何故か、中学生時代の同窓会だけが4年前の招集を最後に 情報が無いのでコロナとは関係なく クラス担任中心で始まったので生成の高齢の理由かもしれない。しかし、企業OB会は 毎年の退職者が入会するので 企業が存続していると永遠に存在し続けるのかも知れない。
私も定年で、当然決められた路線の様に勤めた企業のOB会に入会したが 定年後の相談に会合の度に 先輩同僚との交流は楽しいし楽しみな行事だった。現在でも古い顔ぶれが元気で趣味・地域ボランティア・老後生活近況など 特設ページに競って近況を投稿しているのを見ると安心するのだが 知った人が高齢化になりその訃報も気になって来た。
全国企業だったので、組織は北陸・東北・関東・関西・中国・九州に跨る6ブロックに分けられ多分数万人の規模でいまも盛会なのだが 数年前に参加した時も持病を持つ元上司が来ていたり 既に定年から20年経っても 役員幹事には知人が残っていて懐かしいとは思っても既に 共通する業務上の話題は無く 病気と孫の話になって過去とは違い 現役以上の盛り上がりは無かったと言う記憶だ。
同僚の訃報は数年前までメールで知らされていたが最近は個人情報の問題化でその通知も来ない。最近、知人が亡くなったと聞いて情報を確認するため OB会ページの登録パスワードを本社事務所に問い合わせし確認して見たが 他にも次々と忘れかけていた方も載っていて それも知った処で余りもう意味は無いのかも知れない。
今は海外拠点も社員も、国内以上に増えているが海外社員には 元同僚が退職後も助け合い 協力し合いと言う集団は多分世界には無くて「子供頃の遊び友達・職場仲間・元戦友・元スポーツ仲間などの親友中心で極めて小人数の集団はあるのは映画などで知っているが これは親友が対象だ。日本の様なOB会・同窓会の集合写真で先生・上司中心に・・と言うのは少し違うのだ。
ページには中の元気なメンバーは 趣味で表彰・大学講演した・旅行した記事が競う様に掲載されていたが 現役時代と同じで いつまでも「集まると競争する」習性の様なのも気になったが一方で「健康寿命は人との繋がりの有無で左右される」と言う言葉は「親友がいる、いないかで・・」と言う意味なのだ。
OB会には惰性で参加せず、老化の個人差も勘案し 自分の決めた年齢で 案内を受けても欠席にするのが良いと思っているのだが 。
同窓会の洋画を見つけた ・・・ ベトナム戦友で親友の死を悲しみ、助け合いには感動物だ (2018)