のゴルフ場は山ほどあるが 車の無い時代の高地ゴルフ場と言うのに価値がある。しかし、ゴルフを日本人に広めようとした訳では無く 恐らく神戸に住む外国人達の遊興の為だったと想像するが 当時は馬と馬車が交通手段であり 馬を持って 六甲山脈を登るのも外国人にはスポーツだったのだろう。
グルーム氏は長崎グラバー紹介に努める兄を頼って、神戸で貿易を始め成功した神戸では 毎年「グルーム祭」があるし 六甲山山頂には「記念碑台」にはグルーム氏の銅像もあり 登山の開祖と言われている人なのだ。
神戸の街は小さな漁村だったが、彼は登山が好きで 当時は手つかずだった 六甲山を盛んに登り 山頂に別荘を建て 外国人達の交流場所としてゴルフ場までを 山頂近くに作り仲間は皆 馬で集まったのだろう。
当時の日本人は、馬は農耕馬か明治時代も官僚の持ち物で遊びににど使えなかったが 英国人は馬は現代の自家用車だった。英国人の馬に対する考えは、一緒に遊ぶ友人であり絶対に 馬肉など食べないそうだから愛車の様な感じだったのだ。
日本アルプスの開祖と言えば、これも英国人の宣教師「ウェストン」が有名だが、それよりも30年も前に六甲山は登山に開けていたのだ。六甲山には、登山ルートは今でも英語の名前が多いのだが 異人達が沢山の馬を連ねて 「トェンテイクロス」の谷のせせらぎを遡って登って行く姿を想像すると それは日本の景色では無かったのかも知れない。
英国人は「アルピニズム」の元祖だが、日本でも 遊び・スポーツとしての登山は純粋なストイック(偏狭?)な独特の精神世界を言う。狩猟とか信仰は違うし、最近のガイド登山もアルピニズムと呼ばれているが これとは少し違うものだろう。ゴルフ場を横切る時、ゴルフカートから降りる赤いシャツと白いズボンの雑誌のグラビアの様なゴルファーが数人芝生に向かって歩いていたが「登山者は入らないで・・」と注意書きがあり 写真を撮りたかったが入れないのだが この世界も特別な世界で 私には縁の遠い存在らしい。
私も昔ゴルフを過去3回程、同僚に誘われ休日に参加した事がある。スキーの様な貸し道具は無いので、道具を買ったり譲られたりして揃えたのだが、天気も環境も申し分ないのに 前が終わるまで 順番待ちしないと出来ないのが気に入らない。待つ姿勢も、物を食べたりせずに 態度も紳士らしく・・もう無理。日本人にはやはり、忍耐・努力・コツコツ の登山の方が似合っていると思うのだが。
神戸ゴルフ倶楽部のページから抜粋

